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自己肯定感を高めたいです。

自己肯定感を高めたいです。 自分に自信をもち、やる気に満ち、自分は存在していていいのだと、無条件に自分を愛せる人になりたいのです。 私は何をしていても常に人に悪く見られているように感じてしまいます。どんなに優しい言葉をもらっても、友人と楽しく会話しても、きっと腹の中では自分を見下し嘲笑っているのだろうと思い込んでしまいます。 私は19歳で、美大を目指して浪人中です。先生方にも今年1年ちゃんとやればあなたは合格できるレベルだよと言われているのに自信が持てず、やりたくないと思ってしまいます。でもやる気もなくやっていける世界ではありません。一刻も早く自分を認められるようになりたいのです。 ほとんど覚えていませんが、幼い頃から家庭環境はいい方で、両親もよく面倒を見てくれていたと思います。いじめられた事もありません。 よく人からは「感受性が強い」「繊細だ」と言われます。 「真面目だね」とも言われますが、自分の欠点を自覚しているにも関わらず、激しく自己嫌悪するだけで、前向きに変わろうと努力する事ができません…。 調べたところ、潜在意識の深い部分を変えるには専門の方にお願いした方がよいとわかりました。しかし、両親に精神科への受診を相談したところ、猛反対されてしまいました。 自力で調べる事に限界を感じ、ここへ相談させていただきました。できたら専門の方に、自分でできる方法を具体的に教えていただきたいです。 どうかよろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.7

多くの展覧会に出品して、 入賞する機会を多く つくることで、自己肯定感と云いますか、 承認欲求・偏執的自己愛、或いは、 フルフィルメント感を満たしませんか。 [それと、いまいま可能なことで 社会貢献しませんか。 〈高齢者施設などで、(笑顔の)肖像画を 描いてプレゼントしませんか〉 小説・童話・絵本・エッセー等を書いてみることも お勧めしたいです] ちょっとだけで宜しいので、 心のエネルギーレヴェルを高くして、 公立図書館等で 『田園発 港行き自転車』 『ミッドナイト・バス』 『どうしやうもない私――わが山頭火伝』 『槐多の歌える』 を読んでみませんか。 「凡庸な教師はただしゃべる。良い教師は、説明する。    優れた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は、       心に火を点ける。 (William Arthur Ward)」 という言葉の…《火を点け》てくださる先生が 学校には滅多にいないように、 精神科の有る病院に行ったからと云って 潜在意識を変えてくださるドクターがいるとは限りません。 なので、とりあえず、「潜在意識」関連の本を 読んでみませんか。お序に、 ボードレールの散文詩「描かんとする情熱」も 読んでみませんか。 Good Luck!

  • lugiyk
  • ベストアンサー率13% (11/81)
回答No.6

専門家でもなんでもありませんが。アナタは現在のアナタが励まされている状況を、例えば他人のこととして観た場合に、どういう風に思いますか。励ましてくれる人々の関心が、もしアナタ以外の他の人に集まっています、励まされている人は、励ましてくれる先生や友人らのアドバイスなどを一切信じようとはしません(その、”信じられないでいること”は知らないものとして)、同じように励まされている人のことを励ましてあげることは出来るでしょうか。もし出来ないとしたら、アナタはその人(つまりアタナ)に無関心であるか、もしくは信じてあげられないと思うはずです。だから、”励ましてくれる人々”というのは信頼に値するものです。そういう人たちのことを、これまでの人生で作り上げてきた、かけがえのない存在として大切にしなければならないと思います。

  • vanbon
  • ベストアンサー率11% (16/139)
回答No.4
回答No.3

Q、自己肯定感を高めたいです。 A、大学に合格して浪人を卒業すること。 それなしの自己肯定感云々は、単なる言葉遊びの類ですね。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.2

私は自戒の意味で自分ができることを丁寧にやっていくことだけと思っています。自分が丁寧にできることをやっていくと自信がつきます。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

人生の目的(The purpose of life) 人生に、決められた目的はない。 人生は、楽しむためにあるのだ。 楽しいと思えるのは、嫌なことを解決しようとする時である。 嫌なことが無くなれば、解決することが無くなり楽しめない。 人は嫌なことを探し、解決しようとすることによって、人生を楽しんでいる。 他の人が嫌だと思うことを解決してあげることによっても、人生は楽しめる。 人間は、人間の本能として、他の人に何かをしてあげることに喜びを感じる。 自分自身が嫌になったら、他の人に何かをしてあげれば自分を好きになれる。 現代、道徳が欠如し、個人はその人生に目的を見いだせなくなってきている。