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木造住宅百年計画とは?技術や構造について教えてください
- 木造住宅百年計画とは、木造住宅を100年使えるようにするための取り組みです。耐久性や耐震性を考慮した構造や工法、伝統的な継ぎ手などが必要不可欠です。
- 木造住宅では基礎や構造材、接合部などに特に注意が必要です。コンクリート基礎を使う場合、耐用年数は約60年ですが、木造住宅ではより長持ちする工法や技術が必要です。
- 一方、昨今のハウスメーカーが建てる30年使用の家との違いは、メンテナンスの方法や素材の選択にあります。木造住宅百年計画では、定期的なメンテナンスと適切な素材の選択が必要です。
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>日本人が百年住宅を選ぶ意味・意義はなんですか? 一つ目、そして一番重要な意味は、木造住宅に住んでいる人が幸せそうで、アトピーにもならず、またヒステリーやうつ病の発生率も低いんじゃないかと思っているからです。ヒステリーの発生率と木造住宅との相関関係など、反論もあるかもしれませんが、それは直感・主観ということで許してもらうことにしています。だから木造住宅なです。 次に重要なことは、日本は森林資源が豊富な国であるということです。世界でも6番目ぐらいの森林大国なんですよ。その森林資源は再生可能な資源ですから、山の恵みである木材を頂戴しても、ちゃんと苗木を植えておけばまた60年後にには立派な角材がとれるまで成長しているんです。そして、2000年代に入って、戦後の乱伐後の大量造林からまさに60年たって、丁度、伐採時期を迎えた資源が有り余るほど有るんです。だから、有るものを使うのが良いのじゃないかと考えるわけです。だから国産材を使用した軸組み在来工法、または軸組み伝統工法が良いと思います。 三つめに、なぜ100年か、ということですが、家を建てると言うのは大事業で、経済的負担も大きいですね。すべての人が自分の人生で家を建てなくちゃならないとしたら、○○○○ハウスは儲かってしょうがないでしょうが、住宅ローンの返済で人生を費やしてしまうと人や、もっとひどい場合は住宅ローンをしたばかりに破産してしまう人も現れる。もし、住宅は100年使う事が普通になると、爺さんの建てた家に住む人、親父の建てた家に住む人、そして自分で家を建てる人がそれぞれ3分の1ぐらいになり、日本人の2/3は家を建てるという大事業をしなくても良いことになる。家系の三代を考えれば、そのうち一人ぐらい甲斐性のある人物が登場するわけで、この甲斐性のある人が100年住宅を建てる。そうすると次の二世代は、馬鹿息子だったり、「三代目には、、、」といわれる駄目人間だとしても、立派な木造住宅に住みながら一生を終えることができますよね。 だから100年住宅が良い。○○○○ハウスや金貸し業者にはビジネス・チャンスが減ってしまい申し訳ありませんが、一軒の家を、平均で三代が使うようになれば、世の中みんなが幸せに過ごすことができるようになります。 さて、木造100年住宅に対する誤解や偏見があるので、この場を借りて訂正を少々。 1.高価な木材を使わないと木造住宅で100年耐久を目指すことができない? =>そんなことは有りません。戦後に大量造林して花粉症の原因となっている国産60年生の杉で十分です。また杉の構造材をヒノキに変えても追加の費用は30万円ぐらいですよ。 構造材の材木価格は建て坪30坪の2階建ての場合でも、高々200万円ぐらいです。 http://www.piccolo-net.jp/kakaku/sample001.htm 2.木造で100年耐久の家をたてるのは、特別に技量のある大工や、宮大工などで、費用も高い。 そんなことは、ありません。まず宮大工は住宅を建てる大工ではないので、忘れてください。住宅を建てる大工は30年しかもたない○○○○ハウスの住宅を建てる大工でも、手刻みで柱から作ってゆく完全オーダーの住宅を建てる大工でも1日当たりの日当は同じです。ですから、技量の高い大工仕事をしてもらって、プレハブ組み立て賃と同じ日当ですむのです、あら、かえってお得ですよ。 3.基礎に使う鉄筋コンクリートの耐久性が60年しかないのに、その上の木造住宅が100年もつのか? 確かに鉄筋コンクリーは耐用が60年と考えることになっていますが、この耐久性はアルカリ性のコンクリートが酸化する時間を考えて60年ということになっています。コンクリートに背筋する鉄筋が錆びることによってコンクリートの酸化が促進んするわけですから、錆びないエポキシ樹脂で被覆した鉄筋を使用すれば、鉄筋コンクリートの耐久性は向上します。基礎屋さんに耐久性100年でお願いしますといえば、大丈夫です。 4.木造住宅は隙間風があって寒い。 たしかに、湿潤温暖な日本の伝統住宅は夏の日差しから守ること、そして風通しを確保して湿度をコントロールすることを重視してきたため、冬は寒いという印象を持っている人が多いですね。これは木造住宅の性質ではなくて、日本の伝統建築の特徴です。いま、機械式の冷暖房が普及した時代には、なにも江戸時代の建築様式を真似る必要はないのですから、施主さんの志向によっては、フィンランドの家のように、木造で大変気密性が高く、冬の暖房費もかからないQ1.0住宅というのも可能です。むしろ、Q1.0という高気密・高断熱住宅に挑戦する建築士は必ずと言ってよいほど木造を選択します。それは、材料として熱伝導率の高いコンクリートや鉄筋が使われると、家自体の断熱性の確保が大変で、より多くの断熱材を使用することになるからです。それに比べるとコンクリートの5分の1の熱しか通さな木材で全体を構築することのメリットが大きいのです。
