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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:哲学の実益)

哲学の実益とは?

このQ&Aのポイント
  • 哲学は役に立たないという考えは正統的か異端的か
  • タレスが金儲けをした話から、哲学の実益を考える
  • アリストテレスの『政治学』における哲学の実益について

質問者が選んだベストアンサー

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  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.10

安んぞ なかんずく 矢張り結局 早い話が 詰まる所哲学も 趣味と実益を兼ねてやるのがいい 小説を読むのだってそうだろう 面白いから読むのだが 読むことによって自分にとっても良い影響を 期待して読む人は多いだろう。良書に親しむと言う事です。 哲学も考えること自体が良いか悪いかは決まってないが 普通の人、或いは哲学をする人は概ね何かを求め より高い知識、境地や倫理、道徳、人生観、世界観を求めて考えたり、考えたものを読んだりするのではないだろうか しかし基本哲学とは考えるものであって、ただ読めば良いというものではない。 より優れた人生観は自分も人をも幸せに導く事が出来るだろう と思います。 般若心経にも 悟りよ幸あれ とあります。 哲学をして哲人政治をしてみんなが幸せになっても良いのではないでしょうか?

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。yuniko99さんの質問ページは、ますますおもしろくなつてきました。garizo-cojpさんが応援していただけますし、a_honaさんはいつしよに考へてくれますし、urigadai2013さんは、他では見せない姿を披露していらつしやいます。このurigadai2013さんには多くの人が注目してゐるはずです。urigadai2013さんは哲学者の考へをわかりやすく書いてくださるので、私も勉強になつてゐます。yuniko99さんのおかげです。人さまざま、それぞれに哲学の姿勢があつて、それで良いのではないかと思つてゐます。 garizo-cojpさんがお書きになつてゐましたが、本を読むだけが哲学ではないと私も思ひます。カントやヘーゲルをどれほど読んだところで、投稿を運営に削除されたくらゐのことで動揺してしてしまふのです。私の場合は、仕事を通して学ぶことが多くありました。利害関係のきはめて激しい職場で人間関係を考へることは私にとつて最大の勉強です。このサイトで投稿してゐる内容のほとんどは、さうして得たものです。たいていは失敗から学ぶのですけれど。ボランティアなどしてゐたら、きれいごとしか身につかないと思ひます。ボランティアの名目でたいていのことは許されますから、理想と現実の区別がつかなくなります。若いころ、点字図書の製作をしてゐたのですが、ボランティア感覚の人には違和感がありました。 以前ねこさんが、yuniko99さんに必要なのは自信だ、と書いてゐましたが、そのとほりだと思ひます。yuniko99さんなりの方法で哲学にお取り組みになるのが、よろしいのではありませんか。

noname#214841
質問者

補足

このたびの質問はyuniko99さんの質問ページに触発されたものですので、回答番号10をベストアンサーといたします。御意見をたまはり、感謝してをります。ほかの回答からも(内容が理解できたものにつきましては)その人らしい見解をうかがふことができて、やはり哲学カテゴリはさうあるべきだと改めて思ひました。 urigadai2013さんのやうに正統的な投稿をなさる方のほうが少ないので、貴重な存在です。これからもyuniko99さんとのやりとりを楽しみにしてをります。過去の哲学者からの借り物ではないurigadai2013さん自身の哲学がわかるのは、yuniko99さんのページのみです。

その他の回答 (10)

noname#208724
noname#208724
回答No.11

こんにちは。三度目の投稿になりましたが、また修正をしたいと思いまして。 先の エンピリア(ネタ本より) は間違いだと思いましたので 正しくは εμπειρία エンビイリア (経験) に決めたいと思います。 >プラトン『ゴルギアス』463A  そのようです。(ネタ本では『ゴルギアス』462C 465A 501A参照となっています。) また、ネタ本によると『クラテュロス』390B ソクラテスと、ヘルモゲネスの、船大工と舵取りについての対話にも、技術(学問)の価値についての考察が書かれているそうです。 あらためて私の考え。 哲学は、社会技術であるがゆえに、哲学自体は目的を持っておらず、社会が哲学を要求する事態が起こった時に、はじめて目的を持ち、またその対価は、たとえ楽天ポイントや、大根の干したものであっても、いとわない。 ということで、若かりし頃の私自身を信じたいと思います。

