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明治・大正時代。中央省庁に女性の役人はいましたか。
この質問では中央省庁に勤めておれば役人とします。 なかでも、判任官以上の女性の役人がいたのか、を知りたいです。 中央省庁とは、大蔵省、陸軍省、海軍省、司法省、宮内省、外務省、内務省、 文部省、逓信省、農商務省、工部省などで、出先機関を含みます。 明治40年、中央省庁ではないですが、高知県には女性巡査が1名いたそうです。 よろしくお願いします。
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「中央省庁に勤めておれば役人」「出先機関を含みます。」が 単に女性の判任官と言うだけではダメで いわゆる霞ヶ関勤め限定って事でしょうか? その点が疑問符のまま広く「単に女性の判任官」全般に関する投稿ゆえ、 見当違いの場合は御容赦下さい。 下記の明治14年11月2日決裁によれば、遅くとも明治14年11月1日上申時点には、 文部省の官立女子学校教員の中に女性の判任官が存在したようです。 〇件名:文部省 官立女子学校教員ノ内婦女子ニシテ判任官ノ輩 大礼拝賀ノ節着服ノ儀 【階層】国立公文書館国立公文書館>内閣>記録材料> 簿冊:記録材料・決裁録・第二局 【レファレンスコード】A07061428300【 画像数 】2 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A07061428300 太政官第二局第五號 十一月一日上申 明治十四年十一月一日 第二局 主任 属 参議 書記官 別紙文部省伺官立女子学校教員ノ内婦女子ニシテ判任官ノ輩大礼拝賀ノ節着服 ノ儀ハ未タ一般婦女ノ礼服御制定無之先以□同省伺出ノ通白襟紋付為相用可然 哉依ヲ左案取調仰高裁候也 御指令按 伺之通 明治十四年十一月二日決裁 〇『新聞集成明治編年史第五卷/新聞集成明治編年史編纂会編/林泉社/1940』 ・<278/319>(499頁4段目)明治十七年七─八月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/278 ※『新聞集成明治編年史』第一巻例言によりますと、 各記事題目は、編者が新たに附したものとの事で省略しました※ 〔八・二、時事〕 滋賀縣士族井崎リウ女は一昨日文部省准判任御用掛(月俸十七圓)を拝命し、 東京女子師範學校勤務を命ぜられたり。 なお、下記の東京朝日新聞記事の逓信大臣秘書官の談話によれば、 逓信省が女子の判任官登用を決定した明治39年7月時点では 「女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、 我國に一切存在せず」とのこと。 また、逓信省初の女子判任官17名(本所貯金課6名・本所内國為替課5名・ 同庶務課2名、大阪支所2名、下關支所2名)は明治39年7月24日附任用。 〇『新聞集成明治編年史第十三卷/新聞集成明治編年史編纂会編/林泉社/1940』 ・<82/295>(118頁4-5段目)明治三十九年七月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920436/82 〔七・一六、東朝〕 逓信省に於ては女子を判任官となすことゝなれり、 大道逓信大臣秘書官の談話に曰く、 逓信省に於ては、今度其所管内に使用する女子雇員を、 相當の條件の下に判任官に登用することに決定せり、 抑々女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、 我國に一切存在せずして、全然創始時の事柄に屬するを以て、 夫々其筋の意見をも叩き、任用令其他法規の上より差支なしと確定し、 茲に始めて智識的の仕事を執る女子にして、優秀なるものに限り判任官に 登用するに省議一決したり。 ・<83/295>(121頁2~3段目)明治三十九年七月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920436/83 〔七・二四、東朝〕 女子行政吏員判任官登庸の嚆矢として郵便為替貯金管理所及大阪、下關兩支所 に於ける女子雇員十七名(東京本所十三名大阪支所二名下關支所二名)は 愈々本日附を以て左の如く通信手に任ぜられ、…(後略)… 続いて、下記の明治42年9月16日付朝日新聞記事によれば、 「新橋駅には16人の女性出札係がいて、主任の1名だけが判任官」とのこと。 〇国立民族学博物館>近代日本の身装電子年表 http://htq.minpaku.ac.jp/databases/mcd/chronology.html ※「判任官」検索ヒット15件中13番目※ ・1909(明治42)年9月/現況 駅の出札係の制服(和装・整容)─新橋、品川、横浜、大阪等の鉄道の駅に女性 の出札係ができたのは、1903年のこと。新橋駅には現在16人の女性出札係がい て、年齢は28歳から17歳までで、既婚者もある。主任の1名だけが判任官で 十級俸、15円の月給、それ以外は雇員で30銭から50銭の日給。 彼女たちは黒木綿の職服を着ている。襟から旨までが被布仕立、下は袴風、 筒袖で先端にひだをとっている。“不格好ではないけれど、黒木綿の夏冬通し はヒド過ぎる、せめて羅紗か毛繻子にでもしたいけれど、どうも経費が許さん ので困ります、と高橋駅長は気の毒がる。─流石に文明の職業とて、頭は申し 合わした様に廂髪、リボンも多くは派手なのを避けて、総体に地味な扮装 (コシラエ)。”(松崎天民「東京の女」)[朝日 9/16(5)] 広く「単に女性の判任官」全般についての明治期の初動捜査では、 こんなところでしょうか(笑) 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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- Kittynote
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我が家の盆行事は、8月16日早朝、他県のお寺に経木塔婆を返しに行って全て 終了しました(盆関連物品限定の市内の焼却集積所に出しても良いのですが)。 そこで、当初から気になっていた事に着手してみました。 ただ、主題=役人からは逸れますので、適当に読み飛ばして下さい。 既に御存知・確認済なら御容赦下さい。 No.2投稿の逓信大臣秘書官の談話「…女子の判任官と謂へば、 教職に在るものゝ外は現在に於ては、我國に一切存在せず…」 (明治39年7月16日付東京朝日新聞) 「現在(※明治37年7月時点)に於ては、」だけでは、 過去には女子判任官が存在したようにも、しなかったようにも読めます。 教職以外の女子判任官が存在したとすれば、女子勅任官・奏任官が存在した であろう宮内省以外には考えられません。 〇『改正官員録.明治12年12月/彦根正三編/博公書院』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779281/2 <2-8/245>[二-八] 官等及月給年給 自一等至三等 勅任 自四等至七等 奏任 自八等至十七等 判任… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779281/167 <167/245>[百六十五-百六十六] ○宮内省… 尚侍 典侍(※四等/奏任) 權典侍(※五等/奏任) 掌侍(※六等/奏任) 權掌侍(※七等/奏任) 命婦(※八等/判任) 權命婦(※九等/判任) 女嬬(※十四等/判任) 權女嬬(※十五等/判任) 十五等出仕(※判任) 十七等出仕(※判任) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779281/171 <171/245.[百六十九] ○式部寮… 内掌典(※十四等/判任) 權内掌典(※十五等/判任) 〇『改正官員録.明治20年甲12月/彦根正三編/博公書院』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779400/4 <4-7/193>[一-四] ※前記明治12年12月版と違って宮内省女官の官等と奏任・判任の別が 一部ハッキリしません。