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キリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(

キリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けたとされます。それが神様の御心だったと言われています。そのヨハネは、キリスト以前にも人々に悔い改めの洗礼バプテスマ)を授けたとされます。ではヨハネは誰の権威で、誰に依って、何時バプテスマを受けたのでしょうか? 聖書にそれに関する記述を見たことがありません。分かる方が居られたら教えて下さい。

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noname#112848
noname#112848
回答No.2

キリスト以前にイスラエル人に与えられていたのは律法です。イスラエル人は律法に従うことによってメシア(キリスト)に導かれるはずでしたが、当時のイスラエル人は律法に従っていませんでした。キリストの到来に先立ってヨハネが施した悔い改めの洗礼には、イスラエル人が律法に違反している状態からの悔い改めを促すという意味合いのものです。ヨハネ自身に関しては、マタイの福音書の三章だったと思うのですが、ヨハネはイザヤ書で予言されていた人物であると記されていて、権威を裏づけしています。 ちなみにキリストは生まれたときから原罪を持たない人で、言うまでもなく悔い改めなければならない理由など何一つありません。したがってキリストが受けた洗礼は悔い改めるためのものでないのは明らかです。ヨハネ自身、その事をよく理解していたのでイエスから自分に洗礼を施すよう求められたときに一度はその申し出を断っています。聖書のその後の記述を見ていくと、イエスが洗礼を受けたときに聖霊による油そそぎがされたことがわかります。イスラエルで誰かに油を注ぐということは、その人を「王」に任命するという意味があり、イエスの場合それが聖霊によって行われたことから、神様によって王に任命させたことが明らかにされました。またそのことはイエスが約束のメシアである事の証明ともなったわけです。 一つ申し添えるなら私はクリスチャンではなく単なる歴史好きです。世の中にはキリスト教の宗派は沢山あり、この解釈に対して信仰を持つ人からは異論もでるかも知れません。が、この解釈はほぼ正しいと確信しています。といいますか、この解釈は聖書自体に記録されていることなので、何十回も聖書を精読すればわかると思います。

soudan-ari
質問者

お礼

 なるほど良く勉強されてますね。概ね理解できました。罪と悔い改めが無ければ洗礼(バプテスマ)も必要ない事になりますね。旧約聖書の時代では罪に対して神の直接的な裁きがあったように思います。キリストに拠って救われる所に神(キリスト教)の愛があるのでしょうね。その入り口と考えて良いのでしょうね。ありがとうございました。

soudan-ari
質問者

補足

ヨハネ自身はバプテスマを受けて無いのですよね? では、ヨハネは救われてない事でしょうか?

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その他の回答 (2)

  • katyan1234
  • ベストアンサー率18% (347/1849)
回答No.3

主の道を備える者として旧約イザヤにかかれた人で 預言者としての地位を持つらしいね~ 単に悔い改めを勧めているだけで救ってはいないです。 見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよイザヤ40・3らしい・・

soudan-ari
質問者

お礼

 確かに引用箇所として紹介されています。でもこの箇所(イザヤ40:3)だけでは説得力に欠ける気もしますが、ありがとうございました。

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noname#160321
noname#160321
回答No.1

>誰の権威で 預言者には自らの権威以外何の権威もありません。××人と呼ばれる各流派はその様なものは認めません。

soudan-ari
質問者

お礼

そうですか、現実はそうでしょうね。ありがとうございました。

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