普通名詞が概念として使われる時、なぜ働きを表すのか
数えられる名詞が無冠詞で使われる時、働きや役割を表すことがあると冠詞の解説書に書いてあります。実例をあたると、たしかにそのような使われ方をしているものがあるように見えます。例文として次のものを挙げておきます。
A: My brother took me by the arm.
B: John went to Tokyo by train.
C: Mary works as interpreter of the conference.
普通の解説書などでは、Aにおけるarmは部位を表し、Bにおけるtrainは電車という乗り物ではなく交通手段を表す。そして、Cにおけるinterpreterは役職を表すと記述されています。
これらを一括して、働き・機能や役割・場を表すものと言えそうです。こうした現象は普通名詞が概念として使われる場合に見られることのようですが、では、こうした場合に、なぜ働き・機能・場・役割を表すのでしょうか。まず、私の考えを提示しますのでコメントを頂ければありがたいです。説明におかしな点があればご指摘下さい。
昨年9月25日の私の投稿「英語の概念における相互の関係性について」の中でこう書きました。<いかなる概念であっても必ず他の概念との間に大なり小なりの無数のつながりがあって、関係の網の目のようなものが存在するのではないかと思います。そうした関係のネットワークの中で、言語使用者がその都度の関心・興味に応じて、特定の関係性を一意的・優先的に見てとろうとするのではないかと思います>
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概念は必ず他の概念との結びつきを持っているという言い方に対して(私が思いつく)根拠は次の通りです。
概念は他の概念との結びつきを持たなければ、単独で存在しうる、すなわち個別のものと見なされます。個別のものは概念ではなく実体と見なされます。概念は実体ではないわけだから、概念は他の概念との結びつきを持つということになります。
また、概念は心の中に存在するものなので、言語使用者が客体的に扱う-概念同士の間に切り目を入れて分断する-ことのできないものです。よって、いかなる概念であっても必ず他の概念との間に大なり小なりの無数のつながりがあると言えます。
また、ある事柄に関心を持ちそれについて考えをめぐらそうとする時、その関心内容に応じて一定数のものやことが概念として思い浮かびますが、そのことを<言語使用者がその都度の関心・興味に応じて、特定の関係性を一意的・優先的に見てとろうとする>というふうに言いました。
さて、ここでBのJohn went to Tokyo by train. について考えてみます。a trainだと一つの乗り物を表しますが、ここでは(話者にとっては)交通手段を表しているように見えます。byは通信手段を表す場合にも使われるようです(by car, by bus, by telephone, by mail, -----)。手段という意味合いは前置詞byに引きずられて出たものと思います。私としてはbyの後に続くものは手段というより、働きや機能と言う方がふさわしいように思います。
別の例をとってみます。
D: Tom goes to church every Sunday. ---churchの代わりにmarket, university, hospital なども使えます。ここでのchurch, market, university, hospital は建物や施設ではなく、(話者にとっては)ある働きや役割が実行される場のようなものです。
CのMary works as interpreter of the conference. についても考えてみます。interpreterは概念を表していますが、(話者にとっては)特定の働き、あるいは特定の役職を表しているように思えます。interpreterは会議参加者にとって、特に外国人とのやりとりが必要な者にとって重宝な存在であると話者に、あるいは匿名の言語主体によって見なされていると思います。
Aにおけるarmも働きを持っています。あるいは役目を担っています。ただし、身体全体との関係においてのことです。Cのinterpreterも会議というイベント全体との兼ね合いにおいて働きや役目を担っています。
また、例えばCharles is king of England. においても同じことが言えます。国家の営み全体との兼ね合いにおける働きや役目を担うのがkingだと思います。言語使用者にとって自分の国を治めてくれる者であり、また自分たちに対して権力をふるう者です。
こうした考えが正しければBもある全体との関係において働きをなすと言えるはずです。では、B: John went to Tokyo by train. においてtrainを含む全体とは何かということですが、Bを発話するに際して話者がどのような事柄に関心を持っていたかがはっきりしないので、確たる事は言えませんが、一つの可能性として、Tokyoにゆくという用事全体との関係においてtrainが働き・役目を担っているのではないかと思います。すなわち移動手段としての働きです。
D: Tom goes to church every Sunday. においては、この場合も確たることは言えませんが、一つの可能性として、Tomが日曜日に行うルーティーン全体との関係においてchurchが働き・役目を(礼拝の場)担っているのではないかと思います。
そうすると、A~Dの例を考え合わせると、普通名詞が概念として使われる時は存在意義というか存在目的と言うか、あるいは言語使用者(人間)にとっての有用性というか、そのようなものを内包しているのではないかと思います。一般に普通名詞はこの世にもともと存在するものか、あるいは何らかの意図の元に人間によって作られたものだと思いますが、これらはすべて人間の生活のために存在していると考えることが可能です。つまり言語主体にとって何らかの関心を抱く、あるいは有用なもの(あるいはそうでないもの)と見なす、そうした対象なのではないかと思います。
こうした関心が数えられるものに向けられる時、数えられる以前の段階では、そのものが働きや役目をもつものととらえられるのではないかと思います。もちろん、数えられるものと見なされた時点で概念であることを止めるので、そうした働きや役目は、それ相応の文脈に支えられる場合でなければ表現できなくなります。
随分哲学的な話題になりましたが、おおざっぱでいいのでご意見を頂ければありがたいです。要は、A~Dにおける無冠詞名詞に対して、それは役職や身分だとか、機能だとか、あるいは何かが行われる場だとかいろいろな説明がありますが、それらを統括できるものならそうしたいという意図があるわけです。