※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779400/13 <13/193>[七] ○明宮御用掛… 女官 舊女官權典侍(※五等/奏任)取扱 同權掌侍(※七等/奏任)取扱 御用掛七等(※奏任)出仕兼命婦命婦(※八等/判任) 勤務女嬬(※十四等/判任) 權女嬬(※十五等/判任) 宮内十六等(※判任)出仕 同十七等(※判任)出仕 勤務准判任 雜仕 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779400/15 <15/193>[九] ○内掌典(※十四等/判任?) 權内掌典(※十五等/判任?) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779400/19 <19/193>[十三] ○女官 典侍 四等官(※奏任) 權典侍 五等官(※奏任) 掌侍 六等官(※奏任) 權掌侍 七等官(※奏任) 權掌侍心掛(※?) 七等(※奏任)出仕兼命婦(※八等/判任)奏任八等以上 ?命婦(※八等/判任)奏任八等官上給? ?權命婦(※九等/判任)奏任九等官? 女嬬十四等官(※判任) 權女嬬十五等官(※判任) 十五等出仕(※判任) 十六等出仕(※判任) 十七等出仕(※判任) 御用掛准奏任 御用掛准判任 〇『改正官員録.明治26年甲3月/彦根正三編/博公書院』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779509/14 <14-25/204>[五-十五] ○宮内省… ※「明治26年甲3月版」では、宮内省内では下記「華族女學校」の中の 學監、教授、助教(※各官等は?)以外にはどうやら判任以上の女性が在籍しな い状況のようです。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779509/25 <25/204>[十五] 上記を受け、明治21年甲1月版~明治25年甲12月版を確認したところ、 明治21甲3月版までは宮内省内に「女官」「内掌典・権内掌典」などを含め 女性判任以上が在籍していましたが、 明治21年甲4月版では「女官」が除外され「内掌典・権内掌典」と 「華族女學校」のほか「宮内省顧問官勅任二等取扱」の 「独逸國侍従ヲツトマン、フオン、モール夫人 年俸壱萬四千マルク」のみ。 明治21年甲5月に至っては「内掌典・権内掌典」も除外され 「華族女學校」「宮内省顧問官勅任二等取扱」のみ。 明治21年甲5月版に至っては、宮内省他部署で性別のハッキリしない名の 判任以上の女性が在籍する可能性は残りますが、 ドイツ人夫人「宮内省顧問官勅任二等取扱」を別にすれば、 宮内省内で判任以上の女性が在籍するのは一応「華族女學校」のみ。 これは「文官試験試補及見習規則(明治21年1月施行)」により、 自由(情実)任用が単純に排除されたのかと思いましたが、 当該條文を読む限り、「五箇年以上奏任官ヲ勤メタル者」には 高等試験の受験資格が与えられ(事実上の排除とも言えますが)、 「二箇年以上各官廰ニ於テ雇員トナリタル者ニシテ事務ニ熟練シタル者」につ いて「本屬長官ニ於テ認ムルトキ」は無試験で判任官任用可能とのことから、 「文官試験試補及見習規則」が契機となって別な理由から除外に至ったのかも しれません。それ以降は、冒頭の「現在(※明治37年7月時点)に於ては、」に 繋がっていくようです。 〇『官報.1887年07月25日/大蔵省印刷局編/日本マイクロ写真』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944455/2 <2/9> 明治二十年七月二十三日 勅令第三十七號 文官試驗試補及見習規則… 第十七條 髙等試驗ヲ受クルコトヲ得ル者左ノ如シ 一 丁年以上ノ男子… 一 五箇年以上奏任官ヲ勤メタル者… 第三十八條 本令施行ノ前二箇年以上各官廰ニ於テ雇員トナリタル者ニシテ 事務ニ熟練シタル者ト本屬長官ニ於テ認ムルトキハ試驗ヲ要セス直ニ判任官 ニ任スルコトヲ得 第三十九條 本令ハ明治二十一年一月ヨリ施行ス あと、もう一点、No.8&9投稿の私自身のコメント 「・朝鮮総督府/○慶興税關出張所 …監吏(道巡査 平山正利) □(?)巡査?岡部正子?」にしましても …(中略)…仮に女性だとしても、国内なら判任は警部補からのようですから、 税関監吏出向ゆえの判任なのか定かではありません。 上記に関しましては、一応 〇『朝鮮總督府及所属官署職員録.大正15年5月1日現在/朝鮮総督府編』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927717/56 <56/226>(77頁2段目2-4行目) ・総督府(税關)/○慶興税關出張所… 監吏 道巡査 平山正利 同 岡部正子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927717/54 <54/226>(73頁3段目9-18行目) 監吏…判任 「道巡査(※判任) 岡部正子」までは確認出来ましたが…結局、 女性か否かはハッキリしません。 アチコチに枝葉がのびて収拾がつきません(><)
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 朝鮮總督府までは考えが及びませんでした。 日本が支配していたことを再確認しました。 「女官」もなかなか理解できません。 せっかく詳しく回答して下さっているのに、申し訳ありません。
- Kittynote
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日曜左官が無事終了しましたので、再び失礼致します。 新ネタではありませんが「ハプニング」ネタ^^ 陸軍省、海軍省は既読のところ各師団、各鎮守府など軍隊自体は未読のため、 改めて『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』を開いてみましたところ、 〇『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/146 <146/575>(113頁3段目18行目・31行目)・近衞師團から http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/174 <174/575>(168頁2段目15行目・39行目・3段目10行目)・關東軍までの間に 下記の看護婦長が在籍していました。 なお、各師団と違って各鎮守府には看護婦長は在籍が無いようです。 ○千葉衞戌病院(近衛師団)…看護婦長1名 ○下志津衞戌病院(近衛師団)…看護婦長1名 ○東京第一衞戌病院(第一師団)…看護婦長4名 ○廣島衞戌病院(第五師団)…看護婦長3名 以下 各衞戌病院…看護婦長1名 ○東京第二(第一師団) ○國府臺(第一師団) ○名古屋(第三師団) ○豊橋(第三師団) ○大阪(第四師団) ○熊本(第六師団) ○弘前(第八師団) ○金澤(第九師団) ○善通寺(第十一師団) ○小倉(第十二師団) ○久留米(第十二師団) ○宇都宮(第十四師団) ○京都(第十六師団) ○羅南(第十九師団) ○龍山(第二十師団) ○臺北(台湾軍) ○臺南(台湾軍) ○旅順(関東軍) ○遼陽(関東軍) ○鐵嶺(関東軍) なんて、役人とは呼べそうもない看護婦長のカキコミは不要とのお叱りは ごもっとも…話はここからで、ってこれも役人とは無縁かもしれませんが… 実は、上記看護婦長の確認作業の中「サプライズ」とまでは言えませんが、 「ハプニング」の一つに遭遇しました。 「ハプニング」の一つ目 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/166 <166/575>(153頁2段目32行目下) ・第十二師團/○小倉衞戌病院 看護婦長 六 首藤マツノ と同じ「2段目10行目上・12行目上」には、 ・第十二師團/○輕重兵第十八大隊… 一等計手勲八 岩廣直枝… ※こちらは性別がハッキリしませんが※ 一等蹏鐵工長 濱本多津江 ※こちらは女性名にしか思えません!!※ ※なお、原本画像では判読出来ないため、他年度版とアジ歴から 「一等蹄鉄工長」と判断しました。※ 後は、No.8投稿時点でのお話、「ハプニング」の二つ目。 一瞬「サプライズ」かと色めき立ちましたが、 どうやら有り得ない話で自己決着。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/286 <286/575>(390頁4段目20行目下) ・鐵道省/○名古屋運輸事務所… 鐵道手…月六五 藤岡やす ※ひらがな=女性名で誤反応※ 以上 「ハプニング」ネタでお茶を濁してみました^^
