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釈迦について、私の代わりに調べてください。
ここほれワンワンのお願いだよ。 釈迦は神について何か語った事があるか調べてきてくれ。 お得意のごまかしで、形而上学の一部が神に過ぎないので語る必要がないとでも言ったのなら、それはそれで良いから証拠を集めてきてくれ。 語る必要が無いってのは、「語る言葉は無いからこそ無である」とでも言う無の教えなんだが、それについて考えていてね。 今回は挑戦状でなく、ちゃんとした質問だよ。
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>金を貸しているだけだ。 ほら、誰かがいる。 >その結果私が生かした誰かは生涯私の奴隷だ。 貴方が誰かの奴隷で無くなる為に、誰かを隷属させる法を選ぶのは、結局は貴方が貴方の奴隷になる事を選択する事です。
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- 0fool0
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>私が君達下等動物に質問するのはお門違いだと言いたいんだね。 其処までは言いませんし、そうでもないです。 貴方の言葉には常に対比する「何か」が存在しています。 「何か」と見比べなければ「己」を認識出来ていない状態ですから、見る眼が必要だと言っているのです。 貴方を知る為に貴方が払う対価は、一体誰に支払われるのですか? その「誰か」は真実を担保してくれますか? 貴方ではないのに?
お礼
金なんて払ってないよ。 金を貸しているだけだ。 超高金利の利子をとりたてつつ、元金の返済を認めない方針だ。 これこそが無償の愛の正体であり、自らが生きるために他者をも生かす、育む愛の正体だ。 アマテラスさんから教わった商売だ。 その結果私が生かした誰かは生涯私の奴隷だ。 邪魔になったら消えてもらうのも選択肢で、そろそろ退場してもらおうかなと思うやつもいる。
- 0fool0
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>勝っているよ 何かと比べて自分を見る内は、理解出来ないモノがあります。 まぁ、そこを見るための技術が「無」ではありますが・・。 >ところで私が出した質問の数々は、おおむね君たちの人間の尊厳を無視した人体実験だ。 実験が成功してゴルゴムの怪人が誕生しはしないかと期待しているよ。 見る眼が無ければ、見えないですよ?
お礼
一件不明な回答だが判ったぞ。 私が君達下等動物に質問するのはお門違いだと言いたいんだね。
補足
君達下等動物に言っておく、同じ人間同士だから私を助けてくださいと懇願するのは、はなはだしい思い上がりだ。 君達は人間(古い言葉で仏陀)に到達していないのだよ。 西洋でも人間という言葉が盛んに言われた当時すら、参政権が庶民に認められていないではないか。 君達は精神的に人間の圏外なのだよ。
- 0fool0
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>人知は超えていても、理解が及ばないだけで人間性の範疇だろう。 科学万能論と同レベルの話です。 別に間違っていると言う訳では無いですが、人間が「万物の霊長」と言っていると同義語です。 何故なら人間以外の動物にその台詞を使いますか? サルに言いますか? ミミズに問いますか? ナマコに聞きますか? 人間はサルにミミズにナマコに優っていますか?