noname#214841
質問者

お礼

ふたたび御教示のための回答を寄せていただき、感謝してをります。哲学はもちろんのこと、人間である以上は、対話が基本だと私は思つてゐます。 ἐμπειρίαを「エンピリア」と読むのは現代ギリシャ語です。そこまで気がまはりませんでした。御容赦ください。古典ギリシャ語でしたら「エンペイリアー」になります。『ゴルギアス』には10回以上使用されてゐますが、ごく普通の言葉ですので、いろいろな本に出てきます。平日は仕事があつてあまり時間がとれませんので、日曜日に『クラテュロス』ともども、じつくり読んでみます。(私自身は解説本を読むのは好きではありません。) >哲学は、社会技術であるがゆえに、哲学自体は目的を持っておらず、社会が哲学を要求する事態が起こった時に、はじめて目的を持ち 回答番号9のコメントに記しましたが、私も基本的にそのやうに考へてゐます。人により、いろいろな立場はあるでせうけれど。そのやうな相違もまた必要なものだと思ひます。みなさんの回答文を拝見して、それぞれに納得できました。 >楽天ポイントや、大根の干したもの つつましやかです。タレスのやうに大儲けはなさらないのですね。 >若かりし頃の私自身を信じたいと思います。 私もそれなりの歳になつてくると、いつのまにか若い頃の考へ方に戻つてゐることに気づくことがあります。成長したやうで、結局変つてゐないのかもしれません。天才は夭折する、といはれますが、若くして死んでも、そんなに違ひはないのかもしれません。 garizo-cojpさんのあちこちの投稿文を拝見しても、共感するものが数多くあります。今後とも御指導くださいませ。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

plapota様、こんばんは。 >「哲学は役に立たないものといふ考へは正統的、それとも異端的なのですか。」 「正統」VS「異端」という、捉え方の問題でしょうか。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。おつしやるとほりと存じます。 私といたしましては、普段はどうでもよいことをあれこれと考へまはし、ここぞといふ時に実力を発揮するのが哲学ではないかと思つてゐます。ですから、両方あり、です。また、役に立たないことと割り切る人や、役に立つことに集中する人がゐても、それはそれで結構なことです。 現実として、哲学の問題には、役に立たないとしか思へないものが数多くありますので、基本的には「役に立たない」といへるやうに感じます。ちなみに、アリストテレス『形而上学』(出隆訳 岩波文庫)で挙げられてゐる問題をいくつか書いてみます。 原因のすべての種類を研究するのは果して一つの学のすることか、あるいは一つより多くの学のすることか。 事物の原理に関しても、果してそれらの元素とされ原理とさるべきはそれらの類なのであろうかあるいはむしろそれぞれに内在するそれの第一の構成要素なのではなかろうか、 なにゆえに感覚的なものと中間のものとのほかにさらに別のものをまでも、すなわち我々の措定するところのエイドスをまでも、探求しなくてはならないのか 正直、どうでもいい、と思ひます。ここ哲学カテゴリの質問のほうがおもしろい。またkurinalさんの楽しい質問をお待ちしてをります。

noname#208724
noname#208724
回答No.8

再度投降し、弁明に努めたいと思います。ちょっと調べたんですけど、どうもプラトンのたわごとだったようなんです。プラトン曰く 「技術とは、対象の本性を知ったうえで、本性にふさわしい仕方で対象を扱う、仕方に関する知識のことであり、したがって、対象についての心理や善の知識にもとづいた対象の扱い方を意味している。それゆえ使用者のその時の意向に沿って自由に選べるような対象の扱い方は、決して技術とは言えないのである。と、ソクラテスが言っていたよ。」 (ちょとまて ちょとまて お兄いさーん 自分の意見とちゃいますやんか) それに続けて、プラトンが自分の見解を述べた。 「それゆえ使用者の、その時の意向に沿って自由に選べるような、対象の扱い方は、コラケイアーの仕事であり、エンピリアに属する事柄である。」 だからどこまで本気で言ったのか、ちょとまてちょとまて なんですよ。 ちなみに「哲学とは、社会技術である。」と言ったのは、若い頃の私自身でした。訂正してお詫び申し上げます。 かなしいかな私は哲学を知らないので、こんなありさまで申し訳ないです。AKB総選挙に気を取られて哲学どころじゃなかったです。

