- ベストアンサー
見張りの者よ、今は夜の何どきか?
- 「見張りの者よ、今は夜の何どきか、夜の何どきなのか。」
- 見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよもう一度来るがよい。」
- 現代についてのあなたの見方をおしえてください。問題は何か?どこにいるのか?漠然としたかたちですので、自由におこたえください。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
第21章は、ただの歴史物語でしょっ。 新バビロニアがアケメネス朝ペルシアによって倒される、 そして、 バビロン捕囚のユダヤ人が解放された、 という史的事実を、 事後予言の形で記したもの。 ですから、 「やったぁ~、バビロンが倒れた!!」 と大騒ぎする。 ですが、 イザヤ書のこの部分を書いた人は事実誤認をしている。 バビロンに祭られていた神々の像は、打ち倒されてはいない。 バビロンの神官勢力は、この神々を敬わない新バビロニア最後の王・ナボニドゥスを嫌っていた。 だから、 バビロンの神官勢力は、アケメネス朝ペルシアのキュルス2世がバビロンに迫ったとき、諸手をあげて歓迎しているんです。 バビロンは無血開城しています。 このことを知っていたとするならば、 よほど、屈辱的だったんでしょう、バビロン捕囚が。 「その神々の像はことごとく打ち砕かれて 地に伏した」 と、史的事実を歪曲してまでも、その神々までも言い落とさずにはいられなかった。 ───どこぞやの国と国民と同じかも。「○○○のユダヤ人」というニックネームは伊達てではないのかもしれない。K国とイスラエルの今の姿を見ると、やっぱ、今も明けてねぇな、夜深いわ─── 夜が明ける→アケメネス朝ペルシアによるバビロン侵攻とバビロン捕囚の終了 です。 それだけの文章です。
その他の回答 (5)
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
「見張りの者よ、今は夜の何どきか 見張りの者よ、夜の何どきなのか。」 「太陽はすでに昇って昼を過ぎているのに未だ夜のままだとは! 夜から出られない者よ、目覚めよ。雄々しく立ち上がり、 光をみよ、 光あるときに光の中を歩め。」 と見張りの者は答えます。更に続けて、 「あなたは、主が夜に来ることを忘れたのか。 夜の暗闇が深ければ深いほど光は強いものだ。 闇に沈んだ世界に主は盗賊のように来るのだ。 闇の中の者よ、汝の無知を嘆くがよい。それが汝の慰めになるであろう。 見張りの者がいくど答えてもわからないものなのか? それが人間の愚かさというものなのか。 光あるときに光の中を歩んだ者のみが許されることなのか、 それゆえ、見張りの者と称される。 しかして、万人に機会は与えられているというのに! 太陽はすでに高く正午を過ぎている。目覚めよ! 起きよ! 現代がノアの時代なのだ。主がすでに地にあることに気づきなさい。」
お礼
えむえむけいわいさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 これから昼あたりまで出かけます。大急ぎでご挨拶程度です。 つまり 論点となるところは: ★ 見張りの者がいくど答えてもわからないものなのか? ☆ この《答えている》ことの情況が じっさいにどんなであるか? あるいは ★ 太陽はすでに高く正午を過ぎている。 ☆ という事態 これが 具体的にどういう情況として現わているのか? だと思います。 帰って来てから 見直します。 不一にて。
補足
お礼欄を承けます。 なるほど。おっしゃっているのは けっきょく ○ 喝っ! というひと声でしょうか。 闇の中に眠っている者であっても じつは うっすらとは闇の明けるのに気づいている。 あるいは すでに人びとは真昼のごとき世界の中にいることを知らないわけではない。 《にんげんとは何か?》を知らないわけではない。 何をすればよいかを分からないから駄々をこねているというものでは 必ずしも ないのだ。 ぶつぶつ言うのは 糸口が見つからないとでも言っているに過ぎない。・・・ だったら ひと言 一喝するしかない。のだと。 こういったご見解としてうけたまわりました。ありがとう。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
