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哲学と宇宙論
- 宇宙論では、アインシュタインの一般相対性理論が重要な基礎となっています。
- 宇宙は多様であり、宇宙の性質や法則を解明するためには哲学的なアプローチも必要です。
- 宇宙論は電磁相互作用や重力のような力の範囲を超えたロングショットの領域も含んでいます。
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>宇宙論の分野で、哲学の学生がかかわれる部分はあるのでしょうか。 ⇒アインシュタインは、「自然は単純な式で表わせる」ことを強く意識していた。彼にとっては、「単純なものほど美しい」のであった。「一般相対性理論の基本式」は、それを実現したものの1つである。これを要するに、「存在する物質の全エネルギーと、その周囲の時空の歪みとの関係を表わした方程式」ということになるらしいが、これまでにこの方程式を完全に解いた科学者は一人もいないと言われている。 その昔聖アウグスティヌスは、「創造の前に何があったかを問うのは無意味だ。神は時間そのものを造った。創造の前には時間などない。だから、それ以前を問うのは意味のないことなのだ。」と言って、神を万物の造物主、究極の第一原因とする聖書の世界観を示したことが知られている。このような、「神頼みの」見方は、多かれ少なかれ現代科学者の中にもある。ビレンケン(米・理論物理)も、不可思議なことを説いた学者の一人である。「時空の泡が、突如として完全な無から次々に生まれた。そのうちごく少数のラッキーなもののみがビッグバンを起こして、膨張し始めた。こうしてこの宇宙が生まれて来たのである…」。誠に奇妙に聞こえる所説ではある。が、実はこの説は「超空間モデル」といって、「無の世界には、時空はないが、一定の法則がある」という仮説(スーパースペース仮説)に基づいているのだという。 上に共通することは何か。それは「宇宙が無から生まれた」とする点である。コンピュータ素子の開発で知られたジョセフソン(英・理論物理)も、類似の説を述べている。「精神が物質を生んだ。最高精神が宇宙を創造した。それは一種のサイコキネッシスのようなものだった。精神と物質の相互作用である。最高精神の働きかけで、エネルギーが一か所に集められ、ビッグバンが起こったのだ」と。続いて「最高精神が物理定数を生命や知性の発達にふさわしいように調節したのだろう」とも述べているが、これは主客が反転していると思う。つまり、「たまたまこの宇宙に存在することになった物理定数の中に、生命や知性が具合よく発達した」のように言うべきところではないだろうか。自然を相手に、「自己中心的特殊既定」を施してしまっている。 ここで、「無」という用語を明確にしておこう。物質だけの有無をいうのか、物質に変性する可能性のあるものを含めていうのかをまず明確にしておかねばならない。実は、上述のビレンケンにとって無とは、「物質やそれを入れる器としての時空がない」という意味らしいのである。つまり、他のものがある可能性を否定していない。彼自身の言葉では「エネルギーの高い真空(があった)」と言っている。量子力学の理論によれば、このような状況-ただ「エネルギーの高い真空」があるだけの状態から物質が生まれること-は、ある確率をもって起こりうることだという。なぜなら、特定の条件下ではフォトン(光子)とクオーク(素粒子)とは互いに衝突して変化したり移り代ったりするからである。 佐藤勝彦(東大・天文学)は、アインシュタインの「一般」に基づいて「宇宙は無限に再生産される」という仮説(インフレーション理論)を提唱して、世界の学者に衝撃を与えた。この所説そのものは当該領域の最先端を行く卓見らしいが、納得しにくいのは、すぐその後で「神」を持ち出したことである。上の説明に続き、「最初の母宇宙はどこから来たのでしょう?」というインタビュアーの質問に対して、事もなげにこう答えている。「それは神様に造っていただくしか仕方がないでしょう…」と。こういう場面で神様などという「術語」を聞かされると、まるで、目隠しでもされて見知らぬ世界へ連れていかれ、突然放置されたような気分になってしまう。本体論的に神の存在を語って許される神学や哲学での議論ならいざ知らず、この分野で「神の業・造物主・最高精神」などの術語に頼るとなれば、それはもはや天文学ならぬ「天・文学」である! ホイル(英・天文学)は、天文学の中に神の類を持ち込むことを批判した。「究極の第一原因とか造物主とかの考えを持ち込むと、その途端に我々は思考停止に陥ってしまいます。何でもかんでも神のせいにするのは、これ以上先に考えを推し進めるのがいやだという意思表示にすぎません」、と。