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終わり方が特徴的な純文学

何年か前にインターネットで調べていて、多分wikipediaだと思うのですが、終わり方が特徴的な純文学(多分)の作品をみつけたのですが、タイトルも作者も思い出せません。 ラストが最後まで書かれていなくて、文章の途中でぶつ切りで終わってしまったように記憶しています。 wikipediaではだんだん文字が薄れていって終わるように表示されていたような。 これじゃないかというのがある方、回答お願いします。

みんなの回答

回答No.4

最後まで書かれていない、ぶつ切りで終わる、文字が薄れていく小説を日本の伝統的な「純文学」とは言わない。 半世紀以上前、フランスで「ヌーボーロマン(新しい小説)」なるものが発祥し、そして、小説のリアリティーとは何かが議論された。日本にも流入して、様々な新基軸が打ち出された。時間の経過概念が変わったり、突然、新聞記事風にページが変わったり、ページ全体を黒く塗りつぶしたり、逆に白紙にしたりと、様々な試みがあった。そういう手法は「精神を病む現代人」というリアリティーを表出した。だから、西欧の全てのノーベル賞作家の小説は、精神病者が主人公になる。精神を病む者の物事の終焉が、常人に説明できてはいけない。常人が安易に納得できるなどという事象は、それは、リアリティーの欠如ということ。 良く分からないところにリアリティーは潜む。

  • ONE-STEP
  • ベストアンサー率35% (44/123)
回答No.3

残像に口紅を / 筒井康隆 かな。 五十音中の日本語の音が1種類ずつ小説の文面から失われてゆき、同時に主人公のまわりでは、その音を含む名をもつあらゆる存在が失われていく。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.2

純文学ではないですし、かなり違うものではありますが、もし書かれた文章が最後まで書かれていないのではなく、「段々と文章が読みにくくなっていく」というものならば アルジャーノンに花束を/ダニエル・キイス があります。 (ただし、ぶつ切りな終わりではないです)

noname#252332
noname#252332
回答No.1

文字が徐々に薄れているわけではないのでお探しのタイトルとは違いますが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E7%A2%97%E3%81%AE%E4%B8%AD 小泉八雲短編集の「茶碗の中」と http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E5%AE%97%E9%96%80_(%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B) 芥川龍之介の「邪宗門」です。

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