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- heartmind
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こんにちは、私もお菓子作りが好きなので、子供の頃の昔の ガスオーブンが懐かしいです。自然対流式で中に小さい 扇風機がついていないので、焼きむらのくせがあって、 それでお菓子を焼くと、カリカリのとこと、ふわふわのとこ しっとりしたとこがいろいろあって「ゆらぎ」のおいしさ がなんともいえませんでした。 扇風機付きガスオーブンは、焼きむらはなく高速で焼けても 全体的に乾燥して、バターの風味も飛んじゃってます。湿度 調整の為にテンパンにお湯を少し入れたりしてますが、 味としては追い付いてない気がします。 ガスバーナー点火の炭オーブンとかあればいいのにと思います。 ところで本題ですが、 ツーバイフォーはお好きではないかもしれませんが、 もし気候が夏もそんなに暑くなく湿気がない風土であれば、 コストパフォーマンスや耐震性や効率性など総合的にみて、 木造建築構造としては大変優れた工法だと思います。 まず、柱という概念がありませんから、高価な木材は不要です。 また、材料の規格が決まっていますから大量生産に優れて います。「ツーバイフォーの面(壁)」の耐震性を「軸」 だけで実現しようとすると体積を取るしコストもかかります。 ですが難点として、壁が多く開口部が少ないので風通しが 悪く、機密性が高いので夏の暑さはクーラー無しでは無理 があります。 束石の上に足を乗せただけの、開口部だらけの日本建築とは 大きく違います。束石の上は、引っ張りも回転も考慮され ていませんので、重い屋根とそれに対応した太い柱が必要 となり、揺れを吸収する為の柔接合が必要です。 とはいっても、ツーバイフォー程の耐震性を実現するには コストがかさみすぎます。 そこで提案ですが、機械制御の免震基礎を使って殆どの揺 れを吸収させて、そのコストは補助金にしてもらって、 上ものは震度3ぐらいに規制緩和する。これでクーラーの 電気料は減って、ヒートアイランドも解消されるかもしれ ません。 機械制御を構造に組み込んでいる良い例は東京ドームですが 、あれは突き詰めると構造=電力パワー(コンピュータ)と 言ってもいいと思います。粒子ドットソーラーがもし実現し たら針金のような柱に電力で圧力を送り続ける構造なんかも でてくるかもしれません。 「機械制御でノスタルジアや揺らぎを実現する」というのは 質問者様の求めている答えとどのくらいちかいでしょうか。
お礼
ありがとうございます。お礼遅くなってしまってごめんなさい。 どのくらい近いのか?については判りません。 ただ、西欧ではテレビが隠れるような家具を設えるお宅も少なくないとか。 テレビでオペラなどを観賞しても、それで本当のオペラを知ったことにはならない。本物が大事、ということらしいです。 機械や2×4の実際のコストには興味があります。現代の経済学は環境容量については無言及なので不満です。
- kusa-mura
- ベストアンサー率30% (7/23)
これは木造の親方にラブコールを送るための質問ですね。ははは。そして木造の建築方法についての個別の話は終わってしまって、むしろ木造を選択するということの意義について、つまり文明論の方に話しはシフトしているとみています。そこで「文明論的示唆」ということで、木造住宅と話題がそれることを承知で投稿します。 質問者さんはプロフィールに書いていることや、僕の欄への投稿から察すれば、日本文化の荒廃を嘆き、その再興を望んでらっしゃると見えます。この流れで、石の文化である西欧に対して、木造という実に日本的な建築方法を守るべきであると仰っていると考えています。しかし一つ腑に落ちないことがあるのです。なぜ日本的な文化を再興することをお考えであるのに、質問者さんは、パンという西欧の主食を作る職人になったのですか。 日本文化の再興を望みながら、西欧の主食を作ってらっしゃるというのは、言ってみれば捻じれです。というのもパンを買ったお客さんは、当然ながら冷ややっこを食べるのではなく、シチューだとか、西欧料理を食べるでしょう。パン屋さんは間接的に、西欧料理の促進をしているわけです。それが日本料理に少なからず、善きにつけ、悪しきにつけ、影響を与えることになるでしょう。ご承知だと思いますが、明治の森鷗外の頃には、パンの栄養価が米よりも高いから、軍人の米食はやめさせようという議論があったくらいでした。しかし軍医の最高幹部として鷗外は、日本人の身体にあっているのは米食である、と主張します。食文化を守るというのなら、米の方がストレートではあるでしょう。 これは僕がパンを作るのが悪いなどと言っているとはお考えにならないでください。僕はパンが好きですし、オーヴンで焼いて、友達と分けて、好評だというくらいパンは好きなのですよ。パンを作ることを選択した動機に興味があって伺っていると受け止めてくださったら、幸いです。なかなか街のパン屋さんに、「あなたはなぜパン屋さんになったんですか?」などと聞くことはできないわけです。またパン屋さんが皆、文明論を考えているとは限りません。良い機会だと思ったのです。熟慮と情熱があった上での選択なのでしょうから、それを一つ教えていただけませんか。
お礼
