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無の境地とは、仮面ライダーのど根性だ
- 無の境地とは、仮面ライダーのど根性だ。その心境は自らを楽しむことであり、神を語らないことである。今回の質問は、他者に対して自身の神を明かす回答を求めるものであり、仮面ライダーのような紳士的な哲学バトルを通じて釈迦を検証する意図がある。
- 無の境地とは、仮面ライダーのど根性である。それは自己を愉しむことであり、神を語らないことだ。今回の質問は、他者に自身の神を示す回答を期待しており、紳士的な哲学バトルを通じて釈迦の心情を分析しようとするものである。
- 無の境地は、仮面ライダーのど根性である。その境地には自己の楽しみがあり、神を語らないことが含まれる。この質問は、他者に自分の神を明らかにする回答を期待し、仮面ライダーのような紳士的な哲学バトルを通じて釈迦の心情を分析しようとするものである。
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>哲学はどうした。 あなたがそれを言うということは、問答は失敗したようですね。まあでも楽しめました。
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>野次馬は自己表現してはいけないよ。 あはは。野次馬にも心があり、愛があるのですよ。いや、野次馬に限らず、人間なら誰しもね。 芸術家さんは、自分が特別だと思っているんだろうなあ。自己批判の無いナルシシズムは醜い。違いますか。
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ありがとう。 その通り。 君達を虫けらだと思っているよ。 哲学はどうした。
>今回君の意見にとって無とは仏教で語り継がれた、そんなもんありゃしない、の方の無だけが知識としてあるのだろう。 いや、私は仏教のことは何にも知らない。あなたの言っていることをリフレクトしただけ。人を食っているようで申し訳ないけれど、これが偽らざる所でしてね。だから野次馬だと言ったでしょうに。仏教のことはさっぱりわからないどころか、興味関心もない。 しかし挑戦してみろ、とは面白そうです。 では、「美」と行ってみます。抽象概念です。 どういう美か。例えば戦争。こういう凄惨な出来事にも、幸か不幸か、美は見出せる。美はゴキブリでもあるかのように、どこにでも存在し、困ったことに人を魅惑する。たぶん魅惑してはならない時にも、魅惑する。こういう美の力を信じている。しかし抗いもしなければならないとも思っている。これでどうでしょう。ライダーキックできますか?
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ありがとう。 私は芸術家でね、美を創造し表現する事とは当事者にとっては自己表現だよ、その表現の内情は自らの心そのものだ。定説ではそれが純粋な愛に近いほど美しいと言う事になっている。まあ、一応の目安だ。 野次馬は自己表現してはいけないよ。
>そんなあんたも何か信じていると思うよ。 あなたは「信じる」という行為そのものが「無」だと言っているのかもしれないね。 どの神を信じているかが問題じゃなくて、信じているということそのものが問題であるのかもしれない。
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ありがとう。 お釈迦さなはおそらく「ウケケケケ」とたたみかける否定の哲学を駆使したのであって、そこで言いたかったのは、お前たちは神を知らないではないか、お前たちの語る一切はゴミだと、そんなのありゃしないと言っていたのが宗教として体系化されたのだろうと思うよ。 それは信仰心に潤うお釈迦様の本心の方の無とは正反対で、それはすでに表している通り「空」の概念に近い。 今回君の意見にとって無とは仏教で語り継がれた、そんなもんありゃしない、の方の無だけが知識としてあるのだろう。 仏教徒は死者の軍団だよ。 その勇者としてものは試しに私相手に度胸試しをしてみたらどうかね。 すなわちお前の神を明らかにして見せよ。 好きなアイドル歌手や漫画キャラクターを明かしてみても同じ事だからそれでもいいよ。
>君達の語る信仰は神を表していない。すなわち無だ。 私の信仰は神を語らない事にある。すなわちこれも無だ。 したがって一切が無である。 そもそも信仰を持っていないし、それに関心も無いときは、どうなるんでしょう。これも「無」ですか。 しかしそもそも「有」でもないわけですが・・・。 >あなた自身の神を明かす回答です。 私はそれを、そーら見ろ無ではないか。 ウケケケケ と誘導するつもりです。 こういう風に自分で予告している所には、知性を感じますね。生憎と私には明かす神も無いのですけれども。ところで、こういう問答の果てに生き残った「神」は、どういう位置づけなんでしょうね。「最強」なんでしょうか。ポケモンバトルみたいだ・・・。もしよかったら、あなたが最強の序列でいいので、誰のどの神がより強く、弱いというランキングを示してもらえませんか。バトルがより盛り上がるでしょう。 以上、野次馬でした。
