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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:中学、高校の国語の授業についてです。)

中学・高校の国語の授業についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 中学・高校の国語の授業について疑問があります。教科書に載っている作品への長時間の授業は役立たないと思います。多くの文章を読み、定期テストで扱わなかった文章から出題すべきです。
  • 中学・高校の漢文の授業は必要でしょうか?古代の漢文を教えることに違和感がありますし、外国の文学を扱うこと自体も疑問です。
  • 大学入試センターの現代文の配点が少なすぎると思います。全体の半分では不十分で、せめて7割、140点くらいはあっても良いと考えます。

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  • nebnab
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回答No.4

No3です。 さっそくお礼をいただき、恐縮です。 さて、そのお礼の内容についてコメントします。 >(1)について、個人的な意見として、高校で国語力を上げるのは、大学に受かるため、あるいは大学生や社会人となってから、高度な論文などを読むためではないでしょうか? 大学に受かるためかは別にして、高校で国語力をあげるのは将来難しい文章を読みこなせるためである、という点には私も同意します。 ただ、その訓練の方法としては数多くの文章を読むだけではなく、ひとつの文章を一字一句もゆるがせにすることなく熟読する訓練も重要と考えます。 多読は自力でもできますが、熟読は他の人の意見も聞きながら複数人でやるほうが私の経験上からいって効果があります。高校では国語の授業の時間がそれに一番適した時間でしょう。 関西トップクラスの進学校である灘高校には、かつて1つの作品を数ヶ月どころか3年かけて読むという国語教師がいらっしゃいました。 http://matome.naver.jp/odai/2130880487775942101 >授業を理解する事自体に、ほとんど意味はないと思います。 先生が言ったことを覚えてそのとおりに定期テストの答案に書くだけなら質問者様のおっしゃるようにほとんど意味がないと思いますが、授業の過程で個々の言葉についてじっくり考えた経験は将来きっと役に立ちます。 質問者様のうけられた現代国語の授業が生徒にも十分考えさせる授業であれば大いに意義があったと思うのですが、もし単に先生の解説をまる覚えしなさいという授業だったのであれば、質問者様のお気持ちもよく理解できます。 生徒にも十分考えさせる授業であるならばという条件付きで、1つの作品を数ヶ月もかけて学ぶ国語の授業は有効と私は思います。

noname#189769
質問者

お礼

再度、回答頂きありがとうございます。 進学校でも長期間読む先生がいるのですね。 私の受けたテストですか。授業の丸写しに近い問題も少なくありませんでした。

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その他の回答 (4)

  • Ae610
  • ベストアンサー率25% (385/1500)
回答No.5

# 身分・・・とうの昔に学校教育を終えているその他大勢の一般人の中の一人である盆暗爺・・・! 1. 受験勉強と割り切って考えるならば、多作観賞は或る意味必要のようにも思われる・・・! ・・・が、当方の考えは、自分で興味を覚えた物事について、自分で選んだ一冊の書物と徹底的に向き合う事の方が後々得られる物が多いように思う! (ANo.4で紹介されている橋本武先生の流儀を支持する・・!) 2. 一党独裁支配の続く現中国から得られるものは何一つ無い・・!! 日本は、「随」(・・・?)から始まる古き良き中華民国から学んできた物が多くを占めていると思っている! ・・・なので、<現代文の中国語を教えないのに古代の漢文だけを教えるのはおかしい> ・・・の考えは相容れない・・! 必要かどうかは置いといて・・・、(個人的には「漢文」には興味があるので!)無くしてしまう事までしなくても良いのではと思ったりする・・! 3. (配点等の・・・)受験内容に関する事については無知であるため・・・・パス!!

noname#189769
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • nebnab
  • ベストアンサー率34% (795/2317)
回答No.3