わざわざのお越し、ありがとうございます。 パン屋になった理由ですか?なりゆきです。大学出たあと紆余曲折あって、他の選択肢よりまだ自分にむいてそうだったから、という消極的選択ですね。 優秀なあなたにとって学者であることは自由選択だったかもしれませんが、庶民にとって職業は止む得ない選択です。理由を問うてもしかたないでしょう? けれどもなってしまった以上、あれこれ考えるのが人間です。 私はね、ご飯が大好きなんですよ。パン屋じゃなかったら、きっと一生パンを食べなかったかもしれません。 田んぼも大好きです。田んぼの連なりの傍らに必ずあるお社と鎮守の森も大好きです。田んぼを見守るお社は、救いを求めて建てられたものじゃない。感謝を捧げるために建てられているものです。日本全国津々浦々、お社が在る度に、そこに集まる感謝の念に想いをよせて止みません。 そんな人間がパン屋になって思ったのは、自分はなんて裏切り者なのだろう、ということです。 でもね、悩み抜けるのも早かったですね。「まぁしかたのないことは沢山ある」とかね。どんなにしたって現代文明の中でしか生存できないのだし、それを否定しても始まらないわけで、残ったのは「より良いパン屋になる」ことでした。 では、「より良いパン」とは何か。 色々ある中で私が選択したのは、ルーツに近いと言うこと。せっかく日本を裏切ってまで作るのだから、本物に近いということ。メシ代わりの大量生産の粗雑なパンではなくて、日本人の食文化を豊かにする異文化としてのパンであるということ。 もちろん、生業ですから妥協だらけです。菓子パンだって惣菜パンだって作ります。けど、まがい物は使わない。 しかしそれも10年後にはどうなるか判りませんね。日本経済が立ち行かなくなれば、売上のみならず小麦の輸入もおぼつかなくなるかもしれません。気候変動による不作も年々深刻化しています。なにより、パン屋はやたらと電力を食う。今後オーブンはガスに回帰するかもしれませんが、しかしおそらく圧倒的に電気のままでしょう。 パン屋という業種がなくなるのは時間の問題かもしれませんね。 できることなら、本物を作り続け、大手やまがい物パン屋より生き延びたいものです。本物のパン屋の中でも、なるべく後の方まで残れるように努力したいものです。 とりあえずは、こんな返答でいいですか?文章読みにくいのはご容赦ください。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
わたしが学生生活を終えた頃、あまりに専門の仕事が少ないので、全然関係ない通訳で小銭を稼いでいたのですが、あるとき、フランスの家具メーカーから職人さんを呼び寄せて新社屋の内装をしつらえさせた社長さんがいて、その通訳を頼まれました。 社屋と自宅は建設の真っ最中、自宅のほうは豪華な銅葺きの日本家屋だったんですよ。仏壇までお揃いで新築していました。フランスの職人さんと一緒に日本家屋を見学に行きました。 フランス人に珍しいのは当たり前なんですが、日本人のわたしだって無知なものですから、始めて知ること見ることに感激していました。 湿気を吸って伸び縮みするから天井板の端はびっくりするほど大きくスライドみたいな開きを作っておくんだなあって、考えて見れば当たり前でも、そんな天井にご縁はなかったですから、感心して眺めました。 畳際の細窓のあたりも、何か湿気がどうとか夏涼しくとかいう蘊蓄を通訳した記憶があるんですが、ああ思い出せない。馬鹿は記憶が持たないからもったいない。 土壁の基礎の網代を組んでいたのがまだ若い職人さんで、少ない技術者なのに若い人というのは珍しいんだそうですね。勉強熱心な若者なんだなと思いました。 鉋をかけていたおじいさんの職人さんは怖い顔をしていて、皆さんが言うには一番気難しい人だと笑っていましたっけ。フランスの職人が鉋を詳しく見たがって熱心に頼んだのですが障らせては貰えなかったです。後で、幾つかの道具をもの凄く欲しがっていた。ものづくりの情熱ってのは人種を超えてよく伝わるものですね。日本製の道具は凄いのだとフランス人が言っていまして、特に砥石が最高だとかで高価なのを買って帰りました。わたしにはよくわからない世界ですね。出刃包丁と文化包丁くらいは台所で砥いでいますけれども。 それで、こんな記憶力の悪いわたしが言うのもはばかられますが、職人さんが技術を継いでいって、ときどき再現復興する古い技術もあって、道具も受け継がれ、道具作りの水準も保たれるというのはえらいことですね。だから折々にはこういう建築の施主がいないとなりません。技術を残すために家が建つというくらいの考えですね、わたしのは。 家を残すために技術を継ぐのでは動機が弱くて持たないと思うんですよ。物を残すということには堕落の道が容易に訪れそうですから。しかし、精髄を残すということは、それ自体が純粋な動機であるように思いませんか。だから、精髄を残すために、折々にちらほらと財力や権力が投じられるとよいのであろうな、とわたしは思います。 その結果、物も最小限には残りますでしょう。精髄の維持のための代償くらいは身銭を切って抱えていかないと、文化は程度が下がるばかりです。 もし文化が、物を残して精髄を手放すようだったら、それは人間力がどこかで弱くなって、人を繋がず、人を育てない、末期症状に陥っている証拠だと思いますね。 建築というのは都合で壊されることもやむなきものだとわたしは思っているのですが、解体現場はものすごく勉強になるものですね。古い刑務所の解体なんて、秘密にされていた新技術や珍工法を白日に晒す最初で最後のチャンスなのですからね。 受け継がれないことに存在理由がある技術というのもまたすごいですね。それだけのために考えられて作られた道具もあったかと思いますと、これを支えたのは何とよびうる情念なんでしょうか。
お礼
