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自己肯定感という言葉

世の中の人で、自己肯定感が低いから辛いという方がいますが、不思議です。 出来ない自分、頭が悪い自分は、自分から見ても他人から見ても事実です。それは自己肯定感が低いのではなく、真実なので、私は自己肯定感が低いと思ったことはなく、私はなんて頭が悪いのだろう、私はくずすぎるなあ、私は生きていて価値がないのに生きたいなあと事実はよく考えています。 世の中の自己肯定感が低いという人はなぜ自己肯定感が低いと分かるのですか?事実ではないとなぜ分かるのですか?

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  • ベストアンサー
  • HeyXey
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回答No.7

こんばんは。そうですねー、自己肯定感ってよく使われてますけど、言われてみると皆んな同じ意味で使っているのかなぁと疑問に感じます。要は自尊心とほぼ同じ意味かと思いますが。  例えば、女性がいい人に出会って愛されている事実は認識しているけど、過去の生育歴からの見捨てられ不安に押しつぶされて、自ら別れを提案したり、試し行動で相手を困らせたり、というパターンを僕は想起します。また、自己肯定感の低さを直視せず、虚勢を張っている扱いにくい男声等の人物像を思い描きます。前者の女性は自分で類推して、「自分の自己肯定感が低いからでは?」と頭で考えることはできそうです。  自己肯定感の低い本人が辛いのは、他者との関係性にあるのも頷けるのですが、その他の要素もあるのでは?と思います。それは「辻褄が合った世界で生きているかどうか」です。ノイローゼ(=神経症)の人は事実ではないことを事実だと感じてしまい、統合失調症(=分裂病)の人ももちろんそうですが、辻褄の合わない世界で生きていて、その辛さを『まるで死んだ世界で生きているようだ』表現したアメリカのミュージシャンがいました。すべては理解できませんが、『なるほどなぁ』とその表現に考えさせられました。  もし、僕が辻褄の合わない世界で生きていたら、どう感じるのだろう。とてつもない不安ではないだろうか。常に霧が晴れない状態、自分の努力や工夫が外界に効果を全く与えない状態だとしたら…。  "事実"が大事なのは言うまでもないですが、"解釈"が辻褄が合っていないと幸せにはなれないと思うのです。どうでしょう。

wkiamit
質問者

お礼

壮大なむずかしい話です。心理学を学ぶ必要があるような内容です。 人によっては大きな苦しみなのだなというのは理解しました。事実を冷静に見るどころの話ではないのが自己肯定感が低いことなのだとしたら、私はもしかしたら低くないのかもしれません。頭が悪いからとか仕事を出来る人間になるのに3倍も苦労するとか毎日必死にとか私が思うことは幼く甘いことでした。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • yuzu7x1
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回答No.6

>私は自己肯定感が低いと思ったことはなく、私はなんて頭が悪いのだろう、私はくずすぎるなあ、私は生きていて価値がないのに生きたいなあと事実はよく考えています。 価値がないと思ったことは事実。 でもほんとに価値がないかどうかは根拠がないので分からないが正解です。 >世の中の自己肯定感が低いという人はなぜ自己肯定感が低いと分かるのですか? それは現状を嘆いているだけだからです。 頭が悪いと思う行動を取ったのであれば、価値がないと切り捨てるのではなく、次こそ挽回できると解釈できるのが高い自己肯定感なのでしょう。

wkiamit
質問者

お礼

私は頭がよくないから、命をかけて必死に仕事を覚えました。 人の3倍は努力しなければと必死です。 みなさん、頑張らずに嘆いているだけなのでしょうか。ありがとうございました。

回答No.5

自己肯定感という言葉の意味が曖昧。 自信がない、と訳すならば、何に対してどんな自信がないから、どういう時にどんな風に生きづらいと感じるのか…はっきりしません。 これらを自己肯定感が低いと発言してる人に確認してみてはいかがですか?

wkiamit
質問者

お礼

ネットでよく見かけるから確認は無理です。ありがとうございました。

noname#250297
noname#250297
回答No.4

私の思う「自己肯定」とは「仮に素晴らしい能力等が特になくても社会や人間関係の中にいて良い存在である」と自分を認められる力のことです。なのであなたは「自己肯定感が高い」のです。 自己肯定感を獲得できなかった人というのは、大半が親とかから例えば「いらない子供だった」とか「(親にとって都合の)いい子にしてなきゃ愛せるところがない」「なぜ私の思うようにならないんだ、私を喜ばせないとお前の存在価値はない」みたいなメッセージを受け取りながら育ちます。人の役に立ったり、すごい能力があったり、親から褒められるような成功がないと人間として生きていていられない、そうしないと誰も自分を認めてくれず世界(親)から無視される、みたいな感じです。 そういう「何か人に認められるようなものを持っていない私は誰にも愛したり認めたりしてもらえないはずである」とか「存在していていい理由がないな」のような漠然として不安がいつも付きまとっている状態が「自己肯定感が低い」の状態です。 そうすると、関係を築きたい人などがいても気軽にコミットできなかったり(なぜなら「こんなやつが近づいては迷惑だろう」みたいなことを考えるから)、できないことをできませんと言えなくなったり(なぜなら「できない」=「価値なし」と過剰に考えるから)、「あなたのことが好きだよ」と言ってくれる人に依存したり(なぜなら、「自分を愛してくれる人なんて世界にこの人しかいないかもしれない」みたいなことを思うから)、人から褒められるための行動をしすぎたり(それが存在価値だと信じているから、)自分の劣っている部分を過剰に気したり(劣ってる自分は悪いから)、そういうことが積もり積もって「生きづらさ」につながります。

