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ハンチントンの『文明の衝突』はなぜ国際政治学の世界では重要視されていないのか?

冷戦終結後、世界各地で頻発する紛争の原因は「文明の断層線(フォルト・ライン)にそって起こる」と論じたハンチントンの『文明の衝突』(鈴木主悦訳 集英社)。彼はこの中で文明と宗教とを明確には区別せず、むしろ同一視しているように私には思えました。文明の衝突=宗教の衝突なのだ、と。やがてこれは単なる机上の空論でなく、9・11とこれに対する米国の報復(アフガン空爆やイラク戦争)が証明したと思いました。イスラム原理主義とキリスト原理主義との衝突という意味で。 しかし、最近は『文明の衝突』で展開されている理論自体、国際政治学の世界ではあまり重要視されていない、という複数の意見を耳にします。それはなぜなのでしょうか? 私の仮説は、以前このカテゴリーで行った質問 「9・11は全て仕組まれたヤラセだった、というのは真実なのか?」 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1406010 で触れた様に、9・11はブッシュ政権がビンラディンと共に企てた陰謀なのではないか、『文明の衝突』の論文自体は1996年、つまり9・11以前に発表されているが、それは9・11によって米国民の目をイスラム原理主義敵視→アフガン空爆やイラク戦争の正当化へと結び付けるために用意したシナリオだったのではないか、だから現在ではこの理論自体が重要視されていないのではないか、というものです(検証のしようがありませんが)。 この本の帯には、キッシンジャーやブレジンスキーといった錚々たる顔ぶれが推薦文を書いていて、この本を買った時は凄いと思いましたが、今ではこれが却ってこの理論が政治的に利用されていることを裏付けているかのような気もしました。

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回答No.5

「文明の衝突」説が、学界で重要視されない理由は簡単で、学術的理論というにはあまりにも内容がお粗末だったからです。有名大学の教授でもとんでもない本を書いてしまうことがある、という例かもしれませんね。 話題となった論文「Clash of Civilizations?」は、最初雑誌Foreign Affairsに掲載されました。一般人でも知っている超有名雑誌ですが、この雑誌は純粋の学術雑誌ともちょっと違います。もちろん一級の国際政治学者、国際経済学者も多く論文を寄稿しますが、学者以外の実務家・政治家の書く論文も載せます。 その後、ハンチントンは厚い単行本として『文明の衝突』を出しました。 ハンチントンの着想は面白いし、冷戦後の国際紛争のある一面を鋭く突いた点は私はやはり評価されるべきだと思います。しかし、理論としては、そもそも彼の記述は世界各地域の文化についての間違いや初歩的な誤解が多すぎて、それだけでも学術理論の本としては信用を失ってしまうほどです。欧米以外の地域に無知なのがさらけだされていて、おかしな決め付けや予想がたくさん書かれています。そんなわけで、まじめな理論家、学者の間には、ハンチントン説について論じることじたい本格的学者のすることではない、といった空気になってしまいました。 なお、ご質問に書かれている、9.11のブッシュ=ビンラーディンによる共同謀議とか、それとハンチントンの直接の関係とかは、妄想にもとづく陰謀説といってよろしいかと思います。 国際関係を理性的に理解しようと思うなら、証明し得ない前提に基づく陰謀説をまともに取り合ってはいけません。

maria_sharapova
質問者

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ご回答ありがとうございます。

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noname#11742
noname#11742
回答No.4

No.2です。 ケーガンの論文は『ネオコンの論理』というタイトルで翻訳が出ています。結構薄くて読みやすいですが、面白いですよ。 フクヤマの『歴史の終わり』も大きな意味で文明の衝突と対立する理論として扱われていると思います。 佐伯啓思が『新帝国アメリカを解剖する』という新書で両方の理論を扱っています。 他にも『文明の衝突か、共存か』という本もありますし、『新しい中世』で有名な東大の田中明彦教授もどこかで批判していました。 やはり影響力の大きい論文だったため批判もたくさんあるようです。 アマゾンで文明の衝突で検索したらいっぱい出てきますね。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/465392/ref=cs_tab_gw_1_3/249-0523540-4713946
maria_sharapova
質問者