いいお話をありがとうございます。お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。 フランス人も物作りの民なので、通じるところがあるのでしょうね。パン作りも多くがフランスから伝わりました。 日本のフランスパン作り普及に努められたフィリップ・ビゴ氏のこんな言葉が伝わっています。 「パンはいろいろ。配合も作り方もいろいろだ。だが、どの場合においても、パンのおいしさを生みだす技術がともなっていなければならず、その技術を身につけるためには心が必要だ。それを私は伝えたい。」 この「心」と、amagappaさまの言われる「精髄」は、非常に近しいもののように思います。 これは一度失ったら取り戻すのは至難を極めるでしょう。私たちの暮らしが変わって、きっといくつもの心を、私たち日本人は失ったのだと思います。 この「心」を継承するのは、しかしまた容易なことではないでしょう。一個人に一個人が、心に心を重ねて写し取るような、そんな奇跡を「継承」というのだと思います。 人は人の心を直接知ることはできません。言葉はどうしだって嘘が混ざる。ただひたすら本物を作ることで、継いできたのだと思います。本物のパン、パンの本質、パン屋のエスプリ。本物の家、家の本質、大工や職人の心意気。 この「家の本質」を探る鍵が、木造百年だと思っていたのです。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>「無理なんだよ。素人のくせに出しゃばりやがって」 全く逆ですよ。私の主張は。 別の方の回答で、木造よりもコンクリートが10倍持つとか、宮大工に頼めば云々という回答がありますが、わたくしは住宅分野で木造100年を実現するのは簡単だと信じています。大工の技量の制約でもないし、コンクリートの10分の1の耐久性しか無いなどの暴論に対していつも戦っているのです。 もし、住宅分野で木造100年が実現できないとしたら、それは基礎の鉄筋に被覆していないなどの小さな問題を回避すれば、あとは施主の考え方次第で、可能なんです。そして実現した住宅を子孫にきちんと継承してゆけばよい。それだけです。 ただし、なんとも繰り返しになりますが、施主が「住宅を買う」という発想でいる限り、テレビコマーシャルで有名な○○○ハウスの商品を買うことになりがちです。ですから、くれぐれも木造100年住宅は買うのではなく、設える(しつらえる)という覚悟をしていただきたい。 そうすれば、必ず、施主の希望を理解する設計士と巡り合え、その設計を実現する大工と出会う事が出来るのです。 大工の技量が落ちている(技量の無い大工が増えた)のは事実かもしれませんが、そんなことを理由に木造100年住宅を諦める必要はさらさら無い。あなたの家一軒に大工1万人を使うわけじゃあないんだ。あたなの家に必要なのは最終的に一人の棟梁と数人の大工だけ。企画型組み立て住宅全盛の現在とえいども、あなたが必要な人数の100倍、1000倍ぐえらいの腕の立つ大工がいますから、心配無用ですよ。
お礼
ありがとうございます。 まったく言葉が足りないというか、なんとも申し訳ありません。喩えの話をいいわけしてもしかたありませんが「無理」は、私がこの話題を論ずることが「無理」と言う意味で、古民家などからの類推でしかありませんが実現を疑ったことはありません。 実現の方法についての解説はとても良く解ります。 ただ、質問自体が不正でした。Mokuzo100nennさんに質問するわけにもいかず、質問の構成には四苦八苦しました。あなたから「なぜ哲学カテなのか」「宮大工は家を造らない」と揶揄されても当然です。 Mokuzo100nennさんには、こう質問したかったのです。 「あなたがMokuzo100nennを提唱する理由、日本人が百年住宅を選ぶ意味・意義はなんですか?当人にとって、日本社会全体にとって。」 是非聞かせてください。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>当たり前でしょう? 当たり前の回答しかできず申し訳ございませんでした。 >そうそう人を見下しなさるな。 人を見下しているつもりはなくて、なぜMokuzo100nennが実現できないかの問題点を挙げ、住宅分野でMokuzo100nennを求める人への心構えを回答しただけなんですが、なにかお気に触ったのならお詫びします。 お礼欄で説教されたり、文句たれたりされると不愉快です。
お礼
>お礼欄で説教されたり、文句たれたりされると不愉快です。 説教も文句もたれてるつもりはありませんが、Mokuzo100nennさんを不愉快にさせてしまったのなら申し訳ありません。ごめんなさい。 私自身がこのカテゴリーで投稿した理由は対話です。Mokuzo100nennの実現をテーマに様々な意見を聞いて見たかったのです。とりわけあなたは、Mokuzo100nennさんでいらっしゃいます。この問題について誰よりも苦闘しているに違いない。その度に向き合わなければならない、巨大で深刻な障害と、しかしそれでもなおMokuzo100nennを提唱する志を聞かせてほしかったのです。 それゆえに 「無理なんだよ。素人のくせに出しゃばりやがって」と言わんばかりの言われように、ついつい反駁してしまいました。重ねてお詫びするとともに、なんとか残念な気持ちも伝えたいです。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
#4です。お礼ありがとうございます。 以下補足です。 >社会問題を政治課題として考える時、 ・理念(大目的) ・政策 ・制度 という風に考えるのだと、どこかで耳にしましたが(後略) 課題としてはそのように考え、考えうる理想状態を可能な限りの政策で制度化して理想に近づく、というアプローチをとります。しかしこれは机上の空論です。 実際の政治課題の解決には、理念の違うプレーヤーの各集団が政権争いをし、勝った側が我田引水的に政策を決定し、制度での手直しを図ろうと他のプレーヤーが妨害、そして結局理念と程遠いものができる、というのが現実でしょう。 お礼で書かれた「アプローチ」は現実を見る目を曇らせる場合もあると思います。 それはさておき、 >お話をうかがって新たに浮かんできた疑問は (1)アメリカね平均的木造建築の実質耐用年数はどれくらいで、法定耐用年数は何年なのでしょう?そしてそれはどんな理念と政策によるものなのでしょう? (2)翻って日本の法定耐用年数は、いかなる理念と政策によるものなのでしょう?