お礼
勝っているよ。 人(仏陀)には生きている自覚の強さがある。 君達は人間だと言い気かされて飼いならされた単なる奴隷で、人間を自覚していない。 だから生きる屍だ。
補足
聞きかじった話だがこんなのもある。 80年くらい前に死亡した女性のがん細胞が、医学界で実験のために培養され続けて今でも使われているそうだ。 そんな、がん細胞が生きているからと言って、その女性がいまだ生きているとは言わないだろ。 生きている、特に人間として生きていると言う事はミミズとは違うのだよ。 ところで私が出した質問の数々は、おおむね君たちの人間の尊厳を無視した人体実験だ。 実験が成功してゴルゴムの怪人が誕生しはしないかと期待しているよ。
- PC_otaku
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さて、釈迦っていたのでしょうか、悟りを得たときそこにはただ菩提樹があるだけで誰も居なかったという話は聞いています。 調べても矛盾する言葉が山ほど出てきます。釈迦は弟子を揺さぶるために言葉を使ったのであって、教師として教えるためではありません。釈迦の居ない今その語った言葉を分析しても無駄でしょう。 ただ、「神」でも「空」でも単なる言葉です。本当の実態を知らなければむなしい言葉です。 考えるのをやめて、それが何なのか感じようとしてみてください。 「お釈迦」にならないと何も「理解」はできないかと。(「お釈迦」とは「役立たず」の意味です知ってますよね。) これは冗談でも言葉遊びでもなく、本心の私の回答です。ご健闘を。
お礼
実感すればそれでいいんだろ。 くだらない事でいちいちつっかからんでくれ。
- kurinal
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Flareon様、こんにちは。 仏教の流れを汲むと考えられる宗教でも、 「一番偉いのは、釈迦ではない」と説く、 というようなことがあって。 「ナントカ教のナニについて、述べた」なら、 まだ判るのかなあ、と思うんですが、 「神について」では、漠然としていると思います。 (ちなみに、「こういうふうに(「これくらいが相場」とか)考えるのが、スジで、 それ以上を(無理に)望んだりするから、苦しい」というのが、 言われたことで、「悉皆成仏」って、そりゃ皆、「そういうふうに 考えれば、迷いが無くなってラクになる」ということはあるんでしょうけれど、 「ラクになる」以上のことではないと思います)
お礼
君の言い分に関しては以前にこんな事を言って。 お前の神を明らかにして見せよ。 答えるにそれは無である。 そうした押し問答から発達したのが仏教だ。 ところが押し問答を仕掛けた側がとことん間抜けで、納得しないから仏陀という人間モデルがいつの間にか神の役目を果たすのが仏教だ。
- 0fool0
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>職業的聖職者であった釈迦が、神を語らない事を許された理由はなんだろうね。 「因果応報」に神も霊も何者も、人間には介在しない理屈が説明されていますよ。 日本仏教脳では理解出来ないかな? >仏陀であれば神そのものであるとでも言う宗教観がインドにあるのだろうか。 インドと言うか、ヒンドゥー教では仏陀は聖典をアスラから守る為に、敢えて世を乱す為に現れたとされていますよ。 今では偶像崇拝もありますし、原初の姿を直接目に見るのは難しいでしょうね。 >ならば釈迦は無の神だろうね。 「無」に拘りますねぇw こんな物はただの技術ですよ。 釈尊もそもそも「無」自体を説きも奨励もしていませんよ。 敢えて言葉にするなら「仏法僧」を第一に説いたと見ていいでしょう。 >証拠があがって、本当に当時の事情がそれだけならば、全く持ってそれだけで完結する話で、結論は釈迦は神に無の名を与えたと言う事だろう。西洋では無神論として恐れられているが、東洋では当たり前だったと言う事になる。 そもそも本質は、人知を超えた何かしらに救いを求める心も苦しみと説いているのですが、中々伝わらない物です。 もちろん「無」に頼る事がそれですよ。 >仏教とは自らが無神論者だと指摘されると、全力で言い訳するね。それは信仰心が足りないからだ。 私は無神論者ではないですよ。 別にいてもいなくても、どうでもいいだけです。 しかし神仏は強く信じていますよ。 特に関わりが無いだけです。 佛教の根本は「苦しみには原因がある、原因を取り除けば楽になる」です。 苦しみの原因は自分の存在から生まれるわけだから、始めから「神」だの「仏」だのは関係無いですよ。 そして「無」だって当然、無用ですよ。
お礼
しっぽを振る反逆者とは、実に私の心を愉快にしてくれるものだ。 おめでとう。 君のV字開脚を歓迎するよ。 > そもそも本質は、人知を超えた何かしらに救いを求める心も苦しみと説いているのですが、中々伝わらない物です。 人知は超えていても、理解が及ばないだけで人間性の範疇だろう。
- NemurinekoNya
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現在、物理カテで面倒な質問をひとつかかえておりやすので、 本をご紹介しやす。 ベック 仏教(下) 岩波文庫 の64ページ~70ページくらいにかけて、 ゴータマさんが禅定中に見た(?)神さまについて説明しております。 ネットで検索したところ、800円くらいで買える本なので、ご購入を。 中古なら、もっと安く買えますぜ!! いい本ですよ、この本は。 これ読め、ニャンニャンです♪
