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和歌に詳しい方のご指導をお願いします

斎藤茂吉の和歌「あかねさす昼なりしかば少女らのふりはへ袖はながかりしかも」(『赤光』所収)の解釈を試みました。あえて強引に進めています。どうぞ誤りをご指摘ください。  和歌が難解に見えるのは、必ずしも高尚に作られているからではなく、むしろ遊び心がそのように見せるのかもしれない。この和歌は一読すると、特に引っ掛かりどころのないものに思われる。「ふりはへ袖」が咄嗟に、どのような種類の振袖なのかといぶかしく思わせるが、「ふりはへ」は「ことさらに」という意味の副詞なので、「ことさらに袖が長く見えた」ということになる。しかし、この「ふりはへ」を、「ふり」「はへ」と二つの動詞に分けてみるとどうなるだろう。まず、「ふり」は、昼の日射しが「降り」と、「振袖」あるいは「袖を振る」の「振る」の掛詞で、なおかつ、「袖」の縁語と受けとれる。また、「はへ」は、昼の日射しを受けて「映える」ことから、「昼」の縁語と受けとるのも可能だろう。このように言葉の選別がなされていると思うと、あっさりと読み流しのできない、愛すべき佳品として浮き彫られてくるのである。  歌意は「日射しのまぶしい昼間なので、少女らの着物の袖が光り輝いて振られ、長く鮮やかに見えるなあ」となる。時制は過去だが、韻文においては厳密に定められたものではないので、雰囲気を尊重して現在形に訳しておく。  なお、穿鑿をすると、長く見えたという袖は、もしかすると袖そのものではなく、鮮明に浮き出た影の袖なのかもしれない。少女らがあまりにもまぶしく、内気な青年にはそれを直視できなかったからかもしれないからだ。

みんなの回答

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.2

和歌に特に詳しい者ではありません。 斎藤茂吉は私が尊敬する歌人の一人です。殊に印象に残るのは「死に給ふ母」の連作です。 その中で、彼が万葉語を古代を上回るほどの巧みさで使っているという印象があります。例えば枕詞を取り上げても、次のように「母」にかかる「足乳(たらち)ねの」と「ははそはの」を(生身の)母を歌う時「足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり」と使い、一方火に焼かれる母を歌う場合は「ははそは(柞葉)の母は燃えゆきにけり」と使い分けています。  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり  星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり     http://www.geocities.jp/sybrma/91syakkou.syohan.html  質問者が取り上げられた歌も、「あかねさす」(茜指す)が昼にかかる枕詞である以上に、陽光を思わせるとともに、少女らの和服の色をも連想させる働きがあります。更に、質問者がおっしゃるように、「ふりはへ袖」は「振り袖」そのもを表現しているいって過言ではありません。辞書で説明している「ことさらに」の意味は全く感じさせないと思います。 (No,1の方が引用されている古今集の例を見て驚いたのですが、「ふりはへ袖」が使われていたのですね。茂吉がそういう過去の用法を知っていた可能性はあります。)    質問者の意向に逆らうような事を二件、申し上げます。「縁語・掛詞」のような事は考えない方が良いのではありませんか。こうしたものは王朝時代の遊戯的な歌い方で、茂吉のような真摯な歌人には似合わないと思います。  もう一件は、「き」という助動詞の使用についてです。「過去の直接体験を回想する」というこの語は、いわゆる「過去の助動詞」としてでなく、実体験の回想であろうこの歌にふさわしい語だと思うのですが、いかがでしょう。一首の中で二度も使っている所をみると、軽く受け取るのはむしろ誤りではありませんか。 >時制は過去だが、韻文においては厳密に定められたものではないので、雰囲気を尊重して現在形に訳しておく。  訳するのはそれでもいいけれど、解釈・解説ではむしろ積極的に触れるべきだと思います。  以上、質問の意図に添わない回答になったことをお詫びします。

kamonobu313
質問者

補足

たいへん興味深い回答をくださいまして、ありがとうございます。縁語や掛詞にこだわるつもりはないのですが、この短歌においては茂吉の遊び心も感じたので、あえて技巧に着目してみたのでした。本歌取りであることを知った以上は、一応、掛詞については当てはまるのかなと思っています。 過去の助動詞についても、どうしても現在形・完了形で訳したかったわけではなく、日本語における「時制のあいまいさ」を念頭に置きつつ、臨場感をもってこの短歌を訳す際に、過去形の縛りを緩めてみたらどうかという試みをしてみたのです。他の回答者の方から教えていただいて、柔軟に訳すことが誤りではない、ということで一応の納得をしています。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.1

斎藤茂吉のこの短歌について。 1. 解釈 1) 品詞分解 あかねさす(「昼」にかかる枕詞)…光り輝く 昼(時分を指す時の名詞) なり(断定の助動詞「なり」の連用形) しか(回想の助動詞「き」の已然形) ば(状態の並示の接続助詞「ば」) 少女ら(名詞+複数を表す接尾語「ら」) の(格助詞「の」の所有を表すの連体格用法) ふりはへ袖は(ことさら行う自動詞「ふりはふ」の連用形型体言+振袖を指す掛け言葉を含む連語を成す名詞「袖」+格助詞「は」) ながかり(形容詞「長し」の連用形) し(回想の助動詞「き」の連体形) かも(詠嘆の終助詞「かも」) 2) 通釈 光に溢れたお昼時分だ。女学生たちが会話の興に連れて、その手を振っての陽気な仕草のあまり、それでなくとも長い振袖をことさらに振り延(の)ばしているのが目立つではないか。そんな「少女さび(少女らしい振舞い)」を眩しくながめたこの時に、つくづくと風光る季節の到来を覚えた事だよ。 2. 鑑賞 1) 背景 大正2年旧暦3月は桜舞う季節の、青山女学園門前での卒業式か修行式の光景だろうか。 茂吉31歳にして、一年後に結婚する輝子は13歳下の18歳で、この頃は厳格な乃木が院長を務める学習院に通っていたことになろう。自宅の近い青山女学院の同年齢の少女たちの振り袖姿の「少女さび」振りは、輝子への如何なる思いと重なって、如何ばかりの感興が茂吉の心中に懐かれていたものなのか。 2) 本歌取り 「春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ(古今22)」 紀貫之のこの若菜摘みの少女たちが醸し出す朗らかさ、その様を遠望したこの和歌を連想させられます。

kamonobu313
質問者

補足

とても勉強になりました。特に、本歌取りであることを知ったのは有益でした。丁寧にご回答くださいまして、ありがとうございます。

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