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老子、荘子の理解について

老荘関係の本を読んでいて思ったのですが、 荘子、老子は理解が難しいものなのでしょうか? 直感的に理解するものなのでしょうか。 私はわかっているつもりです。(分かるっていうのも変かも知れませが)

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  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.4

理解の手順や道筋、理解にたどり着くまでがすべて違っていて そして理解の深さも、そのつど違ってくる。 同じ人であっても、同じものから同じ理解ではなく より深い理解になる過程でも道筋が違う。 そんな所が「理解の難しさ」言われる所縁ではないでしょうか。 老子・荘子曰くの事に何度も自分を映し出して、より深い理解へ向けて 何回も何十回も何百回も、もしくはそれ以上の理解が繰り返されて そのつどたどり着く場所の風景も違う。 「分かったつもり」が本当に「つもり」だったなと 何度も繰り返し思わされる。 「分かっていること」は「今の時点で分かっていること」に過ぎないと 身に染みるほど経験して、それでもなお道を歩き続ける。 理解の最終章があるかないかなども分からず、自分にとっての最後の風景がどこなるのか分からず それでも進んでいくことをやり続けるってのが醍醐味ですかね。 理解の答えは無限にあって、それぞれは違いでしかないってのも東洋の最たるもので面白いです。 体験上、そんな感じに私は思ってます。 理解の深まりが急激に変化するとき、昨日の理解と今日の理解が違う 朝に理解していたことと夕方に理解したことが違う。 そんなのを山ほど体験していくと、少しずつ老子の云わんとしていることが 自分の中で形作られていくように感じますね。 他の哲学者や思想家の話しも、より理解できるようになってきてると思います。

m2150
質問者

お礼

↑のがお礼です。 すいません。

m2150
質問者

補足

はぁ~、なるほど。私も老荘関係の本を読む度々に、前の感覚や理解もなんとなく?違います。 また、日頃の意識も、違ってきますね。 まさに、長い長い道、って感じですね。 終着点があるのかどうかわかりませんが。 同じ道を通っているのかもしれませんね。 ご意見ありがとうございます。

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

(荘子) >「凄いですよね~」 はい。「ファンタジスタ」と思います。 (2000年以上前の人物である、というのは、割り引いてね)

m2150
質問者

お礼

ファンタジスタですか・・ お固い感じじゃなくていいですね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

m2150様、こんばんは。 老子は、「無為自然」(あるがまま)を説いた?と思います。 (というか、「その理を明かした」?) で、荘子は、それをもっと、・・・というのが、荘子って凄いね。

m2150
質問者

お礼

老子の無の思想を深めた所ですかね? 無と有を対立をなくしてすべてを包み込むのが真の無 でしたっけ。 凄いですよね~

回答No.6

老子は、生きること、生命を優先する思想です。道徳、知識、地位 よりも、まず生きることであり、健康であることなんです。 これを体得する一つの方法が気功です。また、境地からすれば、何事にも振り回されないということから、座禅にも近いです。 振り回されない境地から、生命力がわいてくる。落ちつきの中から、洞察力もでてくる。赤子のような素朴さもでてくる。寛容な性質もでてくる。 このように、老荘思想は境地を説明したものに間違いはなく、それは分別知の働きをこえたものを含んでいます。 気功や座禅による体得、そして特にそういう修行ではなくても生活の中での体得、そういうものが老荘思想の中心であろうと思います。

m2150
質問者

お礼

老子って人為による長生は否定していたような・・ そういえば老子は道教の教祖されてましたっけ。 そこから気功の考えがうまれたんですかね? ご意見ありがとうございます。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.5

>腑に落ちるってことは、体に覚える、ってことですかね 「判る」ではなく、「判っていた事に気付く」

m2150
質問者

お礼

なーるほど。 ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

ここら辺りが、西洋哲学と異なるところです。 西洋哲学は、所与を起点として、理詰めで 考察していきます。 ところが、老荘などは、いきなり結論だけが 述べられます。 そして、概念についての説明などありません。 「道」といいながら、道についての説明はされません。 だから、己のレベルに応じた理解になってしまいます。 そこら辺りが難解と言われる所以でしょう。

m2150
質問者

お礼

あ~、西洋哲学との違いは本で見ましたね。 やはり、直感的に理解する所が難解なところなんでしょうね。 ご意見ありがとうございます。

m2150
質問者

補足

己のレベルってどういうことですか? 教えていただけたらありがたいです。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.2

人によりけりです。 その人の修行の段階で、理解するべき事・出来る事は変化します。 「その時」が訪れていれば、それに合った教えが理解出来ますが、縁が無ければ唯の文字の羅列に過ぎません。 同じ本を読んでも、「腑に落ちる」時が訪れるまでは何度読んでも、憶える事は出来ても理解は出来ません。

m2150
質問者

お礼

腑に落ちるってことは、体に覚える、ってことですかね。 ご意見ありがとうございます。

  • OYAZ1962
  • ベストアンサー率21% (15/69)
回答No.1

老荘思想の真髄は○○だと思いますが? みたいな感じでないと、回答できません。

m2150
質問者

お礼

え、そうですか。 すいません。

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