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無の悟りとは?釈迦の教えについて考察
- 無の悟り、無の境地を説明するとこういう事だ。
- 自らの信仰に到達する事は、おおむねどこの社会でも尊敬され、聖人として尊敬されることで古代インドではそれを仏陀と言っていた。
- 釈迦の結論はこうだ。信仰とはわが心そのものであり、それを他者に語る言葉はない。すなわち無だ。
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質問者が選んだベストアンサー
読めました!うれしいです! 質問者様は仏陀です。 自らの信仰に到達しているからです。 質問者様の自らの信仰とは、第4パラグラフの1行目にある、この無の悟りへの独自見解です。 この無の悟りへの独自見解とは、第2パラグラフ全体と第3パラグラフ全体の両方です。 第2パラグラフ全体と第3パラグラフ全体の両方で質問者様が自らの信仰に到達したことを示して、第4パラグラフ6行目でこの姿勢、闇の仏陀黒き明星と名乗っています。 第2パラグラフ全体と第3パラグラフ全体の両方は4つの部分があります。 1)第2パラグラフの上部4行は、いつも、どこでも、成り立つことを言っています。 成り立つことは、どんな人が仏陀や聖人と言われるかということです。 自らの信仰に到達したことが重要ということです。 2)第2パラグラフの下部6から11行目は、釈迦の無の悟りとその教えです。 3)第3パラグラフの上部4行は2500年前の出来事についてです。 釈迦が、多くの覚者を生んだことです。 4)第3パラグラフの下部5から19行目は、2000年前の出来事についてです。 無の悟りとその教えに、「空」と言う宗教的概念と、輪廻転生説が加わったことを述べていま す。 4つの部分が一塊で質問者様、この姿勢、闇の仏陀黒き明星の自らの信仰です。 古代インドの哲学、西洋の神学、哲学、釈迦の無の悟りとその教えという部分を含んだ全体、闇の仏陀黒き明星の自らの信仰は、それぞれの部分にない独自性を持ちます。 私は、そんなに仏陀なんていないだろうという思い込みがあって、質問者様が仏陀だと気づいてませんでした。でも、思い込みがふっと消えて読めました。 感想です。 質問者様、この姿勢、闇の仏陀黒き明星の自らの信仰は読みやすいと思います。
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- sunabo
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感想ではないです。ごめんなさい。 私は質問者様という仏に会いました。 私は悟ってないような感じがします。 悟りたいとも、悟りたくないとも、思いません。 質問者様という仏を、例えとしてで、実際にする訳ではなく、殺します。 しなければならないです。ごめんなさい。 到達する信仰はありません。無です。無が結論だからです。 仮に何かに到達したとして、変わらず日常が続くと思います。 臨死体験をしたとして、生き返ったのなら、臨死体験をする前と同じです。 死んだままになるべきです。死にたくないです。 確かな未来記憶を創造し持ちかえることをしている間は、ほかのことができないです。 持ちかえた後、未来記憶を経験するはずです。 もうすでに知っている経験をするのはつらいです。 どうつらいかというと、自分の思っているとおりと関係なく、 身体が寸分たがわず、すでに知ってるとおりに動きます。 気に入った未来記憶になるように、くりかえしくりかえし調整し続けることになるかもしれません。 とどまることはできません。
お礼
その殺害予告は、自らの信仰に志すことの表れだと解釈しよう。 現代のブッダには冷酷な殺しは必須でね、なぜなら救いの慰めが偽りだからだ。 そこから壊さなけらばならない。 言葉を手向けよう おのが進行の大道を行け。 私はこれを普段、 テメーで何とかしろ。 かゆいおちんちんは自分で慰めろ。 このようにぶちかましている。
補足
おのが信仰の大道を行け だね。
- sunabo
- ベストアンサー率35% (24/67)
ものすごく、思考を促し、回答を誘う文章です。すばら楽しい。 質問を読みますと、信仰が2つあります。 ひとつめは、無の悟り。 ふたつめは、「空」の言う宗教的概念。 質問のタイトル「無の悟り、無の境地を説明するとこういう事だ」からすると、 ひとつめの、無の悟り、について言いたいように思われます。 しかしながら、本文3パラグラフ10行目「もはや源流の途絶えた無の概念は判らなくても、私の心は信仰で潤っている。」からすると、 無の概念が判らず、かつ、信仰で潤っているから、 ひとつめの、無の悟りは判らず、 ふたつめの、「空」の言う宗教的概念、がわかったように読まれます。 おそらく、それでも、やはり、質問者様は、 ひとつめの、無の悟り、について言いたいように思われます。 ですから、 源流の途絶えた無の概念、とは別の、無の悟りが判った。 もしくは、源流の途絶えた無の概念とは別の、無の悟りが判り、かつ、「空」の言う宗教的概念が判った とするのが良いと思います。 本文3パラグラフの最後の4行 「私は涅槃に行き二度と生まれかららない。 君達は何度も生まれては死ぬ。 それは哀れな事だ。 こうした慈悲の行いである。」 