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蘇我氏
教科書で馬子、蝦夷、入鹿 三代の名前を学んだが、明らかにさげすんだ名を後世で付けたと考えられます。本当はどのような名前であったのでしょうか。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.2
当時としては至極普通の名前です ご存知蘇我氏は渡来人ですから 当時の豪族は殆どが渡来人の家系 なので朝鮮の名前が名残として残っているのです ちなみに馬子の父は稲目 従兄弟には倉山田石川麻呂と言う名前もいます 馬子のライバルだった物部氏も守屋と言う名前だし 遣隋使で有名な小野妹子だってそうです ちなみにあの時代「子」と言うのは女と言う意味ではなく 強い男子の意だそうですよ
- D-Gabacho
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回答No.1
当時としてはふつうで、別に蔑んだ名というわけではないと思います。たとえば藤原不比等の息子にはウマカイ(宇合・馬養)がいますし、エミシという名前についても、奈良時代の高官に阿倍毛人や佐伯今毛人がいます。また、天智天皇の時代の遣唐使に河内鯨という名の人がいます。