やはりハウスメーカーの売り上げ三倍増計画と金融売り上げ三倍増計画の後押しのためなのでしょうか? についてです (1)アメリカにおいては減価償却は、アパートなど居住用の不動産で27年半です。ただし、#4にも書いたように、リフォームなどして資産価値をあげることができますので、実質耐用年数という考え方はむずかしいような気がします。ただし安普請は27年程度の耐用しか無いと思います。 法定耐用年数は減価償却期間から見れば27年(木造)です。しかし、「耐用と資産価値」というものの考え方がまったく違いますので、日本で言うところの「法定耐用年数」は無いに等しいようです。 どうも、資産として不動産鑑定有資格者が資産価値と安全性を確認できれば、資産として計上できるということのようです。 実は、ちょっと前に起こったリーマンショックの発端であるサブプライムローンの焦げ付きも、モーゲージローン(不動産ローン)のための不動産価格の査定を甘くし、融資枠も甘くし、購入者の査定も甘くした、というところから焦げ付きが大量に発生したのです。 日本の法定耐用年数の考え方からはありえない仕組みだったといえます。 (2)の法定耐用年数については、日本の不動産の考え方そのものにあると思います。 そもそも日本の建築物は、西洋のように「何百年もずっと建っている建物」という概念が存在しません。 木造家屋は火事ですぐに焼けてしまいますし、石造りだと地震壊れてしまいます。 日本はそもそも建築物にとって、世界にもまれに見る過酷な環境だといえるわけです。 そのような国で法定耐用年数を作らず、減価償却がいつまでも継続できる仕組みを作ったらどうなるか(つまりいつでも資産価値のある建物を担保にして借金できるということ)、大火や大地震の後には、ローンで苦しむ人がいっぱい出て、日本経済がデフォルトになってしまう、ということでもあります。 東日本大震災を見るまでもなく、家が一瞬で無くなればローンだけが残ります。建てたばかりの方には気の毒ですが、法定耐用年数以上のローンが組めないならそれはセイフティーネットになりうるわけです。 そもそも日本では「建物は消耗品(火事で無くなるか、地震で壊れる)」だったわけです。 もちろん、一部には法隆寺をはじめとした長ロングライフ木造建築もありますが、あれは宮大工という特殊な職業の人が何世紀も連綿と続いて初めて可能になる、非常にコストがかかるものなのです。 >西欧人は、生活様式が自分たちの精神を支えていることを良く理解しています。ローマ人の遺産が身近なことが、彼らがそうしたことを学ぶのに役にたったのかもしれません。 たしかにその通りです。私が建築に興味をもったのも古代ローマの水道橋でしたし、なにもメンテナンスをしていない水道橋が今でも残っている(機能は失われているものも多い)のは驚愕に値します。 しかし、それもローマ街道をはじめ、パックス=インフラ、という考え方があって初めて成り立つものといえます。 江戸市街でも他の城下町でも攻め込まれたときのことを考えて、袋小路や曲がった道を作ったり、同様のことを考えて大井川に橋を架けなかった日本では「インフラ」の意味はまったく違いますし、そもそもインフラがストックであり有効な資産である、という考え方自体があまりないのが実情ではないでしょうか。 それが証拠に、各地にハコモノはできますがそれを有効に資産運用できている自治体はほとんど無いといえます。 ハウスメーカーと金融の売上3倍増の前に、西洋的な建物=資産という概念が無いのが日本の歴史的経緯だといえるのではないでしょうか。 ちょっと予断ですが、日本は世界的に見て「私有財産」の権利が非常に強い国だといえます。その源泉は「土地」にあります。 日本では墾田永代私財法が出来て以降1500年ぐらい「土地は個人のもの」だったわけです。西欧では、特に都市については土地の公有の概念が強く、日本よりも都市計画がスムーズに進むことが多いといわれています。 ですので、西洋では土地は公:建物は私、だったのに対して日本では土地は私:建物も私であり、建物は自然災害で消耗するが土地は(の価値は)減らない、という考え方が一般的だったように思います。 ですので、建物を建て替えても土地は売らない、となると100年住宅を支える根本原理「次の世代への引継ぎ」が機能しないことになりかねませんので、心理的な抵抗が結構強いのではないか、と思います。 このような国民性だと、100年住宅を購入する意思があるのは、今のところ何代にもわたってその土地に住み続ける農業で生計を立てられる家族、しかいないのではないでしょうか。 住宅の技術的なレベルではすでに100年でも200年でも耐用する住宅が造れるでしょう。しかし、心理的な障害は以外に大きいのだと思います。
お礼
詳しくありがとうございます。 >実際の政治課題の解決には、理念の違うプレーヤーの各集団が政権争いをし、 なるほど、その通りで、なんだかちょっとやるせない思いがします。面白いと思った政治体制の国は?といった質問に、経済自由政治独裁のいいとこどりの中国とシンガポールを挙げていた方がいましたが、なるほどなと思いました。 アメリカ住宅の耐用年数、 日本の法定耐用年数の考え方、良くわかりました。 ただ、京都や金沢に残る町屋や、関東郊外にも残る古民家などを見ると、長く住むために造られているように思います。古くは江戸でも、火事や災害は多かったにしても、やはり長く住まうための家々が建てられていたのではないでしょうか? ところで、 水道橋もローマ街道も美しいのでしょうね。写真でしか見たことがなく、その質感、存在感は想像するしかないのですが、西欧人が西欧人たりえたのは母なるローマの遺産あってのことなのでしょう。羨ましいというか狡いというか。都市の土地が公のものであるのも、その起源がローマのコローニアや軍事都市にあるからかと推測しています。 墾田永年私財法のお話など、目からウロコです。なるほど江戸時代の百姓たちが一揆の際に天皇との繋がりを宣言しているのにも通じていそうです。 継承の問題は、他の回答者様が言うとおり、遺産相続に関する民法改正の影響で、混乱の限りの様相です。農家も土地の分割相続によって、全く機能しなくなります。さては穀物メジャーの策略かと、一人合点している次第です。 >しかし、心理的な障害は以外に大きいのだと思います。 正に先見の話題かと思います。まだそこまで至っていませんが、政策としての課題はどうやらその心理の問題になりそうですね。 制度として考えるのであれば、都市と郊外、または届け出制など、ケースバイケースの発想もありかもしれないと思いました。ローマに習って…