確かに、このような形の神の持ち込みはいわば思考における「省エネの無自覚的表現」であるとも言えるだろう。少なくともそう受け取られる可能性はあるだろう。舞台が自然科学分野だけに余計である。それにしても、最前線を行く科学者たちが、いや、そういう科学者ほどこの種の誤謬-あえてそう呼ばせていただく-に陥ることが多いのは何故だろう。考えるに、それはまさに「最前線を行くこと」自体に起因するのではないだろうか。つまり、彼らは、いわば前人未到の地へ分け入っているわけで、前例も見本も指針もない。頼るべきは自分の頭脳と感性だけである。そこで可能な限り感性を研ぎ澄まし、可能な限り自己を「精神化」して対象に迫ろうと試みる。しかしそれでもなお対象の姿は一向に見えてこない…。「一体、極限にまで精神化したものを超えるような存在とは何か?消去法で考えられないものを取り除いていくとすべてが消えて、後には『精神を超えるもの=最高精神』という図式しか残らない。ゆえにそれは、『神の御業』に違いない…」といった思考プロセスの結果だろうか?もしそうだとすれば、その「解決」はつまるところ体のいい逃亡で、探求の放棄に他ならないと私は言いたい。 確かにこの問題は、東西の一流の科学者たちがこぞって頭を痛めてきた難題のようである。アインシュタインの一番弟子と言われるボーム(理論物理)は次のように告白した。「存在は人間の理解を超えて広がっている。我々の知っている時空は存在のごく一部である。時空は人間の生み出した秩序に過ぎない。異次元の隠された秩序があって、そこから我々の知る時空が出てくると考えられる。これすなわち、現代科学を超えた領域があるということで、科学者はもはや宗教的な問いに踏み込んでいる。」 また、バチカンの教皇庁科学アカデミーでは、「存在の第一原因は何か」について、超一流の学者を集めて情報を収集してきた。「宗教の真理を科学に持ち込んではならない。でないと、科学は空想になる。また、科学の真理を宗教に持ち込んではならない。でないと、宗教は異端になる」と言ったニュートンの言葉以来、科学と宗教は互いに住み分けをしてきた。ところが、今や科学が実験したり証明したりできる範囲を超えて、哲学の世界に踏み込んできたので、科学と宗教の境界線が不十分になったのだと言われる。 ボームの「科学はもはや宗教的な問いに踏み込んでいる」とするのが妥当な見方かどうかは、意見の分かれるところだろう。確かに、「科学の力で認識できるものには限界がある」ということに現代科学が気づかされ、当惑していることは事実である。しかしだからといって、科学が宗教的な問いに「踏み込んでいる」とは限らないし、「踏み込んではならない・踏み込むべきではない」のかも知れない。なぜなら、そこへ踏み込むということはいわば「不可知論」に陥ることを意味し、「神に救いを求める」手法と大差ないことになるからである。神に頼る前に人間科学が試みることのできる事柄はまだまだあるはずである。 教皇庁の「アカデミックな」振舞が、「科学と宗教の境界線が不分明になった」ことによる、とするのも奇妙な解釈のように思える。二つの事柄-科学者が宗教的な問いに足を踏み入れかかっていることと、教皇庁科学アカデミーが「存在の第一原因は何か」について超一流の学者を集めて情報を収集し始めたこと―の間には何らかの関係はあるかも知れないが、それだけに留まらない「モヤモヤがある」ように思えてならない。科学が宗教に近づくのは、おそらく先端を行く者の感じる「行き詰まり」を打開するためであろう。では、宗教から科学へ近づくのは何のためか。教皇庁みずから、とりわけ「存在の第一原因は何か」についてのみ積極的に情報を得ようと努めるのは、そこに何らかの仔細があるからではないのか。つまりそれは、科学と宗教の探求する真理が同一であるという、いわば「共同研究」の一端を担わんがための営為などではなく、むしろ、科学によって「宇宙の創造=神の御業」という図式が崩された時の予防的準備作業にとりかかっていることを示しているように見える。その時には、神の台座をもっと遠くへ移設し直さなければならなくなるからであろう、と推測される。 以上をまとめると、現在のところ、科学そのものが宗教的な問いに足を踏み入れ「かかっている」とは言えても、すでに踏み込んでいるわけではないし、踏み込んではならないかも知れないし、その必要もない。また、たとえ科学と宗教の追求する真理に共通するところがあるとしても、それは共通目的を目指して協力し合うためというよりは、むしろ相手の到達点を確認し参照し利用するためであり、個々の立場の前進やレゾンデートル維持のためであろう。その意味で、現代の科学と宗教は、互いに利用し合いまた互いに張り合う関係のように思えてならない。私個人としては、「神」は心の問題であり、そこから埒外へ出ることはないと思うので、「神の台座」が揺らごうと揺らぐまいと、あまり関係ないと思っている。ただし、科学が科学である限り、そこに神を持ち込んではならないと考える。神に頼る時はもはや科学が科学であることを放棄する時であり、宇宙科学の終焉の時であろう。 ともあれ、以上のような観点から、宇宙論の分野で哲学の学生がかかわれる部分はあると思います。
