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具体的な「自己肯定感」の事例を教えて下さい。
具体的な「自己肯定感」の事例を教えて下さい。 特に、自分では、自分自身の自己肯定感がさっぱり分かりません。 友達や同僚に、「もっと自慢していい話だ」と言われても、 「社交辞令」や「気遣い」としか思えないのですが、、、、、、、 その一方で、世の中には、 誰も聞いていないのに「自慢話」を、ずっとしている人もいたりします。 こういう方は、自己肯定感が強いのでしょうか? 質問が、大雑把すぎて、恐縮ですが、お教え下さい。
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自己肯定感というのは「自分はこれでいいんだ」と根拠なく思えることです。これはある種の思い込みのようなものであり、人にほめられたり何かを成し遂げたりしてもそれだけで持つことはできません。 自己肯定感が強ければ「欠点だらけの自分だけど自分はこれでいいんだ」「他の人にどう思われても自分は自分だからいいんだ」と思えるので、あまり自慢話をする必要もなくなるでしょう。自慢話をするということは他者から認められたいということですから、自己肯定感は低いのだと思います。
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- ai-aou
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自分の価値は自分にしか決められないので 自分の価値を他人に委ねる事をせず 他人の視線や環境の変化に一喜一憂しない 自分に嘘をつかない生き方の結果が 自己肯定感イコール自信になります 自分を信じると書いて自信ですが 自信ある人は、聞かれないのに自分語りはしません 自慢したがる人は、うぬぼれてる人です
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分に嘘をつかない生き方の結果が >自己肯定感イコール自信になります 勉強になりました。 重ね重ねとなりますが、ありがとうございました。
- henakichi
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こんばんは。 >友達や同僚に、「もっと自慢していい話だ」と言われても、「社交辞令」や「気遣い」としか んー、状況が分からないですけど、言葉だけ取れば周りの方が言われる通りでは・・・。 意味合いが違うと捉えるのでしたら「自信持って!」ということだと思います。 >具体的な「自己肯定感」の事例を教えて下さい。 危機的状況では「自己肯定感」が必要でしょうね。ポジティブになるということです。 僕は、パニック障害を約3年経験していますけど、不自由ばかりとは捉えていません。 遠回りした時間から得られたことは沢山あります。 そういった経験から、嘆いてばかりの人を見ると違うだろっ、と思います。 嘆いてばかりで辿りつくのは、悲観的な思考になるだけですよね。 危機的状況でポジティブになれれば、免疫力の向上やストレスに強くなれたりもします。 自分にとって危機が良いことをもたらした、正確にいえば良いことももたらした、です。 危機的状況の時に考え方の違いにより「自己肯定感」を実感できると思います。 ひょっとしたら、もう経験されているのかもですね。記憶を辿ってみてください。 病に罹って自分にとっては良いことももたらした、僕はそう実感しています。 <子供の頃の扱われ方> 「素晴らしい子」「あなたと居られるなんて嬉しい」。 このタイプは自己肯定が、た易く出来ます。 「ダメな奴」「もっと、しっかりしろ」。 質問者さんは、こんな感じだったのかも? もし、該当しても「早く変えなきゃ!努力はどうしたら良い?」と焦ればネガティブになります。 「自分はダメな奴」と追い込む理由は無いですよね。都合よく「自己肯定」してください。 開き直ってばかりなのが、質問者さんが言われる「自慢話」を、ずっとしている人です。 男2・女1名が分かり易いサンプルとしてアンケートに居ます。 このコミュニティの有効活用法は、そんなところにも有ります。 >こういう方は、自己肯定感が強いのでしょうか? 妄想癖・逃避癖といったところですね。HNは書けません。見付けたら観察してみてください。 あまり関わってないと分かり辛いと思いますけど、この質問を解決したいのならお薦めします。
お礼
ご回答有難うございました。
- barutokai
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本当の自己肯定感は感性を愛するという事だと思います。感性を愛するには人と感性を共有する事にあります。感性を共有するとは何かについて共感しあったり笑い合うことです。 自分だけの個性的な感性があります。自分は面白いと思っていても周りの人は面白いと思わない事ってありますよね?でもその自分だけが面白いと思っている事を自分と一緒に面白いと思って笑ってくれる人がいたら新鮮な気分になりそこでは自己肯定感の向上しています。 自己肯定感を深めるには当たり前の事を感じあうだけでなく新鮮なものを共に感じ共有しあう事で深まります。お互いの個性的な好みを肯定しあい新しい感性を開拓しあうような人付き合いだと自己肯定感のある人間になれます。 自慢話を続けたり必要以上にかっこいいところを見せようとするのは真の自己肯定感とは言えない気がします。劣等感がその人にはあり、その劣等感の穴埋めになるのでその人からしたら自分語りはやめれないのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >その劣等感の穴埋めになるので >その人からしたら自分語りはやめれないのです 勉強になりました。 重ね重ねとなりますが、ご回答有難うございました。
- yo46to
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友達や同僚と分かち合うのは自己肯定ではない気がするんです。 自分の認めている事を他人に話すとそれが素晴らしいことだと、相手に嫉妬が生じますよね? その嫉妬が感じられて、それは果たして本心なのかな?と疑います。 自分でするから自己肯定なんです。 じぶんはありのままでよい。 自分は炊事があまりできないけれどそれでいい。 自分は仕事を楽しんでしていて尚且つ充実している。 自分はあまり、貯蓄はないけれど幸せだ。 三食食べられて家もあるし満足だ。 他者肯定と言うのもあります。 他人を認めるということです。 自己肯定と他者肯定を診断できるサイトもあります。 他人に自慢話をしたい人はどちらも強くないとできないと感じます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分でするから自己肯定なんです。 とてもシンプルな文章ですが、「あっ」・「おっ~」という気持ちになりました。 重ね重ねとなりますが、ありがとうございました。
- deepdiver555
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自慢話をする人は肯定感が強いんじゃなくて、凄いですね!って誉められたいんですよ。 その深層にあるのは肯定感と同居する否定感です。 自分なりに凄いと思っているけど、他の人からも凄いと言ってもらいたい。 そこには凄いと言って貰えないと、本当に凄いと自分自身が確認できないという心理があります。 なので凄いと言ってもらえた時に本当の満足感を得られて御満悦になるのです。 解りやすい自己肯定感は、バカボンパパの「これでいいのだ~」でしょう。 誰が何と言おうとパパはそれで間違っていないと信じているし満足していて否定が無い。 もっと自慢して良い話だと言われてホイホイ自慢する人は元々自慢話が好きな方です。 自慢話が好きな人は肯定感が強いかと言えばそうではないです。 不安から自慢してる人も居るし、全部駄目だけどココだけは自慢できるという部分だけ自慢する方も居ます。 そもそも、普通の話をしていても普通以下の状態の方からすれば自慢に聞こえてしまいますからどこからが自慢なのかという問題もあります。 自慢話一つにしても色々なパターンがあります。
お礼
ご回答有難うございます。 「バカボンのパパ」は、わかりやすかったです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自慢話をするということは他者から認められたいということですから、 >自己肯定感は低いのだと思います。 うまく言えないのですが、何か、突き刺さる表現でした。 重ね重ねとなりますが、ご回答有難うございました。