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哲学における...

最近哲学の勉強をし始めました。 哲学をかじりはじめなので、言葉の言い回しなどがとても難しく 苦戦しています。 そこで、「哲学における普遍性」を分かりやすく 教えていただけないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • anris
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回答No.1

学問の行き着く所は究極において、 すべて同じであるということです。  一つ例を挙げます。 谷崎潤一郎氏の話ですが、 氏の知り合いに、日本酒の鑑評会審査員をしているひとがいて、 その知り合いがいわく、 人それぞれ、価値観や、感覚が違うなら、 「私はこれが一番」、「いやこれが一番だ」と評がわれても良いはずなのに、そうはならず、ほとんどの人の意見が一致して、金賞がきまる。 とあった。 谷崎氏は、人間の感覚は研げば研ぐほど、統一されていくようだ。 と、そんなようなことが書いてあったと思いますが。 つまりそういうことです。 あらゆる学問、価値観は究極においては統一されてくる。と こういうことですね。 わけのぼる ふもとの道は多かれど おなじ高嶺の月を見るかな

noname#113239
質問者

お礼

分かりやすく解説ありがとうございます。 これからも自分なりに哲学していきたいと思います。

その他の回答 (5)

回答No.6

 多義性でしょう。二点だけを掲げて見ます。  (1)あることについてのみ、通用するのではなくどんなことにも通用するという意味  (2)いかなるものにも内在し、いかなるものにも依拠しない、超越性  

noname#113239
質問者

お礼

返答ありがとうございます。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.5

サンガ出版の「仏法」を読まれることをオススメします。 仏教の大元であるパーリ語の仏典である三蔵の、論理的道徳的理性的実証的かつ自他の自由を最後まで守る性質のあるこの哲学面を主に置いた本で、理解しやすい構造になっています。 これほど遍く論理的道徳的理性的実証的にシステマチックに詳細に具体的に語られたものを他に知りません。 pg-sidさまの言うところの「哲学における普遍性」にあたるのかはわかりかねますが、生命としての普遍性は感じます。 お役に立てれば幸いです。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.4

そんなものは、哲学者にはいろんなタイプの人がいて、長い歴史の中でいろんな議論が出てくるので、一概に定義することは出来ません。 中世神学においては、「普遍というものは本当に存在するのか。それとも、それは人間がつけた名前に過ぎないのか」を延々と議論していました。よく、「スコラ的」という言葉で、架空性・抽象性が高く難解な議論を批判するのは、この普遍論争あたりが典型例です。 ドイツ観念論哲学の場合、特にカントとヘーゲルは、ルソーの一般意志という概念を受容しておりますが、ドイツ系哲学研究者は普遍意志と訳すのが普通です。カントの場合、一般意志と個人の意志が一致しているような原理で生きれば、倫理的な生き方ができると考えます。ヘーゲルの場合、国家に現われた普遍意志が、会社などの特殊意志、個人の個別意志と上手く有機的に連携をとって動いているのが、国家の理想的状況であると考えます。 そもそも、哲学史をいっぺんに理解しようとするのが無茶です。10年かかります。それよりも、色々な入門書を読みあさり、自分の問題意識に合致する人物が「これだ!」と見つかったら、その人を深く呼んでみるというスタイルのほうが、効率が良いはずです。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

「哲学における普遍性」とは#1さんの回答にもあるように高みに行けばいくほど答えは1つに集約するということなんですね。例えば、夜空を見れば無数の星があります。無数の星は北極星を頂点にまわっています。北極星に近づけば近づくほどその回転(ぶれですね)は小さくなりますね。つまり北極星を頂点に巨大な円錐形をしているわけです。「哲学における普遍性性」とはこの北極星のことであり「哲学の道」とはこの北極星を見つける修行の道のことですね。北極星はまた「普遍の真理」のことですね。無数の星のように山ほどの説、考えなどがあるが「普遍の真理」を知ることが最大の喜びなんですね。それを掴み得た者しか判らない至福の喜びがあるのですね。 ほとんどの説や考えは浮かんでは消えるうたかたですね。うたかたに立脚して生きることを迷いの人生といいます。「哲学における普遍性」を学ぶことは迷いからの脱却の道でもあるということですね。悟りへの道でもあるのですね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

>「哲学における普遍性」を分かりやすく うーん 今いち質問の意味がわかりませんが、意味のことを聞いているのでしょうか? それとも 哲学において普遍なるもの って意味でしょうか? 後のほうでしたら「疑うこと」「懐疑的であれ」だと思います。 疑問を持たないと哲学は始まらないってわけですね。 もし 哲学という分野において、何が「普遍性がある」と言えるのか という質問でしたら。。。。 んー 無い。 というか今考え付きません。 例えば善いということは普遍性があるか? 無い。 善いものは番人にとっても善いはずじゃないか?   んーー 例えば50キロの体重の人。 50キロは善いか? 160センチの身長の人にしてみれば、痩せすぎてもいないし、太ってもいないので、50キロは善い と言えるでしょうけど、120センチの身長の人が50キロって、、、 おでぶですよね? メタボリックシンドロームになっちゃうと、いろいろ内臓に負担がきて、病気になっちゃう。 ということは、50キロの体重は、善いという普遍性が無く、限定において 善い なわけです。 懸命に働くことは善いか? 体悪くしている状態で懸命に働くのは、もっと重篤になるので、「健康の時懸命に働くのは善い」 だし、中には「懸命に働くたけじゃ満足しない。」「社会に貢献した人が偉いとは限らない」なわけですから、懸命に働くことは、人によっては満足を得られるが、人によっては満足を得られないので、普遍性が無いんです。 では、哲学で、普遍的なものは何か? さきほど無いと言いましたが、普遍性にこだわる必要が無い と思うんですね。 ほどほどにしておく ってのが弊害が少ない 程度じゃないかと。 今レポート書いているので、ちょうどニコなんとかのどっかにあったような。 えっと、、、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9 ここの<倫理学>のところ。 まだ ニコを読んでる段階でまとめきれていないので、、、 読んで果たしてまとめられる自信もないので、、、 この質問に関連があったら、私の後をひきついで、、、いや 中庸とは関係なく、普遍性について誰かが解説してくれるかも。 1+1=2ってのは普遍ですよね。 時と場合によって5になったり10になったりしない。 でも哲学は人間でもあり、人間は普遍じゃないし、個人によって差があり、この差があるものがたった一つの同一の幸福だと思うなんて ありえないわけです。 普遍じゃないもの+普遍じゃないもの=普遍 にはならない。 で、普遍じゃないものの中に普遍たるものを探そうとしても、無理がある。 時、場所 条件によっては可能となるかもしれないが、制限なしに普遍は人間界には無い。 どこにあると探すより、ほどほどが人間にとって害が少ない、害が少ないってことは幸福に近い。 これでいいんじゃないかと。