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負け戦になった途端の裏切りにはどんな例が?

負け戦になった途端に 何か尤もらしい理屈を付けて裏切った例ってどんなものがありますか? 歴史に疎いので代表的なものを教えて下さいますと幸いです。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.6

質問者さんがイメージするようなことであるならば、典型的な例は武田家滅亡のときでしょうね。 武田家は天正10年に滅亡しますが、そのときのきっかけは木曽郡の木曽義昌が織田信長に内通したことに始まります。しかしこのとき別に木曽義昌は尤もらしい理屈は一言もいってません。まあ「もう武田家はダメだな」ってことになるでしょうけれど、彼の家臣もみんなそう思ったからそういうことになったのでしょう。 そして織田・徳川連合軍が侵攻作戦を開始すると、ほとんどの武田方は寝返るというか降伏するというか、抵抗することはありませんでした。一族である武田信廉や穴山信君も降伏します。これももう特に尤もらしい理屈はいってないですね。 そして武田勝頼にとどめを刺したのは、これも一族である小山田信茂が勝頼を保護するフリをして織田方に内通したことでした。行き場を失った勝頼は天目山に籠り、最後を迎えます。 摺上原の合戦の後の蘆名方もそうですね。戦いの趨勢を決めたのは、蘆名軍の一部が戦いに加わらず勝手に撤退したからですが、このときに撤退した諸隊がどのような理屈をつけたのかは記録に残っていません。 そして蘆名軍が総崩れになると四分五裂。黒川城(後の鶴ヶ城)を守ろうという兵隊はいなくなってしまったので主君の義広は城を捨てて逃亡(元々養子だったので)します。 「理屈をつけて裏切って負け戦に導いた」という事例はあるかもしれませんが、もう負け戦になったら特に理由は要らないのですよ。「負けた」ってだけで充分理由になるのです。 もしかしたら質問者さんは「負けたからといって手のひらを返すのはひどいやつらだ」と思うかもしれませんが、負け戦って会社でいうと倒産したのと同じことです。倒産した会社の社員が新しい就職先を探すのは当然のことですよ。シャープが事実上倒産状態になって、敵でもある台湾の鴻海に買収されたときに「ライバルメーカーだったところの社員なんてやってられるか」なんていって辞めた人なんて多分いないわけで、支配者が変わっても末端はそんなに変わることではないのですよ。

noname#228046
質問者

お礼

>「負けた」ってだけで充分理由になるのです。 自分と自分の一族、家臣の命が途絶え滅びる未来を突き付けられれば 背負うものを生き延びらせる為の選択をするのは当然の事。 多くの人の上に立つ人が何を背負い何に突き動かされるか。 滅亡を予期させるに十分な条件が整えばそれで十分なんですね。 その生き方しか知らない、全く別の分野はズブのド素人で役立たず。 役に立てる自分の生き方を継続させられるなら。 生き残る為に人は流れる。 そういうものなんですね。 知りたい事が大まかに知れた気がします。 詳しく説明して下さってありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • jkpawapuro
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回答No.5

もっともらしい言い訳をつけたかどうかはわかりませんが、負け戦の最後の土壇場で裏切ったとなると小山田信茂が有名でしょう。 土壇場を過ぎて降伏後処分を交渉中に裏切ったのは二本松義継でしょうね。

noname#228046
質問者

お礼

最初だけ見ていた真田丸で描かれていましたがあれ有名な話なんですね。 ご回答ありがとうございます。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.4

ep3093 さん、こんばんは。 秀吉と光秀のころの山崎の合戦では、主君信長を討ってしまったことで、明智光秀の評判が悪くなり、細川、中川、高山が光秀の支配下から裏切り、さらに筒井順慶も洞ヶ峠というところで物見遊山を決め込むという状態。明智光秀はとうとう兵が総崩れになったそうです。戦にはやはり、平素からの評判や恩義なんて言うものが絡むみたいですね。 山崎の合戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

noname#228046
質問者

お礼

あー。味方になるはずだと高を括っていたらって話を聞きますね。 裏切りなんですね。 ご回答ありがとうございます。

  • edogawaai
  • ベストアンサー率22% (124/555)
回答No.3

信長が、光秀に殺された時の 秀吉 初め、秀吉は 信長の子 織田信忠の長子として生まれた 幼名は三法師を 信長の後継者として 立て 自分はその補佐役として 権力を取ったが すぐに その事実を忘れて、自分が天下人として振る舞ったな

noname#228046
質問者

お礼

負け戦なのかはちょっとわかりませんが裏切りですよね。 泥沼の連続の様な気もしますが。 ご回答ありがとうございます。

回答No.2

ちょっと関ヶ原での小早川は違いますね 大谷は小早川の寝返りをあらかじめ予期して 三成の盾になれるように松尾山の側面に自ら布陣し  与力の脇坂 赤座 朽木 小川の配下四将をその前に布陣させました そして小早川が寝返ったときに大谷隊は三度に渡って小早川軍を松尾山に押し返しています しかし四度目に押し返そうとしたとき脇坂ら四将も寝返って大谷は総崩れになったのです ちなみに小早川は負け戦になった途端に裏切ったわけではありません 寝返ったときは東軍西軍とも一進一退でした 戦そのものではありませんが もうこれ以上無理だわーって思って主家を見限った例なら 武田信玄の娘婿 木曽義昌が織田信長に内通して結果的に武田家が滅亡しました

noname#228046
質問者

お礼

武田家の滅亡にも内通の裏切りがあったんですね。 ご回答ありがとうございます。

  • ithi
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回答No.1

ep3093 さん、こんばんは。 関ヶ原の戦いで、最終盤に小早川秀秋が裏切り、大谷刑部の隊へ攻撃を仕掛けた時、大谷隊に属していた。小早川隊の大谷隊に対する攻撃すさまじさを見て、日和見をしていた赤座直保、小川祐忠、脇坂安治、朽木元綱も大谷本隊へ攻撃を仕掛けました。秀秋は秀吉の怒りを買い、越前へ減封されるところを家康に助けてもらったことがありました。 関ヶ原の戦い https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

noname#228046
質問者

お礼

内部分裂沙汰だとこうした恩義で裏切る?事は茶飯事だったのでしょうか。 ありがとうございます。

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