お礼
安い本なので、良いと言うなら検討するよ。 今私は、星の王子様の研究書を読書中だ。 私の読書レベルはそんなもんで、児童文学で夢見るのが好きだ。 簡単な哲学書でも十分負担が大きいがまあ検討するよ。
Snp 3.4 Sundarikabhāradvāja Snp 79 “Kiṃ nissitā isayo manujā, Khattiyā brāhmaṇā devatānaṃ; Yaññamakappayiṃsu puthū idha loke”. “Yadantagū vedagū yaññakāle, Yassāhutiṃ labhe tassijjheti brūmi”. http://suttacentral.net/pi/snp3.4 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Snp 5.4 Puṇṇakamāṇavapucchā Snp 199 “Anejaṃ mūladassāviṃ, (iccāyasmā puṇṇako): Atthi pañhena āgamaṃ; Kiṃ nissitā isayo manujā, Khattiyā brāhmaṇā devatānaṃ; Yaññamakappayiṃsu puthūdha loke, Pucchāmi taṃ bhagavā brūhi me taṃ”. “Ye kecime isayo manujā, (puṇṇakāti bhagavā): Khattiyā brāhmaṇā devatānaṃ; Yaññamakappayiṃsu puthūdha loke, Āsīsamānā puṇṇaka itthattaṃ; Jaraṃ sitā yaññamakappayiṃsu”. http://suttacentral.net/pi/snp5.4 とりあえずパーリ文を並べておこう。 まあ、たしかにブッダは神については語ってはいなそうだけれど、 古いらしい四章五章と 新しいらしい三章で 共通する詩句があれば面白いからね。 さっきの日本語で書いたのはてきとーに間を取った文だからあしらかず。 本格的に突っ込まれてもしらん。
お礼
外国語でほじくっても似たような事しか出てこなかったって事だね。 ポチよありがとうサン。
補足
ここまでの結果から考察だよ。 職業的聖職者であった釈迦が、神を語らない事を許された理由はなんだろうね。 仏陀であれば神そのものであるとでも言う宗教観がインドにあるのだろうか。 ならば釈迦は無の神だろうね。 証拠があがって、本当に当時の事情がそれだけならば、全く持ってそれだけで完結する話で、結論は釈迦は神に無の名を与えたと言う事だろう。西洋では無神論として恐れられているが、東洋では当たり前だったと言う事になる。 仏教とは自らが無神論者だと指摘されると、全力で言い訳するね。 それは信仰心が足りないからだ。
- 0fool0
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私は貴方が好きですよ。 いや、ホントに。 此処最近、疲れましたよ。 「自己表現」のみで「自己実現」の為に生きていない人間をはじめて見ましたから。 だから貴方と遊ぼうと思っていたのは私の傲慢で、貴方に遊んで欲しかったのですよ、私は。 ですから遊びましょう。 で、本題。 釈尊は神について語っていませんよ。 この世について語っただけです。
お礼
合言葉はV字開脚だ。
458 「この世の中では、仙人や王族やバラモンというような人々は、何のために神々にいろいろと供物を献じたのですか?」 (師が答えた)、「究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。」 1043 プンナカさんがたずねた、 「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしょうと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか? 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」 1044 師(ブッタ)は答えた、 「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ スッタニパータの第四章第五章を調べてみようと思った。 そしたら 第三章に似た質問文があったので取り上げて見ます。 何のために神々に犠牲を捧げたのか? よくでてくる質問なんだろうか。
お礼
素直にありがとうよ。 なかなか勉強家の様だね。 全くシカトしたわけじゃなかったようだね。 それらの文章が、神と係る人々の世相を語っただけで、神についてはやはり語っていないのではないかと考えたが、とっかかりができたのでうれしいよ。
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お礼
君の問いかけはでたらめだっったりガラクタだったりするよ。 今後やっぱり無視だよ。