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日本語が右から左に流れていましたが
今は横書きの文字は左から右に流れますが 歴史の本とか見ていると戦時中は日本語が右から左に流れていましたが それが切り替わったのはいつでしょうか? やはり敗戦してGHQがアメリカみたいに左から右にさせたのでしょうか?
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面白いもので、縦書きの場合は100%右から左なんです。今まで縦書きで左から右の文明は存在していないんですね(そもそも縦書きが少ないとかはあるかも)。 ところが横書きの場合は、右からと左からと両方あります。右からで有名なのはアラビア文字などでしょうか。 漢字(中国語)も日本語も基本は縦書きなので、右から左なんです。で、これを1行1文字の短いものと考えた場合、右から左の横書きのようになります。なので、お寺などの門に書かれているものが右から左だったりするのは、「実はあれ縦書きなんです」っていうことだったりもします。 ところが漢字1文字だけを見ると、下記順は基本的に左上から右下ですね。なので横書きにする場合も、右から左よりは、左から右の方が書きやすい、というのがあるんです。さらに西洋のアルファベット圏は左から右で、数式なども左から右なので、文字も左から右に書いたほうが向きがそろって読み書きし易いというのがあります。 まぁ数式は明治以降ですが、横文字を右からか左からかは、江戸時代以前から右だ左だと議論されてきたものだったりします。 で戦時中は、最初に書いたように、縦書きは右から左なので横書きの場合も右から左に書くほうが良い(伝統的)とされたんですね。なので、右から左の表記が多くなりました。ところが終戦後は、数式の話もあり(米国はアルファベット圏ですし)、横書きは左から右にしましょうと統一されたんですね。 だから、右から左に書く書き方が、戦前っぽい、軍国主義っぽい、という変なイメージが付いてしまったのです。
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- takuranke
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>やはり敗戦してGHQがアメリカみたいに左から右にさせたのでしょうか? 決定的になったのはそのとおりですね、 ですが戦中に議論はされていて、 1942年7月、文部省の諮問機関、国語審議会で左横書きを本則とする答申を出しましたが反対が強く閣議提案はされませんでした。 戦後、GHQ等のアメリカ教育使節団報告書中のローマ字採用勧告、漢字の廃止運動などの社会運動があり右横書きは戦前戦中の悪習で保守的というイメージができました。 終戦翌年に左横書きにした新聞が発行されています(確か1月1日の新聞から) 因みに昔の看板や暖簾、新聞見出しに書かれているのは正確に言うと横書きではなく、縦に書くスペースが一文字分しかない縦書きです(一行一文字の縦書き)。
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- eroero4649
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はい、戦後です。戦前の横書きが右から左だったのは、縦書きのときは右から左に書いていくからです。 ところが戦後になってまあ要するに英語が本格的に入ってくるわけですよ。そうすると横書きだと英文との相性がどうにも悪いですよね。戦後しばらくは、日本語をやめて英語を公用語にしようという動きもあったので、それを含めていた部分もあったと思います。
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ご回答ありがとうございました。
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