枕草子第129段には、 ~~~~~~~ 大夫殿(藤原道長)のゐさせたまへるを、かへすがへす聞こゆれば、 「例の思ひ人」と笑はせたまひし、まいて、こののちの御ありさまを見奉らせたまはましかば、ことわりとおぼしめされなまし。 ~~~~~~~ とありまして、 中宮・定子は、「道長は、あなたの思ひ人(恋人or愛人)だものね~」と、清少納言をからかっているんですよ。 道長は、中宮職の太夫(長官)でしたし、 中宮の父親で、道長の兄でもある関白・道隆が健在であったので、 この時期は、道長と中宮・定子の関係は良好であったんじゃないですかね。 道長には、道隆の他に、道兼(道隆の死後、関白に)という兄がいたので、 この時点では、道長が摂関になれる目はほとんどなかった。 道長が関白になれるとは、誰も思っていなかった。 だから、 「まいて、こののちの御ありさま(関白になり、権勢を恣にする今の有様)を見奉らせたまはましかば、ことわりとおぼしめされなまし。」 と書いてある。 清少納言は、「わたしの見る目の方が、お亡くなりになられた中宮さまよりも正しかった」と、書いています。 道長と清少納言が男女の仲であったかはさて置き、 道長と清少納言がかなり親密な間柄であったことは、第134段・「殿などのおはしまさでのち」に出てきます。 ~~~~~~~~ 殿などのおはしまさでのち、世の中に事出でき、さわがしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、なにともなく、うたてありしかば、ひさしう里にゐたり。 ~~~~~~~~ 道長(or道長派)との親密な間柄が、中宮・定子のサロンで問題になったのだ、とされています。 清少納言は、同僚の女房たちからイジメにあっちゃうんです。 シカトされちゃうんです。 そして、清少納言は、中宮・定子のもとを去ります。 清少納言は、去らざるを得なかった。 同段に、 「左の大殿(道長)がたの人との知る筋にてあり」とあります。 この「知る」は、男女の関係のことを言っているんでしょうね~、たぶん。 男女の間で使っているんですから。 これは、四納言のひとり、藤原斉信(ただのぶ)なのかもしれない。ひょっとしたら、道長本人かもしれない。 ただ、 中宮さまは、「例の思ひ人」と明言していますので、中宮職の長官とタダの中宮の女房という関係でなかったことだけは、確かなんでしょう。 とはいえ、 清少納言は、誰と書いていないので、推測の域を越えることができませんが・・・。 藤原斉信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%96%89%E4%BF%A1 ~~~~~~~ 「左の大殿がたの人、知るすぢにてあり」 とて、さしつどひものなどいふも、下より参る見ては、ふといひやみ、放ち出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ、 「参れ」 など、たびたびある仰せごとをも過ぐして、げにひさしくなりにけるを、また、宮の辺には、ただあなたがにいひなして、そらごとなども出でくべし。 ~~~~~~~~ 中宮が「参れ」と命令しても、 清少納言は、「みんなからイジメられるから嫌です」と、拒否しています。 このような陰湿なイジメは、今と変わることなく、昔もあったようです。。 やはり、今も、夜深い状態なのではないでしょうか。 わたしは、夜明けが近いとは、思えませんね~。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ◇ ~~~~~~~~~~~~ このような陰湿なイジメは、今と変わることなく、昔もあったようです。。 やはり、今も、夜深い状態なのではないでしょうか。 わたしは、夜明けが近いとは、思えませんね~。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ あぁ。こちら方面から 回答をみちびくのですね。 雅子さんいじめは 同じたぐいなのでしょうか。 でも その理由や原因が分かっている場合は まだ さほど陰湿とも思わないんですが いじめの仕方が 陰湿なんですね。 イジメは 論じると言っても・・・と思われて何ともならないんですが どうしましょう。