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 陸軍に女性兵がいましたか!! 正にサプライズです。 従軍看護婦がいたことは、誰でも知っていますが、「一等蹄鉄工長」とは驚き! しかも、れっきとした判任官です。 「獣医部」に属していたのですね。 「一等計手勲八 岩廣直枝」は経理部ですから、女性かも知れません。 「藤岡やす」も仮名で「ヤス」なら女性で決まりですが、多分男性でしょうね。 明治の頃なら裁判所の書記や専売局の事務員も、役所の窓口の女性も役人と思われていたかも知れません。 「雇員」ではなく、長年勤めて「判任官」になっておれば、役人でしょう。 女官、教員、看護婦、電話交換手を除くと、最も「役人」と呼ぶにふさわしい女性は、 大正時代になりますが、司法省の「少年保護司」と大蔵省/税関の「事務官補」「検査官」の女性だと思います。 1.司法省/東京少年審判所 少年保護司…三 植田タマヨ、 五 藤井 琴 他多数 2.大藏省/神戸税關 事務官補… 四 勲八 ?肥田香苗? 大藏省/神戸税關 鑑査官… 五等六級 正七 井上達子 Kittynote 様には、数々の資料に当たっていただいて、大変お手を煩わせました。 お蔭様で疑問は解けました。 数多のご教示、感謝申し上げます。
- kuronekofan
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宮内省、宮内省女子学習院、女子高等師範には高等官、高等官待遇者もいます。 女官も該当すると思いますがいわゆる官吏とは違うかもしれません。 なお、陸海軍省ともに、雇員(判任待遇)の事務官として女性を雇っていますが詳細は不明です。 事例 女子高等師範教授 保井コノ(高等官5等) 宮内省女子学習院教授 鈴木ウタ(高等官3等) 宮内省女子学習院教授 武田倭子、奥寺カズノ(高等官5等)など ほかに助教授多数 判任官(講師、技手)多数 宮内省二位局付御用係雇員 北大路かゑ(判任待遇) 宮内省李王職御用係 三浦清子(奏任待遇 従七位)
お礼
ご回答ありがとうございます。 宮内省には、高等官がいっぱいいますね。 自分たちで官位を乱発している感じですが、事情がよく分かりません。 女官は、宮廷文化を受け継ぐ使命をもった、特別な存在ですね。 「高等官」という厳しい身分であっても、決して役人ではないですね。
- Kittynote
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No.8に引き続き 『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』の後半部の最終ですが、 下記のとおり省略箇所が多いため、強いてあげれば「調剤員」のみで、 特筆事項はありません。 改めて、No.7~No.9を通して見ましても、No.7&No.8に記した以上の事はなく、 残念ながら「サプライズ」には遭遇出来ませんでした。 「・朝鮮総督府/○慶興税關出張所 …監吏(道巡査 平山正利) □(?)巡査?岡部正子?」にしましても 「永井建子」「中野初子」両氏が男性であったように有名人ならば直ぐに 性別が判明しますが、それもままならず、仮に女性だとしても、 国内なら判任は警部補からのようですから、税関監吏出向ゆえの判任なのか 定かではありません。 なお、No.5投稿では、性別がハッキリしない 「恵、操、真澄、栄、純、静、民」等は除外しましたが、 No.7~9でも上記に加え「忍、富美」等のほか「〇美」「〇枝」は原則除外、 「正榮」は同一職種に別に女性がいる場合のみ女性扱い等勝手にマイ・ルール でのカウントのため、登場しない省庁に女性が隠れている可能性はあります。 〇『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/338 <338/575>(495頁1段目30行目下) ・朝鮮總督府/◎慶尚北道○道立大邱醫院… 看護婦長 十 林 ツイ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/347 <347/575>(513頁5段目28行目) ・朝鮮總督府/◎鎭南浦府○府立病院… 調劑員 十一 柳田すみ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/353 <353/575>(525頁4段目45行目上) ・朝鮮總督府/◎江原道○道立春川醫院… 醫員 五 本田ヒテコ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/356 <356/575>(530頁1段目35行目) ・朝鮮總督府/◎咸鏡南道○道立咸醫院… 看護婦長 九 日下部モトヨ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/361 <361/575>(541頁3段目44行目上・46行目下・47行目下・51行目上) ・臺灣總督府/◎交通局○逓信部… 交通主事… 月五五 沖中トミ …月五二 阪本シモ …月五二 松尾サカ … 月四七 山中みよ ※上記「交通主事」は、下記のとおり実態は「通信手」※ ・判任文官特別任用令中改正ノ件 [階層]国立公文書館>内閣>枢密院会議文書>F 決議>大正> 判任文官特別任用令中改正ノ件・一、ほか [レファレンスコード]A03034121800[画像数]4 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03034121800 <1-2/4> ※<307-385/575>(433-588頁)間、朝鮮総督府、臺灣總督府、 關東廰、樺太廰、南洋廰の通信書記・通信書記補と教員は省略しました。※ ※<388-570/575>(595-959頁)間、北海道庁から沖縄県も省略しました。※ 以上
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 大正時代、多くの大学の付属病院には女性の「看護長」が在籍していたことはよく分かりました。 ただ、判任官か奏任官か、よく分かりませんが、「官位七等以上は奏任官」らしいですから、奏任官の看護長が複数いたことになります。 「職員録」を細かく見れば見るほど、疑問が出てきます。 例えば、岡山医科大学には、六等八級の教授が3名いますが、 三等三級 従五勲六 の助教授や四等七級 正六 の助教授が各1名います。 また、宮内省には、「一等」「二等」が目白押しです。 「官位」の見方がいま一つ分らないところがありますが、とりあえずは無視。 #7ご回答の『職員録.大正13年/印刷局』によれば、 大藏省(税關)神戸税關在籍の「鑑査官…五等六級 正七 井上達子 奏任」は「全国初の女性検査官(大正11年)」とのことですね。 「役人」と呼べますね。 >「永井建子」「中野初子」両氏が男性であったように有名人ならば直ぐに性別が判明しますが、…以下略 男性とは知りませんでしたので調べました。 これも別の意味でサプライズです。 安易に名前で性別を判断してはならないということ、肝に銘じておきます。
- Kittynote
