• ベストアンサー

明治時代~大正時代の男性は

同い年や年下の男性の名字や名前を、呼び捨て・様付け・さん付け・君付けのどれで呼ぶ人が多かったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

地域性もあるし、明治~大正と云っても維新直後と大正末期では違うのではないでしょうか。 ちなみに、私の大叔父の日記(明治四十五年、旧制中学四年)には次のような記述があります。 「午後カラハ兵式体操、野外演習。甲組の小隊長ハ近藤君、乙組ハ石黒君。ソノ結果、石黒君ノ作戦計画ノ方、「可ナリ」ト」 他のページでも友達のことは君付けで呼んでいます。

その他の回答 (2)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

 #2です。取り消しです。  #1さんの優れた回答があるので、僕は明治大正の直接経験がないので、他に移します。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 僕は、直接知りませんが、昭和初期には、小1から小3まで先生は、「太郎ちゃん」「花子ちゃん」と下の名前、小4以後は中学でも「山田」のように苗字の呼び捨てでした。  これは軍国主義の浸透にもよると思います、中学は陸軍の予備校のようなもので、軍事教練が時間割りに組まれ、陸軍の将校が各校に配属され、生徒は新兵同様姓の呼び捨てでした。  以上が一日の大半を占める学校での習慣でした。校外では、家柄、間柄、場合場合で、様、さん、君が、適宜使われたものと思います。  父(明治生まれ)は、職場の後輩を「君」づけにしていましたが、母(同じく明治生まれ)は「さん」づけでした。