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そのひとの本質となりたいもの
こんなのになりたいっていっても、その人は本質を持ってます。 100パーセント変わったとしたら、本質がないことになってしまうように思います。 なりたいものは未来的なもので、ないと変わらないともいえると思います。 本質の認識、その対応となりたいものってどういう関係でしょう?
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人間は、遺伝と環境と、己の自由な意思に よって決まるものです。 遺伝は今のところ変えようがありません。 幼い頃から醸成の基となった環境も 変える術がありません。 しかし、己の自由な意思に基づくものは 変更可能です。 こうなると、本質というのは、遺伝と環境に よって決まるモノ、ということになると 思います。 だから本質は変えられない、変えることが 出来るのは、自由意志に基づく部分だけに なる。 そう思います。
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- koosaka
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実存哲学も実存主義も、いずれも人間は産まれた時は「ゼロ」で、本質は人生を生きて行くことで後から獲得されるものと言っていてます。 ロックやヒュームも認識に関して、人間は産まれた時は「白紙」であって、その「白紙」に経験によって書き込んで行くことで、認識が生まれると言いました。 カントは人間が生まれた時は「形式」だけは先天的にあるが、その「内容」つまり本質は後から作られると言っています。 以上、いろいろな哲学者のいっていることを考え合わせると、あなたの言っていることは、それとはまるで反対に聞こえます。 人間は生まれながらに本質をもって生まれて来る、と言っているように聞こえます。 だとすると、人生など生きても無駄ですネ? なぜって、生れた時に本質をもって生まれて来るんだから、わざわざ生きる必要なんかない。 そうなんですか? 学校を卒業して、いろいろある職業を選択して、自己のアイデンティティーを探すことも、いっさい無駄、だってもともと自己のアイデンティティーなんかあるんだから、探す必要はないというわけですネ? 確かに人間以外の動物だったら、あらかじめプログラム化されているから、宇宙空間なんかには出て行かないし、出て行こうと思わない。 ところが実存哲学が言うように、人間というのは動物と違って、絶えず自己否定して、自分を乗り越えようとします。 自分の獲得したスキルを更新して、別なスキルを獲得しようとチャレンジします。 ひとところに安住しない。 絶えず新しいものを生み出そうとする。 動物は進歩発展がないけど、人間は進歩発展します。 生まれた時は「ゼロ」であっても、徐々に本質を獲得して行き、しかもその本質を絶えず壊しては、再建し、さらに高次の段階に進みます。 人間の本質は固定したものではなく、絶えず生成発展します。 それが人間。 昨日の私は、もう今日の私ではない。 カントのいうように「形式」だけは残り続ける。 だけど「中身」は絶えず、目まぐるしく変わっている。
あなたの言ってる「本質」とはちがうかも知れないが そもそも 人間の本質って 今は隠れてるのです・・ 本質をボールに譬えると そのボールが丸くなる前に余計なものがくっついて本来の丸さとは違う形で膨らみ 更に その膨らんだ状態に余計なものがくっつき 本質は隠された・・ これが全人類の現在の形・・ だから 本質を元に戻す為には くっついたものを取る方法と 本来の人間の本質の両方を知る必要がある・・
お礼
余計な付加価値が多いと一体何かわからなくなるのかもしれません。 目立つのは付加価値かもしれません。 ご回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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「変わろう」という意志そのものが、それまでの自分の 意識において生まれたものである以上、人はどんなに 力持ちでも、自分の座っている座布団を持ち上げては 飛べないものです。 人の意識の成因の中に、既に自分の本能や感受器官の 特性など、過去を引きずっており、「100%変わる」 事など不可能です。(新生児だって遺伝的に過去を 引きずっているのですから)
お礼
無意識に変わろうというものがあるかもしれません。それはどうかしようというものではないものかもしれません。 反面、記憶が確かにあります。 ご回答ありがとうございます。
お礼
貴重な哲学の話ありがとうございます。 今まで哲学者が築いてきた理論どおりだと思います。 本質はクリエイティブにつくるもの。生まれた時のものではない。きづかされました。 同時にコンプレックスや否定もありこうなりたいものもあるですね。 先験的?という単語か知りませんが、そういうのがあったとしても質は創っていくものなのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。