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なかなか予定通りには進みません(><) 盆供養(御住職来宅読経)、墓掃除ほか親戚の初盆関連も一段落のところ、 急遽、日曜大工ならぬ日曜左官、日をあけて3段階の作業予定で現在2段階目、 本当なら今回後半部終了予定のところ、中途半端になりますこと御容赦下さい。 No.7の続き、 前回<216/575>(250頁4段目15-19行目)以降からです。 文部省の教員、看護長以上に、逓信省の女性採用は明治末の百倍の印象、 「新橋駅には16人の女性出札係がいて、主任の1名だけが判任官」 (明治42年9月16日付朝日新聞記事)から大正末の鉄道省に期待しましたが、 どうやら全国で女性6名程度と全く伸びていません。 朝鮮総督府管轄の医院では女性医員1名、 あと慶興税關出張所には、一部文字判読出来ませんが、 女性巡査?の可能性も。 なお、朝鮮総督府の逓信局の通信書記補と学校関連の教員は省略しました。 〇『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/217 <217/575>(252頁2段目28-32行目) ・文部省/○新潟醫科大學○附屬醫院…看護長※省略※ <217/575>(252頁4段目18-23行目) ・文部省/○新潟醫科大學○附屬醫院…看護長※省略※ <217/575>(253頁1段目17-21行目) ・文部省/○千葉醫科大學○附屬醫院…看護※省略※ <217/575>(253頁3段目30-35行目) ・文部省/○金澤醫科大學○附屬醫院…看護長※省略※ <217/575>(253頁5段目30-35行目) ・文部省/○長崎醫科大學○附屬醫院…看護長※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/218 <218/575>(254頁3段目49行目上、51行目上・下) ・文部省/○東京高等師範學校…訓導…※省略※ <218/575>(254頁5段目37行目上) ・文部省/○廣嶋高等師範學校…訓導…※省略※ <218/575>(255頁1-3段目) ・文部省/○東京女子高等師範學校※省略※ <218/575>(255頁3-5段目) ・文部省/○奈良女子高等師範學校※省略※ <218/575>(255頁5段目36行目) ・文部省/○第六臨時教員養成所※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/224 <224/575>(266頁4-5段目) ・文部省/○東京音樂學校※省略※ <224/575>(266頁5段目) ・文部省/○東京盲學校※省略※ <224/575>(266頁5段目) ・文部省/○東京聾唖學校※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/240 <240/575>(298頁2-5段目、299頁1-5段目、300頁1段目) ・逓信省/○貯金局…書記・書記補…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/241 <241/575>(300頁1-5段目・301頁1段目-4段目) ・逓信省/○大阪貯金支局 ○下關貯金支局 ○福岡貯金支局 …書記・書記補…※省略※ ○小樽貯金支局 ○金澤貯金支局 ○仙臺貯金支局 ○名古屋貯金支局 ○長野貯金支局 …書記補…※省略※ <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/242 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/243 <241-243/575>(301頁5段目・302頁1-5段目・303頁1-5段目、304頁1段目) ・逓信省/○簡易保險局…書記・書記補…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/244 <244/575>(306頁4-5段目・307頁1段目) ・逓信省/○東京逓信局…書記補…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/245 <245/575>(308頁2-5段目・309頁1段目) ・逓信省/○横濱郵便局 ○横須賀郵便局 ○浦和郵便局 ○高崎郵便局 ○千葉郵便局 ○水戸郵便局 ○宇都宮郵便局 …通信書記補…※省略※ <245/575>(309頁2-3段目) ○靜岡郵便局…通信書記・通信書記補…※省略※ <245/575>(309頁3-5段目) ○甲府郵便局 ○東京鐵道郵便局…通信書記補…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/246 <246/575>(310頁2-5段目・311頁1-5段目) ・逓信省/○東京中央電信局…通信書記・通信書記補…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/247 <247/575>(312頁1-5段目・313頁1-3段目) ・逓信省/○東京中央電話局…通信書記(?補)…※省略※ ○浪花分局 ○銀座分局 ○下谷分局(通信書記?) ○京橋分局 ○本所分局 ○神田分局 ○小石川分局 ○高輪分局 ○淺草分局 ○黑田分局 ○靑山分局 ○牛込分局 ○四谷分局 ○九段分局 ○茅場町分局 ○横濱中央電話局 ○長者町分局 …通信書記・通信書記補…※省略※ <247/575>(313頁4-5段目) ○神田郵便局 ○日本橋郵便局 ○兩國郵便局 …通信書記補…※省略※ ※逓信省管轄は以降「<277/575>(-372頁)」まであと30コマ=60頁続きますが、 あくまでも女性の職域拡大の確認が主目的ゆえ、この間は省略しました。※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/282 <282/575>(382頁3段目4行目上) ・鐵道省/○新橋運輸事務所… 書記…六…月六九 岡安ちよ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/284 <284/575>(386頁4段目22行目上) ○水戸運輸事務所… 書記…七…月六二 林 きよ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/288 <288/575>(395頁3段目17行目下・19行目下・20行目下・23行目上・24行目) ○神戸鐵道局… 書記…八 巽 冬子 八 平野正榮 月五四 黑田ハルヱ 月四九 安井靜子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/316 <316/575>(450頁1段目43行目下) ・朝鮮総督府/○慶興税關出張所 …監吏(道巡査 平山正利) □(?)巡査?岡部正子? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/319 <319/575>(457頁3段目36行目下) ・朝鮮総督府/○醫院… …醫員…八 梶原モヽヱ 以上 中途半端で申し訳ありません。
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>明治時代、看護婦には判任官はいなかったようですね。 当時は、医師も奏任又は判任のようなので、 現在と違って格下扱いだったのかもしれませんね。 ただ、大正15年に至り帝国大学附属医院の「看護長」は、 少なくとも「判任官及同待遇者」の何れかではあったようです。 大正15年は、明治45年と違って、「税関」「少年保護司」など やや職域が拡がったようです。 今回は、下記の前半部やや足らずのみですが、 宮内省、文部省関係の羅列では能がないので、 次回、後半部では文部省関係は大幅に省略したいと思います。 果たして次回後半部に「サプライズ」が隠れているか否かは 未読なので私にもわかりません^^ 〇『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/3 <3/575>凡例 一 本書ハ大正十五年七月一日現在ノ高等官及同待遇者、判任官及同待遇者、 議員、委員、公使等ヲ纂錄シタルモノナリ… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/94 <94/575>(8頁3段目46-48行目) ・宮内省(式部職)/○掌典部… 内掌典 七等七級 正七勲六 高木かつ 四 多 辰江 六 小野歌枝 七 三上下枝 八 大村信子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/97 <97/575>(15頁3-4段目) ・宮内省/○女子學習院… 教授… 三等七級 從五勲五 鈴木歌子… 五等八級 從六勲六 奧寺カズノ… 六等八級 正七 塘 ミツ 六等八級 正七 吉場ノブ 六等八級 正七 宇佐美ケイ 六等八級 正七 竹田倭子 六等九級 正七 名取はな 助教授…※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/98 <98/575>(16頁2段目23-24行目) ・宮内省/○李王職… 御用掛… (奏任待遇)從七 中川 糸 (奏任待遇)三浦清子 ・宮内省/○臨時帝室編修局 <98/575>(16頁3段目14行目下) 編修官補… ?