- heartmind
- ベストアンサー率14% (32/226)
埋立地というのはやはり都市の土地開発を目的としたもの だと思います。 なので、湿気があがるのを防ぐべた基礎と、 液状化現象のメンテナンス性からは昔ながらの束基礎、 の両方の良い面をもった伸縮する束機能をもった 逆べた基礎の変形みたいのがいいんじゃないでしょうか。 家のコストに占める職人の施工コストの最適な割合というのは 施主の家に対する目的に応じていろいろあっていいと思います。 しかし個人的には家というのもやはりそれはモノであり手段で あるという自覚がなければしだいに硬直化してくると思います。 人間が犠牲になってはならないということです。
お礼
ありがとうございます。 >人間が犠牲になってはならないということです。 大きな示唆だと受け取っています。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
木造住宅を100年使うには、まず物が100年持たないといけませんけど、それほど難しいことはないですね。 そのために「腕の良い大工が、、、」というのは簡単ですが、現実は、腕の良い大工にも使い捨ての住宅を建てさせる施主が多いことなんですよ。住宅の総額を3000万円として、耐久性に影響のある構造部と、耐久性に影響のない設備部、装飾部での予算比率を考えたことがありますか。耐久性に影響ある構造部は高々30%、耐久性に影響のない設備部、装飾部で予算の70%つまり、2100万円が使われてしまう。大事な基礎や構造に900万円しか使わないで、腕の良い大工もヘッタクレもないもんだね。 つまり、施主が設計士の意見などに惑わされ、あるいは女房の要求に負けて、やれ台所は大理石だとか、風呂場はジャグジーだ、そして子供部屋から納戸まで全室冷房だなどと要求される(また業者が儲かる)ので、結局腕の良い大工だって腕の振るいようがない。集成材のプレカットで、筋交い入れて金物で固定する「組み立て業者」にしておいて、木材一本一本を吟味するなんざ空念仏もいいとこよ。 木材を見極めるってのは、集成材ではなくて、無垢材を使うときです。青材なのか乾燥しているのか、そして、真壁づくりならどの面に節があるのか見極めて柱の面を構成するし、まがった松を梁に使うなら、それこそ太鼓落としにするのか、本当に丸材のままつかうのか、この辺が大工の勘所だったわけですよ。でもね、いまどきどこのお宅が曲がった赤松の天井梁を使うっての? 今の施主は見えないところに金掛けない人ばかりだよ。 まあ大工の腕の問題を云々するのは大概にして、むしろ問題は、跡取り息子をどうやって確保するか、その跡取り息子が「家を守る」というミッションをまじめに遂行するか、の方が重要でまた困難ですね。子供3人育てて、民法に従って遺産を3等分したら家は壊されるんですよ。民法が何と言おうと、跡取り息子を一人選んで、そいつに家督を相続させなきゃ、家は100年もたないんです。立派な木造住宅だって50-60年で壊されて、跡地は6分割されて2x4の建売住宅になってしまうんですよ。 もし、質問者さんがこれから家を設える(しつらえる)おつもりでしたら、次の4点を考慮してください。 1.家は高台に建てる。ただし、造成分譲地ではなくて、むかしからの岡。地名で判りますね。茨城県に石岡という地名がありますが、このような地名が理想です。まちがっても、池袋とか、渋谷とか、保土ヶ谷、藤沢、荻窪、浦安などという地名を選んではいけません。これはみな水が集まる地形から名づけられた地名で、100年住宅を建てる場所では、ありません。できれば、すでに住宅が100年以上たっていた場所で、建て替えで新築するのが良いでしょう。 2.大工を選ぶ。決して宮大工を選んじゃあいけませんよ。宮大工は家を作った経験が無い人もいるからね。買い物に行くとき運転を頼むのに、わざわざミヒァエル・シューマッハーに頼む人はおらんでしょう。普通のタクシー運転手でベテランの人が良いんです。その点、西岡常一などの名前を出すのも大きな間違え。職人は名前が無くても作品を残すのです。住宅をたてる職人は良い住宅を残します。西岡常一が良い住宅をのこしましか?違うでしょう。 3.大工には総予算の60%を大工仕事(基礎工事、左官工事、屋根工事を含む)に回すと約束すること。女房がなんて言おうとも、IHヒーターが欲しいから5寸角の柱を4寸角に落とせ、などということを言ってはいけません。これは施主の問題であって、大工の腕以前の問題です。 4.息子を3人産んで、きちんと教育して、跡取りにする。そして、跡取りに相応しい息子一人に全財産を(すくなとも自宅は100%を)相続させること。他の子供には小額の現金などで我慢してもらうよう遺言に残すこと。これも施主の責任。この責任が全うされない限り、どんなに腕の良い大工が材料や手間を惜しまずに作った家でも、代替わりで人手に渡り、結局100年も待つことなく解体される運命になる。 新築の住宅は買うものじゃなくて、設える(しつらえる)ものだってことを忘れないでくださいね。 そして、住宅は「家を守る」人によって守らっるってことをもね。大工云々は3番目以下です。 哲学というよりも生活学ですね。