補足
わたしは 源氏を読み切ってはいません。 枕草子をすら読み終えていません。 すみません。知ったかぶりをしました。 部分観として 確信を持てたと思っているところを述べました。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
132段ではなく、136段ですね。 行成は、 「逢坂は 人越えやすき 関なれば」 と詠んでいますけれども、 ひそかに清少納言と逢坂の関で逢うという行為をする行成は、かなり危ない橋を渡っているんですよね~。 中宮・定子の父親である道隆が死に、兄の伊周(これちか)は、太宰府に左遷。 権力は、藤原道長の手の中にあって、 中宮・定子に一条天皇の皇子を産ませまいと、いろいろと画策し、 道長は、宮中から中宮・定子を追い出したんですよ。 そして、 その中宮・定子に仕える清少納言に逢うということは、反道長派であるとみなされかねない行為なんですよ。 時の権力者である道長に睨まれたら、政治生命は断たれてしまうんで。 貴族にとっては、死刑宣告。 よほどのことがないと───例えば、道長が急死するとか───、最浮上はできない。 にもかかわらず、 行成は、人目を憚らず、清少納言の所に足繁く通う。 そして、宮中で、「清少納言は凄いよね~」と言いふらす。 かなり危ないことを、行成はしているんですよ。 そして、行成自身もそのことをよ~く自覚している。 第四十九段(能因本だと四十六段)では、行成は 中国の史記の故事をもとに 「女は己れをよろこぶもののために顔づくりをす。士は己れを知るもののために死ぬ」 と清少納言に言っているですよ。 「オレはお前のためなら、死ねるぜ」 とまで言いきっている。 言葉だけではなく、実際に、やっているんだから、 凄い男ですよ、 行成は!! http://esdiscovery.jp/knowledge/japan5/makura030.html 「女は己れをよろこぶもののために顔づくりをす。士は己れを知るもののために死ぬ」 という言葉は、 史記に出てくる予譲の言葉なんですが、予譲の話は、Wikipediaを読んでもらうことにします。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AB%E8%AD%B2
お礼
ご回答をありがとうございます。 どう見ますかねぇ。 まづ 自由だということでしょうね。女に生きるのもよし。そうしないのもよし。 そのことと《士は己れを知るもののために死ぬ》ことと 同じですかねぇ。・・・ 取ってつけた美辞麗句? とまでは言わないとしてもです。・・・ 清少納言を持ち上げるので 紫式部をもこんどはわたしが 持ち上げました。 紫式部は 道長と通じたのではなかったですか? 短い期間だったか。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
これは、 ~~~~~~~~~~ 『枕草子』132段 つとめて、蔵人所の紙屋紙をひき重ねて 「けふは残りおおかる心地なんする。夜を通して、昔物語もきこえあかさんとせしを、にはとりの声に催さてなん」といみじうおほく書き給へる、いとめでたし。 御返しに、「いと夜深く鳥の声は、孟嘗君のにや」ときこえたれば、 たちかえり、 「『孟嘗君のひはとりは、函谷関を開きて、三千の食客わづかに去れり』とあれども、これ逢坂の関ならば」とあれば、 ~~~~~~~~~~~ とありまして、清少納言の「夜をこめて」の歌が続きます。 今日は「もの忌み」だったもので、鶏の声を聞くとすぐ帰っちゃいましたけれども、 本当は、もっとあなたとお話をしたかった、 と、藤原行成が清少納言にお手紙を書いてよこした。 そして、清少納言は、 「まだ夜深いの鳴く鳥は、きっと、孟嘗君の鶏だったんでしょ(わたしも、もっともっと、あなたとお話をしたかったのですよ)」 と手紙に書いて送った。 ~~~~~~~ 夜半に函谷関についた。秦の昭王は孟嘗君を釈放したことを後悔して再び捕らえようとしたが、すでに孟嘗君は逃げた後だった。そこで、すぐに駅伝を飛ばして一行を追わせた。孟嘗君は関にまで来ていた。関の決まりでは一番鶏が鳴いて旅人を通行させることになっている。孟嘗君は追っ手が迫るのではと、気が気ではない。食客の末席に鶏の鳴き声を真似るのがうまい者がいた。この者が鳴くと、周りの鶏が一斉に鳴き始めた。こうして関を出ることができた。 http://www.katch.ne.jp/~kojigai/keimeikutou.htm ~~~~~~~ 行成は、その返しの手紙に 「わたしとあなたの間にある関は、函谷関ではありません。恋人同士が逢う、逢坂の関ですよ」 と書いてよこした。 そして、清少納言が「夜をこめて とりのそら音を はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」と歌を読んだ。 「深夜に 孟嘗君の食客のひとりが鶏の鳴きまねをして 函谷関を開かせましたけれども、逢坂の関は、そうはいきませんよ。」 まぁ、恋人同士の睦言です。 ですが、 心かしこき関守 → 良心、《ヤマシサ》を感じさせる??? 鳥の空音 → ウソ 夜をこめて(深夜) → 心の闇(?)、無知蒙昧な状態(?) と置き換えれば、 「《ヤマシサ》を感じさせる???は、(自身のつく)ウソに決して騙されない。 たとえ、その心がどんなに暗い状態であったとしても」 な~んて考えることもできるんじゃないですか。 かなり大胆な読み替えですけれども・・・。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ううーん。あんまり――と言っても おあそびですが―― 変わりないようにも思えますね。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ ですが、 心かしこき関守 → 良心、《ヤマシサ》を感じさせる??? 鳥の空音 → ウソ 夜をこめて(深夜) → 心の闇(?)、無知蒙昧な状態(?) と置き換えれば、 「《ヤマシサ》を感じさせる???は、(自身のつく)ウソに決して騙されない。 たとえ、その心がどんなに暗い状態であったとしても」 な~んて考えることもできるんじゃないですか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということですが 何しろうたのやり取りの当事者たちから行けば ◇ まぁ、恋人同士の睦言です。 ☆ からねぇ。 わざと追究するなら 清少納言は その場の・その心の微分を表現しているのだと思うのですよ。・・・
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
「夜をこめて 鳥のそら音(ね)を はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 心かしこき関守、はべり」 by 清少納言 夜はいまだ深いようです。 百人一首にもあるこの歌には、実は、返しがありまして、 「逢坂は 人越えやすき 関なれば 鳥鳴かぬにも あけて待つとか」 by 藤原行成 清少納言と行成は、非常に仲がよかったので、 行成はこんな軽口や冗談を口にできるのでしょうけれど、 これはかなり失礼な返し♪ それはそれとしまして、 清少納言が男性からかなりもてたのは、確かなようです。 み~んな、彼女の虜になってしまう。彼女の崇拝者になってしまう。 自身の髪の毛にはかなりコンプレックスを持っていたようですが───年齢もかなり気にしていますが───、 清少納言は、かなりの美人さんだったんじゃないですかね。 で、 光源氏のリアル・モデル(の一人)とされる藤原実方と、清少納言は、どうやら、結婚していた時期があるようですね。 百人一首の 「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひ(火と掛けている)を」 by 藤原実方 (お灸に使うモグサだから、火は見えないけれど、わたしはあなたのことが大好きです。 