田中眞弓? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/114 <114/575>(49頁1段目36行目下) ・大藏省/○宇都宮地方專賣局… 書記…月六〇 ?吉村三子? <114/575>(49頁5段目1行目下&4行目下) ・大藏省/○郡山地方專賣局… 技手…月六〇 兼書記 ?宗像忠子?… 月六〇 兼書記 ?藤井正榮? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/117 <117/575>(55頁1段目49行目上) ・大藏省/○神戸税關… 事務官補…四 勲八 ?肥田香苗? ※実は大正15年版には記載がありませんが、 『職員録.大正13年/印刷局』(大正13年7月1日現在)には http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986606/115 <115/763>(98頁中段8行目)・大藏省(税關)○神戸税關… 「鑑査官…五等六級 正七 井上達子 ※奏任」が 上記事務官補※判任と共に在籍していていました。 性別?問題は残りますが、下記によれば役職名の差異はあるものの ・税関>神戸税関>神戸税関の組織~神戸税関の歴史~> 神戸税関の歴史 http://www.customs.go.jp/kobe/00zeikan_top.htm/rekishi.htm 成長(明治・大正)「全国初の女性検査官(大正11年)」女性5名写真 もあって、今回?肥田香苗?を女性と判断しました。※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/125 <125/575>(71頁3段目19行目上) ・大藏省/○長岡税務署… 屬…月六〇 ?鈴木久嘉子? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/190 <190/575>(201頁4段目4行目下) ・司法省/○足利區裁判所… 書記…六 ?井上三子? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/194 <194/575>(209頁3段目44行目) ・司法省/○葛城區裁判所○檢事局 書記 八木 七 ?勢山元子? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/207 <207/575>(232頁4段目40行目) ・司法省/○宇都宮供託局…出張所勤務 書記…栃木 兼 裁判所書記 ?町田嘉子? http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/208 <208/575>(234頁3段目46行目) ・司法省/○秋田供託局…出張所勤務 書記…本莊 六 ?藤田美穂? <208/575>(234頁5段目24行目上、25行目上・下、29行目下) ・司法省/○少年審判所○東京少年審判所… 少年保護司…三 植田タマヨ… 五 藤井 琴 兼 少年審判所書記 梶山折枝 <208/575>(234頁5段目44行目下) ・司法省/○少年審判所○大阪少年審判所… 少年保護司…五 從七勲八 新田倭文子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/211 <211/575>(241頁3段目9-15行目) ・文部省/○東京帝國大學醫學部○附屬醫院… 看護長 五 高野 京 五 佐々木きくの 五 安達タカ 月六九 稻垣いな 月六三 藤本ひさ 月六〇 鳥澤□(?ち?)よ 月六〇 大島アサ 月五八 河原リウ 月五八 阿部チヱ 八 橋本マサ 八 星野千鶴代 八 内山とよ <211/575>(241頁3段目29行目) ・文部省/○東京帝國大學醫學部○附屬醫院分院… 看護長 月六七 水口キヨ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/213 <213/575>(245頁2段目23-28行目) ・文部省/○京都帝國大學醫學部○附屬醫院…看護長※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/214 <214/575>(247頁3段目3-9行目) ・文部省/○東北帝國大學醫學部○附屬醫院…看護長※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/215 <215/575>(248頁4段目26-32行目) ・文部省/○九州帝國大學醫學部○附屬醫院…看護長※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610/216 <216/575>(250頁4段目15-19行目) ・文部省/○北海道帝國大學醫學部○附屬醫院…看護長※省略※ 以上 大正15年版前半部
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 結局、私の質問は、明治・大正時代の「職員録」に載っている女性はいましたか、という内容に収束しますね。 厖大な資料から選び出すという途方もないしんどい作業をKyttynote 様に押し付けてしまって真に申し訳ありません。 判任官の身分では、およそ役人とはほど遠い人たちが名を連ねています。 町人・商人・百姓が、女の役人に「お役人さま、そこをなんとか…」というようなやりとりを期待していたのですが、そんな状況はなさそうです。 しかし、多数の女性が、中央省庁の地方組織であっても「判任官または同待遇」の身分で在籍していたことがよく分かりました。 女子教育では、奏任官の「教授」が数十名いたことも、私には想定外でした。 >司法省/東京少年審判所…少年保護司…三 植田タマヨ… 五 藤井 琴 大正時代には、高等官三等の女性がいたのですね。 意外というよりは、今思うに、当然の感じです。 二人について調べました。 宮城タマヨ(旧姓植田)。1909(M42)奈良女子高等師範学校博物家事部卒業。20(T9)~23まで大原社会問題研究所で児童保護問題を研究。22の少年法制定(翌年施行)に伴い23~24まで文部・司法両省からアメリカに派遣され、社会教育、少年保護事業などを研究、矯正保護や犯罪予防の世界会議に出席した。帰国後、東京少年審判所の日本最初の婦人保護司となる。 藤井琴は、少年法(大正11年)公布と同時に東京府社会課児童保護委員を退職し、司法省東京少年審判所少年保護司となった。少年保護司8人中紅一点で、琴は日本で最初の女性の保護司第一号となる。琴は、三井の命令で主として少年よりも少女を任され、ときには島送りの少女らを小笠原諸島まで船で送っていくこともあった。 新しい発見があって、楽しみです。
- Kittynote
