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【家紋】丸に木瓜の歴史

【家紋】丸に木瓜の歴史 家紋の丸に木瓜の歴史について教えてください。 丸に木瓜ってどういう経緯で出来た家紋なのでしょうか?

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noname#214634
noname#214634
回答No.1

もともとは鳥の巣を表しており、卵を生む→子孫繁栄を願った図案で 多くの神社の御簾の帽額モコウに使われた図案であることから 神の加護がある…と言われ愛された紋なのだそうで。 (私調べ)

sonicmaster
質問者

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みなさん回答ありがとうございます

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回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 木瓜紋の由来については諸説、奇説があり、 「キュウリやボケの切り口を型どったものだ」。 などと言うひどいものもあるが、近年では、御簾(みす)にあしらわれた中国伝来の文様が転化したものだ、と言う説で落ち着いています。 ただし、その意味までは明らかにされてはいません。 しかし、古文書を紐解いてみると、この文様はインド、ネパール、マレーシアなどにも見られ、釈迦の紋章だったからです。 釈迦は、牛をトーテムとし、太陽神を奉じてそのシンボルである「菊花紋」「輪宝紋」「卍紋」「十字紋」を愛用したと言われている。 我が国では「木瓜紋」を、やはり、牛をトーテムとしたらしい須佐之男命(すさのうのみこと=牛頭天皇・ごずてんのう)の神紋であった。 従って、この「木瓜紋」は「菊花紋」、あるいは「十字紋」の一変形ではないかとする説が有力とされています。 織田信長の家紋としても有名ですね。 <源氏系> 田中、関口、佐佐竹、野村、曲淵、桜井、和多田、伴、池田、中川、堀、高木、小野、岩堀、小倉、多喜、奥山、竹内、分部、柴田、吉田、井口、富永、大原、馬場、萩原、河田、岡崎、西村、松長、津田、神戸、岸、など。 <平氏系> 織田、島、柘植、津田、平野、高力、芹沢、金子、高田、守山、森山、和田、伊藤、神田、坂部、渋江、など。 <藤原氏系> 大河原、丹羽、須藤、浅井、有馬、大村、斎藤、後藤、伊東、伊藤、荒木、石尾、佐野、小川、人見、松波、中山、小野寺、桑島、森山、明楽、北条、湯上、藤川、阿部、久須見、久隅、久野、天野、平岡、小倉、竹内、野間、内田、神尾、深津、川島、永田、林、森、八木、大木、速水、島崎、池谷、中山、楢葉、川田、秋元、秋鹿、山岡、小野、宮崎、外山、有浦、など。 <橘氏系> 牧、黒田、など。 <菅原氏系> 設楽、山田、萩原、栗楢、など。 <日下部氏系> 朝倉、奈佐、八木、大田垣、など。 <伴氏系> 山岡、篠山、上野、伴、富永、など。

noname#224207
noname#224207
回答No.2

>丸に木瓜ってどういう経緯で出来た家紋なのでしょうか? 模様としては古代中国の官服の模様だったと言われています 正倉院の御物の錦にも見られます。 何をデザインとしたのかは定説がありません。 雲雀の巣とか木瓜の名から胡瓜の切り口だ、などというのもあります。 模様としては木瓜文を窠文とも記されます。 家紋として使われたのは平安時代の公家である徳大寺 実能(とくだいじ さねよし)が牛車の模様といいますか目印に使ったのが始まりと言われ、家紋の中で最も古いものとされています。 いろいろバリエーションがあります。 木瓜紋と呼ばれ、ご質問の写真のものは丸に木瓜と呼ばれます。 歴史的に有名なのが織田信長が使った織田木瓜と呼ばれるデザインです。 外側の丸がありません。 祇園の八坂神社の紋でもあることから、祇園祭りの間は胡瓜を食べないなどという言い伝えもあります。

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