日本語に大いに興味のある一般人です。 (1) No2さんの意見に、1-1、1-2については全面的に同意します。 1-3について。 >定期テストでも同じ文章を出題して、設問までも授業に沿った内容でした。 >定期テストにおいても授業で扱わなかった文章から出題すべきと考えます 定期テストは授業の理解度を測るものですから、授業で扱った文章を授業に沿った内容で出題するのは当然の事だと思います。 入試対策は定期テストとは別に、問題集を解くなり模擬テストを受けるなりすればいいのです。 中学・高校は高校・大学の入試予備校ではないのです(これは建前に過ぎないのかもしれませんが)。 (2) 漢文は日本の古典なので、漢文の授業は必要と考えます。 中学・高校で習う作品は古代中国(漢~唐)の作品がほとんどだと思いますが、これは昔の日本の教養ある階級の人々にとっては知っていて当然の作品でした。 古代東アジアにおいては中国語が教養階級の共通語であり、中国で書かれた文学作品を知っているのは当然のことだったからです。 また、中学・高校では個別の作品はあまり習わないと思いますが、日本人も多くの漢文作品を作っています。 昔は公文書も漢文で書かれました。 漢文の知識がないと、日本人が書いた漢文作品も読めません。 現代は残念ながら古典があまり顧みられない時代になってしまいましたが、古典の読み方のさわりくらいは学校で学んでおくべきと思います。 (3) 大学側の要求として、古文・漢文もしっかり勉強しておけということではないでしょうか。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 (1)について、個人的な意見として、高校で国語力を上げるのは、大学に受かるため、あるいは大学生や社会人となってから、高度な論文などを読むためではないでしょうか? 授業を理解する事自体に、ほとんど意味はないと思います。 ただ、他の方もおっしゃっていますが、学生の学ぼうとする意欲度を問うためであれば、現在の定期テストにも意味はあると思います。