noname#214841
質問者

お礼

追加回答をありがたうございます。 >弁明に努めたいと思います。 お気になさらないでください。どんな回答を寄せていただいたのか、読みとれないときは、素直にわかりません、といつも書いてゐます。書いてゐなくても、読みちがへをしてゐることは多いと思ひますけれど。プラトンの名をお出しになつてゐますが、対話こそが哲学の最も基本的な方法だと、私は思つてゐます。再び投稿してくださり、感謝してをります。 といふよりも、私がにぶいので、出典を示してくださつたのでせう。以下の箇所の前後の部分ですね。κολακεία(コラケイアー)について書かれたものはテオプラストス『人さまざま』で、他にもあちこちの古典に出てくるのですが、「エンピリア」といふのがわかりませんでした。ἐμπίλια(エンピーリア)でしたら「フェルトの靴」といふ意味ですけれど。 「その仕事の眼目となっているものを、わたしとしては、迎合(コラケイアー)と呼んでいるのです。」 (プラトン『ゴルギアス』463A 加来彰俊訳 岩波文庫65ページ) プラトンの著作は、ソクラテスを好都合に利用してゐるところがあり、どこまでがだれの見解なのかつかみにくく感じます。「技術」として取り上げられてゐるなかに、体育、化粧、料理、医療などさまざまな例が挙げられてゐて、おもしろい読み物です。これから読み直してみます。 >AKB総選挙に気を取られて哲学どころじゃなかったです。 哲学よりも大切なものはたくさんあります。 初めに記した件ですが、Q&Aサイトでは読み手にわかるやうに書くといふ姿勢は、最低限のマナーです。(結果的に意味が伝はらないのはやむを得ませんけれど。)誹謗中傷・自作自演・マルチポストなどに関することよりもはるかに基本的な事項です。「plapotaは馬鹿だ」といふ回答をいただくことがあるのですが、明瞭で筋が通つてをり、しかも真実です。このやうな文章をめざすべきではないでせうか。OKWaveでは運営も含めて、なにやら難しげな文章をありがたがつて高評価する風潮があるのは、ずつと気になつてゐます。わからないのに、わかつたふりをしてゐたのでは、Q&Aの存在意義がなくなると思ひます。私以外にも多くの人たちが、お礼コメントで、回答文の意味がわかりません、と記載してゐるのを見かけます。中身が空疎で難解なだけ、と読めるやうな文章に感動してベストアンサーに選ぶ人は、ぜひその内容を解説して、私たち、わからない者に教へていただきたいものです。

回答No.7

>哲学は役に立たないものといふ考へは正統的、それとも異端的なのですか。 哲学は役に立たないものといふ考へは正統的です。 タレスは哲学以外に商才と実行力があったらか富裕になっただけのことです。 浅学菲才な私めも、哲学以外に少々工学など身に着けて、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ人生を送ったからそこ、老境に家計の心配なく哲学三昧ができるっちゅうことです。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。 >哲学は役に立たないものといふ考へは正統的です。 私としましても、基本的にはそのとほりと思つてゐます。役に立つかどうかは結果にすぎないやうな気がします。ただ、「役に立つ」ことに関して哲学する人がゐても、それはそれでおもしろいものです。 御指摘のとほり、タレスには、商才があつたのでせう。経済学者でも、金儲けのうまい人もゐれば、まつたく駄目な人もゐるはずです。アリストテレスは金持ちだつたらしいので、気楽にこんな話が書けたにちがひありません。 >老境に家計の心配なく哲学三昧ができるっちゅうことです。 うらやましい限りです。

noname#214841
質問者

補足

たまには、教えて!gooにもおいでください。cyototuさんが投稿してくださることもあります。 回答番号2のお礼補足欄を両方使つてしまつたので、ここに書かせてください。 「閑暇」の用例を見落としてゐました。『ニコマコス倫理学』1177b(岩波文庫 下225ページ)でかなり詳細に論じられてゐました。

