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イエスキリストは代表的ユダヤ人の一人だと思うのですが・・。
ヨーロッパの歴史の中で教会などキリスト教関係者も率先してユダヤ人~ユダヤ教を弾圧してきたようですが、いくらユダヤ人からも迫害され処刑されたとはいえ当のイエスキリスト自身や愛弟子たちがユダヤ人であったということはキリスト教徒達にとって矛盾というか違和感は無かったのでしょうか?確かに『ユダヤ人』と言う言葉の定義は微妙で血統的な事よりもユダヤ教徒であることに重きを置いて考える事が多いようですが、そうすると(キリストを救世主としてあがめキリスト教自体を開いたのはあくまでキリスト死後の弟子達であり)自分自身はユダヤ教徒であったというキリストはますますピュアなユダヤ人ということになってしまうのではないですか?それとは直接関係無いかもしれませんがキリスト教などに改宗していても血統的にユダヤ系だとあのときのドイツではやっぱりユダヤ人とみなされ収容所とかに送られてしまったわけですよね・・・。また例えばヒットラーなどがキリストの人種問題に言及した事があれば紹介していただけますでしょうか?
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キリスト教は、ユダヤ人の共同体の中から、イエスが救い主であると信じる人々が出てきて成立しました。ユダヤ人は律法を守るので、当初のキリスト教を信じる集団(エクレシア)はユダヤ教も同時に信仰していました。その後、ユダヤ人ではない人々が、キリスト教を信仰するようになって、律法(安息日も含む)を「愛」の一字で集約して、イエスと彼の教え(神・罪・救いなど)でキリスト教が成立しています。
- mituemon21
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追伸 前略 福沢諭吉先生も学問のすすめの中で、仰ってますね。 天は人の上つていうのは、みなさん御存じなんで 人は、学ばなければ、智は無い。智の無いものは愚かな人である。 つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか、学ばないかによって 出来るものである。そのもともとを見て行くとただその人に学問の力が、あるか無いかによって、そうした違いが、できただけであり、 天が、生まれつきに定めた違いではない。 草々
- mituemon21
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質問者様の仰ること、そのとおりだと思います。 いろんな事に、応用して解釈って出来ますよね。 全然、的はずれな意見だと自分自身も思いますが、少し 私は、日本人です。差別、偏見っていっぱいありますよね。 日本だけでは、ありませんね。世界中にいっぱいあります。 イムジン河っていう歌、私好きなんです。 朝鮮半島に流れている河ですね。北と南に分けております。 その河って日本と外国の間にも、流れていますし、我々個人の 間にも、流れている河じゃないでしょうか? 話は、全く違いますが、starflora様の回答いつも謹んで 読ませていただいております。さぞや名のあるお方と存じます。 賢いを通り過ぎて賢すぎる感想を持っております。 当方は、賢くありません。 ご活躍、陰ながらお祈りいたしております。 ごきげんよう。ニンハオ シェーシェーニー請原諒!
- ishiid1
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ユダヤ人の扱いを不思議に思われるのも当然かもしれません。 しかし、ユダヤ人の歴史を見ると波乱に満ちています。 当初、神は古代イスラエルをご自分の愛する民として扱ってこられました。しかし、建国1500年後にキリストがこうおっしゃいました。 「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ―わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように。しかし,あなた方はそれを望みませんでした。38 見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています。」