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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:情欲のない生殖とは どういうことか?)

情欲のない生殖とはどういうことか?

このQ&Aのポイント
  • 性欲はあってもそれ自体のためにするという思わくや意志行為はない。
  • アウグスティヌスが主張する「情欲のない生殖」は楽園の幸いにふさわしい結婚であり、恥ずべき欲情がないという状態を指す。
  • この状態は現実の例証はないが、肢体が欲情なしに意志に仕えることができることから信じがたくないものではない。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#221368
noname#221368
回答No.1

 劣情ゆえではなく、愛するが故に抱け、という事でしょうか?。親が子を愛すが故に抱くように。でも人間してしまうと、気持ち良くなってしまうように出来てるので、快感はお釣りかお土産くらいに思えるようになれ、という事かな?。  生殖行為付のプラトニックラブは可能か?という問いにも見えますが、自分にはとても無理難題です。ただ自分も結婚して20年以上たちます。ニャンニャンの回数は、当然減りました。暴力的な図式でニャンニャン=恋と考えると、いま自分は恋してない事になる。  それでも一緒にいられるし、信頼もしている。喜んで欲しいとも思うし、喜んでくれれば、こちらも嬉しい。赤の他人が何十年も一緒にいるのは、けっこう難しいと思います。では愛か?というと、「愛なんかわかりませんな」と、自分は言うしかありません(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 でーでーてーさんが 最初の回答者ですか。まづは ご回答をありがとうございます。  現実的なご見解であると思いました。    あぁ これをもコーヒーブレイクにすればよかったかな。  ★ では愛か?というと、「愛なんかわかりませんな」と、自分は言うしかありません(^^;)。  ☆ ここは 共有します。単純に そう感じます。  お察しのように 答えをわたしは知りません。  アトランダムにお応えしていますが  ★ 劣情ゆえではなく、愛するが故に抱け、という事でしょうか?。  ☆ たぶん 劣情と性欲とはちがう。のではないかと いま考えました。(かつて考えたこともありましたが 忘れていました)。  ★ 生殖行為付のプラトニックラブは可能か?という問いにも見えますが  ☆ うまいこと 言いますね。でも  ★ 自分にはとても無理難題です。  ☆ ですか。たぶん 変な言い方をすれば プラトニックラブそのことに生殖行為が含まれている。と言ったほうが 分かりやすいかな。それでは プラトニックではなくなりますが 敢えてそういう表現になるのではないか。・・・いや 分かりません。    ★ ・・・快感はお釣りかお土産くらいに思えるようになれ、という事かな?。  ☆ すなわち・つまり プラトニックラブに生殖行為がそなえつけられていて それとしての快感がある。と言ったら おかしいですか?  あと この問題では 相手が 互いに生涯の連れ合いであるといったことになっている。(想定としてでも)。というふうにも感じられます。  さらに 展開していける場合には どうぞ。

その他の回答 (4)

  • Tefu_Tefu
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回答No.5

こんにちは 単為生殖ですね http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%98%E7%82%BA%E7%94%9F%E6%AE%96&oldid=50764743 イエス・キリストのことかと思いましたらありましたよ。「処女懐胎」 ということはキリスト教は雄のみの産雄単為生殖(ハチ、ハダニ)のような社会形成を目指していたとか?

bragelonne
質問者

お礼

 ちがいますよ。ご回答はありがたいですが ちょっと逸れて行っていませんか?  ▼ (アウグスティヌス:結婚の善) ~~~~~~~~~  おのおのの人間は人類の一部であるが 人間の本性は社会的なものであって 偉大な自然本性的な善と また友愛の力をもっているので そのために 神は人間が種族の類同性によるだけでなく 血縁の絆によっても その社会性において結び合わされるように 一人の人間からすべての人間を造ることを欲した。  したがって 人間の社会の最初の自然的な結合は 夫と妻である。神は かれらを別々に造って いわば無関係なものを結び合わせたのではなく 女を男から造り 女がそこから取り出され形成された脇腹に 結合の力を印づけた。(創世記2:21-22)。  なぜなら いっしょに並んで歩く者たちは 脇のところで結びつき 歩いてゆく方向をいっしょに眺めるからである。その結果 子たちにおいて社会の連続は生じるが かれらは男と女との結合ではなく 性的関係の 唯一の真実なる果実である。なぜなら それぞれの性において そのような混合なしにも 一方が支配し 他方が服従するという 友愛的で真実な結合はありうるからである。  (《結婚の善》 1・1 『アウグスティヌス著作集』vol.7 岡野昌男訳 1979 所収)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このように《結婚の善》なるひとつの論文を書き始めています。  社会的動物たる人間の社会性あるいは共生性 これの発端を 男と女との結びつきに見ています。子孫を残すために結婚は善であるというのではなく・つまりあるいは それだけではなく 婚姻がそれ自体において とうといと言っているはずです。  もっともこの引用の最後のところでは 意味が取りにくいことを言っています。この婚姻による結合が 《男の女とは 支配と服従の関係にある》ことを言うのだと採るとき――つまり 最悪の解釈を採用するとき―― きわめてふるいことを言っていると言わねばなりません。マチガイでしょう。  といったところをもってお応えとします。