noname#208724
noname#208724
回答No.6

Plapota さん こんにちは。わたしは作文を書いてみました。 その後のタレス物語(仮説) 彼は収穫のシーズンが終わると、来年の気象を予測する作業に取り掛かった。その結果、異常気象により害虫が大発生することが予測できたので、儲けたお金をもって、害虫を防ぐための農薬を大量に購入し、農民たちに分け与えたのだった。もちろん彼が農民たちからは農薬の代金を受け取らなかったことは言うまでもない。めでたしめでたし。 これが哲学の仕事だと思います。実益としては、農薬を大量購入することで、農薬販売業者から、楽天ポイントを貰ったかもしれませんけどね。 私はめったに本を読まないので、誰の言葉だったか忘れましたけど、 「善行にも悪行にも任意に使い分けできるようなことは、技術とは言わない。それはただの経験であり、迎合というほかなく、およそ哲学を学んだ者のすることではない。」 これはたしか、哲学は社会技術だと言った人じゃなかったかなあ。忘れましたごめんなさい。 いちおう現代に照らして言うならば、 「ドローン開発者を技術者とは言わない。ただの迎合者あるいは隷従者である。」

noname#214841
質問者

お礼

おはやうございます。いつも個性的な御投稿を楽しく拝見してをります。このたびの質問の答は自分ではさつぱりわかりません。みなさんの御意見をうかがつて、哲学の方向性について考へてゐます。 タレスの話には後日談があつたのですね。アリストテレスの古写本が発見されたのですか。garizo-cojpさんのお考へはyuniko99さんに近いのかもしれません。そのとほりになればいいと思ひます。「楽天ポイント」がたまれば、さらに結構なことです。 後半の言葉は読解できなかつたのですが、どういふ意味なのですか。しばらく考へます。 御回答ありがたうございました。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.5

真の利益というのはなにか、ちょっと気になりました。 株で儲けて金持ちになることと、求道によってしあわせを目指すことと、最近このカテで流行っている世界平和を望むことと、どれが真の利益と呼ぶに相応しいでしょうか。 このアリストテレスの文献では、少なくとも株で儲けることは、哲学者にとっては真の利益にはならなさそうです。個人的には求道を勧めたいですが、小乗的と言われて批判を受けそうです。じゃあ多数の利益ということで世界平和を望むことはどうかというと、それはスケールが大き過ぎて夢物語のようでも有り、自分をそっちのけにしていて、世界の平和など実現できるわけもないという、通俗的であるが当然の見解の前に無力であるような気もします。 哲学は役に立たないという考えは、ある意味で哲学を知らない捉え方です。心に余裕のない人は、ガツガツしている。それで、自分や、自分の考えの役に立つもの、益になるものばかりを求めて、視野狭窄に陥る。一見役に立たなさそうなものでも、それが役割を果たしているということはよくあることで、それを無用の用などと言うのではないでしょうか。 そして、実に役に立つとか立たないとかいうことを超えているということを、わかっていなければ真理の究明などは出来ないでしょう。いずれ死ぬということが、我々の視点を生死の坩堝から解き放ってくれる。いずれ死ぬのであるから、悔いを残さないようにしようとか、いずれ死ぬのであるから、この目の前の人にはやさしく振る舞おうとか、いずれ死ぬのであるから、静かに暮らしたいだとか、いずれ死ぬのであるから、煩わしいことはよそうとか、いずれ死ぬのであるから、、、と続く気持ちが、肩肘張らない、最も楽な、自分の本心に近づいた、道の歩き方ではないかとも思えるのです。 哲学が役に立たないものという考えは、そもそも哲学を知らないということなのではないでしょうか。故に、正統的ではなく、異端にも属さない、門外漢の考えということになります。

noname#214841
質問者

お礼

おはやうございます。a_honaさんの御意見のとほりかと存じます。「最近このカテで流行っている世界平和を望むこと」についての質問ページがおもしろいので質問を立ててみました。質問文のアリストテレスの場合は国家的観点から「財獲得術」について述べてゐて、のちの時代のアダム・スミスなどに通じるのではないかと思つてゐます。役に立つかどうかは結果であつて、そこに注意を集中することは哲学の本質ではないやうな気がします。回答文冒頭の「真の利益というのはなにか」といふ言葉が、すべてを物語つてゐます。 貴重な御意見をありがたうございました。今後とも御指導くださいませ。