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No.4&No.5投稿で「サプライズ」を誤って「ハプニング」と 表記してしまいました(><) 中央省庁から横道に逸れますが、何か「サプライズ」に遭遇出来ないものかと No.5投稿の姉妹図書に手を出してみましたが… 〇『職員録. 明治45年(乙)/印刷局』※明治45年5月1日現在調査※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/5 <5/397>(3頁中段)○北海道廰事業手設置 明治三十年四月勅令第百三十三號 一北海道廰長官ハ明治四十三年度以降當分ノ内北海道拓殖費及森林費ニ關スル 俸給豫算定額内ニ於テ事業手ヲ置クコトヲ得 事業手ハ判任官ノ待遇ヲ受ク http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/9 <9/397>(10頁上段10-13行目) ○師範學校官制… 一教諭助教諭舎監訓導保姆及書記ハ判任文官ト同一ノ待遇ヲ受ク 但教諭三名以内ハ特ニ奏任文官ト同一ノ待遇ヲ受ケシムルコトアルヘシ <9/397>(11頁中段2-9行目) ○公立中學校高等女學校專門學校實業學校職員名稱待遇及任免… 一學校長教諭助教諭舎監書記ハ判任文官ト同一ノ待遇ヲ受ク 但シ專門學校及實業專門學校ノ學校長教諭及舎監ハ奏任文官ト同一ノ待遇ヲ受 クルモノトシテ其ノ他ノ學校ノ學校長及教諭三名以内ハ特ニ奏任文官ト同一ノ 受ケシムルコトアルヘシ… ・北海道廰 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/28 <28/397>(18頁上段11行目上) ・北海道廰/○河西支廰… 事業手…十 勲八 三輪英子 ※判任官ノ待遇※ <28/397>(19頁上段4行目上) ・北海道廰/○北海道師範學校… 訓導…五 入佐スガ ※ 判任文官ト同一ノ待遇※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/29 <29/397>(20頁中段11行目下) ・北海道廰/○北海道廰立函館商業學校… 教諭…八 淸水智代 ※判任文官ト同一ノ待遇※ <29/397>(21頁中-下段)○北海道廰立札幌高等女學校※省略※ <29-30/397>(21頁下段-22頁上段)○北海道廰立函館高等女學校※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/30 <30/397>(22頁上段)○北海道廰立小樽高等女學校※省略※ <30/397>(22頁中段)○北海道廰立上川高等女學校※省略※ <30/397>(22頁中-下段)○札幌區立女子職業學校※省略※ <30/397>(22頁下段)○根室町立女子職業學校※省略※ <30/397>(22頁下段)○岩見澤町立女子職業學校※省略※ <30/397>(22頁下段-23頁上段)○壽都町立女子職業學校※省略※ ・東京府 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/38 <38/397>(38頁上-下段)○女子師範學校※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779803/39 <39/397>(40頁上段)○府立第一高等女學校※省略※ <39/397>(40頁中段)○府立第二高等女學校※省略※ <39/397>(40頁中-下段)○府立第三高等女學校※省略※ <39/397>(40頁下段-41頁上段)○府立第四高等女學校※省略※ 北海道と東京府まで一読して「サプライズ」に遭遇出来そうもないと中断、 結局、残念しました。(苦笑) 明治45年では時期尚早ならばと方針転換、 実態を知る手立てを他に思い浮かびませんので 〇『職員録.大正15年7月1日現在/内閣印刷局』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986610 を次の対象にと考えていますが、着手未了です。 あと、決して御質問にケチをつける意図は皆無ですが、 調べる中で、親方日の丸なのは確かだとしても、 いわゆる三公社五現業とか教員とかを 「役人」か?と問われると何だかピンときません。 「判任官以上」とせざる得なかったであろう事に 勝手に納得しています^^ 以上
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 この質問は「江戸時代に女の役人がいたのか」の続きです。 江戸時代の役人のイメージは、時代小説くらいの知識しかないですが、「町奉行所や関所の役人、代官とその配下の者、港湾や鉱山の役人」などです。 全て身近な存在で、一般人と接触する機会があります。 江戸城にいる役人は、現代の感覚では、中央省庁・霞ヶ関のビルに住む国家公務員のイメージです。 質問前の調べでは、明治時代の中央省庁には女性の役人はいなかったようなので、出先機関を含むとし、また大正時代まで延ばしました。 出先機関は、関所に代わって税関(出入国管理)を想定していました。 また、町奉行所に代わって、巡査を想定していました。 「オイ、コラ」と威張る巡査や「汽車に乗せてやる」という態度の鉄道職員も役人のイメージです。 宮中の女官は除外としてもよかったのですが、大奥との対比で考えるとどうなるのか、考えました。 「女官長」のように“長”がつけば役人の感じですが、明治時代の「内掌典」は、大奥の女性と同様、奉仕者の感じです。 教員も役人とは言えないですね。 「学監」は、役人のイメージです。 結局「役人」を定義せねば曖昧なままですが、そんなことは一向にかまいません。 難しく考えず「役人とは政府機関に勤務する者で判任官以上の者」とすれば、「職員録」に掲載(記載?)されておれば役人ではないでしょうか。 ところが、教員が役人とはシックリしないですね。 以下、私本位のまとめです。 #5回答 抜粋 ○司法省/奈良地方裁判所、小樽區裁判所余市出張所に女性書記各一名在籍 ○ 大蔵省/高梁專賣支局に女性書記2名、鹿兒島專賣支局に女性書記1名在籍 熊本專賣支局小波瀨出張所長(女性書記) 從七、勲八 #4回答 抜粋 『現代青年子女職業の智識/瀬尾卯市/日本公益社/大正13.7』 第二十七節 女子判任文官 (一)女子の文官 女子の奏任待遇職員及判任官は、府縣女子師範學校、高等女學校等の中等教員に數百名あるのも多い方であるが併し女子判任官の最大多數を任用しているのは逓信省部内である。卽ち左記の如く實に千數百名の多くを算するのである。…(後略)… あと、直接の情報には結びつきませんが、下記によれば、 女子判任文官任用に関し、外務省は他省庁より遅れていた様子が伺えます。 #2回答 抜粋 『新聞集成明治編年史第十三卷/新聞集成明治編年史編纂会編/林泉社/1940』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920436/82 〔七・一六、東朝〕 逓信省に於ては女子を判任官となすことゝなれり、大道逓信大臣秘書官の談話に曰く、逓信省に於ては、今度其所管内に使用する女子雇員を、相當の條件の下に判任官に登用することに決定せり、 抑々女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、我國に一切存在せずして、全然創始時の事柄に屬するを以て、夫々其筋の意見をも叩き、任用令其他法規の上より差支なしと確定し、茲に始めて智識的の仕事を執る女子にして、優秀なるものに限り判任官に登用するに省議一決したり。 〔七・二四、東朝〕 女子行政吏員判任官登庸の嚆矢として郵便為替貯金管理所及大阪、下關兩支所に於ける女子雇員十七名(東京本所十三名大阪支所二名下關支所二名)は愈々本日附を以て左の如く通信手に任ぜられ、…(後略)… 続いて、下記の明治42年9月16日付朝日新聞記事によれば、「新橋駅には16人の女性出札係がいて、主任の1名だけが判任官」とのこと。 以上から、電話交換手を「役人」とは言いませんが、郵便為替業務担当者は役人としても差し支えないでしょう。 また、大蔵省の出先の専売局在籍の女性書記も事務員だと思いますので、役人でしょう。 逓信省が率先して優秀な女性を判任官に任用したことが分りました。
