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ヤマトと蝦夷のさかえめ

東北地方の福島県福島市在住の者です。歴史の教科書や本によって 日本地図上の境界線で、福島県はヤマトだったり蝦夷だったりするのですが、実際にはどうなんでしょうか。地元(福島市)でそれとなく どっちだと思うと聞くと、蝦夷だと思っているようです(東北地方だてにといった感じです)よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.4

蝦夷地・蝦夷(えみし)の境界線は不明確です。 古い文献では白河関以北が蝦夷地とされていますから、福島市も蝦夷地と言われる時代があったでしょう。   ただ、中央(京都)政府から奥州支配の必要性が出てきてから、蝦夷地は次第に北上してゆきます。つまり中央王朝の支配権が及ぶ地域は、蝦夷地とは呼ばれなくなるようです。    一般的には東北に限らず。ヤマト政権の属しない東国の静勢力を蔑視して使用するケースが多いので、決して妥当な言葉ではありません。  なにせ、東北平泉王朝を筆頭に、東北は独自の文化性を持っていたことは明白な事実なのです・・・

roatwang
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。中央王朝の支配権によるんですね。蔑視 との意味ですが、私はけっこう好きです。蘇我蝦夷という人物もいましたし(忌み嫌ってわざたつけたんですかね・・)

  • rukamag
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.3

近代国家と違い、昔は国境という概念が曖昧でしたから、明確な線引きは難しいと思います。 一朝一夕に「今日からここはヤマト」という意識にならず、時間をかけて緩やかにヤマトに同化した(意識の上で)、ということなのでしょう。 ただ、ヒントとしては「勿来の関」「白河の関」といったものかもしれません。これらの「関」の存在は、長く「ここから先は『みちのく』」=「蝦夷の領域」という意識を喚起させるものであったと考えられるからです。

roatwang
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。ヤマトに同化(意識の上で)とのこと 深く感銘いたしました。逆に私は歴史の本で蝦夷が出てくるたびに(意識のうえで)「蝦夷」だと思ってしまいました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.2

福島県は、奈良時代以来「陸奥国」から外れたことはありません。 「地元(福島市)でそれとなくどっちだと思うと聞くと、東北地方だといった感じです」 となるのは当然ですよね。福島県は紛れもなく「東北地方」ですが、福島県が「蝦夷」かと聞いたら「はあ?」と感じる人が多いでしょう。 奈良時代から平安時代頃に「蝦夷」や「俘囚」と言われていた人たちが、明治時代まで大和民族と全く別の文化を持ち、外見も明らかに違った「アイヌ人」と同じかどうかは「良く分からない」が答と思います。奈良時代や平安時代の「蝦夷」の様子は具体的には記録されていないと思われますし、「俘囚」は「大和民族に同化した蝦夷」と言って良いでしょう。 ただし、江戸時代の津軽藩 (津軽半島を領有) や南部藩 (下北半島を領有) の文書を見ますと、領内に「蝦夷の村落」があったと記録されています。 江戸時代になり、現在の青森県は完全に「大和民族化」されていたわけですが、それでも若干数の「江戸時代の蝦夷」=現在で言うアイヌ人が民族集団として残存していたとういうことになります。 明治以降、「今の青森県のアイヌ人」についての話は聞きませんので、江戸時代のうちに大和民族に同化されて消滅したものと思われます。 そして、今の福島県の地域は、陸奥・出羽の二国の中でも最も早く「大和民族化」が進んだ地域と言えるでしょう。

roatwang
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。「俘囚」との言葉ははじめて知りました。「大和民族化」ということもありますね。ありがとうございます。

  • J_Hiragi
  • ベストアンサー率13% (165/1182)
回答No.1

回答はいつの時代を指してるのかにもよります。 平将門以前の時代では関東が蝦夷でした。 坂上田村麻呂や源義家の活躍により蝦夷はだんだんに押し上げられてます。

roatwang
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。いつの時代かによるんですね。 関東も蝦夷だったとは以外でした。

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