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九鬼周造の「定言的偶然」についての疑問

大学の卒業論文の参考にと、九鬼周造の偶然に関しての諸理論を学んでいるのですが、九鬼の唱えた三つの偶然(定言的偶然、仮説的偶然、離接的偶然)のなかの、定言的偶然について疑問を持ったので質問したいと思います。 定言的偶然は本質に対する非本質、法則に対する例外として、四葉のクローバーの例を引き合いに説明されることが多いですが、なぜ個々の事実を確認したところでそれが特定の概念の本質から逸れた、つまり特定の概念に対する非本質的存在だと判断されるのでしょうか? 四葉のクローバーの例で言うと、通常三葉とされるクローバーの本質に対して四葉のクローバーが現れたとしても、そもそもそれをクローバー(の例外的存在)だと認識するとは限らないのではないでしょうか?四葉の「それ」は外観こそクローバーに類似していても、「それ」をクローバーとは異なる別の植物だと認識され、あくまでクローバーの非本質的、例外的存在とは認識されない可能性もあるのではないでしょうか? 識者の方々、どうか無学な私にご教授くださいますようよろしくお願い致します。

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noname#186640
noname#186640
回答No.1

脱自的時間性における、投企にともない、 人が現存在であるがゆえに、自己の頽落 により、三つ葉という理由づけを受け入れ クローバーであることを決意した。 アプリオリなクローバーの群生の中に 四つ葉があった。驚いた。 しかしそれも、時間性によって アプリオリなものになった。 ここまでをまとめると、 「それ・・・考えすぎかも・・・」

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