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「最善」とは

 日本語を勉強中の中国人です。日本の皆様は「最善」をどのようにとらえていらっしゃるのでしょうか。この世を生きていくために、「完璧」を求めるのは無理だと思っていますが、考えてみたら、「最善」を求めるのも案外難しいのではないでしょうか。最善であるかどうかはどんな基準によって決められるのでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ast0718
  • ベストアンサー率41% (35/85)
回答No.4

最善,best,理想,最適解,optimal 最善はそれぞれの人の心の中にしかないのではないでしょうか。 私は本質的に正しいことというのはこの世に存在しないものだととらえていますので 私にとっての最善とは「決定的な間違いをしないこと」になります。 決定的な間違いをしないためには日々の鍛錬が必要になります。 また間違いが起こってしまったとき、間違いが起きて認めることは辛いことですが、 次に間違わないためには必要になります。 完璧はかなり違いますけど、実現可能な上では最善ではないかと私は考えます。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に回答していただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。

その他の回答 (11)

回答No.12

世界は、認識される事で存在しています=生きる目的は精神的充足の追求です。 そして認識する事と存在する事が同根である時、生きる事は存在する事だけではなく、認識を深める事を包含し、生きる目的に於いて物質的繁栄は部分的要素であって、真の生きる目的は「人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)」となります。 それは単なる短絡的快楽主義ではなく、『人生を通算』した大きな目標を認識する事であり、人類はそこにおいて社会性(組織化・分業化)を可能にし、その自律的社会行動=愛による社会性において、最大限の認識の深まりによる最大限の共同による達成感の共有=精神的充足量の最大化=「最善」は可能になるのです。 まとめると、下記のようになります;         存在すること            ↓ 生きること     +     認識を深めること    ↓                ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及    ↓                ↓ 自律的社会行動(生産)× 社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー) 1. 我等は、認識する個体である。 2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。 3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。 4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。 5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。 6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。 7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。 8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。 9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。 10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。 11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。 12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。 13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。 14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。 15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。 16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。 17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。

awayuki_cn
質問者

お礼

 すみません、とても難しいです。ご親切に回答していただき誠にありがとうございましt。

noname#176651
noname#176651
回答No.11

 哲学的に言えばそんなものありません。 あくまで相対的に比べて『ある基準』で最善であるか否かということかと思います。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。参考とさせていただきます。

noname#184837
noname#184837
回答No.10

 まじめに、回答します。すみません。  完璧は最善と横並びの概念ではありません。最善と表現した時点で、「交渉相手」とか「技術的問題」とかの現実的制約を加味していることを暗に示しています。最=もっとも、ある範囲内で最も、そういうニュアンスですから。『このクラスで最も背が高い人は…』という使い方で分かるように、「最も」という言葉は、範囲を指定しないと使えない“比較”を前提とした言葉だからです。  それに対して「完璧」という言葉は比較を前提とせずに使える言葉です。「理想」という言葉置き換えてもよい場合があります。『完璧な最善策』という使い方で、(取りうる手(=策)の中で)最善であることを強調したりできます。  最と付くと、「比較をして最も…」という意味ですから。

awayuki_cn
質問者

お礼

 再びありがとうございます。「最善」には二つの意味があるようです。「行うことができる範囲の中で最もよいこと」は理解できましたが、「できうるかぎり、ベスト」というような意味もあるようです。もう少し考えさせていただきます。本当にありがとうございました。

noname#249334
noname#249334
回答No.9

人間が最善の策を実行することは不可能です。 何故なら最善とは、結果的にそうだった、と後々定められることだらです。 人間は「完璧」な作戦を立て、それを「最善」だったと言う。 のだと思います。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。参考とさせていただきます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

>「すみませんが、「保護しる」は「保護する」か「保護している」の誤植でしょうか。意味はちょっとわかりません」 「~しる(!)」とは、日本の某ローカルサイトの用語でして、「「~しろ!」」という、純粋な命令形の持つ、ある種の意味合い、といったものを、軽減するものです。 「you must do!」 「you may do!」 の、間を取って、「you mast do!」というようなものです。

awayuki_cn
質問者

お礼

 再びありがとうございます。「保護しる」の意味はわかるようになりました。すみませんが、No.3での意味はまだよくわかりません。「アンカー」はいろいろな意味があるようですが、おっしゃりたい意味はどの意味でしょうか。

noname#184837
noname#184837
回答No.7

 おっしゃる通りです。最善策を取らなければと思うと、何もできなくなります。  たとえば、交渉ごとには相手がつきもので、尖閣諸島に近づかないで欲しいと思っても、相手が応じなければ“完璧”の実現はもう不可能です。与えられた現実の中で最も良いと考えられるのが最善策です。尖閣諸島に時々来るけれど、衝突しないように追い返すのが最善策です。そして、衝突したけれど最小限のもめごとで済ませるのが次善策です。最悪なのが戦争になることです。  次善策にゴロ(=発音)が似た言葉に善後策というのがあります。もめ事になったけれど、その後、最小限に食い止める策のことです。中国とは仲良くしたいです。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。尖閣諸島の問題を解決するための質問ではありませんでした。最善はどんな基準にしたがってそれが最善と言えるのかということが質問の本意です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

完璧→客観的な標準 最善→主観的な標準 つまり、最善であるかどうかは、自分の 主観で決まる、ということでどうでしょうか。 自分がなし得る総てをやって、自分が覚知し得る 総てから判断して、最も善いのが最善である。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございました。主観で決めることはわかりましたが、主観もきっとある基準に従って、決めるでしょう。その基準が知りたいと思います。それと、なぜ「自分がなし得る総て」と「自分が覚知し得る総て」のような「すべて」と言い切れるのでしょうか。まだ「自分がなし得る」と「自分が覚知し得る」すべてでない可能性も残っているでしょう。なぜもっとがんばらないのでしょうか。本当にありがとうございました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

今、与えられている環境や状況で自分のやれる最善だろうと考えることを粛々とやっていく。 そんな時の最善と考えるのは、自分のためであり相手のためになるだろうこと。 相手の喜ぶ姿が、自分が嬉しい。 そんな形を最善だと考えています。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございました。参考になりました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

今晩は。 >「生きていくために」 生活保護には、一定の要件がありますが、「とにかく保護しる」というような、まあ、言ってみればやはりアンカーですね。・・・「それ(とにかく保護しる!)」が「最善」である、とも言えるでしょう。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。すみませんが、「保護しる」は「保護する」か「保護している」の誤植でしょうか。意味はちょっとわかりません。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.2

「最善」イコール「完璧」ではありません。「完璧」でなくても、できるだけのことをすれば「最善」です。また、「最善」が多大な時間や労力や費用を要する場合には、「次善」を選ぶことがあります。 「最善」に基準はありません。人それぞれに異なります。自分にとって「最善」であれば、それが「最善」なのです。 尚、あなたの日本語は、ごく自然です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。参考になりました。本当にありがとうございました。

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