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ありがとう。 そんなあんたも何か信じていると思うよ。 たとえば人を信じていなければ社会生活が送れないようにだ。 神様の最強ランキングは判らないけど、昔々存命中の釈迦は、当時最強だったみたいだね。 私は誰かが何かを信じていると言えばそれは肯定するつもりで、ライダーキックはそのための正義に戦いだよ。
気持ち悪い人と関わってしまってそれで終わるのもなんなので ついでに考察。 もうね。 宗教なんか関わるものではなかったね。 地味にokwaveの哲学カテゴリーは 学者もわからない、とか言い始めるくらいのレベルのものも出始めています。 一部の情報については僧侶よりも詳しくやっていたりします。 そこまでやる必要あったのか? こんなところでやっているのが問題なんでしょう。 結局大学でやるしかまともにはできない気もしてきました。 とはいえインターネットを検索すればある程度は原文とか調べられるわけですから 遅かれ早かれ何らかの考察を誰かがする必要はあったのでしょう。 ぐだぐだでしたが。 べつに仙人みたいにならなくても 仏教ですら菩薩なんてのがありますからね。 涅槃に入らない、だって菩薩だから。とかさ。 まったく嫌になるね。 それで誰かが別のことを言い出す、と。 本当にうんざりする。
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気持ち悪い人とは私の事かな。 あんたが誰か名前に聞き覚えがないよ。 ここで出ているのは私の話を含めてトンデモ路線だよ。 あんたは真に受けやすいアホだから何かすごい事のように感じているんだよ。
- 雪中庵(@psytex)
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全ての存在的な認識は、認識体の感受表面に おける量子相互作用( 光だけでなく、音や触 覚のような運動量の交換や、味覚や嗅覚のよ うな化合物の反応も、 最終的には量子相互作 用であり、その“向こ う”にある媒質の違い に過ぎない)に過ぎません。 そこにおける、光や音のような情報性(先行 感覚)に対して、触覚や味覚のような実体的感覚の蓄積を相関させる、即ち経験(時間的 記憶)による予測(空 間的広がり)として、 時空は生じているのです。 その過去(経験)による未来(予測)による仮想的現在において存 在性が生じる時、その超光速(光速下と超光速領域を分ける認識体はブラックホールと相 同)における時空軸の転換において、仮想的延長において直交基底をなす時間軸(過去の経験)と空間軸(未来の予想としての空間的 広がり)は同一軸であ り、即ち、存在性の本質をなす不確定性原理における二対の相補性 、「位置(S)と運動 量(位置の時間的変化 St)」「時点(T) と質量(時間的相対運動Ts)」は、本来は同一軸であって「相補的」ではなく、仮想的 現在への延長においてのみ相補的不確定性を持つ“量子的存在性”は可能なのです。 全ての存在は、量子的不確定性=確率波動性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定断面の運動を想定すれば相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識します。 先述の認識の不完全さによる階層現象表面的な定性化による非光速性の派生は、その本質における無への還元を理解できない事により、その外部に世界を空想するのです。 無とは分からない事が、有なのです(夢=現実)。 物理とは、その仮象的な世界を無へ還元する過程であって。
お礼
ありがとう。 私は中学生の数学も判らないほどのアホだよ。 今回は人間に関して語っているのだけは判った。
- kurinal
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「欲しい」 なるほど
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ありがとう。 欲しがると言うのは私にとってそそのかされると言う意味だよ。
- 0fool0
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無と言う神様が欲しいだけ
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ありがとう。 何の話しだね。
お礼
ありがとう。 気を使ってくれてたんかい。
補足
どうでもいい事だがかつてのコメントに教養を疑われるような不備があったので補うよ。 > 私は芸術家でね、美を創造し表現する事とは当事者にとっては自己表現だよ、その表現の内情は自らの心そのものだ。定説ではそれが純粋な愛に近いほど美しいと言う事になっている。まあ、一応の目安だ。 愛が純粋であるほど美しいと言う事だろう。