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真田昌幸が
真田昌幸が大阪の陣で家康と戦っていたら、戦況はどうだったとおもいますか?
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真田昌幸は優れた戦国武将ですが、いわゆる野戦指揮官の類です。家康は、優れた戦略家であり、政治家です。戦術的敗北を戦略的勝利でフォローすることはできますが、逆はどうにもなりません。第二次大戦においては、ドイツ軍とソ連軍の間は戦術的にはドイツ軍が勝利することが多かったですが、戦争そのものには負けてしまいました。 話を大坂の陣に戻しましょう。家康は優れた政治家でもあったので、もし真田昌幸が豊臣方にいたら力攻めは決してせず、内応など政治的に切り崩して内部崩壊にもっていったことでしょう。内応者が出れば、いかな昌幸といえどどうにもならなくなったと思います。
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- tak7171
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イフにイフを重ねることになるのですが・・・ 豊臣軍の総指揮官としての権限を完全に与えられたのなら、 少なくとも現実よりは家康による内応策の効果が薄れて 豊臣方の結束も固まり、 持久戦によって昌幸・家康の寿命勝負の一騎打ちに。 もし家康に寿命勝負で勝ったとしても、昌幸も高齢だし、 この段階ですでに徳川・豊臣の力の差が隔絶しているので、 東は徳川、西は豊臣と日本二分までできるかどうかはかなり微妙かと。 まあ、現実より豊臣家が滅びるのは遅くなるでしょうね。 信繁のように一武将扱いなら、 淀君と喧嘩してさっさと大阪城退去、 大阪城は即刻落城でしょう。
お礼
ありがとうございます。
- Cheshire-Alice
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豊臣家の負けは変わらないと思います。 というのも大名のほとんどが徳川家についてますよね(全大名かは知らない)。この状況から戦略とか戦術とかの前に、もう世の中が豊臣家は要らないと判断しているようにも見えます。少なくとも大名たち武家はそうだったんじゃないでしょうか。佐野道可とかそうした義理的なものはあったにせよ。 大軍に兵法無しではありませんが、こういう状況なので冬夏ともに開戦前に勝敗は決まっていたように思います。だから昌幸さんの参戦有無にかかわらず逆転は無かったように思います。 昌幸さんは戦術家として高名な方ですが、戦国を生き抜いてきた方だけに、過小評価しても戦略や政略もある程度はできる方だと思います。なのでこうした状況はわかるはず。人生の最後に…という思いが彼に無く、そして戦国大名の生き残りらしく勝敗を優先した場合は、昌幸さんの大坂入城すらなかったようにも思います。 ifを邪魔して申し訳ないです。
お礼
ありがとうございます。
- あずき なな(@azuki-7)
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勝ったかも? 昌幸は死の前に息子の信繁(幸村)に打倒家康の秘策を伝授しています それは 秀頼から1万の軍勢を借り受け青野ヶ原に布陣 そこで徳川軍を一週間釘付けにする 真田の智謀を知ってる家康は 「青野ヶ原はただの草原、何故真田がこんな所に布陣したのか不審に思う、物見などを出して様子を見ているうちに1週間は時を稼げる 真田が徳川の大軍を1週間も釘付けにしたと知れば徳川方の武将にも猜疑心が生まれ豊臣に寝返る武将も出てくる、戦とはそういうものだ」と言い残しています 幸村は結局この戦法を実現できませんでした(他の武将が勝手に動いたりして) が もし実行していれば勝てた可能性はあります 現に家康・秀忠は真田親子に3度負けていますから 割と現実味がある作戦かも知れません
お礼
家康はやはりあまり好きになれないです。。大阪城で真田昌幸を暴れさせてあげれたら。。ありがとうございます。
お礼
戦国はずるくないと生き抜くことはできないですね。ありがとうございます