wkiamit
質問者

お礼

ならば私は自己肯定感が低いです。 何も出来ない私が会社にいたらただ恥だし、生きる価値はみいだせないから、嫌なのです。 やはり人を喜ばせていかないとよく思います。私は常に人を楽にさせる仕事ぶりをしていかないととも思って働いています。 私は母から人の役に立たないとねと言われて育ち、家庭内でも仕事でも常に人の役に立ちたいです。会社ではあちこちに目をやり、命をかけて必死に働いています。 私は出来が悪いことは事実で、仕事が出来ないのも事実だから、どれかひとつでも誇れるものをと、会社の掃除だけは誰にも負けないぞと頑張り続けてきました。掃除は私の提案からすごいプロジェクトに発展している最中です。仕事の中でも一番しんどいのをやるようにも頑張ってきました。 今はすべての仕事を社内一番を目指し必死になっています。 ですが、やはり頭が悪いのは変わりませんし、悲しいことです。 ありがとうございました。

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.3

自己肯定感とは「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」のこと、です。 つまり、出来るか出来ないか、頭がいいか悪いか、は関係がありません。私が思うには、例えば、子供のころから、親が厳しく、 いい成績を取らないと褒めてくれない、と言った場合、子供は いい成績をとらないと自分には価値がないという風に考えてしまう傾向があります。そんな環境で育った場合、誰かに評価、承認して もらって初めて自分には価値がある、というような思考回路に なってしまいます。こういいう人は、すごく努力するので、結果も 出します。しかし、誰かに認めてもらわないと、自分を肯定できなくなるので、自己肯定感が低い、となります。まあ、これは、あくまでも 一例ですが、真逆で、何もなくても、何の根拠もなしに、自己肯定感の高い人もいます。おそらく、どのような環境で育ってきたか、ということが大きく影響しているように思います。

wkiamit
質問者

お礼

何も出来ないのに気にならないなんて信じられません。そういうのが自己肯定感が高いのですね。勉強になりました。 私は何も出来ないのに普通に生きているのは私は辛いです。恥ずかしい。耐えられない。だから今、料理を勉強中です。片付けはお金を出して学びごみ屋敷にしていたのが得意になり、洋裁も年数かけて出来るようになり(趣味)、あとは料理だなと頑張っています。料理が出来ないのが情けなかったから。 私は父からバカだ、ブスだと言われて育ち、母からは何も出来ない子、低レベル高校時代に初めて数学で100点を取ったら勉強だけ出来てもほかはまったくだめだから意味がないと言われていました。中学でもブスだバカだ、なんだかんだといじめぬかれました。ネグレクトによる知恵のオクレだと今なら分かります。自分で頑張ってきたものの賢くはなれませんでした。 私は確かに人の評価は気になります。人を楽にさせなきゃと思うし、面白い話題を提供したくなるときがあるし。誰よりも仕事が出来ないと居場所がないと必死です。居場所がないのは当たり前ですから。 会社では毎年パートの査定があります。私は頭が悪いのになぜか良い評価で、査定をした社員さんは私を見違えているとしか考えられませんで、口から間違っていませんか?と出そうになりました。ですから、私には人の評価はよくわかりません。 出来ない仕事はまだまだあり、すべての仕事が均一なレベルでやれない愚かが辛いです。今年の目標はすべての仕事を均一にやれるようにで、シニ物狂いで頑張るつもりです。 ありがとうございました。 何も出来なくても気にならないなんて、いつか出来なくて困らないのか気になります。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.2

成功体験を過去にしてきた、自分との比較 失敗体験(自己責任)を人一倍、感ずる人 例えばですが、多くの人は、成功すると「自分のおかげ」、失敗したら「誰かのせい」と、思考します つまり、アドバイスを送ってくれた人がいたとして、成功すると感謝なんて二の次で「自分の成果」にし、失敗したら「その人のせい」にする人が、多く存在します しかし、そのような勝手な思考ではなく、成功したら「あの人のおかげ」、失敗しても「自分の責任」と思考する人は、どうしても上記の○○とは違い、自己肯定感が低くなります すべての例に当てはまることではありませんが、中には、真面目な人ほど自己肯定感が低いという印象です

wkiamit
質問者

お礼

成功したらみんながうまいから、失敗したら私のせいはよく思います。 ありがとうございました。

  • Pochi67
  • ベストアンサー率34% (582/1706)
回答No.1

 自身が自己肯定感が低いと言うのは、客観的に見て充分な能力があるんだろうけど自信が持てないという意味ではなく、他者に自信をもって能力があると言えるものがないという意味では?  自信を持てるものが少なければ、自分を肯定するもの(自分の価値)がない・・・と言ってしまうのかな、と。  どちらかというと、自己肯定感が低いと言うのは他者の自己評価の低さを指摘するもので、自分で使うと逆に「能力はあるのに世間では評価してくれない」という不満にも聞こえるかも。

wkiamit
質問者

お礼

そうなのですね。 難しい解釈だなと思いました。 出来るならば他人の意見はどうでもよく、出来ないなら他人の意見を大事に受け止め向上していくために必死になるべきだと思って生きてきましたが。 ありがとうございました。勉強になりました。