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- 雪中庵(@psytex)
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量子論において、全てのものは不連続であり、エネルギーや 力の伝達においても、量子化によって伝達する粒子があるの です。 そして、電磁力を伝える光子や重力を伝える重力子は、静止 質量0なので、伝播の距離の自乗に反比例して減衰します。 「距離の自乗に反比例して減衰する」という事は、どこまで 行っても減衰はするけどなくなりはしないので、「無限遠 まで伝わる」事が“できる”のです。 この「できる」という事を、「無限遠」が存在すると勘違い されている訳ですね? その程度では、哲学として宇宙論は扱えません。 確かに、現代科学は細分化し過ぎていて、たとえば「生物学者」 でありながら、顕微鏡で細胞や分子ばかり見て、生物を知らない 生物学者が多い(ま、そのおかげで僕なんかが生命誌研究館の オサムシの遺伝子解析プロジェクトに参加する(捕獲と同定で) 事ができたのですが)。 同様の事は、物理学や天文学でも言えて、ひとつ専門が違えば 急に素人になるのです。 たとえば物理と脳生理、天文学をクロスオーバーさせて認識論的 宇宙論を創るといった業は、それぞれの専門分野でノーベル賞を 目指している科学者にはできない事です。 たとえば; 1.アインシュタインは「重力場のポテンシャルエネルギーは 負で、正エネルギーの物質の分布に比例するから、全宇宙の エネルギーの総和は、常に0である」と指摘した。 2.相対性理論において、超光速においてエネルギーは虚数に なり、空間において自乗で作用するので、現在から超光速の 虚数エネルギー粒子が発生するのは、負エネルギー粒子の 時間軸逆行と等価となり、それはまた(CPT反転により) 過去からの通常粒子とも等価となり、現在からの過去と未来 への対発生と、現在で相互作用して過去から未来へ去って行 く事が等価となる(下図)。 3.相対性理論における4次元ミンコフスキー空間において、 時間軸と空間軸は虚数関係にあり、等距離点において相殺され 0の面(界面原点)を生じ、それが光量子の描くライトコーン である。 4.超弦理論において、全ての素粒子は量子定常波(量子重力 (負エネルギー)によるブラックホール軌道周囲での量子定常波 (正エネルギー)の対発生と対消滅の連続)の励起状態として 得られ、全ての存在の根源は量子波動に還元される。 5.不確定性原理において、ある性質を確定しようとすると、 それを実体化すべき他の性質が無限不確定(=無)に発散する ところを、経験的に表面的に(いい加減に)捉える事で、有限 な値を具備した存在が生じている(原理的な超弦の階層現象化 =超弦<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<認識体(脳))。 6.相対性理論において、運動する物体の時間は遅れ、光速では 時間停止するところ、原理的な超弦=光速を、階層現象性に よって潜在化する事で非光速性が可能になっている(上記2参照)。 7.ブラックホールのシュバルツシルト半径内では、重力落下速度 が光速になる事により、4次元ミンコフスキー空間における時間 軸の光速移動と等価となる=中心からの放射軸が時間軸となり、 時間軸と空間軸の転換が起きる。 8.物理は時間独立であり、時間経過を前提とせずに成立する。 時間性の定義としてエントロピー増大が挙げられるが、それは 統計力学的な概念であって、ミクロでは不確かになる。 時間経過を明確に示しているのは宇宙膨張であり、それは不確 定性原理において相殺すべき空間の拡張(cの減少)=物体の 収縮としてプランク定数hの収束となる。 プランク定数とは量子そのものであり、時間軸とは宇宙の本質 たるhの変化の時系列化=無限不確定の潜在としての認識可能性 の変移(異なる認識可能性の時系列化=宇宙膨張)だと言える。 長くなるのでこのぐらいにしておくが、他にも「経路積分」や 「五感の相関した経験の蓄積による予測としての空間」など、 多くの主要な知見がある。 長い分析と考察の果てに、ある時こうした知見が並列的記述とし てではなく、ジグソーパズルのようにバラバラのものがピッタリ はまって1つの世界像となる=自己の実感の延長として不断に感 じられるようになる。 こうした物理学や宇宙論、認識論における等価的再解釈やクロス オーバーによる総合的認識の深まりは、細分化された専門家には 難しい事だ。 翻って、宇宙を構成する情報に、物理学や化学、生物学といった 境界がある訳ではなく、それを理解する人間のキャパシティの限界 によって、便宜的に分“科”学されているだけであり、それを統合 して1つの環境認識として、心の深まりを導く事は哲学や思想と いったものの役割であろう。
