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鎌倉仏教の特徴について

鎌倉仏教の特徴は何か。あと、鎌倉仏教はどのようにして民間へ普及したか。そして、 鎌倉時代の文学作品、美術作品から代表作を選んでその特徴はどうなっているか。 いろんな問題が知りたいので、どうぞよろしくお願いいたします。

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  • titelist1
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回答No.1

鎌倉仏教の特長は武家政権と庶民のための仏教です。平氏は武家ですが一族は公家になったので、公家の仏教を踏襲したのです。平氏の弱点がここにあり、死ぬときには公家の仏教に帰依することになるのです。 そこで源氏や北条氏の武家政権はその反省として、中国の禅宗を新しい仏教として導入したのです。禅宗は特別な経典を持たず、公家のための平安仏教から距離を置くことができたのです。それが臨済宗の栄西と曹洞宗の道元です。 実は同じことが過去にも行なわれました。平安京の作った桓武天皇は天智天皇系で平城京は天武天皇が作った都なのです。この2系列は壬申の乱で戦い天武天皇が勝利したのです。桓武天皇はこの天武系を孤立させるために平安京に都を移し、奈良仏教とは異なる新しい仏教として最澄と空海を中国に遣唐使として行かせ、平安京に天台宗と真言宗を開かせたのです。 鎌倉仏教の特長である庶民のための仏教ですが、それ以前は公家しか成仏できなかったのです。しかし、武家の端くれである武士も成仏できるようになると庶民も成仏したくなるのです。武士や庶民の地位が向上したのです。また、大飢饉や末法思想により不安を抱く庶民の中に入りこみ、仏教を広めようとしたのが浄土宗の法然や日蓮宗の日蓮です。すこし遅れて法然の弟子である浄土真宗の親鸞です。かれらは武家から迫害を受けて地方に流されますが、そのことによってさらに仏教の庶民化が成されたのです。 鎌倉時代の仏像は写実的です。それは武士の合理性に由来するのです。禅宗とともに入ってきた水墨画も特長です。禅宗の寺は枯山水などの様式を生み出します。これらはいずれも武家好みだったのです。

Veronicazy
質問者

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詳しく教えてくれてありがとうございます。でも、鎌倉仏教はどのようにして民間へ普及したか、もっと詳細に教えていただけませんか。よろしくお願いします。

その他の回答 (3)

回答No.4

 こんにちは。  《民間への普及》の問題としてですが すでに鎌倉時代に入る前に 《私度僧》という活動家がいたこと この歴史の重みが 広く力強い土壌となっていたのだと考えます。  ▲ (ヰキダルマ:私度僧) ~~~~~~~~~~~~~  http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%97%E3%81%A9%E3%81%9D%E3%81%86  日本の、奈良時代末期から平安時代初期にかけての言葉。正式の国家試験を受けずに、自ら僧侶になった者を私度僧と呼ぶ。  720年(養老4)、私度の禁止令が出た。当時、僧侶になるためには、国家試験を受けて得度しなければならず、でなければ国からの経済的支援も受けられず、官寺にも入れなかった。  ところが、民衆の支持があって、私度が増えていたと思われる。多くは、居住地や出身地の名前を冠して沙弥と呼ばれることが多かった。ところが、都から離れた土地では、私度僧が多く輩出して、布教活動や、勧進、土木工事、疾病治療などの社会的事業を行っていた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  日本人は 立派です。  言いかえると 生活世界を重んじると言いますか 生活日常の中ででなければ信仰の意味をみとめない人びとが 基本的に(社会の中間層を成すがごとく)いた。その反面では いわゆる社会のお二階にあって 儀式やよしあしを別として勉強にはげむブディストたちがいた。のではないでしょうか。  鎌倉幕府が開けると 生活者にとってのブディズムが力を得るようになった。  その流れもまたまた――檀家制度などをつうじて―― お座なりの形式的なものになって行った。

Veronicazy
質問者

お礼

「私度僧」というものは初めて聞きますね。面白いと思います。 大変参考になりました。どうもありがとうございました。

  • titelist1
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回答No.3

>鎌倉仏教はどのようにして民間へ普及したか この追加質問は容易ではありません。法然、日蓮、親鸞とそのやり方が境遇とも関連してそれぞれが異なっているからです。法然は武士の子、日蓮は漁師の子、親鸞は貴族の子です。仏門に入る姿がそれぞれ異なっています。その経緯がその教えに投影されています。教えの心紋とも言えます。各宗派からの出版物を読んでください。 禅宗が武家の庇護を受けたのに対し、新仏教は全て迫害されて開祖は地方を転々とします。その時に地方に弟子ができるのです。熱心な弟子達によって民間に広まるのです。交通の便は悪いので教えは弟子からの質問に手紙で返答する形で行なわれました。今でもその手紙やその写しが残っているのです。この時代は多くの僧侶が居たでしようが、後の世に名が残せたのは多くの良い弟子がいたからです。

Veronicazy
質問者

お礼

大変参考になりました。アドバイスありがとうございました。

回答No.2

鎌倉仏教の特徴は  1 教えが簡単。このため、仏教の専門的な知識のない人、無教養な人でも理解できる  2 修行が簡単で誰でもすぐに行える。「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」と唱えるだけでよい。または、座禅するだけでよい でしょうか。 鎌倉神仏教に対して旧仏教、例えば、奈良仏教ですが、 「唯識三年、倶舎八年」という言葉に象徴されるように、最低でも11年、仏教の基礎的な専門教育を受けなければ、その教えの全容(といってもまだ基礎的なものですが)を把握することができません。 武士や庶民には、おいそれと近づくことのできない、決して手が届かない高みにある教えなんですよ。 例えて言うならば、 幼稚園児にカント哲学や実存主義哲学などの話をしても理解できないし、その教えが幼稚園児の間に流行することはないでしょう。 幼稚園児(武士や庶民)には、桃太郎やかぐや姫レベルのお話、つまり、鎌倉新仏教の方が好まれ、流行したという次第です。 「色即是空」や「諸法無我」といった難しい教えが、「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」というオマジナイに勝てるはずがない。 ☆鎌倉時代の仏像は写実的です。 ◇写実的なのは、奈良の仏像創作家(奈良仏師)の特徴なんですよ。 例えば、奈良時代に作られた新薬師寺の十二神将像。 https://www.google.co.jp/search?q=%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA%E3%80%80%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E5%B0%86&client=ubuntu&hs=dWo&channel=fs&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=n-9tVITDO8O2mAWLw4H4BQ&ved=0CDAQsAQ&biw=1317&bih=616 密教(真言宗)の影響を受けて、奈良仏像の写実主義はさらに徹底したものとなった。 運慶や快慶などの平安末期~鎌倉初頭に活躍した仏像創作家は、奈良仏師の一派である慶派に属しています。 奈良と京都の争いといいますか、そういったものが背景にあるんでございます。 文学について言えば、 平安時代を代表する『枕草子』や『源氏物語』と、鎌倉の『徒然草』と『平家物語』を比較すれば、違いがはっきりするんじゃない。

Veronicazy
質問者

補足

詳しく教えてくれてありがとうございます。でも、鎌倉仏教はどのようにして民間へ普及したか、もっと詳細に教えていただけませんか。例えば、XX教はどんなことを実行したか。よろしくお願いします。

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