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聖徳太子の随との積極外交について
聖徳太子は遣隋使を送り、仏教理念を用いた宗教的対等を示すことでの積極外交を行いましたが、 これには一体どういう背景があるのでしょうか?
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隋の進んだ法制度を取り入れて国家体制を整備し中央集権を確立しようとしたのです。隋が分裂混乱した中国を再統一した頃、日本では蘇我氏と物部氏が仏教受容を巡って対立していました。朝鮮半島では友好関係を結んでいた百済が退潮で、日本に敵対的な新羅が勢力を伸ばしてもいました。新羅は6世紀に国力を伸張させて百済の聖明王を戦死させ任那を滅ぼしてしまいました。新羅の強大化によって日本の国力充実が必要になりました。それにはどうするか。隋に倣うということです。隋の法制度、文化を取りいれて日本という国を確立しなければならない。そうでないと新羅にすら対抗しえない。任那復興というスローガンを掲げたところで豪族が喧嘩しているようでは話にならないということがだんだんと分かってきたのです。
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- tanuki4u
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回答No.1
中国本土が随に統一されたから。 中国に巨大統一政権ができると、外部に侵略を開始します。 中国人の基本的な考えは、世界は皇帝陛下のもの。 すぐ隣国の高句麗は直接武力で独立を保つ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%97%E9%9A%8B%E6%88%A6%E4%BA%89 少しあとになるが、白村江の戦いで日本が朝鮮まで行って唐と戦うのは、その次は日本侵略であると理解していたからです。
お礼
お二人ともありがとうございました。 参考にさせていただき、もう一度考察しなおしてみます。