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格調高い文章の条件は?
格調高い文章というと、貴方はどういう文章をイメージされますか? 漢文調で、ちょっと思想の入った文章を、私などはイメージするのですが、 私の狭い知識では、藤村操の遺書「巌頭之感」とか、文章ではありませんが、島崎藤村の七五調の新体詩とか・・・ 現代口語で書かれた文章で、格調の高さを感じるものがあるでしょうか? この文章はなかなか格調高いと思われるものがあれば、紹介して頂けませんか? 宜しくお願い致します。
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「格調」「神韻」「性霊」と称する三詩説からして、そもそもは中国詩文に由来するものでしょう。我が国においても、鎌倉末期から室町期での入宋僧や入元僧らによりそれらの漢文学が伝来され、いわゆる五山文学での四六駢儷体での格調はともすれば華美な様式美に流れやすかったとされています。 安土桃山期での能や謡、またわび茶などの芸道において、磨き上げられた姿としての格調がその精髄に流れていたのだと。 江戸元禄期に天才俳諧師が仏頂和尚に嗣法し「詩禅一致」「一所不住」の魂魄で記された文集「おくのほそ道」には不易流行の格調が湛えらえているのだとも。 幕末期に漢詩文が己の選ぶべき志として、あるいは仲間への檄として、はたまた蒙昧反動の徒への弾劾として甦ります。象山や松陰において、また藤沢周平描く雲井龍雄など、多くの犠牲の上に残された文章には命を懸けた格調が息衝いています。 進取と因循の逆巻く明治期においても、若者の間で絶叫に近い漢詩文が生まれますが、その多くは自身の命を懸けての美学、その憧れと償いの格調であったのかも知れません。 満16歳の藤村操が一つ年上の女子に手渡した書が「滝口入道」であったことからも、格調ある美文の範といえば高山樗牛と目されていたものでしょう。 藤村に刺激を与えた親友北村透谷の攻撃的なあるいは厭世的な詩文にもまた若者ゆえの気負いの色濃さに裏打ちされた格調が感じられます。石川啄木においても況やでしょう。 その後漢文調が廃れ口語文一色となるに至り、もはや詩文での格調なるものは立ち消えていったのではないでしょうか。 ただ、例えば須賀敦子への追悼にあたって吉本ばななは次のように語っています。 「豊かで、力強く、品があり、激しさを秘め、静かに深みをたてている。そういう美しい旋律のような文章を書くことができる稀な人でした。」と。 格調の高さとは豊かさをたたえた「美しい旋律」のことなのだとするならば、時代を超えて今日においてもそれはなお息衝いているものでしょう。
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- mstk2
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千早茜の『魚神』は、いかがですか。 漢文調とは正反対の、やまと言葉の極致という文体ですが、 異空間に引きこまれるような印象を受けます。 http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%9A%E7%A5%9E-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8D%83%E6%97%A9-%E8%8C%9C/dp/4087467864/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1376431993&sr=1-1&keywords=%E9%AD%9A%E7%A5%9E
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回答ありがとうございます。 格調高いやまと言葉というのを読んでみたいです。
- guess_manager
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http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/333211.html 池澤冬樹さんが格調高いと絶賛している小説家の阿郷舜はどうでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 機会があったら読ませて頂きます。
お礼
回答ありがとうございます。 格調高いとはよく言いますが、さてそれでは、どういう文章が格調高いと規定出来るのかというと、そういう基準は誰も喋っていないようですね。 須賀敦子さんの文章にも触れてみたいと思います。