お礼
生活学、哲学などの名付けで分け隔てをするのは、物事の本質を見誤ると思います。 百年住宅を考える際、施主の意志、継承問題が第一義というのは良く解ります。この問題が、私たちの近代的設計主義的な欲望と深く向き合わなくてはならないという点で、これからの半世紀の最重要テーマだと思いますし、社会制度も巻き込むハードプロブレムであると、認識していました。 想定していなかったとお思いなら、少し残念です。 私たち食にたずさわる職人達も、このハードプロブレムに日々向き合っているからです。どんなに手間暇かかった枯れ節や味噌醤油を選び、最高のバランスをとっても、 丹誠込めて一週間以上煮込んでデミグラスソースを作っても、 毎日毎日パンと格闘しても、 味覚ってのは物凄く保守的なものですから、家庭でホンダシやコンソメを使われると、自然とコンビニやファミレスの味、ヤマザキパンの味しか判らなくなってしまうのです。 スナック菓子で育った子どもは、アミノ酸が無ければ満足できない舌になってしまっているのです。 宮大工が家を作らないのも、存じています。名を敢えて挙げたのは、私たちが分野を超えて会席やフレンチの神様達を尊敬しているのと、同じ、「技術の前では頭を垂れる」ということでは、大工も全く変わりないだろうと思ったからです。当たり前でしょう?家庭料理をロブションに作らせようとは、誰も思いません。 私は、この質問をする事で近代との闘いの一端を示したかった。そうそう人を見下しなさるな。 継承問題は 農家とて深刻な問題なのです。GHQの設計主義的な民法改正によって。
補足
しかしそれでもなお、Mokuzo100nennを提唱するあなたの志を聞かせてほしかったのです。 議論が稚拙だという批判はもっともだと思います。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
>飽くなき効率化を求めて、そうしたコンクリート作りの家や街に住んで、 >私たち日本人が最大充足を得ることができるのでしょうか? コンクリート住宅など1%に過ぎません。 「飽くなき効率化(=利益)を求めて」、ペラペラのひご細工の住宅を 量産しているのは、ハウスメーカーの2x4や軽量鉄骨の方です。 また、「木造は日本の伝統だ」といっても、80%が輸入材で、世界中の 自然破壊をしておきながら、「文化を守る」もないものです。 高温多湿で、木は腐り、鉄は錆び、冬は乾燥して火事も多く、地震も津波も 多い日本で、木造や鉄骨造が選ばれたのは、貧しさが主な原因です。 その証拠に、学校や病院など、“大事”な建築はコンクリート造ですが、 はたして庶民の住宅は「大事」ではないのでしょうか? コンクリート造は、倍以上の価格ですが、耐用年数は10倍です。 トータルなライフサイクルコストでいけば、格安です。 ローン期間が終われば、月々数万円のローン費用は、楽しみのために 使えるようになり、精神的充足の増進と、景気の浮上にもつながります。 でも、日本の建設業界の既得権において、そうはならないでしょうけど。 (耐用年数が長い=新築件数が減る)
お礼
現代日本の住宅事情はハウスメーカーと金融業界の利益追求であることは、おそらく他のみなさんとも一致するところだと思います。 しかし、効率化というのは、企業の利益追求を言うばかりではないと思うのです。様々な風土の制約を断ち切り、近代的設計主義的に暮らしの利便性を追求していく、庶民の中にいつの間にか蔓延るものもあると、個人的には直観しています。 そこを、企業や政府に利用されているのだと思うのです。 お金=悪魔のツールを使ってできる充足など、たかがしれているのではないですか? 自己の近代的設計主義的な欲望への認識を深化させ、少欲知足の基本を目指すことのほうが、最大充足につながりませんか?
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
Mokuzo100nennを語るってんじゃ、黙っているわけにはまいりませんね。 木材は比強度といって単位重量あたりの強度が鉄よりも強い材料ですので水分(湿気)に注意すれば木造家屋は丈夫で長持ちします。しかし、日本は湿潤温暖な国です。雨や地面からの湿度で木が腐りますので、昔の家は水分対策を中心にして建てました。 材木は縦に使えと言います。石場建てと言って、地面に置いた大きな石に柱を直接立てるのです。法隆寺などの1000年建築はもとより、築200年以上の民家などはこの石場建てです。複数の石をならべて、その上面の地上高さ(GLと言います)を均一にすることは難しいので、柱の方を一本一本長さ調整しなけらばなりません。この手間が大変なので、戦国時代に短時間で建築するために土台というものを考えだしたと言われています。材木(土台)を横に渡すことで基礎石の上下不揃いを吸収して水平面をつくりだし、その上に同じ長さの柱を建てるので、生産性が向上しました。 しかし、横に渡した材木(土台)は縦の柱よりもはるかに水分に弱く、腐りやすくなってしまいました。現在でも、土台を使わない石場建てをする工務店があります。しかし、なんと建築基準法で土台を使え、基礎と土台を緊結せよ、と定められているために、建築確認申請で苦労するそうです。 基礎石は数百年の風雪に耐えますので、現在でも御影石を基礎にする工法があります。しかし、100年程度の耐久性であれば、基礎石にこだわる必要はなく、高耐久コンクリートの基礎でも十分です。基礎のコンクリートには引っ張り強度を確保するために鉄筋を入れますが、この鉄筋が錆びるのでコンクリートが酸化し、強度・耐久性を落とします。そこで、耐久性を重視する棟梁はエポキシ樹脂被膜をした鉄筋を使います。裸の鉄筋よりも多少値段が高いですが、一軒3000万円の家を考えたらその差は多寡が1%です。