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太平洋戦争中に召集されない理由は?
- 太平洋戦争中に召集されなかった祖父の理由について、勤務先が半官半民の企業であった可能性や単なる運の要素があったのかについて追求します。
- 太平洋戦争中に召集されなかった祖父の背景や経歴について詳しく調査し、その理由について考察します。
- 太平洋戦争中に召集されなかった祖父の話を通じて、勤務先の半官半民の企業や運の要素が召集されない理由として影響した可能性を探ります。
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>そういえば「終戦がもう少し遅かったら祖父も召集されていたらしい」 ということなので、何らかの理由で徴兵検査の成績が良くなかったのでしょう。 17年生まれなので、徴兵検査を受けたのが20歳なら37(昭和12)年。現役で大学を卒業したなら39(S14)年です。 すでに日中戦争が始まっていますが、この辺りだとまだまだ実は徴兵検査で現役兵として召集される者より とりあえずは帰っていいから、何かあったら呼び出す、とされる人のほうが多かったのです。 パリッとしたデータがないのですが、その比率37年なら1:3。 大体このちょっと後まで、現役召集者はくじ引きで決めるほどでした(法令上。なので運用がどうだったかは判り兼ねますが、合格者のほうが召集者より多かったわけです)。 さすがに39年になると1:1位にはなりますが、それでも半数は徴兵されずにすんだわけです。 また、戦争、とくに近代的な総力戦ともなると後方での生産活動ってのもそれなりに重要なので、重視する産業には召集延期などの措置がありました。 民間だと鉄道・海運系は対象に含まれます(ただし、根拠はないが、現業職中心な気がする)。
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- kuroneko3
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上記の例以外にも,金品と引換えに虚偽の病歴を兵役原簿に記載してもらうなどして兵役を免れた人が相当数おり,実際に召集を免れた人の職業としては,軍需景気で儲けている人や会社の重役が圧倒的に多く,その他配給業務に携わる幹部,料理屋の主人,群を抜く地名人などが挙げられるそうです。 仮にあなたの祖父もその一人であれば,戦争の話をしたがらないのも合理的な説明が付きますね。
お礼
ありがとうございます。 なんとなく見えた気がします。 おそらく勤務先が軍需にかかわる国営だったからなのかな、と思えてきました。祖父は重役ではありませんでしたが曽祖父はそこそこの役職であったときいています。 そういえば「終戦がもう少し遅かったら祖父も召集されていたらしい」と誰かからきいたことがありました。本人は法令噂守に厳しい人だったから自分の意思ではないと信じていたいと思います。。 事実は直接かかわった人間がもう存命ではないためわからないままですが、私もこのまま詳しく知らないでおこうと思います。 正当な理由であろうとなかろうと、やはり多くの同年代が亡くなっていくなか戦地にでず残っているというのも、比ではないでしょうけれど辛いものがあったと思いますし、きっと見たくないものをみてきたのでしょう。 ご紹介いただいたリンクも拝見し、映画やテレビ、書物とはまた違うものを感じました。よく話してくれる祖母の話は「戦地を知らない女学生」のものでしたし。。
- lupin-333333
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>こちらで過去の質問をいくつかみましたが あなたが本当に祖父の事を知りたいと思っていないことが、ありありと文面から読み取れます。 なので、まっとうな回答を出す人はいないでしょう。まあ、このサイトでまっとうな回答を得たいと思う人がどれだけいるかですが、いや、得られると思っていない人のほうが多いでしょう。 祖父の年齢から想定される、あなたの年代ですが、少なくとも40才代より下の年代層と思われます。10代ではないでしょう。親が、60歳以上だと想定されます。 つまり、自由に自分の意思で行動できる年代だと思われます(金も暇も、知識もあるはずといっているだけです)。 第2次世界大戦での戦後混乱期で親族の消息や、生き様を知りたい人は、あなあだけでなくたくさんいます。まあ、それが小説(サスペンスとかよくテレビドラマ化、映画化されていますね、有名なのが横溝シリーズですね)とかになって、売れたわけですが、実際の所、戦争当事者(実際に軍部に居た、軍属だった、とか)は、日本ではあまり語りがらないことが多い。 これは、「男子たるものしゃべる事なかれ」なんてね。サムライ精神が、そのまま軍部の教育に反映された影響でしょう。 なので、アメリカやドイツ、イタリアとは違い、軍事関係は、1990年頃まで、ほとんど表にでてこなかった。例えば731部隊、従軍慰安婦、そして今でも禁句の大陸への進出のきっかけとなった大量虐殺事件。 この虐殺の証言は、本当に極最近やっと話してくれる人がでてきて、やっとわかってきた。 証言からすると、確かに大量の死人は出たようだが、状況からすると、虐殺といえるかどうかは、やはり立場により違うというのが結論だ。正当な(??)戦争行為といえるのが客観的印象だ。 当然、それに関係した公式文書もないし(命令書等)、残すはずも無い。 そんな大事な事も資料に無いのに、無名なそのへんのおじさんの、赤紙の発行の理由が見つかると思いますか? わたしだったら、こんなサイトでまず質問しません。まず、関係者を洗い出します。当時の町の地図。商店街、有力者、軍事関係者、近所の人、親戚、友達等、人間関係、立場、役職等、人間模様を、調べるだけ調べます。 調べれば、意外に沢山みつかります。間違いありません。私は、沢山見つけ出しました。 今であれば、話をしてくれる方が多数みつかります。なにせ関係者が沢山すでに他界しているので。 今の次期が、限界です。証人者はすでに90才前後とか、高齢になっています。私は20年ぐらい前に調べたので、まだ証人者は多数見つかりました。彼らは、すでに引退していたので、「まあ、いっか」なんて感じで話してくれましたよ。
お礼
ありがとうございます。 そうですね、おっしゃるように「祖父のこと」を直にしりたい、というよりも「祖父のようなケースでは往々にして○○だったようだ」ということが知りたいことです。 まさに「その辺の無名の若者」でも戦争にいかないのはどういったケースなのか?と疑問に思ったのです。 祖父の生き様など、祖母と結婚して家族になってからのことは見聞きして知っております。それ以前の祖父のことについて本人が話したがらないことを調べて、こと細かく知りたい、と強い欲求にはなっていないです。 嫁にもらったとはいえ、住まいは嫁(=私の祖母)の実家の隣、職場は嫁の父(=私の曽祖父)が上役、嫁側親族が同僚、というよりライバルにいる、というようなものですから、祖父側の親族の声というのは耳に入ってきませんでした。
お礼
ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。(しかも1回消えました・・) 祖父は現役で大学をでていますので、検査をうけたのは39年だと推測されますね。この時でも半数だったのですね。 大病せずに天寿を全うした祖父ですが、もしかしたら若いころは周りの人よりは弱かったのかもしれません。たしかに新婚時代の写真をみてもひょろ~っとしていて生涯ずっと華奢な人でした。 祖父の場合ですと、大学をでて運輸業に就職。そのまま国策会社のほうへ・・だったと思います。やっぱりこの勤務先がカギなんだろうと思えてきました。 社会にでていた祖父はほとんど語らないし、語ってくれる祖母はちょっと世間ずれしているというか・・。でも一生懸命に勉強して名門校に入ったそうですが、それを戦争とともにすごしたのですしね・・。いまでも女学校時代のお友達とは親交が深いみたいです。 今回このようなことを思ったきっかけは、テレビ小説の「梅ちゃん先生」をみていたからでした。同年代であろう祖父母とイメージが重なったのです。祖母が元気なうちにもっといろいろ聞いておこうとおもいます。本当にありがとうございました。