回答No.4

本能による短絡的衝動の発露としての性行為ではなく、 認識的な他人の喜びへのシンパシーとしての愛、 あるいはより深い認識による種の維持への貢献= 博愛も伴うものとしての生殖行為といった、生きる= 進化のもたらす様々な側面がある。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  それにしても この質問の質疑応答は なかなか筆がすすみません。  うけたまわりましたと言って 返答とするわけにもいかず。・・・  ★ 本能  ☆ というのは 人間にあっては 本能にもとづく衝動に従うことをおのれの意志とする意志行為のことなのでしょうね。  そうしますと 意志行為として どういうふうに《情欲無き》を実現するか。これは けっこうむつかしいのでしょうか。それとも 《認識》の問題なのでしょうか。  ★ 認識的な他人の喜びへのシンパシーとしての愛  ☆ むつかしいですね。生殖行為にあたって そのときこういった認識を持つのかどうか。あるいは その愛が 互いに自覚的に持たれているのかどうか。・・・  おっしゃっている内容は なかなか実践としても理解としても むつかしいと まづは感じました。  ★ 博愛  ★ 進化  ☆ それぞれは 同じ分野ではないように思いますが これらも その認識をともなうというふうにお考えなのでしょうか。ううーん。そこまでの世界認識をともなっているということでしょうか。  考え過ぎといったことではなく そうではなく 世界との一体感のような自覚をともなった認識があるということでしょうか。ううーん。  うけたまわっておきたいと思います。

回答No.3

過去の哲学者の事は判りません。 私の経験で言えば、私はGANGUTENの一員で、普段子供をそそのかして、子供の乏しいおこずかいをむしり取ったり、子供を盾にして、その親から金銭を巻き上げたりするやくざ者です。 普段子供と係る私は、性交の意味を生殖としか見なしておらず、子供が欲しいからそのようにすると言う、それだけの意味しか理解できません。 そうするとかつて青臭いころには私にもあった、快楽に酔いしれる、性交のみを目的にする行いは、忘れ去った過去です。 性交のみを目的にすることは、例え話ですが、淫慾の快楽を欲する男と、同じく淫慾を欲する女が、お互いに協力しながらも、別個に自慰をする事とも定義できます。それが成立しうるなら生殖を前提としない性交もあるでしょう。 私にとってそれは、もはや考えられない事です。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  応答するのにむつかしい主題でした。  そうですね。  まづ 性欲と情欲とは 別だという認識を持ちます。  そして 《情欲のない生殖》とは それでもふつうに配偶者どうしとして家庭を持つことを 基本とすると思います。  それ以上のことは わたしには なかなか成案がありません。  あえてものをもうすならば たぶん その婚姻の生活を基礎として ほかのことは たとえば《生殖のみを目的とするうんぬん》といった目的などの規定を あらかじめ・人間の考えとして 決めておくというのも 何だか そぐわないかなと思ったりします。でも よく分かりません。  でも ご自身の方針といったこととして よく分かりました。うけたまわっておきたいと思います。

  • alphaXXX
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回答No.2

実話かは分かりませんが江戸時代にゲイの男が家の義務として妻と子供を作り、子供が出来てからは妻とは一切の子作りはしなかったという話を聞いたことがあります。 古代インドで出家をしたい男が家の義務として子供を妻に産ませてから出家してそれ以降は異性を断ったという話も聞いたことがあります。 プラトニックラブの語源となったプラトンは「恋愛は男同士で行い、女とは子供を作る義務を果たすために肉体関係を持つ」というようなことを言ったそうです。 まさにこのように別にやりたくもないけど社会的な義務から子供を作るために女性と肉体関係を持つことがそれに当てはまるかもしれませんね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  あぁ コーヒーブレイクとしての質問にしておけばよかった。  みなさんのご回答に対して 大した応答も出来ないのに 挙げてしまった。  むろん それゆえ 質問であることにもなるのでしょうが。  それにしても 反応しづらい主題をえらんでしまったものです。  ええっとですね。    まづ基本として言えることは 《結婚は 善である》だと思います。義務としてみとめられるといった問題ではなく そうではなく 両性の婚姻は 人間の社会性にとって 基礎であり 家族は 基地のような役割りを成すように思います。  ですから 子をつくることが義務であったり その義務を果たせばよいといった考え方は わたしにとっては よその話になります。つまり 分からないといった感覚です。  それから 《出家》は これも問題にならないと――ここでは――思います。次のことがらとも関係していると思います。  あと No.1のやり取りにも書きましたが 性欲と情欲とは 別ではないかと考えています。性欲を避ける必要はないのではないかと。  まとまりのない書き込みですし ご回答内容の全部にはお応え出来ていないかと思いますが まづは このように考えています。

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