‐ マタイによる書 23:37‐38 イスラエル国民は、幾度も神から離れた結果として、 バビロンに70年捕囚されたり、幾度も戦に破れたりと 悲惨な目にあってきていました。 しかし、こと神の子キリストを処刑するに至って 神の怒りは限界に達し、神はこの国民を捨て、 新たに別のイスラエルを設けることにされたのです。 イエスもこういわれました。 「このゆえにあなた方に言いますが,神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです」‐ マタイによる書 21:43 パウロはこう書き送っています。 「そして,この行動の規準にしたがって整然と歩むすべての人,その人たちの上に,そうです神のイスラエルの上に,平和と憐れみとがありますように。」‐ ガラテア人への手紙 6:16 ですから、すでに神の基準を尊重する別の民が立てられており、イスラエルの国自体は既に神の恵みを失っているのです。 今でも、ユダヤ教徒は律法を守っていますが、それは無駄なことです。 「では,律法はなぜ[与えられたの]ですか。それは違犯を明らかにするために付け加えられたのであり,約束のなされた胤が到来する時にまで及ぶのです。」‐ ガラテア人への手紙 3:19 つまり、約束のなされた胤とはキリストであり、そこで律法は完了するのです。キリストの弟子となるものが新たな神のイスラエルを構成するのであって、ユダヤ人であるかどうかは関係なくなっているということです。 ユダヤ人の存在はは歴史的な意義はありますが、 今現在、神の特別の保護にあるわけではありません。 かえって、ユダヤ人は迫害され、抹殺されようとしたこともあり 人種そのものを根絶すべく異常なまでの殺戮が行われてきました。 これについては、悪魔によるユダヤ人の歴史的証拠を塗り消そうという試みかもしれません。 現代について聖書にはこう書いてあるからです。 「地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」‐ ヨハネへの啓示 12:12
- 参考URL:
- http://watchtower.org/j/
- mirokubosatsu
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ヒットラー云々に関しては詳細に知らないので答えられませんが、イエスがユダヤ人であるという事について少し… classさんが仰るように、イエスはユダヤ人です。これまでの回答の中にも見られましたが、キリスト教自体がユダヤ教の1セクトとして始まっており、イエスにキリスト教(教会)設立の意志があったかについて疑う学者さえいました。(「イエスは神の国を伝えたが、やってきたのは教会だった」という言葉があります。すごい皮肉ですね(笑)。) イエスはその宣教の当初、明らかに宣教の対象をイスラエル、つまりユダヤ人に絞っています。このことは、聖書にある『イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。』(Mt.10:5,6)という言葉から伺えます。また原始キリスト教団においても、パン裂き(現在のミサ)や集会での祈りなど独自性を持ちながらも神殿礼拝をしていた事から、あくまでユダヤ教徒であるという意識があったと考えられます。 答えになっているか分かりませんが、参考まで。
- kozaiku
- ベストアンサー率41% (256/616)
ユダヤ教における神はユダヤのための神ではなく、世界を創った神、ユダヤ人もエジプト人もローマ人もペリシテ人も造った神、唯一無二の神です。イエスが唱えた神も実は同じ、イスラム教の開祖ムハンマドが唱えた神も同じ神でした。イエスはユダヤ教の神を否定したのではなく、ユダヤ教の信仰の仕方(ありかた、ひいては生き方)を否定したのです。ムハンマドも然りです。強引な考え方をすれば、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も神は同じで宗派が異なると言えなくむありません(実際には、その様な考え方はしませんが)。 イエスは従来の信仰の仕方(ユダヤ教)を否定したのですから、キリスト教徒がユダヤ教徒に対して否定的だったとしても、そこに矛盾は無いでしょう。 矛盾するような感じはおそらく「イエスキリストは代表的ユダヤ人の一人」という前提から生じているのではないでしょうか。むしろ逆に考えてはどうでしょう「イエスキリストは例外的ユダヤ人」。 なにしろ、それまでのユダヤ人/ユダヤ教の信仰の仕方、ありかたを否定した少数派。当時の多くのユダヤの人には「いかがわしい新興宗教」の一つにしか映らなかったはずです。
