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アリストテレスとデューイ
いつもお世話になっております。 ご回答お願い致します。 疑問があります。 デューイにとって知識とは、有機体と環境との相互作用で生成され、そしてその知識の集合体を「構造」と称しましたよね。知識自体に「改変される余地あり」という立場をとっており、実体や真理観において「保証付の言明可能性」を提唱しましたね。 要は知識も構造も、それらから判断される実体も不確定なものと位置付けたと思います。 一方でアリストテレスにとっては、知識とは何であるか? 実体は必然性と偶然性の融合であり、必然性の度合いで実体を検証する立場ですよね。 要するに、デューイとは異なり、デューイでいう「構造」は、アリストテレスにとっては「完全な形相」ですよね。 ということは、 実体の捉え方として、 デューイは不確定要素を含む構造と偶然性の融合とした。 アリストテレスは確定要素を含む必然性と偶然性の融合とした。 という明確な違いがありますね。 では、実体の根幹となる「知識」を、アリストテレスはどう捉えていたのでしょうか? デューイのように相互作用論的な見解だったのでしょうか。 そもそも、デューイのように知識と実体を結びつけてさえいないのでしょうか? アリストテレスの著作を読んだことがないためわかりません… 勉強不足ですが、 どうかご教授いただければと思います。
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noname#118718
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