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バッチの哲学
政治家は、議員バッチというものをつけています。 同様に、ヤクザもバッチをつけていると聞いたことがあります(金バッチ?)。 金バッチや議員バッチが象徴するものは何でしょうか? また、彼らの職業に共通しているものとは何でしょう? バッチによって、社会的、心理学的、哲学的に何らかの効力があるのでしょうか?
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「政治家」「ヤクザ」と並べると意味ありげですが、 バッチを付ける職業はそれだけではありません。 大企業の社員は、社員バッチをつけているところがあります。 また弁護士も弁護士バッチをつけています。 政治家の場合、バッチを付けることが規則で決まっています。 付けないと議場に入ってはいけない事になっています。 この場合、バッチは、簡単な身分確認証としての機能を持っています。 ヤクザの場合、上級構成員だと金バッチで、 それより下だと銀バッチ、という使い分けがあるそうです。 これは、ヤクザ同士で出会った場合、 どの程度の礼を持って接すればいいのか、わかりやすくするためでしょう。 大企業社員は、社員同士で同じ会社だというのをわかりやすくするため。 弁護士バッチは、各種の法律活動に際して弁護士としての権限を行使する際の身分確認でしょう。 まとめると、「ある程度の数(全員がお互いを知っているわけではない)の集団において、 簡易身分証明として働く」ということになります。 第一の、そして最大の理由は「確認に便利だから」となると思います。 象徴とか心理となると話が面倒になります。 そういう側面もあるでしょうが、それは他の人におまかせします。 まず実用的側面を考えるべきで、 象徴的側面はそのあと考えることだと、私は思います。
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もっかいきました。 なにか、刑事もんの放送などでは、「バッチつけてちゃ、できないこともある。」なんてシーンもありそうですが。 記念という意味はあるかもしれません。 オリンピックのメダルとか。 軍人の勲章は、国に貢献しましたと言うことで、その人の行為(敵国の主要都市を陥落させたとか)を「誉める」ことで、戦争や、それに関する国の事業、軍部の行いに、正当性を付加しているとも思えます。 それに加担したものは、「誉められる」わけですから。 また、戦場や事故現場などで、人道的行為を行った人も、「誉められ」ます。 その人の行為を賞賛し、優勢化することで、人道によって営まれている社会性が、守られるからでは無いでしょうか。 社会的意味はそのようなものだと。 心理学的には、特別な意味をあるモノにもたせることで、その時記憶の印象付けをしているのかも知れません。 貴重な旅行のお土産などは、旅行を印象付ける役割が、あるかもしれません。 貴重であると言うこと(個人的であれ、市場的にであれ)が、記憶を印象付けるのではないでしょうか。 記憶を印象付けることで、記念になるわけです。区切りと言うか。「よし。さぁ。」みたいな、気合が入り、生の活力が生まれるとか?(言いすぎでしょうか?) 哲学的には、格付けのようなもでは無いでしょうか。 それ(バッチ)を持っているものを、カテゴライズすると言うような意味です。 この三者では、哲学的に考えた方が、一番有用に物事を理解できる気がします。 誉(名誉のプレッシャーや名誉欲、また、社会的地位の差がある相手に対する精神の萎縮や横柄)に振り回されることが無いからです。 これって、ナカナカよさそうです。
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あんがとす。 刑事映画は、新宿鮫や踊る走査線などが、お気に入りです。刑事は、特に職業倫理が問われる業種やとつくづく思います。 新宿鮫(屍蘭)では、「…タテ構造の中で、いつか機械のように頭を使わない存在になっては、絶対にいけない」と述べています。 一方、踊る走査線では、公安庁のキャリア制度が、組織の奴隷を生み出す元凶として描かれており、いかりや長介らがキャリアの問題を若いころに無くそうとこころざしたが挫折したことを回想するシーンがあります。 組織の論理に犯され、個人のもつ正義感を失ってしまう警察官も多いと聞きます。それでも、地道にかんばる青島刑事に観客は拍手を送るのかも知れませんね。
記号だと思います。 バッチをつけることで、 一般とは差別されるわけです。 たとえば、 「一般人」と書かれたバッチをつけて歩くと 一般人ではなくなる可能性があります。
お礼
あんがとさん。 今でも、戦争中の勲章が売っていて、それを買う人がいるみたいです。軍人マニアなのか、過去への哀愁なのか、なんなんだろう。 急に、昔のビックリマン・シールが復刻されるように、単なる懐古主義でせうか?
軍人も。 彼らに共通しているのは、特権階級であること。 権威、権限、地位を利用して自己を活かす職業です。 逆に、ネクタイ。 ネクタイや、ネクタイピンも、階級を表しますが、主に、兵隊の象徴がネクタイです。 多くの先進諸国といわれる現代では、特権階級の人も、一兵隊であると言うことです。 また、太古から続く土族などでは、頭髪、抜歯、装飾品、ち○こサック、菊悶まわりの刺青などによって、その人の権力や地位を表したりします。 バッチも、ネクタイも、チ○コサック類と同じでしょう。 それをもっていることで、その人が帰属する何かしらの社会では、栄誉、名誉、力を認められるということです。 だけれども、バッチだけつけてればいいというわけではなく、力なきバッチ保持者は、いつでも引きずり落とされます。 それを防ぐために権威ある地位を得た人は、いろいろ謀略、画策を経て、できるかぎりその地位を維持しようとします。 なぜならその地位は、その人が属する何かしらの社会では、非常な特権にあずかることができるからです。 力の象徴であったはずのバッチは、いつの間にか、力そのものにすり替わったかのような錯覚を、その何かしらの社会全体に撒き散らし、ホントは只のくず金属に過ぎないそのバッチは、ニーベルンゲンの指輪のような効力を持ち始めるわけです。 もちろん、それにとり憑かれたものは、、、。 魂を奪われる?(まじっすかー?) そんな感じの、妖怪ワールドの象徴が、バッチやネクタイなわけです。 そんなものは、はようすてなさい。 ばっちいから、、。 もう一つの考察としては、兵隊である必要があるのは、彼らが帰属する何らかの社会が、闘争状態にあるからです。 だから、兵隊に変身しているわけです。 その闘争、いかなる戦いなのか? その謎をとく面白さというのは、あるに違いない。 戦争を仕切っている黒幕ですら、ネクタイをつけるような戦争です。 さてさて、我々は誰と戦っているのでしょう。 鏡を見たら犯人がぁ、、、なんてことになれば、ますます妖怪ワールドですね。
お礼
あんがとう。 そういえば、映画の指輪物語(The Lord of rings)がありますね。あれをはじめ聞いたときは、road(道)と勘違いしてました。lord of lordとハレルヤ(hallelujah)の歌にもあるように、指輪の王って意味なんですね(この歌の場合、キリストか?)。 最近のアメリカは、星条旗物語を見ているようです。 乃木大将が日章旗を戦争中に無くし、責任感を感じたように、旗やバッチには何らかの魔力が秘められているのかもしれませんね。 http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/4953/z22.htm
お礼
ありがとさん。 北朝鮮の金日成バッチなどは、縦社会の構成員であると同時に、その体制の服従度を表しているようにも思います。 文化人類学的には、かなり原始的な組織内の「法」による統治機構が働いているようにも感じます。 バッチをつけるものと、つけないものとでは、どのような「思想」の違いがあるかしら。