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イスラム教とキリスト教の聖典に

イスラム教とキリスト教の聖典に ユダヤの旧約聖書が含まれてるわりに、 ユダヤ教徒からはコーランと新約聖書は 相手にされていないんですよね? だから、敬うを通り越して、 お高く留まりやがって! と差別さてきたんですかね?

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回答No.3

ユダヤ人が差別されてきた理由は主に3つです。 まず一つ目が「キリスト教やイスラム教を異端視しているから」 ユダヤ教からキリスト教、次いでイスラム教が産まれたのですが、これらを ×内容をアップグレードした新版 〇蛇足を付け足して中身を滅茶苦茶にしたジャンク品 と考えるのがユダヤ教の立場です。 そのため何れも「絶対の真理を奉じている」と信じるユダヤ、キリスト、イスラムの3教は互いに排撃し合う関係になり易いのです。 例えれば、 キリスト教やイスラム教側は、ユダヤ教のことを 『今でもWindows95を使ってるとかありえないだろそれ』 ユダヤ教側は、キリスト教やイスラム教を 『どっかの海賊版業者から流れて来た怪しいブラウザ使うとかマジか』 と内心相手のことを思ってる感じでしょうか。 次に、既に指摘されていますが「在地のコミュニティに交わらないから」 世界のどこに居ようと、ユダヤ人はユダヤ人だけのコミュニティを持ち、在地の人々とはあまり交わりません。 しかもその地の習慣や価値観を尊重せず、歴史的にはその国の法律さえ守らないこともありました。 ユダヤ教とは、大雑把に言えば「私たちユダヤ教徒だけが神に選ばれた」と教える宗教です。 そのため信徒が「私たち以外の者は神に選ばれなかった」と考えるようになることも多く、そのため自分たちのもの以外の習慣や哲学をナチュラルに軽視する場合が多いのです。 その結果、当然ながら軽視した在地の人々から「ルールを守らない余所者」として憎悪を受けることになります。 最後は「金銭関連の仕事を積極的に行ったから」 農業などの肉体労働がメインの時代から、ユダヤ人は頭脳労働…もっと言えば金貸しなどの金融業へと積極的に進出していました。 それは異国に暮らすものの知恵で、急にその土地を離れなければならなくなった時、不動産や家具などは持って行けないものの、金銭なら持って行けるからという理由からでした。 しかし次第に、辛い肉体労働をせずに儲けることが、働かずにカネの力で他人を支配する悪辣なイメージとなって定着するようになります。 働かずに贅沢な暮らしをしているなんて、きっとウラで悪いことしているはず…それがユダヤ人のイメージになってしまうのです。 主にこうした理由でユダヤ教徒は差別されて来ました。 どの宗教とも関係ない大半の日本人から見れば、 1巻:旧約聖書、2巻:新約聖書、3巻:クルアーン(コーラン) その何巻までを読んだり信じたりするか? ぐらいの違いしか無いんですけどね。

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  • eroero4649
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回答No.2

元々キリスト教はユダヤ教から生まれました。イエスさんが他ならぬユダヤ人ですし、イエスさん本人は自分のことは「ユダヤ教の教師」だと認識していたと思います。 イエスさんは生前何度か「お前はメシア(救世主)なのか?」と聞かれている場面が新約聖書に出てきますが、どれも曖昧な答え方をしています。明言している場面もあるのですが、その後否定していたりするんですよね。 ただ、当時のユダヤ人にとってのメシア(救世主)は、イスラエルからローマ帝国を排除してくれる指導者、と解釈する人が多々いましたから、そういう気持ちがなかったイエスさんはそこは肯定したくなかったと思います。 実際、イエスさんがユダヤ人によって処刑されてしまったのは、大衆が求めた「ローマ帝国からユダヤ人を解放してくれるリーダー」になることを彼が明確に拒否したからです。 イスラム教の場合は、教祖ムハンマドさんは宗教的指導者であると共に政治指導者でもあったので、政教分離が当たり前と考えている我々日本人には本質的に理解できない部分があります。 ムハンマドさんは当初自分が他の人々から弾圧されたときにユダヤ人が(同じ神様を信仰する関係で)比較的優しくしてくれたので、当初は友好的に思っていたようです。「ユダヤ教徒を説得してイスラム教徒にできる」と考えてたみたいですね。 しかし彼らは自らの国を失っても信仰を頑なに守り続け、他の民族に同化しなかった人たちです。それは失敗したので、近親憎悪みたいな感じで対立したという一面もありますね。 宗教って全く価値観が違う者同士より、同じ宗教から仲間割れを起こすほうが対立が激化するものなのです。 カトリックとプロテスタントがそうです。日本でも人気が高かったカトリックの法王ヨハネ・パウロ二世はプロテスタントと和解するというキリスト教界では劇的なことをやり遂げました。しかしそのせいで銃撃され、暗殺されかかりました。和解が絶対に許せないという原理主義者がいたのです。 日蓮宗も、顕正会と創価学会でバチバチに対立していますよね。聖ナントカ新聞の顕正会への書き方って信者じゃない人は引くばかりです。アンタ、家族を顕正会に殺されたの?って感じ。 イスラム教もスンニ派とシーア派の対立は本当に激しいですよね。

  • fujic-1990
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回答No.1

> ユダヤ教徒からはコーランと新約聖書は相手にされていないんですよね?  いやぁ、ユダヤ人が差別されたのは、昔のユダヤ人には国家というものがなく、どこへ行っても・何年たっても「旅人」、言うならば「住所不定」の「流れ者」だったからだと思いますよ。  いつまでたっても「私は〇〇人であって、アナタ方とは国籍が違う」とか言っていれば、都合が悪くなると余所へ逃げてしまうかもしれないのですから、本気で仲間になどなれるハズがないのです。  差別され強盗などの被害者になるから何時でも逃げ出せるように金を保有しようとするし、金の在処を家族が知っていれば襲われて拷問でもされれば話してしまう。  知らなければ言えないから、ユダヤ人仲間はもちろん家族にも金の在処を教えず、強盗が去ったあとで、それぞれが隠して置いた秘密の場所から金を持ち出して、一族・家族が助け合って生きるという生活方法を採用したわけです。  左の頬を叩かれたら右の頬も出すというようなできもしない思想を理想とする人々にとっては、ユダヤ人はそういう理想を行おうともせず、金ばかりに執着する「守銭奴」に見えたり、ユダヤ人同士も信用しない「薄情者」で、家族も信用しない「秘密主義」に見えたりして、益々差別・軽蔑の対象にされたらしいですよ(イザヤ・ベンダサンの説明)。  差別の原因が「新約聖書やコーランを相手にしていない」ことにあるとすれば、「大切にしています」と表明し行動すれば差別は止んだはずです。実に簡単な話でした。  実際、差別に耐えきれずキリスト教に改宗したユダヤ人もいたそうですが(イザヤ・ベンダサンの本)、差別は止まりませんでした。つまり、新約聖書やコーランを相手にしていなかったから差別されたわけではないのです。

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