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「不快に思う人が居るのは良くない」という考え
時々、 「不快に思う人が居るのであれば、それは良くない事だからやってはいけない」と という主義の方が居ますが、 厳密に言えば、世の中の誰一人として不快と思わないような言動は かなり少ないのではないでしょうか。 例えば、落伍や漫才を聞いてて 何かを茶化すようなセリフがあったとして、大概の人が大笑いしたとします。 中には、特殊な境遇で生きている人で、非常に不快に感じる場合があるかもしれないし、 更に特殊な人の中には、他人が笑っている姿が不快と感じるかもしれません。 で、結局は面倒で手間が掛かる…ということで、 そんな特殊な感性の人まで考慮しきれないということになり、 法律や条令で明確に決められていないような事は 多数決で少数派に属する意見は無視という流れになっている気がします。 ちょっと質問の主旨がずれて申し訳ないですが 要するに、タイトルの考え方に対して私が疑問に感じたのは 「ある言動に対して不快に思う人って、探せば大抵は居るのでは?」という事です。
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- wiz0009
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理系の人でよくそういう勘違いをする人が多いですが、 一般的に言うそういった言葉は「いる・いない」の話ではなく「多い・少ない」という意味です。 そもそも何らかの思想や感情に関して「ゼロ」の状態など存在するわけがないですから、 最初から「ゼロではない」という前提で話しているということを覚えておきましょう。 文脈や状況から前提を読み取るのも読解力の一つです。 そしてどこからが「多い」のかというのは難しい問題です。 3人のうち1人が不快に思ったのならその比率が高く、避けるべきだと考えられますし、 1000人のうちの数人であれば無視しても良いレベルだと言えるでしょう。 質問の答えとしては、「どんな言葉でも探せばいるのは当たり前」です。
お礼
御回答有り難う御座います。参考になりました。 確かに「いない」を文言通りに受け止めるのは 一種の揚げ足取りでしかないですね。 私は明らかに、社会的マイノリティに属しているタイプなので かなり少数なら無視しても構わないと判断されてしまうのが、 非常に不快に思ってしまいます。