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真田家に名将が多いのは何故?
真田家に名将が多い何故ですか?どういう秘密があるのでしょう。
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さきほどブラタモリで沼田の街並みをタモリが歩いていたのですが、城下町に武者隠しを備えた城下町が上田城の戦いそのものとそっくりでした。幸村の真田丸も城下町の中で狭い街道を突き進むと寺の要害を利用した出城にぶち当たるように作られており、ひきつけて叩くという真田伝統の防衛戦のための作りになっています。 私は真田家伝統の真田軍学みたいなのが伝わっていて、敵を引きつけて叩く真田の戦い方が一族全体に教え込まれているのではないかと思います。 幸隆は調略で北信濃攻略に功なした人ですが、肝心の幸隆の戦ぶりはよくわからないですけどね。
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- ithi
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10u さん、こんばんは。 真田家の領地は北條、上杉、武田、徳川と大きな勢力に囲まれています。そこでいずれかの傘下に入ったり、戦をしたりして勢力を保ってきました。山岳地帯での独特の戦術やこうした機略に富んだ行動力が真田家が戦上手になった由縁でしょう。
- あずき なな(@azuki-7)
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血筋では? 真田家初代の幸隆一徳斎は武田信玄に仕え 近習7人に列せられた人物 その才覚は父・海野棟綱にも劣らないと言われたほど 幸隆の子昌幸 彼は三男ですが兄2人も中々の剛の者でした 昌幸自身の才覚は父譲りでしょう 彼はあの秀吉をもって「表裏比興の者」と言わしめた程の謀略家です そしてその息子(次男)の信繁(いわゆる幸村) 彼の場合は父の戦いぶりや政治を間近で見て学び 知識を身につけたと言われています 真田家の血筋は 長男に武勇、下の息子に知略家が多い気がします やはり血筋でしょう
「名将」の評価は、後世につくられた小説や創作によるイメージが大きく影響しています。 作家が「この武将を主人公にして物語を書こう」と思ったら、ヒーロー色を強くするのは当然でしょう。
- kuzuhan
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真田十勇士のことでしょうか? 歴史上の由来を持つ人物もいますが、ほとんどが架空の人物であるといわれています。 そもそも、真田幸村や真田十勇士は後年になって作られた創作上の人物です。 例えば、幸村にしてもモデルとなった真田信繁が豊臣方に付いて、2度も徳川にたてついたことから、徳川政権下でそのまま手放しでほめることができなかったから「幸村」という別の人物を仕立ててその活躍を伝えたものと言われています。 真田家は家の維持に尽力した氏族ともいえます。武田家が滅亡したあとは仕える主家を転々としています。 関が原の合戦では先に述べた信繁は父の昌幸と共に西軍に、兄の信幸(当時の真田家嫡男)は東軍でそれぞれ真田家を率いました。どちらが勝っても家が存続できるように取った策です。 頭の切れる人物がいたのでしょうけど、家としての方針が「妥協」ができるから名将ぞろいのように思われるのではないでしょうか。
お礼
jkpawapuroさん 回答ありがとうございます。 なるほど、私もそんなところかなと思います。