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哲学一般についてです

あれ、おかしいなと思ったのですが。哲学ってもしかして、社会で一般的に言われる格言の、言い回しを難しくしたバージョンにしか過ぎないのですか??

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回答No.2

格言に哲学性を含んだものも多いです。 なぜなら哲学の方向性として、日常的な認識をこえて 物事の本質や広い見識に挑むものであり、そこから 普段の生活への提言(格言)も発生し得るからです。 (哲学が「難しい」のは当然です。普段の固定概念を そのまま惰性的に適用できる(=やさしい)なら、 それは哲学ではなくエッセイに過ぎないからです)

konbusan1010
質問者

お礼

すいません。テアイテトスを最近ちゃんと読みきれました(ネットの原文?です)その時の結論を自己流で解明したら、アントニオ猪木と同じ事言ってるわ。行けば分かるさ!って事だよね。おいおい、哲学ってもっと濃いウイスキーみたいなものじゃないのかよ。と好きだったものに対しての考えがすごくガックリしてしまったのですが、でも良く考えたらアントニオ猪木がどう考えたのか、どうしてその考えに行き着いたのかが良く分かりました。そして自分は良く分かってませんでした。つまるトコ自分はその行けば分かるさを分かって居なかっただけの事でした。そしてそれを分かったのが実は哲学書で読んでからだった。と言う事が自分で分かりました。 結局自分は解の解き方がこうだよと示されて、それをなんとなく理解してたけど、理解もしてないし、はたまた応用も出来ないようななんとなくの理解でしか無かったのだ。と気付かされてなんだやっぱりまだ自分は勉強不足だなあと思いました。 失礼な質問ですみませんでした。

その他の回答 (4)

  • hekiyu
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回答No.5

一口に哲学といいますが、哲学には大きく分けて 二種類あります。 一つは、真理の探究です。 一つは、人生の指針を示すものです。 格言の言い回しを難しくした、というのは 後者に該当すると思われます。

回答No.4

  ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。南泉は猫を提示して言った。 「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう」   誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。   夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州は履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は言った。 「もしお前があの時おったならば、猫は救えていたのに...」 ↑これをひとことで言ってる格言があったら教えて下さい。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

konbusan1010様、こんばんは。 たぶん、「ど・ストライク!!?」ということと、思います。

  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.1

○○にしか過ぎない使用の厳正化推進委員でございます。 言い回しを難しくするのが哲学の本質、という主張ですな。 ○○にしか過ぎないということから、 哲学が  1.社会で一般的に言われる格言を難しく言い直したもの、よりちょっと低い。  2.社会で一般的に言われる格言と、          同等。  3.社会で一般的に言われる格言、           よりも、低い。 3通りに意味が取れます。下から抑える表現は無いですが、慣例として、1と2の間 という意味ですな。 しかしながら、昨今では、それ以上でも、それ以下でもない。justそれな。 こちらを推奨したいと考えております。使用をしてみると、気持ちいいですよ。 哲学は、社会で一般的に言われる格言の言い回しを難しくしたバージョン、 それ以上でも、それ以下でもない。justそれな。 ンンンンギィィモチィィィィイイィイ!!!!

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