見えないけれど、恋の炎は、わたしの心の中で燃え盛っているんです。 あなたは、このことをご存知ないようですが・・・) という歌は、 清少納言に送られたものかもしれない♪ 宮仕えをした清少納言のことを懐かしみ、 忘れずよ また忘れずよ 瓦屋の 下たく煙 したむせびつつ by 藤原実方 という歌も詠んでいます。 元彼女への男の未練といいましょうか、清少納言への彼の諦めきれない《思ひ》がよく表現されている歌だと思います。 そして、 実方が、清少納言を捨てたのか、彼女に捨てられたのかは、わかりませんけれど、 行成VS実方という関係は、今彼VS元彼の関係であった(笑い)。 同時代に人たちは、行成と実方の(対立or三角)関係をこのようにとらえていた。 で、周囲の予想と期待に背かず、 行成と実方は喧嘩します。 帝の御前で、実方は、行成の冠を投げ飛ばすという狼藉を働きます。 そして、 この喧嘩・狼藉がもとで、実方は陸奥へと流されます。 在原業平と同じように、彼も中将だったので、彼は業平と重なる部分もある。 実方も、また、業平と同様に、この時代を代表する歌詠みであり、プレーボーイ(色好み)でしたから。 そして、清少納言は、在原業平(の伊勢物語)の熱烈なファンであった。 この実方は、清少納言の書いた『枕草子』にも出てきます。 第九十段「宮の五節をいだせたまふに・・・」。 五節の舞姫の赤い紐が解けているのを見て、 「これを結びましょう」と言って、実方はこの舞姫の紐を結びます。そして、それだけではなく、 あしひきの 山井の水は こほれるを いかなるひも(日と紐の「ひ」をかけている)の とくるなるらん と歌を詠みます。 (中宮・定子の女房で、即興で、この歌の返しができるのは、清少納言くらいのもの。ですから、当然、実方は、清少納言からの歌の返しを期待しているんでしょう~) そして、実方の予想通り、 この歌の返しに、中宮・定子の女房は困ります。誰もできない・・・。 そして、元奥さん、もしくは、元彼女の清少納言が うはごほり あはを(緒)にむすぶ ひもなれば かざす日かげに ゆるぶばかりを と歌を返します。 これはかなり技巧的な歌です。 即興で、こんな歌を詠めちゃうものなんだろうか? そして、これは、かなり意味深な歌ですね~。 紫式部が、事ある毎に、清少納言を言い落とすのは、紫式部が宮中の男性から全然もてなかったから(笑い)。 しかも、事ある毎に、清少納言と比較される。 「清少納言は、こうだった。やっぱ、清少納言はスゴいよな~。なのに、あなたは・・・」 「中宮・定子のサロンは、垢抜けしていたよな~。それに比べ、今の中宮のサロンは・・・」 こうした紫式部の恨みつらみが、彼女の清少納言批判につながっているのであった。 (中宮・彰子のサロンが、どんなものであったかは、堤中納言物語を読むとわかります。 三の君、「紫苑は、はなやかなれば、皇后宮の御さまにもがな」。 四の君、「中宮は、父大臣に、ぎきやうを読ませつつ、祈りがちなめれば、それにもなどか似させ給はざらむ」。 皇后と中宮の二人のお妃が同時にいたのは、皇后・定子と中宮・彰子の時代のみ。 そして、父の左大臣とは、藤原道長のことです。 皇后さまは、紫苑の花のように華やか。 だけれども、 中宮は、桔梗。(無量)義経を読んでいるから。抹香臭いのよ、辛気臭いのよ!! と批評しています。 これが同時代人の率直な評価。) おそらく、 「あはれ」は、ウエットで、情念深いといいますか、執念深いものなのでしょう。 「をかし」を愛するわたしは、ドロドロ、怨念まじりの源氏物語は、とてもじゃないが、読めないし、読む気にならない!! 紫式部は、明らかに、どこまでも嫉妬深く、夫・兼家への怨念が詰まった『蜻蛉日記』の作者、道綱の母の系統の血を色濃く受け継いでいます。 と関係のないことを長々と書いてしまいました。 それはそれとしまして、 国文学の(大学の)先生は、なぜ、女っぽいのでしょうか? 女性は決して腐りませんけれども、 源氏物語を読むと、 女が腐ったような、ナヨナヨした男になってしまうんでしょうか?
