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記紀の中で本名が隠されている者に聖徳太子と蘇我氏が

10.蘇我馬子は豊浦大臣と呼ばれていたが、「豊浦」とは山口県にあり、神宮皇后が立ち寄った場所。「豊浦」は大和にもあると言う人がいると思うが、「浦」は海岸であり、大和には該当する場所がなく、大和の「豊浦」は辻褄を合わせるためにつけたに過ぎない。 11.持統天皇は「春過ぎて、夏来にけらし白妙の、衣干すちょう天の香具山」と歌い、これが「天女の羽衣を奪う」=「政権を奪う」歌と言われているが、天智天皇の娘であり、天武天皇の妃である鸕野讚良(うののさらら)は常に政権側であり、誰から政権を奪うのか。九州王から奪う以外考えられない。 これらを総合すれば聖徳太子=蘇我入鹿=九州王になりませんか。

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  • oska2
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回答No.1

>「豊浦」は大和にもあると言う人がいると思う 面白い事を考えましたね。 日本は、某国と異なり為政者が独断で決めた「正しい歴史」がありません。 ですから、古代に関しては色んな説が多くあります。 そもそも、「聖徳太子は存在しない説」も有名ですよね。^^; ただ、豊浦は内陸部の地名(字)です。 「舒明即位前紀」によれば、「山背大兄皇子が叔父の蝦夷の病気を見舞うために、飛鳥に赴いた析りに豊浦寺に入った」との記述があります。 飛鳥地方に豊浦寺があり、豊浦寺の近くに蘇我氏の住まいがあった!と考えるのが良いかもね。 >政権を奪う」歌と言われている そうなのですか? 初めて聞きました。勉強になります。 天智大王(天皇)と、天武天皇は血縁関係が無い赤の他人!という説もありますよ。 天智側と天武側で、政権を巡る血みどろの戦いが存在しても不思議ではありません。 >これらを総合すれば聖徳太子=蘇我入鹿=九州王になりませんか。 色んな説があって面白いですが、未だ証拠が浅いかなぁ。 「正しい歴史を強要する国」では、証拠は不要なんですがね。 残念ながら、日本を始めとする国々は「証拠が必須」です。 ※1990年代の日韓歴史協議で「証拠は要らない。日本側が(韓国の命令通り)記載すれば良いのだ!」(ソウル大学名誉教授談) ※韓国では、「嘘も100回つけば本当になる」との諺があります。