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回答No.2

暇な一般人です。 (1-1)1つの作品につき長時間の授業をしても、あまり役立たないでしょう。 そうは思いません。授業の内容が濃ければ、1つの作品をじっくりやっても、多数の作品を取り上げても同じだと思います。授業が表面的ならば、どちらもあまり効果はないでしょう。多数の作品を取り上げた場合、授業の進め方や生徒の状態によっては、ただ目先が変わっただけでまったく実質的な学習にならないことがしばしばあるそうです。国語も無意味な暗記物ではなくて、理解や思考を深めることを目的にしているなら、授業内容は濃くないとならないでしょう。一つの作品を取り上げる長時間かけても、表面面を追うこともあると思いますが、個々の意味や表現、全体の構成、関連する事項などを取り上げていくのであれば、文章の理解には多数の知識があることが大事なこと、表現を表面だけで理解しないことなどが自然に身につく可能性もあると思います。 (1-2)とにかく多くの文章を授業で読み それが良い場合もあると思います。ですが、それはある程度しっかり作品を読む力を持っている人について言えるだけです。作品の理解や文章理解があまりできない人の場合、同じ100時間を使っても、「1作品を読んで説明してもらい次の作品に移る」ことを繰り返すと、100時間がほとんど無意味になることは多いように思います。 (1-3)定期テストにおいても授業で扱わなかった文章から出題すべきと考えます 私もその方が良いことが多いように思います。ただし、「定期テストでも同じ文章を出題して、設問までも授業に沿った内容にする」ことがダメということもないと思います。1つの作品を長時間かけたということは、多くの説明を、多方面からしているのであれば、30人の生徒がちゃんと授業を聞き、理解するように仕向けるのは大変です。10人くらいの生徒は、途中でまだ不十分な理解しかできていないにもかかわらず、その作品はわかったつもりになって、もう興味を失い学習意欲を失い、授業を聞かない状態になる危険があります。そうした生徒でも最後まで授業内容を聞いているだけは聞いていて、授業内容だけでも一時的にでも記憶して欲しいと先生が思ったのであれば、テストはひねった問題でなく、授業で説明したままを出すかもしれません。十分に作品理解できる生徒には、あえてテストで何かを採点しなければなならないこともないでしょう。(入試の選抜試験ではないから)十分に作品理解ができる力がついている生徒には校内試験をする必要もないと先生は考えているのかもしれません。   (2)中学・高校で漢文の授業がありましたが、これは必要ですか? 難しい質問です。私は老人です。私が高校生の頃、大人の知識人は漢文、漢詩の知識もたくさん持っていて、日常会話にもしばしばでて来ました。文学作品を読もうとしたとき(多くの作品は、明治や大正、昭和の作家です)漢文漢詩の知識なしには、理解が難しいことがたくさんありました。今後、2020年とかになった場合、日常会話で大人が漢文漢詩を引用することは多くなさそうに思います。文芸作品でも、平成の作品でそういうものがないとわからないものは急激に減っています。もちろん、漢文、漢詩の知識があった方が良いでしょうが、現代風俗や、科学、国際事情、社会的話題などを理解する力と、どちらをより優先するか、そのバランスはどうかだと思います。なお、国語が日常会話や新聞、テレビの理解力だけでなく、50年以上前の日本の文芸作品の理解もできる力の獲得を目指すのであれば、日本では漢文や漢詩の知識はある程度必要ですから、学校でこうした授業があるのもわかります。また、おそらく国語の授業で、外国作品の翻訳文を取り上げることもあるのではないですか。漢文や漢詩は、もとは中国語ですが、日本ではそのままの形で昔から読んだり書いたりしています。中国語の発音ではなくて、書き下しの形で読むように習うことが多いと思いますが、それが昔からの「日本の慣習であり日本の知識、日本の文学的理解の源」だからだと思います。   (3)学入試センターで、現代文の配点が全体の半分しかないのは、少なすぎませんか? 私には、まったくコメントできません。英語の配点が多いのでしょうか? もしそうであれば、大学で学ぶ学生を選抜するという目的からしたとき、現代文は受験生はある程度できて当然なら、現代文のテストには重きを置かないのではないでしょうか。英語は中高で学校の勉強をまじめにしたのかどうかを判定するときに役立つテストと大学が思うのであれば、大学で熱心に勉強する学生を選びたいという立場から、英語に重きを置くのかもしれません。 自動車免許のテストでは英語は軽視されます。国語も極く簡単な理解ができれば、運転免許では問題ないと見るようです。テストというのは、運転免許、資格取得、大学入試、就職試験など、そのテストのネライで、試験内容も配点も変わるのだと思います。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 (1)について、1つの作品に多くの時間を割くことが良いという意見もあるでしょうし、それなりの理由もあるでしょう。 しかし、私は同意できませんが・・ (3)について、確かにまじめに勉強してきた学生を選抜する目的で、試験を行うというのは納得できます。

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  • marisuka
  • ベストアンサー率39% (671/1704)
回答No.1

一般人の国語好きのおっさんです。 (1)について  全面的に賛成 (2)について  国語という教科の守備範囲を考えれば、漢文は国語科に含まれるでしょう。日本の書き言葉は漢文から始まり、漢詩は日本の文芸に大きな影響を与えましたから。古典の一部と考えられます。時間数の割合は多くなくていいかもしれませんが。  現代中国語は外国語であって、国語の守備範囲外です。しかし外国文学の訳文は翻訳文学というジャンルでもあり、日本で出版されている書籍であるなら守備範囲内です。  まあ大学入試のためだけに学習する高校生にとって、という話ならば、漢文など邪魔者かもしれませんが。 (3)について  それをここで議論しても制度も配点も変わらないので、意見は控えます。  感想としては、(2)の観点から、現代文4、古文2、文法など知識的な問題2、小論文1、漢文1くらいの割合ならいいのになあ、と思いますが。ありゃ、センター試験に小論文は出せないのか。

noname#189769
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 確かに、古代の漢文日本語の現代文や古文に大きく影響を与えていますね。

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