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鎌倉新仏教とは?時代背景を考える
- 鎌倉時代に誕生した仏教宗派は、社会不安や天変地異による民衆の苦しみを救うために生まれました。
- 飢饉や災害は鎌倉時代だけでなく、現代でも続いており、鎌倉新仏教はその「無常の世」を背景にしていました。
- 鎌倉新仏教が興った背景には他にも要素があるかもしれませんが、彫刻などの仏教文化の隆盛も関係していました。
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22azqq22 さん、こんにちは。 鎌倉新仏教は、このような「無常の世」が背景としてあったということは、否定しませんが、「この背景のみで生まれた」と解釈して良いのでしょうか?彫刻などの仏教文化の隆盛などを考えると、他にも時代背景があるのではないか?と考えてしまいました。何故、鎌倉時代に、新たな仏教が数多く興ったのか?他に考えられる時代背景など、皆様のお考えを教えて下さい。 平安時代の中期ころから末法思想が広まり、浄土教思想が流行しました。上流階級である貴族たちはお寺を建立して阿弥陀如来を安置し、ひたすら極楽往生を祈りました。一方、朝廷から無視され、身近で飢饉、戦争、流行病、天変地異などが起き、貴族に比べて無常観を感じていた民衆は財力がないため、余計底辺に追いやられてしまって路頭に迷っていました。平安末期になって法然や親鸞のな浄土宗や浄土真宗が出てきましたが、ほかに法華経を重要視する日蓮宗や禅宗、曹洞宗や臨済宗、念仏踊りの時宗などが出てきました。これらには共通のことは念仏や座禅などによりその功徳により、救済を得ることができるということから平易で財力が必要でないところから民衆向けの仏教であるといえます。宗教的な民衆向けの受け皿が成立したというある意味必然性はあると思います。 質問とは、直接関係しませんが、もう、20年も前のことになりましたが、オウム真理教の地下鉄サリン事件のことなどを思い出し、新宗教と時代背景、なにか共通するものがあるのだろうか?とも考えてしまいました。 残念ながら、今は昔と違って科学が発達しており宗教の力も昔ほど強くありません。だから、新宗教と時代背景でいつも言われる世紀末思想というような昔からの考えがあったとしてもそれほど共通するものではないと思います。
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- titelist1
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平安の公家政権から武家政権に世の中が変わったのですから、革命のようなものです。伊勢平氏は平家として公家になったので、革命とは言い難いのです。平家の宗教は公家と同じ平安仏教だったのです。平家は武士でありながら、最後は公家のように生きたのは失敗でした。 革命政権の鎌倉幕府は武家ですが、公家の平安仏教とは異なる新しい仏教を望んだのです。それが中国の禅でした。禅は中国では仏教ではなかったのですが、禅宗として日本に取り入れたのです。仏経典は無く座禅により自己を見詰めるもので、武士や庶民に受け入れ易いものだったのです。 平安仏教はすたれるのですが、その天台宗の中から禅宗に対抗する意味で法然や親鸞や日蓮などが出てくるのです。落ちぶれた公家ではなく一般大衆に教えを広めて信者を獲得したのです。公家と違って文字が読めない一般大衆には念仏や題目を唱えて教えを広めたのです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「平家は武士でありながら、最後は公家のように生きたのは失敗でした。」……結果は、平家にとっては失敗だったかも知れませんが、その後、長く続く「武家社会」のことを考えれば、「産みの苦しみ」を背負った政権とも言えるのではないでしょうか?そのような意味では、鎌倉幕府も同じかも知れませんが。 「鎌倉幕府は武家ですが、公家の平安仏教とは異なる新しい仏教を望んだのです。」……私は、歴史のことは、素人ですが、鎌倉幕府が「望んだ」のか、宗教のほうから「すり寄ってきた」のかは、この際あまり重要でないような気がします。臨済宗なんかは、鎌倉幕府から「望まれた」ということもあったと思いますが、なにせ、6つも新仏教というものが誕生しているわけですから、もっと、もっと奥深い時代背景があったのでは……と考えたのです。 「仏経典は無く座禅により自己を見詰めるもので、武士や庶民に受け入れ易いものだったのです。」……「座禅」と「武士」というのは、結び付くような気がするのですが、「庶民」にまで受け入れられたのでしょうか? 「落ちぶれた公家ではなく一般大衆に教えを広めて信者を獲得したのです。」……仏教が「学問」から「宗教」になったという意味だと思いますが、「宗教」になったことの時代背景は、一体何だっんだろうか?という疑問です。
- hekiyu
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鎌倉仏教の特質は、武士の為の宗教である ということです。 当時の武士は、後世のインテリ化した武士とは 異なります。 毎日のように殺し合いをやり、字も読めない無学で 荒々しい人間です。 そういう武士たちのための宗教ですから、小難しい 理論や理屈は合いません。 だから、念仏を唱えるだけでよいとか (浄土宗、浄土真宗、時宗、法華宗) ひたすら座禅を組め (臨済宗、曹洞宗) とかいう宗教が歓迎されたのです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 NO,1のkamobedanjohさんも、「武家のための仏教」であることを記述されております。この意味では、ご回答は、大変明解でわかりやすいです。 「武家の時代が始まった」というのもひとつの背景であることが分かりました。ただ、貴族や武家というのは、当時においても、ごく一握りの人間だったのでしょう?もちろん、力は大きいでしょうから、仏教の発展を支えたとは思いますが、「宗教」である以上、あるいは「宗教」であるからこそ、もっと力の弱い、底辺の部分との関わりで、私が質問に書いたこと以外の背景というのはないのだろうか?ということが引っかかっています。
- kamobedanjoh
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平安時代までの「朝廷・貴族の為の仏教」から、実質支配権を獲得した「武家のための仏教」へと移行したと見るべきです。鎌倉幕府は、意図的に「禅宗」を好んで取り入れ、鎌倉の多くの寺院が臨済宗系です。 仏像の製作者が集団化・分業化し、その技法も一新されたのがこの時代です。 平安時代の仏教は、只管「極楽成仏」を祈願する「阿弥陀如来」信仰が中心的でした。 鎌倉期には「バカでも貧乏でも、念仏さえ唱えていれば極楽往生が出来る」とする「真宗」の教えなども広く庶民に受け入れられましたが、武家社会の実現(一種の革命)と期をほぼ同じくしています。日蓮宗もこの頃に開かれましたが、文化的側面から評価すれば、「日本仏教のルネッサンス期」とも言えるでしょう。 無常観や末世思想が退化し、むしろ、新しい生活の息吹が始まった時代と解するのが妥当ではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。臨済宗はまさに武家のための宗教ということだったようですね。 「むしろ、新しい生活の息吹が始まった時代と解するのが妥当ではないでしょうか。」……ですか?新しい背景をご紹介いただきありがとうございました。歴史に詳しいわけではないので、ついつい参考書を鵜呑みにしてしまいます。もう少し、背景の時代を勉強してみます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「宗教的な民衆向けの受け皿が成立した」というのは、現代流に言うと、「格差社会」が生み出した多様な宗教と理解しても良いのでしょうかねぇ?鎌倉時代にかかわらず、「宗教」を考える上で、大変参考になりました。 また、質問とは、直接関係しない部分にまで、ご意見をいただきありがとうございます。「今は昔と違って科学が発達しており宗教の力も昔ほど強くありません。」というのは、……単純には、「そのとおり」と頷けない……大変興味をひかれるご意見ですね。「宗教と科学」、永遠の課題かも知れませんが、無能なりにも、少し考えてみる価値がありそうです。(*^_^*)