お礼
読ませていただいたんですけど、私には意味が分からないので、学生さんたちに見てもらい自己啓発のテキストとして使わせていただきます。 学者さんがこんなところにわざわざご足労頂いてありがとうございました。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
gaizo-cojp様、こんばんは。 >「ここらでひとつ、宇宙は哲学でできているということを見せつけてやりたいのです。」 どういう認識なのですか?
お礼
こんにちは。私は世間一般に常識とされているモノゴトには気をつけなさいと教えられて来ましたので、宇宙を根本からひっくりかえすことはできるのかというテーマで、シラケた学生さんたちに元気を出してもらおうと思いました。あと、私個人としてはボーアのほうが好みのタイプだと思ったのです。kurinalさんはたくさん投稿されているようなので、どこぞの先生だということは想像できました。お手柔らかによろしくおねがいしますね。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
哲学は形而上学。 宇宙は形而下。 したがって、宇宙の真実に対する好奇心は哲学では満たされませんね。 まあ、我々の様にちゃんと数学を勉強しなかった江戸っ子は、宇宙を妄想する事ぐらいしかできないな。
お礼
私はまだ数学まで行っておらず、算数でつまずいているところです。 宇宙を妄想する事。素晴らしいじゃないですか、鬱に苦しむ学生たちの気が休まるなら。 妄想の進歩的な可能性を導き出していただいて、ありがとうございました。
補足
Mokuzoさん、さては、基本式の左辺で、私が1/2を括弧でくくるの忘れていたことに気づきましたね?さすがですねえ。ここで直しますよ。 Rμv-(1/2)gμvR-Λgμv=(8πG/c^4)Tμv これでいいですね。 私もなんかバランス悪いなあと思ってました、美しいと言われる式だからね。
- yuniko99
- ベストアンサー率15% (31/204)
アインシュタインの相対性理論というのは 理解している人は少ないらしく 間違ってるという人も多いようです。 相対性理論を常識で考える会 みたいなのも在った様な・・・ 僕の哲学には相対性理論は名前しか登場しません 間違ってると思ってるからです。 僕の哲学が扱う宇宙論は まずエントロピーの増大は止まるか?或いは人間によって減少に転ずるか? 宇宙のエントロピーを維持しているのは明らかに引力です。引力によって循環が生じ秩序が維持されています。 またそれによって宇宙はエントロピーが増大し切って熱死に至るのではなく 未来に意識と組織を持った存在が 実現し得るという事が考えられます。 つまりこの宇宙に人間の営みが役立って行き 無駄にはならないのです。 この宇宙に存在するもの その存在とは一体どう定義し得るか? 存在とは (個性ある)性質を持ったエネルギーである。 これが定義でこれが単位。 例えば この部屋には酸素が存在する証拠だ と言った場合 酸素の存在とは酸素の性質を持った酸素分子である。酸素原子を存在とみなすと同時に、酸素分子も存在とみなす。 勿論酸素分子の中には沢山の素粒子も存在する訳です。それもそれとして存在とみなす。 牛でも飛行機でも(個性ある)性質を持たエネルギーと言える。この個性がなかったら何が存在でどこまで存在で 何と言う名前なのかも分からないでしょうね。 この様な考えで行くとブラックホールもエントロピーは減少しているはずで ビッグバンの特異点と ブラックホールの特異点も同様のものであろうと考えられます。 ブラックホールも一つの存在と考えられるわけです。では精神はどうか?霊は 魂は? 精神というのは脳の活動によって生じる 性質の部分 です。魂は生命や人間 或いは物質の存在の性質部分 という訳です。魂は存続開花しようと何時も叫び続けています。 存在が存在するためには存在性という性質が働いています。 太陽が爆発するならその前に宇宙船で脱出しなければ。その時には人間だけじゃなくロボットやアンドロイドが 活躍している事でしょう。 宇宙の魂に「人間(精神)」が宿った 人間は物に形を与え人間化していく そして永遠を目指して存在を実現してゆくだろう。 その為にはまずは平和と調和を。 宇宙は組織と意識を生み出すために在ったのです。 ?
