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デューイの道具主義
デューイの道具主義について、以下のような文章はデューイのどの著作の中にありますか? 「概念、理論は、それらがいかに精密で無矛盾であっても、 仮説とみなされるべきである。概念、理論は、道具である。 すべての道具と同様に、それらの価値は、 それ自身の中にあるのではなく、 その使用の結果、あらわれる作業能力(有効性)の中にある」 http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/dougu.html
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今手元にないのですが、『哲学の改造』(1920)だったかと思います。
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- moto_koukousei
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No1回答者:hubblespaceさん(2012/04/05)『哲学の改造』(1920)だったかと思います。 http://girugame.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7616.html デューイ『哲学の改造』 ~以下、抜粋~ ・道具説 「ところで、或る結果を生む(中略)ことを意図した行動の方法、反応の仕方は、問題の性質から言って、その結果によってテストされないうちは試験的なもの、不確かなものである。(中略)ここでは、概念、理論、体系というのは、いかに精巧で首尾一貫していても、仮説と見なければならぬという点に注意すれば十分である。これらのものは、それらをテストする行動の基礎として理解すべきであって、究極的なものとして理解すべきではない。この事実を認めることは、頑固なドグマを世界から一掃することである。それは、概念、理論、思想体系は、使用されることを通じて常に発展し得るものであることの確認である。それは、概念、理論、思想体系を主張する機会に対して払うのと全く同じ注意を、それらを変更する必要に対して払わねばならないちおう教訓を課するものである。概念、理論、思想体系は、道具である。すべての道具の場合と同じように、その価値は、それ自身のうちにあるのでなく、その使用の結果に現われる作業能力のうちにある。」(128)
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- 雪中庵(@psytex)
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かつて論理学が直面した問題に「正しい」という事の定義が あります。 我々は日常において、ある言明が「正しい」という場合、 潜在的に、それが表現する内容が事実であるという意味と、 その言明に矛盾がないという2つの性質を持たせています。 しかし、受け手の人間の思索においては、不完全性定理に よって、「公理系が無矛盾ならば完全ではあり得ない」、 即ち、公理系自身では証明できない怪しい公理の参入に よって初めて、Aと非Aを同時に導かない=有限的存在が 可能になっているのです。 また、対象においても不確定性原理により、物事のある 性質を本質的に確定しようとすると、それを存在化する 他の性質が無限不確定に発散する=現象表面的に適当に 捉える事で有限的な存在性を生じているのです。 道具主義の道具が壊れており、その不良が事象を生んでい る時に、「道具は何でもいい」とは言えないし、かといって 先入的な事象によって一義的に道具が決まるとも言えない。 要するに、ご提起の言明を考えた方は、古典的な素朴唯物 論(自分の外に独立した環境があり、二次的に感受している) に留まっているのでしょう。
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ありがとうございます。
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ありがとうございます。取り寄せてみます。