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当時は、官制改正が繰り返されていたようなので、 法令からのアプローチも考えましたが、 制度面だけでは実態が浮かびませんので 下記にて実態へのアプローチを試みてみましたが… 〇『職員録.明治45年(甲)/印刷局』※明治45年5月1日現在調査※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/63 <63/610>(65頁上段7行目) ・宮内省/宮内省御用掛… (勅任待遇)勲四 加賀美繁子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/64 <64/610>(67頁上段最終行)宮内省官制…舎人ハ判任トシ… <64/610>(67頁中段6行目)…舎人長ハ五人奏任待遇名誉職トス… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/65 <65/610>(681頁中段4行目上) ・宮内省/○式部職…二等 内舎人 片岡福子 <65/610>(68頁下段11行目)宮内省官制…内掌典ハ判任トス 内一人ヲ奏任ト爲スコトヲ得掌典補ハ判任トス… <65/610>(68頁下段11行目) ・宮内省/○内掌典 八等一級 從七 朝山儀子※外4名省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/72 <72/610>(82頁下段10行目・12-14行目・) ・宮内省/○泰宮 御用掛… (奏任待遇)(年一三〇〇)從六、勲六 村田梅枝… (奏任待遇)(年九〇〇)從六 堀江義子 (奏任待遇)(年六〇〇)從七 桑山 菊 (奏任待遇)東京音樂學校助教授 杉浦千歌 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/79 <79/610>(96頁下段22・24・27・29行目・97頁上段1行目)學習院官制… 一 主事ハ二人奏任トシ…一 書記ハ判任トス…一…教授ハ六十五人勅任又ハ 奏任トシ…學生監ハ二人奏任トシ…助教授ハ判任トス <79-80/610>(96頁下段-99頁上段) ・宮内省/○學習院※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/109 <109/610>(156頁上段6-7行目) ・大蔵省/○專賣局… 書記 專任二千五百九十人 判任 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/115 <115/610>(169頁中段目3行目下) ・大蔵省/○高梁專賣支局… 書記…(月一五)長谷川耕子 <115/610>(169頁2段目7行目下) 技手…六 兼書記 佐々木玉枝 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/117 <117/610>(172頁下段目19行目下) ・大蔵省/○熊本專賣支局… 書記…三 小波瀨出張所長從七、勲八 八田富代 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/118 <118/610>(174頁上段目26行目下) ・大蔵省/○鹿兒島專賣支局… 書記…八…(月三一)菊池喜代子 <261/610>(460頁) 裁判所構成法第八十八條 書記ハ司法大臣之ヲ任シ及之ヲ補ス 書記長ハ奏任トス ※書記?判任?※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/280 <280/610>(499頁下段20行目下) ・司法省/○奈良地方裁判所… 書記…七…(兼) 勢山元子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/281 <281/610>(500頁上段16行目下) ・司法省/○奈良區裁判所… 書記…十一 勢山元子 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/316 <316/610>(570頁上段5-6行目) ・司法省/○小樽區裁判所… …○余市出張所 書記(月三七)芥川芳江 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/337 <337-338/610>(613頁上段-615頁下段) ・文部省/○東京女子高等師範學校※省略※ ・文部省/○奈良女子高等師範學校※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/347 <347/610>(632頁中-下段) ・文部省/○東京音樂學校※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/390 <390-392/610>(718頁中段-722頁下段) ・逓信省/○郵便貯金局※省略※ ・逓信省/○大阪郵便貯金支局※省略※ ・逓信省/○下關便貯金支局※省略※ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/392 <392/610>(723頁下段28行目)通信官署官制… …通信書記補 専任 二千四百七十六人 判任… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/395 <395/610>(728-729頁) ・逓信省/○東京中央電信局※省略※ ・逓信省/○東京中央電話局※省略※ <396-441/610>(730-820頁) ・逓信省/この箇所では、大都市で女性が散見されるものの、 地方都市では男性のみも多いようです※省略※ 上記職員録では、性別がハッキリしない「恵、操、真澄、栄、純、静、民」等 は除外しました。「建子」「初子」で男性の場合もありました^^ 以上 明治45年5月1日現在、逓信省、文部省以外では宮内省、 見落としも有り得ますが、あとは大蔵省専売局で僅かばかり、 司法省の裁判所書記に関しましては、性別がハッキリしません。 以上 残念ながら現時点ではハプニングに遭遇出来ません(><) あと、「大礼拝賀」に関しましては、 判任クラスで当時どこまで拝賀が可能だったか存じませんが、 明治14年末か15年の特定の一度と言う事ではなく、 例えば「新年礼拝、元始祭、新年宴会、伊勢両宮例祭、神武天皇即位日、 神武天皇例祭、孝明天皇例祭、天長節、外国公使参朝の節」など 繰り返される行事の何れかと、私は理解していますが如何でしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 「職員録」は調べてみたいと思っていましたが、こんなに厖大だとは知りませんでした。 活字が潰れて判読困難にも拘らず、丁寧に調べて下さってのご回答に大いに感謝しています。 大蔵省の專賣支局や司法省の地方裁判所・區裁判所に「書記」身分の女性がごく少数いたのですね。 宮内省の女官は、「内掌典 八等一級 從七 朝山儀子外4名」と聞いても、「内掌典とはいったいなんぞや」ということでさっぱり分りません。 調べてみますと「内掌典」として57年間宮中に仕えた高谷朝子さんを紹介する動画がありました。 平安時代さながらの髪型、衣装で、ずっと宮中で暮らしたそうです。 よく調べていませんが、扇子 忠著『明治の女官長高倉寿子』という本があります。 高倉忠子→壽子(かずこ) は、女官長/ 従三位となり、明治天皇崩御後は皇太后宮(美子)付典侍、そして皇太后崩御後は皇太后宮残務を司り、正三位/ 勲三等宝冠章です。 >上記職員録では、性別がハッキリしない「恵、操、真澄、栄、純、静、民」等 は除外しました。「建子」「初子」で男性の場合もありました^^ なるほど、これは面白い! 「大礼拝賀」については仰るとおりでしょう。 時期的に見て、差し迫った「新年拝賀」への対応だと思います。 「大礼拝賀」がしょっちゅうあるとすれば、その都度、礼服(白襟紋付)で出勤したのだろうか、職場で着替えたのだろうか、会議室に集まってご真影に拝礼したのだろうかなど、つまらぬ想像しています。 勅任官以上は、皇居へ出向いたのでしょうね。分りません。
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No.2&3です。「範囲を広くして」の応答ありがとうございます。 今回は補足応答に対するお礼が主目的ゆえ 取り急ぎしたためましたので 情報の中味が薄くなってしまいましたm(_"_)m 疑問点が解消したことで、改めて中休みを含め^^捜査続行中ですが、 下記の大正13年発行の書籍を覗いてみましても、 女子判任官の最大多数は逓信省の千数百名、ほかでは教員の数百名と 大正後期に至っても逓信省と教員の情報が占め、 未だハプニングには遭遇出来ません。 〇『現代青年子女職業の智識/瀬尾卯市/日本公益社/大正13.7』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919569/31 <31/44>(52-53頁) 第二十七節 女子判任文官 (一)女子の文官 女子の奏任待遇職員及判任官は、府縣女子師範學校、高等女學校等の中等教員 に數百名あるのも多い方であるが併し女子判任官の最大多數を任用しているの は逓信省部内である。卽ち左記の如く實に千數百名の多くを算するのである。 …(後略)… あと、直接の情報には結びつきませんが、下記によれば、 女子判任文官任用に関し、外務省は他省庁より遅れていた様子が伺えます。 〇件名:2.女子判任文官任用規程ニ関スル件 [階層]外務省外交史料館>外務省記録>6門 人事>1類 官制及官職> 1項 帝国一般官制>各官庁章程規則関係雑纂 [レファレンスコード]B15100679700[年代域]大正10年[画像数]3 http://www.jacar.go.jp/pdf2015/b6_0001/B15100679700/ 大正十年十一月女子判任文官任用規定ニ干スル件 大正十年十一月十日起草大正十年十一月十一日附参合第一八三〇号 外務省参事官室各省秘書官室宛(宮内含ム) 女子判任文官任用規程ニ関スル件 執務上参考ニ致度候ニ付貴省所属庁ニ於ケル女子判任文官 任用ニ関スル内規等有之候ハヽ至 急御送附相煩ハシ度此段及 御依頼候也 以上