1%のコスト増で100年耐久が確保できるのに、樹脂被膜鉄筋を使わない建築家が多いは困ったことです。 土台よりも上にある柱や梁は、雨漏りや壁体内結露による水分さえうまく避ければ100年は問題なく持ちます。ですから、壁に通気性を持たせることと、屋根の形状を単純化して雨漏りを避けることが耐久性の基本要件となります。 昔の日本家屋は真壁づくりといって、柱の一部が室内や屋外に露出した建て方をしました。こうすることで、柱の水分が空気中に発散されるので、柱は乾燥状態を維持しやすく、耐久性が確保できたのです。近年は、洋間が増えたこともあり、壁を厚くして、その中に断熱材を充填する大壁づくりが中心になりました。この大壁づくりでは柱は壁に隠されて空気に露出しません。そのため、柱は見栄えの悪い集成材を使う事ができるのですが、柱の呼吸は苦しくなり、雨漏りや壁体内結露が生じると、腐ります。築20年で腐ってしまう住宅などは、たいがい大壁づくりで施工技術も低い(水分対策が弱い)住宅です。 さて、実は、日本の住宅が消耗品になってしまった理由は、建築材料や建築工法の問題よりも、むしろ社会的、デザイン的な原因が大きいと考えなければなりません。すなわち、家の間取りです。昔の日本家屋は、主構造を「田の字型」にして、その周辺、南側、北側には縁側を、東側には台所、西側には便所を配置していました。厠は別建ても多かったです。これは、主構造を100年以上持たせるようにして、水や火を使う部分は安い材料を(細い柱)などを使って下屋の形式で付け足し、この部分は30年~50年で作りかえるという発想だったのです。台所や便所はどうしても水を使いますので、長年の間に床下などの湿気から土台や柱の下部が腐ります。その場合でも主構造の田の字型は影響がないよう工夫されていたのです。主構造の田の字型ではみな同じような和室ですから、家族構成が変わっても応用が利きますし、冠婚葬祭で人が集まるときには大広間に変身できたのです。 現在では、キッチンや風呂、トイレを主構造の中に設計するばかりか、居室もリビングだとか主寝室、子供部屋など用途別の最適化設計をするがゆえに、家族構成の変化に対応しにくく、社会的耐久性が下がってしまったのです。巨額のテレビ広告をして家を消費財として大量供給する企業が繁栄するためには、家族構成が変化するたびに家をぶち壊して建てなおしてもらうのが一番ですね。 木造100年、200年の住宅に興味がある方はには、下記の本をお勧めします。 「こうすればできる100年住宅」宮下正次著 リベルタ出版 1800円 営林署勤めだった木の専門家が足掛け5年かけて、じっくりと材木選びから本格的な木造住宅をたてるドキュメンタリーです。大きな家ですが、○○○ハウスの住宅の建設費と大して違わない総建築費に収まったそうです。 しかし、なんで哲学のカテの質問なんでしょうかね。
お礼
お答えいただけないのかと思っていましたが、嬉しいです。 他の回答のお礼でもぼちぼち触れていますが、私は、理想やイデアといった観念が文化を生むのではないと考えています。生活様式が人の心のあり方を規定し、その心が文化を生み出すのだと考えています。直観ですが。 なぜ今、これこれほどまでに文化が荒廃したのかと考える時、理想だイデアだ、思想の潮流がどうとかで寄せ木細工がどうの、などと頓珍漢なことを考えるのではなく、素直に生活様式が乱れたからだと捉えてしまうのです。 テレビが普及して、緻密な言葉遣いは人の耳に届かなくなりました。 アミノ酸の普及で、世界に誇る日本の料理人の世界は年々失われています。 そして、 インスタントな家の普及で、日本の職人の代表格である大工の世界は失われつつあるのではないですか? 職人が身近にいることで、日本人は物の心に触れ、豊かな精神を育んでこれたのだと思っています。 西欧人はこうしたことを良く解っていて、自分たちの古い生活様式を堅持しているのだと思います。 今回の質問は、どの程度の家を目標にしたら、昔ながらの職人の腕が必要とされるのか、を探るための質問です。百年の家が、マニュアルで建ってしまうほどのものなのか、腕の良い大工を必要とするものなのか、が最終的に知りたいことです。 お答えの内容からすると、少し工夫をして、腕の良い大工が在来工法できちっと建てれば、百年は持つということかと思います。 さらには独立基礎が望ましいとのことかと思いますが、独立基礎(石場建て?)だと、つまりは古民家と同じ造りかと思われます。この場合は二百年くらいの耐久性になるのでしょうか。 いずれにしても大工の技量が求められると思います。他回答にもあったように、この技量の本質とは「一本一本の木の癖を知り、適所に使う」ということでよろしいでしょうか? これはつまり 「もののこころを知る」と言うことかと思います。パン屋であれば「生地の気持ちを理解しろ」ということです。こうした、ものづくりとともにある「もののこころを知る」「もののあわれを知る」という高い精神性が、今の日本の社会から失われていった一番大きなものだろうと思います。 こういうことは、哲学ではありませんか? なにやらケッタイな観念をこねくり回すだけが、哲学ですか?
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お礼
大変丁寧なお答をいただき、ありがとうございました。お礼遅くなってしまって申し訳ありません。 理由の1、私もそう思います。私がそう思うのは、やっぱり大工さんたちが生き生きと腕を振るっているからです。 「組立業者」という言葉にどれほどの忸怩たる思いが込められているのか。それでも生業としてこなしていく。それと喜びをもって腕を振るった家が、同じ物だとは思えません。 住む人が幸せで、 受け継ぐ人が幸せで、 環境に適っていて、 作る人の誇りだったら これを実現しやすくしていくのが国益だと思っています。