- starflora
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色々な理由が背景にあります。わたしは丁寧に説明する情熱をもう失いかけています。時間をかけて説明しても、まともに反応しない質問者が多すぎるということでしょう。お手軽に簡単な答を知りたいのなら、2**ンネルででも質問せよという感じです。 それはとまれ、一つの事実として、ユダヤ人迫害は、近代に始まったことではありません。ユダヤ人が優秀だというのは、迫害され、厳しい状況のなかで自己を磨き鍛えねば、生きるすべがなかったからで、中世において、ユダヤ人は、正規の市民と認められず、職業の自由もなく、「商人」は卑しく危険な仕事とされていたこともあって、商人として生きることは許されていたので、商業に生死をかけたのです。 貨幣経済がまだあまり発展していなかった中世欧州にあって、ユダヤ人の商売は、詐欺を行っているのと同様に見られたということがあります。日本でも江戸時代「士農工商」と言って、「商人」を最低身分にしましたが、これは土地本位制の封建社会にとって、農民や職人は有用だが、商人は、社会秩序にとって危険な存在であったためです。それ故、欧州でも商人は卑しいと考えられ、ユダヤ人がその職業を得たのです。複雑な事情は捨象して簡単に述べるとそういうことになります。 ユダヤ人にとって、商売で成功しないと生死に関わって来るのです。当然、教養を重視したでしょうし、算数や勘定の技術や、更に様々な国の様々な習慣や考え方、法律に対応するため、賢くなければ生きて行けなかったのです。法律専門家の公的資格が与えられていなくともユダヤ人は、専門家以上に法律に通暁していなければ生きて行けず、また、学問や技術の発展も、これを押さえないと、商業活動が成立しないので、熱心になったのです。また「情報」の価値は、商業活動を営むにおいて必須であり、更に、諸国や、自分が暮らす国の法律や、支配者の考えや、民衆の動向についての的確な「情報」がないと、それこそ、虐殺されかねなかったのです。 欧州でもロシア、東欧でも、紀元10世紀頃からすでに、ユダヤ人への差別や虐殺は存在したので、民衆が不満を持つと、ユダヤ商人を襲い、殺し、財産を奪うなどは、ごく普通のことだったのです。また支配者は、ユダヤ人を「スケープゴート」に利用し、民衆の不満を解消させるために、「何でもユダヤ人が悪い」という考え方を、国家機構と、教会機構併せて行ったので、「悪いのはユダヤ人だ」という単純思考で、ユダヤ人迫害は中世を通じて一貫してあり、ゲットーの起源は中世にあるのですし、ローマ時代からあったとも言えます。こんな状況で、ユダヤ人は個々人が賢明になり、また互いに協力しあい結集するしか生きる道がなかったでしょう。そうして生き延びたユダヤ人は、それなりに富なり勢力なりを築いた訳で、これがまた民衆の反発を生んだのです。自分たちより「卑しいユダヤ人」が、何故、自分たちより豊かなのか、何故、政治的に影響力を持つのか、こうして、ユダヤ人迫害や虐殺は正当化されたのです。 イエズスもユダヤ人であった、十二使徒もパウロもユダヤ人であった、それがどうしたと言うのでしょうか。ユダヤ人はユダヤ教徒と同じであると考えてよいのですが、キリスト教の聖書には、『新約聖書』というものが入っています、ユダヤ人の聖典『ユダヤ聖典』は、ほぼ「旧約聖書」に対応するものですが(内容的には同じものです)、ユダヤ人は、『新約聖書』を聖典とは認めません。「新約」「旧約」という概念は、聖書自体に明示的には出てこないのですが、「三位一体」と同様、イエズスの言葉から神学的に敷衍すると出てきます。 「旧約」は、ユダヤ人が、神ヤハウェと結んだ契約です。それは神の定めた「律法」を遵守することで、成り立つ契約でした。しかし、イエズスは、「わたしは、律法を完成させるため、……または終了させるため、訪れた」とも述べています。「完成」か「終了」か解釈が分かれるのですが、「古い律法の契約の神」ではなく、「無償で、あなた達を愛してくださる、《天の父》の教えをわたしは伝えに来たのである」このような趣旨をイエズスは語っています。「契約の更新」であり、ユダヤ人の神ヤハウェは、イエズスを通じて、「全人類の神」となり、その神との「新しい契約」は、主イエズス・キリストを通じ、イエズスの教えに従うことを誓い洗礼を受けた者が、神と交わす契約なのです。 