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No.2です。引き続きの継続捜査では、明治期にとらわれず 判任官から勅任官・奏任官まで範囲を広げてみました。 ただ、前回同様、広く「単に女性の勅任官・奏任官」全般に関する投稿 =いわゆる霞ヶ関勤め限定では無いゆえ、また再び教育家事例のため、 見当違いの場合は御容赦下さい。 下記の1912(大正元)年の中央新聞記事「婦人の職業 (一~二十二)」の中の 「(十一)>高等教育家>勅奏任官」によれば、 下田歌子は勅任官で、他にも複数の女性奏任官が存在したようです。 ・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ>新聞記事文庫 婦人問題(1-006)/中央新聞 1912.11.21-1912.12.24(大正1) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10063256&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE 〇婦人の職業 (一~二十二) (三)>電話交換手>主事補から判任官 交換手が日給四十銭まで行けば主事補になる、 それから勤続昇給すれば女子判任官という厳めしい者になって月給十六円から 二十四円まで頂戴する、其他交換手全体を通じて年功加俸があるから、 実際は以上述べたよりは割がよくなる、 判任官になって長年月いれば恩給が貰える (十一)>高等教育家>勅奏任官 嘗て学習院女子部の長たりし下田歌子は勅任官であった、 音楽学校教授の幸田延子は校長より位階が高かった、 それ等は別として高等官の女子教育家が幾何もある、 今東京女子高等師範のみにて就ていえば ※ 擔任 氏名/(位官等)/氏名 修身、國語、地理、家政/從六位(五等)/甫守ふみ 生徒監/同(五等)/下田たつ 修身、英語/從七位(七等)小此木まつ 國語、修身/正八位(八等)尾田けい 國語/同(八等)/斯波やす ※ (※~※間は画像ファイル[12/24]から転写) 其他(四等)佐方しづ、後閑菊野(五等)喜多見さき以下 歴々の肩書がズラリと並ぶ 彼等の出身 多くは東京女子高等師範学校出身のもので、中にはそれから海外へ留学した ものもある更に其原を訊せば女子師範学校出身者が多い、 それ故に府県の女子師範学校、高等女学校の出身者で成績優等の者は、 東京とか奈良とかの女子高等師範学校へ入学する事も出来て其中更に 優秀の者は他日女子高等師範学校の教授(高等官)になり得る、 然し高等官又は勅任官になるのが必ずしも教育家の理想に非ざるは言う迄もな い、教育という天職から考えれば田舎の小学教員にも尊敬すべき人物はある 教授教諭及訓導 教授は奏任以上であって、教諭は奏任(又は奏任待遇)もあるが概して判任で ある、女子師範学校、高等女学校の教諭は女子高等師範の卒業生か若くは 文部省の検定試験に合格した資格ある者に限る、小学校の本科正教員は文部省 の検定試験を受ける資格がある、右いうところの教諭の下に助教諭、助教諭 心得等もある、小学校のは訓導という あと、No.2投稿の一箇所訂正申し出の件 〇国立民族学博物館>近代日本の身装電子年表 http://htq.minpaku.ac.jp/databases/mcd/chronology.html ※「判任官」検索ヒット15件中13番目※ ・1909(明治42)年9月/現況 の転写文中 誤「襟から旨までが被布仕立、」 正「襟から胸までが被布仕立、」 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 「神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ>新聞記事文庫」は、大変参考になりました。 明治時代、看護婦には判任官はいなかったようですね。 ちょっと以外です。 新聞記事では次のように解説されています。 「看護婦と云えば直ぐ淫靡な女性と思うのは半面の観察である、暗黒面のみを指摘すれば教育家、宗教家乃至有らゆる方面にも罪の性質は見出される、吾等は先ず彼等が光明の半面を同情の眼鏡で観てやりたい 」 「嘗て学習院女子部の長たりし下田歌子は勅任官であった、音楽学校教授の幸田延子は校長より位階が高かった、」とありますが、官界では“位階”がまだ生きていたのですね。 驚きです。
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お礼
いつも綿密に調べ上げた事例を示して下さるので大助かりです。 また、こんな調べ方があるのかと、いつも驚いています。 「文部省 官立女子学校教員ノ内婦女子ニシテ判任官ノ輩大礼拝賀ノ節着服ノ儀」ですが、明治14年末か15年に「大礼拝賀」があったのですね。 いったい、何があったのだろうかと、調べてみたのですが、分りませんでした。 また、「輩」と呼ぶのですね。“やから”と読むのか“ともがら”と読むのか、こんなところで脱線しています。 明治39年7月時点では「女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、我國に一切存在せず」ですね。 このようなことを知りたかったのでドンピシャです。 「女子雇員を、相當の條件の下に判任官に登用することに決定せり、…」ということで、優秀な者を昇格させたのですから、逓信省はなかなかやるじゃないか、と思いました。 これをヒントに調べてみました。 兵庫県立大学看護学部・地域ケア開発研究所紀要 「明治の判任文官層――キャリア形成としての教育史における研究対象―」 池田雅則 http://lib.laic.u-hyogo.ac.jp/laic/5/kiyo22/22-01.pdf#search='%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AF%E5%A5%8F%E4%BB%BB%E5%AE%98' (5/14) 官吏の任用資格 なお「男子」であることや成年に達していることもまた官吏たる任用資格とし想定しうるが、教官や通信事務に関わる官吏には女子も存在する。また成年未満でも官吏になれる場合もあった。”性別や年齢は任用の絶対条件ではない。” 官吏たるべき最も根源的な任用資格は「一定ノ智力ヲ有スルコト」である。この「一定ノ智力」を有することを任命権者が認めることによって官吏でない者が官吏になるのである。その能力の有無の判定は、試験に依る場合と依らない場合がある。 「新橋駅には16人の女性出札係がいて、主任の1名だけが判任官」とのこと。 鉄道は、明治42年には内閣所属部局の鉄道院になっていますが、1908年(明治41年)までは逓信省管轄の鉄道局でしたから、逓信省が「女性の時代」を先取りした感じです。 出札係の主任が判任官だったということは貴重な情報です。 かなり状況が分かってきました。
補足
ご回答ありがとうございます。 ホントは「明治・大正時代に女性の役人はいましたか」くらいの軽い気持ちで質問したかったのですが、そんな内容では、「まず役人とはなんぞやを定義せよ」と言われそうなので、中央省庁(こんな言葉自体、当時はなかったのかも)に勤めておれば「役人」ということにしました。 先に「江戸時代に女性の役人はいましたか」と質問しましたが、その続きです。 「霞ヶ関」に限定してもよかったのですが、それでは、「こんなところに女性の役人がいた」というサプライズを期待できません。 それで、範囲を広くして質問しました。