の、私、が質問者様か、釈迦か曖昧です。 語り継ぐ者たちが、釈迦に、語らせたと読むと整合が取れます。 私(=語り継ぐものたちが語らせる釈迦)、が、君達(=語り継ぐものたち)、へ、語っていると。 しかし、「こうした慈悲の行いである。」の文脈がつながらないです。 こうした慈悲の行い、がどんなものか。 おそらく、本文2パラグラフ3行目の、その教え、だと思われます。 その教えで、無の悟りを得ると、何度も生まれては死ぬことが無くなること、の説明が要ります。 また、こうした慈悲の行いをするのは、質問者様か、釈迦なのか、不明です。 多分、質問者様は、第4パラグラフ1行目の、この無の悟りへの独自見解、を 読者へ、披露したいと思っていると想像します。 釈迦の、こうした慈悲の行い、を示すこと。 質問者様の、この無の悟りへの独自見解、を示すこと。 を行い、この無の悟りへの独自見解の独自性がどのようか説明すると、 私はもっと楽しいです。 第4パラグラフ5行目に、君達、とあります。 第3パラグラフ最後から3行目の、君達(=語り継ぐものたち)、と異なり、 第4パラグラフ5行目の、君達、は質問を読んでいる人たちだと思います。 文脈で何とか判りますが、第3パラグラフの君達と、第4パラグラフの君達が同じか違うか、説明があるとうれしいです。 また、質問のステートが、困っています、になっています。 本文の調子とあわせるためにも、暇なときにでも、にすると、整合が取れると私は考えます。 もしかすると、多くの人に読んでもらいたい気持ちが入っているためや、システム上そのようにすると有利なのでしたら私の深読みです。 深読みだった場合は、私の質問者様の気持ちの予想の誤りです。 さらに、質問者様の気分を害してしまった場合のためあらかじめ、誤ったこと、害したことに謝罪いておきます。 ごめんなさい。
お礼
ありがとう。 実に明晰な回答だね。 元来無学無教養の私はひるんでしまう位だよ。 役に立つ回答で作文とはこうする物なのかと判った。 さて涅槃に常在し生まれ変わる必要のない状態とは、自分自身を丸ごと観念に昇華させることだ。 観念世界とは最もありふれた言葉では「あの世」であり現実世界から通過するには死の儀式を必要とする。 無の悟りとは従って実質的に死の悟りだ。 解脱という言葉も苦しい修行もそのためだ。 私はこれぞ無の悟りという深い瞑想も経験したが、忠実な現代語だと臨死体験の事だ。その状態で観念世界を実感する事は瞑想を入り口にする霊体離脱と言われる状態と同一だ。 臨死体験は主に精霊からの頼まれごとで仕事として舞い込むことで自分の意思じゃない。しょっちゅうだけどね、これは心の通じた相手に対して私が臨死体験することで相手も臨死体験させる無理心中能力が期待されてのことで、対象は人ではなく精霊だ。悪魔と屈辱され人間に汚された精霊を本来の姿に昇華することだよ。 私は人間を救わない。 悪魔を救う。 そして悪魔と精霊を汚した人間は精霊の本来を取り戻した悪魔に愛されることで救われる。 滅びの宴だ。 それから釈迦が仏陀として観念世界から持ち込んだ概念は「無」だが、私が仏陀として観念世界から持ち込むのは「時」だ。 観念世界にたたずむその瞬間に現在過去未来が同時に存在し現象している事が判る。その時の現象は自己の意思で働きかける事が出来て、確かな未来記憶を創造し持ちかえることが、運命を与えると言う行いで、預言と言われた行いの内訳だ。私の言葉ではときわたりESPだよ。
変換ミス・・手が付かれた→手が疲れた
いつも即座にノンネーム逃亡しているが、君の熱烈なファンレターは心地よいよ。 キャーキャー言われるのが好きでな。 ありがとう。」←ノンネーム逃亡ではありませんよ(笑) クイックメールでも登録可能・・そして 入退会に依り 幾らでも ありがとうポイントや 思う思わないボタンが押せる・・ この機能の無意味さを知らせたいが為に していたが なんしか判らない人達が居るので 手が付かれた(笑) 他の方法を考えるまでは 今度は 普通のフリーメールで入会してます・・(笑) とりあえずは・・だけど・・(笑)
「自らがいかに哀れであるかを学べ」←学んだ結果 他人に押し付けてはいけない・・という学習をした・・ 「自分を認めろ」・・では無く 誰もが「認めざるを得ない」ってなるだけだと・・ イエスは 「我をキリストと認めろ」なんて 言わなかったから十字架に登った・・ もしも あの時に イエスがキリストの力を出して奇跡を起こし 十字架の苦難を乗り越えてたら どうなっただろー? イエスは 人々に「摩術を使う悪魔だ」と 言われただろーな・・ そして 救いの道の聖書も 語り継がれなかった・・ そう ならない様に・・聖書だけでも語り継がれる物にする為に キリストの力を見せつけずに 唯の人間として十字架で果てた・・
お礼
いつも即座にノンネーム逃亡しているが、君の熱烈なファンレターは心地よいよ。 キャーキャー言われるのが好きでな。 ありがとう。
そうすると あなたは「無の悟り、 無の境地」を悟ったのですね・・ それなら そんなの要らないや・・ 他人を見下す「無の悟り 無の境地」なんて 不要のものだけ・・
お礼
不要なのか。 君は実に残念な人だ。 あーらかわいそーねー。 このように他者を憐れむにはそれなりの実力が必要だ。 君には本来他者を憐れむ実力がないよ。 まず、自らがいかに哀れであるかを学べ。
お礼
自信が持てたよ。 不特定多数に働きかける意義を実感した。 ありがとう。