イエズスは無論、十二使徒も、パウロも、この意味では、「新約」の契約を神と結んでいるのです。ところが、ユダヤ人は、キリスト教に改宗せず、彼らの「旧約」の契約を守り、ヤハウェを独占する宗教を信仰しているのです。ユダヤ人に生まれ、ユダヤ教の律法に背くと、ユダヤ人社会から追放されます。これはユダヤ生まれの者には、厳しい時代のなかでは「死」を意味します。ユダヤ人がキリスト教に改宗しても、民衆がそれを認めないという伝統があったとも言えます。「お前はユダヤ人、裏切り者ユダの子孫ではないか」という理屈がありますし、国家も教会も、ユダヤ人を「スケープゴート」にしているのですから、ユダヤ人は、ユダヤ人としてしか、生きようがなかったのです。 また、ローマ帝国内で布教したのは、ユダヤ人ではなく、ギリシア人や、色々な人々であって、紀元1世紀の初期には、キリスト教徒は、ユダヤ教のシナゴーグなどにも出入りしていましたが、パウロの布教が成功するにつれ、このような関係も消えてきます。ローマ帝国において信徒であったのは、ユダヤ人ではないのです(帝国は最初、ユダヤ教もキリスト教も区別が付かなかったのですが、やがて、区別するようになり、キリスト教を早くも1世紀には、狙いを定めて迫害し始めます。この場合、キリスト教が、ローマ帝国の不運や不幸の原因だと、「スケープゴート」にされたのです。聖アウグスティヌスは、『神の国』の冒頭で、最近の不幸なできごと=西ローマ帝国の滅亡は、決して、キリスト教の繁栄のせいではないと、歴史的引用を行いつつ、帝国は、みずから滅びたのだと、強調しています。キリスト教が、帝国滅亡の原因ではないと論証しているのです)。 ユダヤ人は、キリスト教徒が迫害を受けていた時も、ユダヤ教徒であるので、迫害を免れていたとも言えます。ローマ帝国が、キリスト教を公認するのは、帝国の崩壊の過程で、国家の統一を図るためには、民衆を宗教で結束させるしかないと悟り、ミトラ教とキリスト教を較べて、キリスト教の方がより民衆に浸透しているので、これを公認したのだとも言えます。コンスタンティヌス大帝が無能であれば、それ以前の皇帝同様、愚行に走ったかも知れませんが、彼は十分に賢明であったの、帝国の運営存続のため。キリスト教の力を必要としたということです。 (それでも、西ローマ帝国は滅亡しますが、西ローマを滅亡させた蛮族はやがてキリスト教に改宗し、フランク王国が欧州を統一します。また東ローマ帝国は、キリスト教を国教として、なお、千年存続します。フランク王国内でも、東ローマ帝国内でも、ユダヤ人は特別な存在で、特権を持っていたと同時に、差別されていたとも言えます。彼らは、「イエズスの処刑を求めたユダヤ人の子孫」である、ということです。処刑されたイエズスに従ったユダヤ人キリスト教徒は、ヘレニク文明の大海のなかで消えてしまったのであり、残ったユダヤ人は、イエズスを処刑した側のユダヤ人の子孫なのです。彼らがユダヤ教徒であることが、その証拠でしょう。イエズスがユダヤ人出身であったことと、ユダヤ人が迫害されることのあいだに、何の矛盾もありません。ナチスのデマは、「偉大な人間、聖人・天才は、みなアーリヤ人=コーカソイドである」という妄想信仰を維持するためです)。 ローマ帝国内部でのユダヤ人の地位とキリスト教の関係、中世欧州や東欧におけるユダヤ人の立場、「新約」と「旧約」の区別などが、決定的に意味を持っているのです。
お礼
またまた懇切丁寧な回答どうもありがとうございます。 おかげさまで今まで知らなかったことをたくさん勉強させていただきました。 私の疑問に対してかなり核心に近づいてきたと思います。 特に 『彼らは、「イエズスの処刑を求めたユダヤ人の子孫」である、ということです。処刑されたイエズスに従ったユダヤ人キリスト教徒は、ヘレニク文明の大海のなかで消えてしまったのであり、残ったユダヤ人は、イエズスを処刑した側のユダヤ人の子孫なのです。』というご指摘など特に鋭かったです。 ただ、こういう考え方と言うのはわれわれ日本人的には馴染まないですよね。 かなり乱暴で無理な例えだと思いますけど (ホントかどうかよく知りませんが)天皇家も実は濃度の濃い朝鮮系だという噂があるじゃないですか・・。 天皇家をあがめつつ朝鮮の人を差別する日本人もいますが そういう場合「たとえ天皇家が元来朝鮮直系の出でも今の朝鮮の人とは別。」というような弁明はせずにナチスのような主張をするのではないでしょうか? 結局は単一民族と多民族の国の違いと言う単純なところに結論が行ってしまうのでしょうか?
