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人は、干渉されるとなぜ不快を感じるのですか?

人は、干渉されるとなぜ不快を感じるのでしょうか? 干渉 (by 辞書): 「他人のことに立ち入って、口出しをしたり自分の考えを押しつけようとすること」

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noname#150341
noname#150341
回答No.2

時と場合によっては 人権侵害にもなり得たり、干渉の程度によっては、自由な発想、行動に制限されたり、他者の影響を受けること、他者のペースに巻き込まれること もあります。 自分が協調性をもって関われる関係性にボーダーラインは誰しも引いているものですが、それを超えても許可される人、されない人というのもあり、個人的な問題になりますが、それは他人、職場関係、友人関係は当然のことですが、親しい家族や恋人であっても立ち入れない、プライバシーが尊重されるべく時間、というのも人には必要なことがあります。 関わろうとする人の行為、意見、時間が、その人のしようとしている行動や考え方、心に どちらかというと、悪い結果をもたらすような場合に、人は 干渉と感じ不快になるのではないでしょうか? 悪い結果とは、干渉してくる人の行為が、たとえ楽しくとも、しなきゃならないことが出来なくなるような所迄行くと、当人にとってはしなければならない事もできなく、"妨害" という結果に導かれたりすることもあります。 心配して関わってきたとしても、相手にとっては何1つ解決になる手段や方法の内容を提供できたり、アドバイスどころか、同調して自身の不安を訴えるだけで、時間の制限ある大変な事態などに、何の解決策のない心配は、不安増長させるだけに時間が裂かれ、その時できるすべきことをできぬままにされたり、時間が奪われることになったりもします。 自分の好意から意見をしたり、よかれとアドバイスをしたり、、、がたとえ正しくとも、当人は等身大に、正に考えている最中のことばかりで、自分の頭で考え自主的に行動に移すべき成長過程に、力あました人が、自分のすべきことを超えて、おせっかいに人の領域にまで入り込んでいろいろ世話すること、も、結局は自分がしなければならない、代わってやれる行為ではないし、わかっているのに先駆け口出しされると 迷惑に感じたりということもあります。 また、何か良い事、好意でしたいと思う親切心からかも知れませんが、受けてがOKなやりかた、方法、心の状態、性格など相性にもより、干渉に感じられる不快となることもあります。 誰もが、ひとりで静かに心安定させて過ごしたい時間はあるものですよね。 たとえ 家族や夫婦との生活の中でも、人が集まるところには干渉となり得ることがたくさんありますし、だから喧嘩などもするのでしょうね。

noname#150121
質問者

お礼

人権侵害、自由な発想、行動の制限、他者の影響を受けること、他者のペースに巻き込まれること、許可されない人、心の状態、性格、相性・・・。不快に思う要因はたくさんありますね。 自分に悪い結果をもたらす場合、迷惑、干渉と感じてしまうからですね。 人の集まるところには、干渉になり得ることがたくさんあるモノですよね。 大変参考になりました。御回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

 ・ふたつ、理由があります。ひとつめは、   ひとりひとりが「プライベートゾーン」を持っているからです。   「自分らしさ」や「ここち良さ」を感じていられる「占有」空間スペース、   ここに「入ってきては絶対ダメ」という範囲です。   それを越えて近づいてくると、自分の中の「ガード機能」が働いて   かまえたり、攻撃を準備したり、守りに入ります。不安指数もあがります。   表情だけでなく、からだが不安や嫌悪に応じて変化します。   でも、その変化をなんとも思わない相手の場合、恐怖に変わります。   面白いことに、外出先でも「占有意識」が働くと   その場所を「自宅」のように考え、守りに入るようです。   目に見えない「円」(陣地)を自分の周囲に作り、自衛本能をスタンバイします。  ・でも、「ハリネズミのジレンマ」というエピソードにもあるように、ガード本能は   自分の中の「無数の針」。いやな場面で1本、また1本と立ち上がります。   「針」を立ち上げる場面が多いと、1日の疲労度はマックスになるでしょう。   でも、好意を持った人と楽しく過ごしたいときは、自分でその「ゾーン」を越えます。   そのとき「針」は、感情や愛情の強さに応じて、『リンス』されます。   いつもは攻撃に使う「針」も、そのときばかりは (やわらかく)なっています。   しかし、「リンス」のききめが切れると、たちまち「するどい針」に変わります。   逆に、相手の「ゾーン」を気にしないで突き進むと、その人に嫌われることもあります。    ・ふたつめは、自分を納得させるための自己弁護・「すりかえ」のため。   会社の上司とか親せきとか、イヤだけれど攻撃できない人の場合、   「不安」や「恐怖」をろこつに出せないので、「嫌悪」を心の中で育てます。   この「嫌悪」のほとんどは、侵入されてしまったことへの自己嫌悪を   なんとかごまかすためのものです。   そのままだと (だめな自分)意識に、自分が傷つくので、「嫌悪」をきわだたせます。   相手への攻撃が「1」。自分を守るために「9」・・・それで切り抜けます。   「逆らえない相手だから」・・・「ゆるしたけれど、しかたがない」・・・と   自己嫌悪の不安を、「イヤだったのは相手がきらいだから」と変化させて   自分を守るのです。   干渉されて不快に思うのも、「自己防衛」のひとつです。   本来なら頭の上に爆弾でも落としてやりたい。でも、できない・・・という   弱さの裏返しで、「自分はイヤだったんだ!」といいわけするのです。     ・こう書くと、なにかいけないことのように聞こえますが、違います。   食べたいぶどうが木の高いところにあって、とれない・・・と知ったキツネが   「あれは、すっぱいぶどうなんだ」と自分を納得させたように、積極的、   前向きな行動です。     でも、自分ではそうするのに、他人の行動には   「卑怯なヤツ」とか「負け惜しみの強いヤツ」と嫌悪するのが人間のようですが。  ・おおらかさが日々なくなって、「プライベートゾーン」がどんどん狭くなっている現代。   「こんなこと、なんでもないさ」・・・と言いながらストレスを解消して、   新しい夢に向かって進む・・・これが、最高の生き方のようです。   あなたの明日にステキなことがありますように。

noname#150121
質問者

お礼

とても分かりやすい御説明でした。 人には、「入ってきては絶対ダメ」というスペースがあるからですね。針も、柔らかくなったり鋭くなったり、まるで生きているみたいですね(汗) また、自己嫌悪の不安もあるからですね。そして、現代はプライベートゾーンがどんどん狭くなってきているんですね。おおらかに生きたいです。 大変参考になりました。御回答ありがとうございました。

回答No.1

心理学者でもなんでもないので推測ですが 人には「心地よい距離」というのがあるそうです。 例えばガラガラの電車に連れではない人が二人乗り込んだ時、わざわざぴったりくっついて座る人はいないと思います。 その後人が乗ってきても、それぞれちょっとずつ体をずらして、できるだけ密着しないように座ります。 多くの人はある程度以上の距離に立ち入られると不快感を感じます。 (その距離は人によって違うかもしれませんが) それと同じように、他人に必要以上に自分のプライベートや自分の言動に立ち入って欲しくないという心理が働くのではないでしょうか。 例え家族であっても、自分の交友関係や行動に密着されるとどうしても距離をおきたくなる。 自分の「心地よい距離」を侵害されることが不愉快なんだと思います。

noname#150121
質問者

お礼

「心地良い距離感」を侵害されると、不愉快に感じる人間心理が働くようになっているからですね。回答者様のアドバイスを読んで、同感しました。 御回答ありがとうございました。

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