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明治末から大正時代の通信手段
一般市民はどうやって遠方の人に情報を送ったり、情報を手に入れたりしていましたか? 新聞、手紙以外にはありましたか?
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- takochann2
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電報
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
まさにご質問の時代である大正元年から翌年にかけて朝日新聞に連載された夏目漱石の「行人」という小説には、「電話」がしばしば登場し、東京や大阪などの都会のある程度以上の階層では連絡手段として電話が日常的に使われていたことがうかがえます。もちろん普及率は低かったので、「誰でも」「いつ誰にでも」とはいかなかったことはいうまでもありませんが、昔は(私が子どもだった昭和3、40年代になっても)、「呼び出し電話」といって急用の際には「電話がある近所の家に電話をかけて電話口まで呼んできてもらう」ことがしばしば行われていましたので、「普及率」だけで連絡手段としての電話の重要性を判断することはできないと思います。 そのほか、一般人が情報を得る手段として現在と比較して比重が高かったと考えられるのは「雑誌」です。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
手紙と電報です。 ただ電報が来てるのは主要都市ですので、そこからは結局郵便さんが電報を届ける時間がかかります。 鹿児島札幌間に電報が開通したのが1875年と聞いています。
- thunderkarasu
- ベストアンサー率34% (265/762)
まさに、新聞と手紙になる。 他の回答者が述べた「アマチュア無線」は、答えにするには適当ではないだろう。 1922年に一般に許可されてはいるが、当時は旧帝国時代であり許可の敷居は相当高く、局数も限られていて、かつ内容も限定されていたものであるので、これも本質問の答としては適当ではないだろう。 戦後爆発的に局数が増えるが、今も「アマチュア業務」として業務内容が限られているので、日常の情報伝達手段とは言い難い部分があることを付け加えておく。 ラジオだが、1923年の関東大震災を期に、情報伝達手段としてラジオの必要性が認識されるようになり、1925年に「東京放送局」(現在のNHK ラジオ第1)により、ラジオ放送が日本でも開始されている。 ただ、誰もがそれを聴けるようになるのは、皮肉にも国防強化を名目にした普及によるもので、第二次世界大戦では「国家のフェイクニュース」たる「大本営発表」等のプロパガンダに利用されてしまっている。 民間放送は、戦後になってからである。 加入電話は、1890年東京-横浜間でサービスが開始されているものの、戦後になっても一般の家庭で電話があるのは極僅かであり、1950年の時点で1%、1972年でも30%しかなかった。 誰の家にも電話がというのは、ようやく1980年代後半になってである。 (筆者の実家も、加入電話を引けたのは1980年を過ぎてからであった) 結局、終戦後にテレビ放送が開始されるまでは、大正末期〜戦前と大して変わらない状況であったと言える。 (手紙・新聞・雑誌・ラジオ) テレビ放送が開始されても、一般市民が遠方とコミュニケーションをとる手段は電話こそあれど、国内外への電話料金は従量課金で高かったこともあり手軽に利用できるものでもなく、結局インターネットが大衆にも普及する1990年代末期までは、マスメディアに頼らざるを得なかったのだ。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>一般市民はどうやって遠方の人に情報を送ったり、情報を手に入れたりしていましたか? 新聞・手紙を除けば、1870年頃からは電報です。 無線に関しては、1920年頃にアマチュア無線が行われています。 1925年には、NHK東京が放送を開始しています。 1983年頃からは、伝書鳩を用いて情報を伝えています。
- Ultra-Hetare
- ベストアンサー率38% (204/526)
手紙は江戸時代から頻繁に利用され、 飛脚等を介して、結構正確に届いていたようです。 明治以降は「逓信省」(昭和の郵政省、今は民間会社のNTTや日本郵便)が、 「駅逓」と「電信」を仕切っていました。 駅逓とは手紙のことです。 また、電信はやがて電話になります。 情報伝達に於いては、日本は相当先進国であったと思います。
- f272
- ベストアンサー率46% (8469/18131)
通常の速度でよければ手紙,至急に知らせたいなら電報です。