回答No.4

人の生きる目的が、物質的な豊かさや短絡的な快楽の ためか、心の豊かさ=精神的な充足感、特に認識の 深まりに基づく、より明確な意識による長期的意志の 幸福感のためかによって異なる。 物質的な豊かさのためには、直接的な効果はないが、 精神的な充足感の最大化において、認識の深まりは、 直接的な効果がある(逆に物質的な状況は間接的な 効果になる)。 人の生きる真の目的である「人生を通算した精神的 充足感の最大化」において、一般に考えられている ような「欲求の強さ」と「その達成度」だけでなく、 そうした充足感を感じる意識をハッキリさせる 「認識の深まり」や「時間的延長において欲求同士 が矛盾しないように長期的意志を可能にする認識の 深まり」、「そうした『達成度』を感じる感受性を バックアップする認識の深まり」など、認識の深ま りが重要なファクターであり、世界観を成す哲学の 重要な役割である。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。何度か読み直してみたのですが、論旨や論理構成がつかめません。アホなので、すみません。宗教における「悟り」や「浄化」などとどこが違ふのですか。psytexさんの御投稿内容は、ここの哲学カテゴリの人たちの見解とはほとんど合致せず、特に今回は、回答番号2の方の姿勢とは正反対に見えます。 先回もおたづねしたのですが、「人生を通算」するとはどういふ方法なのですか。野球の個人成績のやうに計算できるものとは思へません。順風満帆な人生をつづけてゐても、たつたひとつの出来事でどん底に沈むこともあるのが、人間です。逆に、辛い人生を送りつづけてゐても、些細なことで気持ちを切りかへれば幸福な心境を得ることもあります。それが人間なのではないでせうか。「通算」のやうな還元主義的方法で人間の本質をとらへることができるとは思へません。 もう少し考へてみます。いろいろな発想があつてしかるべきです。

noname#214841
質問者

補足

psytexさんからの御意見がいただけるかもしれないと思つて質問を締め切らずにゐたのですが、どうやら今回もまたいつものコピペ回答のみで、その内容を解説していただけませんでした。 物理学カテゴリでもpsytexさんの説は、全回答者から完全否定されてゐましたが、本当はpsytexさん御自身もお判りなのではありませんか。ねこさんは、psytexさんが自分では気づいてゐない、と言つてゐますが、私は、psytexさんは自説の根拠などまつたく何もないことをよくご存じなのだと見てゐます。psytexさんは「解らない奴は勉強しないのが悪いのだ」とおつしやいますが、psytexさんを支持してゐる人はおそらく全員がその分野の勉強をしてゐない人たちばかりです。みんなが勉強してしまふと、だれひとりとして見向きもしなくなります。大きなお世話かもしれませんが、もうこれ以上無理をなさる必要はないと存じます。ここはQ&Aサイトなのですから、わからないことは、素直にわからないと言へばいいでせうし、ここは哲学カテゴリなのですから、他の人と対話をして、自説の撤回や修正もしてゆけばいいのではないでせうか。 Yahoo知恵袋で退会処分になつたためにOKWaveに移転なさつたさうですが、こんなことをしてゐたのでは、当然の処置です。あれほど管理のぬるいYahooで退会処分にされるのですから、ある意味「すごい」ことです。私の削除実績など足元にも及びません。OKWaveでは、難解な文章に対して「オレはこんな難しいものが解るのだ」といふことを誇示するためにpsytexさんを高評価する人がかなりゐるやうに見受けられます。この風潮が改まれば、Yahooと同様に退会処分になるかもしれません。ちよつとだけ気になつてゐます。psytexさんの文章を拝見しましても、まともに言葉が使へてゐるやうには感じられません。このい点でも、無理をなさらないほうがよろしいのではありませんか。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

かつて、天文学は哲学に含まれていたかもしれませんが 現在では含まれていないでしょう。 儲けることができたのは、天文学のお陰であり 哲学のお陰とは言えないとおもいます。 ”哲学は役に立たないものといふ考へは正統的、それとも異端的なのですか。”      ↑ 哲学の役目は二つあります。 第一は、真実の発見です。 第二は、人生の指針を示すことです。 真実の発見なら、科学の方が圧倒的に優れています。 哲学など役に立つとは思えません。 ただ、哲学をやっていると頭脳が鍛えられ、理論的思考力 が鍛えられますから、そういう意味では訳に立つでしょう。 また、真実発見の道筋を示す機能もあるかもしれません。 万物は極小物質からなる、というギリシア哲学は科学の発達に 寄与しました。 人生の指針という点ではどうでしょう。 人生において役に立つ、とはどういうことを指すので しょうか。 哲学は、余計な悩みを創り出しただけかもしれません。