- cse_ri2
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>いくらユダヤ人からも迫害され処刑されたとはいえ >当のイエスキリスト自身や愛弟子たちがユダヤ人で >あったということはキリスト教徒達にとって矛盾と >いうか違和感は無かったのでしょうか? No.2の発言の続きです。 新約聖書、特に福音書を注意深く読むと見えてくるのです が、イエス・キリストを死に追いやった相手として、当時の ユダヤ教の勢力がそうしたんだと読み取れるように書かれ ています。 |刑を実行したのはローマ人ですが、当時の政治的な事情 |もあってか、ローマ人が悪いというようには書かれていま |せん そしてイエス・キリストの死後の約300年後、奇跡的な 政治情勢の変化により、キリスト教は地下活動を余儀なく された立場から解放され、日の当たる世界で活動できる ようになりました。 それ以後の歴史では、イエス・キリストを死に追いやった という新約聖書の記述が世に残ったため、ユダヤ教とキリ スト教の立場が逆転すると、ユダヤ教は何かにつけてキリ スト教から圧迫と迫害を受けるようになったのだと考えて います。
お礼
詳しく丁寧な回答ありがとうございます。 とても参考になりました。 ただ、 何故ユダヤ人がキリスト教徒に迫害されたのかというよりも ユダヤ人を蔑みつつユダヤ人であるキリストを拝んでいた人々の心理や(日本人と違って)情緒的なことよりも理論的なことを尊重するというヨーロッパ人がどのようにこのことを弁明していたのか・・・例えば「キリストは神なのだからユダヤ人か否かというよりそもそも人ではないのだ。」とか といった点については少々疑問が残ります。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
classさんが述べているように、イエス・キリストは間違い なくユダヤ人です。イエスの十二弟子もユダヤ人です。 イエスの死後、最初はユダヤ人を相手に布教をしますが、 ユダヤ教側から大きな反発を受け、少数派であるキリスト 教は大きな迫害を受けます。 そしてキリスト教は、その発展の段階で母体であるユダヤ教 から離れ、ローマ世界へと向かっていきます。 その立役者となったのがパウロなのですが、パウロ自身も 最初はキリスト教徒を迫害するユダヤ教徒でした。 しかし、回心後は熱烈なキリスト教徒となります。 彼は異邦人担当の宣教者となり、ギリシャからローマへと キリスト教の布教に努め、大成功するわけです。 その後ユダヤ人が対ローマの戦争に敗れ、ユダヤ人がパレ スチナの地から離散(ディアスボラ)することにより、 ローマ帝国内での布教に一層の力が向けられたのではない かと、私は考えています。(この辺、ちょっと自信なし)
- nabayosh
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キリストはユダヤ人であったということをナチスは無理矢理曲げて教育を行っていたようです。これは次のサイトに触れられていたことから発見しました。 http://www1.sphere.ne.jp/koichima/InfoSpherehome/israel.htm また、ユダヤの血を引いていた作曲家(当時故人)で、ワルツ王と呼ばれるヨハン・シュトラウス2世も、彼の曲の演奏を禁止するとウィーンには何もなくなる、ということで、ユダヤ人であるということが隠されていたようです。 キリストはユダヤ人です。現在公開中の映画「ぼくの神さま」などではナチス時代にありながらも正しい教育をする人のシーンがあります。ユダヤ人でありながら、ヨーロッパに布教されると、絵画などを見ればわかる通り、ユダヤ人として描かれてはいません。 さて、キリスト教がユダヤ人を迫害する理由というのは、おそらくお分かりとは思いますが、彼らの頭脳の明晰さによるものです。 たとえばロンドンにいたという帰国子女から聞いた話によると、イギリス人はかけ算が苦手だそうです。九九もありませんからね。日本人よりもさらに優れているのはインド人やユダヤ人と言われています。歴史的に見て、ヨーロッパの商業の発展が遅れているのも、これによるものと考えて差し支えないと思います。 そうすると、ヨーロッパの商業で覇権を握ったのはユダヤ人であったことも頷けます。現在ユダヤ人がアメリカに多くいて、やはり商業上の覇権を有していますね。つまりはヨーロッパ人から見るとユダヤ人は賢くて金儲けがうまいヤツら。シェークスピアの「ヴェニスの商人」でユダヤ人がどう描かれているかを読むのもこの参考になるかと思います。 その金の亡者的なところが気に食わないとヨーロッパの人たちは思ったのでしょう。また、自分達より優秀な民族にいられるのはかなわないと思ったためでしょう。ユダヤ人の排斥運動はそうしたところから芽生えたのではないかと思います。 そして、その運動が強まるのはナショナリズムの時代です。19世紀後半にはそういう風潮がユダヤ人の排斥に拍車をかけました。 話の方向を軌道修正して、ユダヤ人がどういう風にヨーロッパに入ってきたかということを考えたいと思います。 やはり発端はイスラエルの問題です。イスラム教徒に聖地を奪われて、ヨーロッパに入ってきた。そしてここは僕の仮説ですが、ヨーロッパを焚き付けて聖地奪回のために十字軍を派遣させた。それにより交通が拓け商業が発展したという説がありますが、ユダヤ人の流入が商業を発展させたということもあるのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。 教えてくださったページも見せてもらいました。 ナチスがキリストをユダヤ人ではないと主張していたなんて知りませんでした。
お礼
核心に近い回答どうもありがとうございます。 そう,私のそもそもの疑問は何故ユダヤ人が差別されたかと言う事よりも 同じユダヤ人を同一視せずにあがめたり差別したりするヨーロッパ人の感覚についてなのです。 (日本人には無い感覚ですよね。) No.4の回答の方に対するお礼でも述べさせていただいたのですが、単一民族の国と多民族の国、あるいは個人主義と集団主義とかそういうことに帰結するのでしょうか。