なぜモンゴル語はなぜ左から右へと行を進めるのか?
初めての質問になりますが、よろしくお願いいたします。
現在学校のプロジェクトで Affordance=「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」について調べております。
自分では無意識にそれを認識できるもの、例えば蛇口はひねるもの、青信号は進むやタンスの引き手は引くものという様に解釈しています。
その無意識に行っている行為のうち読む/書く行為。この文章は左読みで書かれていますが、本来の日本語の書式は縦書きで右方向に読み進めて行くもの。この左横書きは英語やその他のヨーロッパの地域で広く使われている書き方ですよね。アラビックはその逆の右横書き。
地域によってAffordanceが変わる。
これにはやはり訳があるはずだと思いいろいろ検索した結果、
3,500年ほど前、文字が作られた当時のアラビア世界、文字は石版に、鑿(のみ)と槌(つち)で石に刻み込まれた。人間は圧倒的に右利きが多い。左手で鑿を持ち、右手に持った槌で鑿の頭を叩き文字を石版に刻む。物理的に右から左に進む方が作業しやすい。石版文字文化は「右から左」を選んだ。
時代が進化し、紙(パピルス)が作られるようになると、文字はインクで書かれる様になる。右手で文字を右から書くと、インクを手でなするようになり書きにくい。所詮、「言葉が生み出されたのが先」で「文字は後」、書き方はどうにでもなる。書くのに便利な方がよい。書くのに便利な方、即ち、紙文字文化は「左から右」を後世の人は選んだ。紙が利用されるようになっても石版文字文化に慣れたアラビア世界は「右から左」形式を継承した。
参考URL http://dankaisedai.iza.ne.jp/blog/entry/1493553/
この仮説が横書き文化のなかでは一番有力なのではないかと思います。
もしほかの説があれば是非聞かせていただきたいです。
日本における縦書き文化は中国から受け継がれたものでもあり、古代中国語が縦書きだったのは、文字を記していたモノに由来します。
古代中国語が文字を記していたモノとは、「竹」です。
よく日本の遺跡などから「木簡」というのが出土することがありますが、あれはなぜ木に書いたかというと、古代中国の「書類」が竹をうすく削いだものを並べてひもで結び合わせたものを使っていたのでそれがそのまま日本に輸入され、けれども日本では竹より木のほうがはるかに身近な素材であったので、慣習的に公的文書などでは「紙」よりも重宝がられていたのですよ。なにしろ当時、「紙」は超貴重品でしたから。
参考URL http://riki615.sblo.jp/article/28975684.html
この説も縦書き文化で一番有力だと思います。この件に関しても他の説がありましたらお伺いしたいです。
ここで本題なんですが、モンゴル語も日本語と同様に中国からの影響が濃いため縦書き文化なのはわかります。しかし、なぜモンゴル語はなぜ左から右へと行を進めるのか?
反対に日本語、中国語はなぜ右から左へと行を進めるのでしょうか?
今まで縦書き文化、横書き文化について述べてきた様に、なにかしら訳があるのではないでしょうか?
ご教授の方よろしくお願いいたします。
お礼
ありがとうございました。 そうですか、一行に一文字、という考え方か… 思いつきませんでした。 もちろん日本語は縦書きで、行は右から左というのは知っていましたが(笑)、逆に漢字を書くときストロークは左から右、上から下、要素(ヘン、作り)もヘンから書くでしょう。なので、ちょっと変な感じがしたものですから…