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ◇ 夜はいまだ深いようです。 ☆ これは 清少納言によると ▽ よに逢坂の 関はゆるさじ ☆ だということで ということは 人為的につまりは為政者の問題として 《夜がまだ深い。つまり 夜を明けさせない》というような趣旨なんでしょうか。 それに対してひとつの見方が出されているとか。 ▽ 鳥鳴かぬにも あけて待つとか」 by 藤原行成 ☆ これは 言うとすれば 世の中は自然史過程である ゆっくり待たれよと言っているようにも受け取られます。 すなわち もし《人為的な措置》が執り行なわれているとすれば そのウゴキをもふくむ自然史過程だと捉えねばならない。ですかねぇ。 つまり このところはひょっとすると もはや人口衛星のごとく慣性の法則のみによってお二階さんは回りめぐっているのではないかとすら 見えていたのですが きちんとした措置を執っているとも見られますね。 ◇ 皇后と中宮の二人のお妃が同時にいたのは、皇后・定子と中宮・彰子の時代のみ。 ☆ こういう社会は 好かんたこです。 愛人稼業の女性に仕える女官でしょう。勝手にしてくれと言いたくなります。 ◇ 「をかし」を愛するわたしは、ドロドロ、怨念まじりの源氏物語は、とてもじゃないが、読めないし、読む気にならない!! ☆ 源氏物語は 男は光源氏ひとりですけれど 女が何人も出てくるのでおもしろくありません。 藤壷と紫の上とあと 空蝉との関係をそれぞれ別々に捉えて考えるとおもしろい。 空蝉とは よく言ったもので ナルキッサ(=女ナルキッソス)としてまさに蝉の抜け殻。アマアガリ・シンドロームに罹ったどうしようもない人間です。これで 源氏は社会勉強になった。 でも 源氏物語は ブディズムにおいてでしょうけれど 信仰の書であるという見方も出来る。とも言われています。決してひとりの人間がたわぶれに書いたというようなものではないと。 清少納言は 人生やその場での振る舞いとして その思いを微分したおもしろさでしょう。その場を過ぎたら もうどっかへ行っちゃったというような。(俳句のような と言うべきでしょうか)。
お礼
ご回答をありがとうございます。 まづ ◇ バビロン捕囚のユダヤ人が解放された、という史的事実 ☆ は 大きな事件であり 画期的な歴史なのだと思われます。 ただしこの質問は 必ずしもこの参照文章にこだわるものではありません。 アンケートではないのですが おひとりづつ どんな考えを現状に対して持っているか。これを明らかにしてもらって そこから時論のようなことをいささか互いに展開して終わるといったスレッドを描きました。 時論と言っても ひととしての周りの人間関係の問題もあります。 枠組みを取っ払った哲学談義です。 そうしていくらかは趣旨説明の参照文章にしたがうならば 現在において夜は明けたか? です。 その意味では 《バビロン捕囚の終了》というのは ひとつの大きな回答内容を たとえとして構成します。 そんな感じなんですが。・・・ ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ バビロン捕囚のユダヤ人が解放された、 という史的事実を、 事後予言の形で記したもの。 ・・・ バビロンは無血開城しています。 このことを知っていたとするならば、 よほど、屈辱的だったんでしょう、バビロン捕囚が。 「その神々の像はことごとく打ち砕かれて 地に伏した」 と、史的事実を歪曲してまでも、その神々までも言い落とさずにはいられなかった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 事後予言なのだから 史実を曲げて書いている。ということですが わたしは 自信をもって言えるほどは知りません。ただし そうではないという解釈もあるのを いちおうかかげておきます。 ▽ (神山教会 説教ライブラリ 《主のためにしなさい》) ~~~~ 2008年8月31日 此処には大変興味深い事があります。預言の内容は、争乱であって、実際には戦いなしで征服された事実と異なります。 しばしば、出来事があった後の時代に予言が書かれた、というようなこともありますが、これはバビロンの無血開城を知らないそれ以前の時代の預言である、と考えるのが妥当でしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
補足
お礼欄で リンクを張るのをまた忘れてしまいました。すみません。 ▽ (神山教会 説教ライブラリ《主のためにしなさい》) http://www.tamadech.jp/sermon/content2.html?id=434&d=20080831