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わざわざ調べて頂き、どうもありがとうございました。

  • muto_123
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.3

>なぜ国際政治学の世界では重要視されていないのか? 内容に問題があるからではないでしょうか。 そもそも「文明」という言葉はとてもあやふやな言葉で、使う人によって恣意的に解釈され易い言葉です。この言葉のように、一見明確に定義されているように見える言葉を使うと、ものごとがうまく説明できたように見えます。 しかし、「文明」という言葉を辞書で引いて頂ければわかることですが、なにをもって文明というかということは、きちっと定義されていません。このあやふやさのため、「文明」とい言葉を使っても、なにも説明していないことになってしまいます。 また、「文明」とはことなる意味をより明確に持つ「宗教」という言葉を、別けずにあいまいに使っていることも問題です。 アメリカとアフガニスタン、イラク間における戦争は、極めて政治色の強い事件です。文明とか宗教といった言葉で単純化して説明しようというところに、そもそも無理があると考えています。 冷戦終結後の様々な事件を、「文明」「民族」といった言葉で説明している文章はよく見られますが、「文明」はもとより「民族」という言葉も極めてあいまいな言葉です。 むしろ、南北問題、貧困、経済、政治といった言葉を積み上げることで説明することの方が、より意味を持ち得ると考えています。

maria_sharapova
質問者

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ご回答ありがとうございます。

noname#11742
noname#11742
回答No.2

僕も今勉強中ですが、文明の衝突論は今の国際政治学の世界で主流ではないと思います。もちろん理論としてはものすごく重要で、大変面白いんですが…、批判も多い理論ですからね。 単純に思いつく説明のつかない現象として、同じ西欧文明のアメリカとヨーロッパに亀裂が入ったこと、明らかに違う文明である日本とアメリカの関係が良好であること、イスラム儒教コネクションが出来ているようには見えないこと、などなどが挙げられると思います。 ケーガン的に言えば欧米はもうない、フクヤマ的に言えば成熟した民主主義国同士は争わない?ということでしょうか。もちろんこれらの理論でも完全には説明できないわけですが、僕的にはやはり文明の衝突論だけでは、世界の動きや、9.11、アフガン、イラク戦争の説明は出来ないと思います。 アメリカ人も敵はテロリストや、危険な政治体制であると考えており、イスラム全体が敵だ、とは考えていないと思いますよ。イスラム社会の反米感情は心配ですが、イラクの選挙を見てもわかるように、イスラム圏の人々も民主主義を歓迎しています。文明=文化が異なっても民主主義や人権という普遍的価値はある程度受け入れられる、ということですね。個人的にはフクヤマの歴史の終わり論にどちらかと言えば近いような現象が世界で起こっているような気がします。 おまけに文明の衝突論はハンチントンの罠にはまって、逆に現実が引きずられる、という恐れもある理論だったので、批判が相次いだのかも知れませんね。 結局のところ、一つの理論で世界を捉えることは難しい、ということだと思います。色々読んで考えていきたいですね。

maria_sharapova
質問者

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ケーガンとはロバート・ケーガン(国務省を経て、現在、カーネギー国際平和財団研究員)のことですね。彼は2002年夏にポリシー・レビュー誌に寄せた『力と弱さ』の論文で、「ヨーロッパ人とアメリカ人が世界観を共有している、あるいは、同じ世界を共有していると取り繕うのはもうやめたほうがいい」と主張したそうで、全文はwww.policyreview.org/JUN02/kagan.htmlに記載されているそうですが、これの和訳はご存知ありませんでしょうか? フクヤマとはフランシス・フクヤマのことですね、『文明の衝突』の36~37頁でハンチントンから批判されている……。 ところで、ケーガンでもフクヤマでも誰でもいいのですが、正面からこの文明の衝突論を批判している著書なり論文があれば、ご紹介頂けませんでしょうか?

回答No.1

素人考えですが・・・ 私もあの本を昔読みましたが、あの本が重要視されない理由があるとすれば、一つは、本の中に書かれている未来シュミレーションの非現実性でしょうか。 特に先進国の学者としては、気分が悪く思う人がいるような予測ですし。 もう一つは、個人的な印象ですが、文明間の融和はとても難しいと言っているような気がしました。これは国際政治の理想と逆行してると。 私自身は、この『文明の衝突』と言う本に書かれていることは、当たっている部分がとても多いと思います。

maria_sharapova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。