• ベストアンサー

聖徳太子。

聖徳太子の政治目標を彼の行った政策を基にして考察したいのです。 が、彼の政治目標と2つの政策の目的が結びつきません。 冠位十二階は氏、姓で役人が占められていた事に対し、才能さえあれば冠位を与え出世できるように作った政策。つまり身分を氏から個人単位に移したようです、 憲法十七条は豪族たちに国家の官僚としての自覚を求めるとともに仏教を新しい政治理念として重んじるもの。つまりだめな政治をあうるなということが書かれているそうです。 そして彼の政治目標は天皇中心の中央集権国家の樹立(国内、国外の情勢に対応)だそうです。 どう結びつくのですか?? ご協力お願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hisexc
  • ベストアンサー率40% (190/470)
回答No.4

いろいろ説はあると思いますが、私の意見を書かせて頂きます。 天皇中心の集権国家をなぜ作らなければならなかったのかを考えてみましょう。作らなければならなかったということは、それ以前には天皇の地位を脅かしかねない何かがあったという事です。 それは朝廷に強大な力を持った豪族の存在だと思われます。今のように民主主義が発達して選挙で政治家が選べる時代ではなかった当時は、朝廷内の要職は全て天皇家と姻戚関係をベースにした有力豪族達の世襲が基本でした。 天皇家との婚姻合戦や仏教伝来による宗教対立などで豪族間の対立が激化し、朝廷内が大混乱するようになると、豪族達はより自分らが有利になるよう婚姻関係のある個々の皇族を味方につけようとし、ここに至って豪族間の対立は天皇家までを巻き込む様になってしまいました。そして朝廷は分裂し曽我家・物部家を核とする対立はついに内乱にまで発展してしまったのです。 その後摂政職についた聖徳太子はこのような事態を避けるべく、今風に言えば「朝廷内の構造改革」を断行する必要があったわけです。世襲などで朝廷内の要職を一人占めにしてきた豪族達は、いわば「既得権利を持った抵抗勢力」です。これを打破する為に打ち上げられたのが、「冠位十二階」と「憲法十七条」です。 「冠位十二階」では試験制度による官僚の選抜という現代に至るまでの新制度を導入し、豪族という抵抗勢力から既得権を奪う事により勢力を押さえる事ができ、相対的に天皇家の勢力を上げる事が出来ます。また「憲法十七条」を今風に言えば、朝廷内におけるルールを明文化した「公務員倫理規定」です。これにより朝廷内の規律を明確に知らしめる事により、豪族がかつての様に自分勝手な行動を取れなくしてしまったのです。 こういったプロセスで聖徳太子は豪族という抵抗勢力をコントロールし、天皇を中心とした集権体制を確立して行ったと私は考えています。

その他の回答 (3)

  • syunpei
  • ベストアンサー率27% (194/717)
回答No.3

すいません続きです 当時は、蘇我氏を初めとした有力豪族が 朝廷を支配して、天皇をないがしろにしていました そこで、天皇集権の国家にしよう憲法を定めました そして、見事、隋に国として認めさせ、あの高ビーな 国書を送りつけたのです 日出処の天子から日落ちる処の天子に・・という一説です これは、当時の強大な隋になめられると、隋の属国としての日本となれば、目的が外れるので、同等の国交を結ぼうとする、太子の考えであったようです 思惑どおり、隋と国交が結ばれ、隋も日本を属国にすることがなく、新羅も日本に攻めることが出来なかったのです。 この隋との国交は、のちの日本の当時で言う近代化の礎になったことはいうまでもありません

  • syunpei
  • ベストアンサー率27% (194/717)
回答No.2

太子が隋と国交を結ぼうと思ったのは 当時、朝鮮半島が不安定で 百済と親しかった、大和朝廷は新羅などと戦う百済に 援軍などを出していました、ところが百済もまけ 今にも日本にまで攻め入るかも知れないほど の状況にまでなっていたのです。 大和には、百済の人々が多く逃れてきていました 太子は、新羅などを牽制する為 隋と国交を結ぶことで、新羅に攻め込めば 隋が黙っていないぞという気持ちを抱かせるように しようと思い、隋に使いを出したのです 小野妹子です。ところが、隋の皇帝は、謁見どころか 門前払いを食らわしたそうです なぜかというと、まだ当時の日本には法も官位も無く 国と認めらないという理由だったようです そこで、太子は急ぎ、憲法を定め、隋の科挙を手本に 身分や生まれにとらわれず有能な人間に官位を与えようとして冠位十二階をさだめたとされています。 ・・実はこれはNHKの聖徳太子の放送の内容ですが

  • trom
  • ベストアンサー率30% (17/55)
回答No.1

 冠位十二階については、  それまで出身が良ければそれだけで重職に就ける理不尽、つまりは、『どれだけ無能な人でも採用されていた』習慣を改め、有能な人物を手元に置くという意味があるのではないでしょうか。  政治をする上で、有能な人物がいたほうが何かとやりやすいでしょう。  『親の七光り』の否定ですよね。  また、働きが良ければ出世できるということで、それまで低い役職にしか就いていなかった一族の出身者を奮起させる効果もあったと思います。  十七条の憲法については  第三条を読んでみてください。  天皇の勅命には絶対従うように、という内容が出ています。  また、立場上(?)位が上の天皇に礼を持って接するように、という意味もあるように受け取れます。  よくわからない内容になってしまいましたが、参考になれば幸いです。

参考URL:
http://www.tetsureki.com/home/library/shiryoukan/kenpou17.html