お礼
じつは私も一般相対性理論は銀河系では通用しても、100億光年も離れると通用しないのではないかと疑っています。問題はやはり引力にあるのですが、基本式の左側は時空の曲がり具合、右側は物質のエネルギーを表しますが、宇宙全体に当てはめるのは無茶だと思うのです。 ブラックホールと多重宇宙とイデア界については、まだ話し合いの場が必要であり、時間もかかるため、私のコメントは控えたいと思っています。 ユニコさんは相変わらず次元を超えていらっしゃいますね。座標の平行移動などの小手先の技ではそこまで行けませんよ。私は一生かかっても追いつけませんね。 ご回答ありがとうございました。
- kgrjy
- ベストアンサー率54% (1359/2481)
受け売りですが、三浦俊彦のいくつかの著作で宇宙論展開してらっしゃるので、初学者にもお勧めです。(同名の経済学者もいるので混同に注意。知ってたらこの回答無視してください。)
お礼
三浦俊彦著作ですか、まったく知りませんでした。 教えてくださってありがとうございました。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
ギリシャ哲学の時代ならいざ知らず、現代において宇宙論やるなら天文学でしょう。 確かに宇宙論には哲学的な部分はあると思いますが、天文学を知らなかったら話にならないと思います。 天文関係の学科に入りなおすということでしょうか? 哲学の学生だったら哲学やったほうがいいと思いますよ。 関われるというのはどうゆう意味でしょうか?何かプロ的な意味でということですか?プロ的な意味だと上記の答えになります。もし趣味だったら、別に哲学関係なく誰でも好きなようにやればいいと思います。
お礼
趣味でかかわるのならば宇宙論には哲学的な部分はあるということですね、ありがたいお考えですよ。 最近は心が病んでいる学生さんがいらっしゃるので、やっぱり空を見たり自然をかえりみる機会が減ったんじゃないかと心配で、夢を失ったらおしまいなのかもしれないと思ったんです。 ご回答いただいてありがとうございます。
宇宙は哲学でできている」←残念ながら 宇宙は もっと単純で 誰にでも解かる様に創られています・・ 哲学や 科学等 学ば無くても 誰にでも理解出来るのです・・
お礼
いいですねえ、言葉が通じ合うことが分かり合える第一歩ですね。 宇宙は言葉でできているのかもしれないですね。 進歩的でロマンチックなご回答ありがとうございます。
お礼
論文形式3942字で賜わりましてありがとうございます。私ごときにこれほどのものを、本来ならば身に余ることではございますが、これも迷える学生たちの為と思いありがたく頂戴いたします。やはりOkwave は、他とは違う潜在的なレベルの高さを感じます。 じつは私はアインシュタインが嫌いでありまして、その理由は、先達からの遺言に 「単純化されたもの、また、理解しやすいものには気をつけなさい。」 というのがありましたので、その思想を受け継いでいるからです。 私は哲学をよく知らないうえに科学もあまり詳しくはないのですが、論文を読ませていただいて感じたのが、人間原理というものはどうも科学とは縁遠いようだということで、この辺も哲学的に突いていく必要があるかなと感じました。 また、全体を通して、前人未到の最先端宇宙論には哲学があるということを確信しました。 たいへん役に立つご回答ありがとうございました。