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日本史の摂関政治と国風文化の形成
- 日本史において重要な要素となったのが摂関政治の確立と国風文化の形成です。摂関政治は、平安時代において摂政・関白が政治の中心となる体制であり、国風文化はその時代に花開いた日本独自の文化です。
- 具体的には、天暦の治という時期に行われた試宴や歌合がありました。試宴は作歌の優劣を競う行事であり、歌合は複数の歌人が集まり詩歌の才能を競い合う場でした。
- 藤原実資の小右記には藤原道長の栄華に関する一文が記載されています。具体的な表現として「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の虧たる事も無しと思へば」という言葉があります。この部分の読み方として、「此の世」は「このよ」と読み、「思ふ」は「おもふ」と読むのが正しいです。「思へば」は「おもえば」と読むのが一般的です。
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1、「試宴」は前後の文から「詩宴」のことだと思いますが、康保3年の8月15日の中秋の月の宴の中の前栽合わせに伴う詩宴のこと、「歌合」は天徳4年の内裏歌合が念頭にあっての質問と思います。 優劣を競う遊びは「物合(ものあわせ))」と総称され、参加者全体を左方と右方の二つに分け、一回ごとに左右から品物とか和歌などを出し、審判(判者)が優劣を判定し、この勝負を何度かした後、左右の全体の勝ち負けの数により、左右の優劣を競う形式です。勝った側、個人には主催者から賜い物が出ることが普通でした。このような物合には歌合の外に、絵・花・前栽・扇・扇など多種ありますが、前栽合のように「合」の字が付きます。なお、歌合の場合、一回ごとに題が変わります。一番目が「秋」の題であるなら、二番目が「冬」になるとかです。 これに対して詩宴は一つの題に対して参加者が漢詩を提出し、当日はそれを読み上げますが、原則的に優劣を競うものではありません。 2、「此の世」は「このよ」と読みます。「思ふ」は当時は「おもふ」と表記通りに読んでいたようですが、時代が下るにつれて表記と発音が分かれ、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いになります。「おもふ」は語頭以外の「は・ひ・ふ・へ・ほ」は「わ・い・う・え・お」と変化します。「おもう(omou)」に変化するのですが、「ou」と母音が重なるので、長音変化(ここでは「おう(ou)」が「おー(o~)」と変化)して、「おも~(omo~)」となります。正確には長音で「おも~(omo~)」と発音します。「思へ」は長音変化がないので、「おもえ」です。 3、母親に関係なく出生順ですので、長女=彰子、次女=妍子、(三女=寛子)、四女=威子、(五女=尊子)、六女=嬉子です。( )内が源明子腹、それ以外は源倫子腹です。 4、平安京におかれた東西の市のことと思います。地方の国府にも市が存在したとの記述がありますので、それとの対比で、京の市の意味ではないかと思います。 5、「女」と書いて「むすめ」と読み、「娘」の意味です。
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