noname#214841
質問者

お礼

こんばんは。教えて!gooでも御回答を拝見して、その論旨に納得させられてゐます。 >かつて、天文学は哲学に含まれていたかもしれません 御指摘のとほりです。同時に私が寂しく感じてゐる点でもあります。哲学の概念があまりにも狭くなつてしまつたのではないか。プラトンやアリストテレスの著作はきはめて広範な分野にわたつてゐます。 >真実の発見なら、科学の方が圧倒的に優れています。 これもおつしやるとほりと存じます。「論理的思考力」「道筋を示す」といふ御意見にも納得です。 >人生の指針という点ではどうでしょう。 >哲学は、余計な悩みを創り出しただけかもしれません。 言ひ得て妙です。私としては、哲学とは、自分で考へて納得すればそれでよいのではないかと思ひます。をかしな悩みをつくるべきではありませんね。 御回答ありがたうございました。今後も御指導くださいませ。

回答No.2

「ただし、哲学者の関心はそこにはない」ということは哲学は何の役にも立たない、また何かの役に立つために哲学があるのではない、ということですね。 そのアリストテレスは哲学に必要なのは「閑暇」と「観想」であると言っています。 「閑暇」はヒマだということ、ヒマから学問が、哲学が始まったということ。 ヒマでヒマで退屈したので、退屈しのぎに哲学をやるようになった、ということです。 忙しかったら、哲学なんてやっているヒマはない、ということでもあります。 それと「観想」。 「観想」とは、傍観者でいること、世の中に一切の関心を抱かない、争いがあろうと、殺人事件があろうと、戦争があろうと、原爆が落ちて人がいっぱい死のうと、東日本大震災で原発がダメになろうと、中国が、そして韓国が日本の戦前の侵略を非難しようと、・・・・・・・そんなことには一切無関心に、まるで自分には関係のない「よそ事」のように天から俯瞰し、まるで別世界のように眺める、それが哲学に必要な「観想」。 だから私は世の中の一切に無関心に、哲学をやっています。 平和のためだとか、人助けのためだとか、人の幸福のためだとか、そんな目的のために哲学をやるのは不純です。 哲学はもともと純粋な「知を愛する」行為でした。 だから「知を愛するための知、他の何ものの知ではなく知のための知」それが哲学だと思っています。 昔から、哲学に限らず科学にしても、人々が日常茶飯のこと、自明なことを誰かが不思議に思うことで始まりました。 なぜ、すべてのものは支えがないと地面に落ちてしまうのか? なぜ、樹木は緑色なのか? なぜ、人間や動物はその両親によく似ていることもあれば、まったく似ていないこともあるのか? なぜ、世界は存在しなくても良かったのに存在しているのか? どうして私は他人だって良かったはずなのに私でなければならなかったのか?また、どうして存在だけがあり、無ではないのか? ・・・・・・・・このような疑問に答えようとする試みが、すべての科学や哲学を生み出し、既存の科学に新しい道を指し示してきたわけですが、「神さまがそのようにお定めになった」というだけでは納得できなかったからこそ、実用上の目的を顧慮することなく、そうしたものに無関心な、そういう態度、「閑暇」と「観想」が新しい時代を切り開いてきたのです。

noname#214841
質問者

お礼

urigadai2013さんから回答をいただくのは初めてです。ありがたうございます。御投稿内容は、以前から拝見してその読書量には感嘆してをります。私はアリストテレスにしても、じつくり付きあつた書物は『詩学』のみです。最近では、yuniko99さんとのやりとりを笑ひながら読んでをります。yuniko99さんの姿勢は、アリストテレス『政治学』やプラトン『国家』に通じるものがあるのかと思ひます。urigadai2013さんをはじめとして、多くの回答がyuniko99さんの質問に寄せられるのは、世界全体を見渡すといふ哲学の姿をとりもどしたいといふ無意識の表明ではないのでせうか。 今回のものも含めてurigadai2013さんの御投稿内容は、ねこさんやぶらげろさんの考へに近いのではないかと思つてゐます。このたびのキーワードの「閑暇」は、ねこさんがしよつちゆう指摘してゐますし、「観想」については回答番号1のとほりです。さらに御指摘のとほり、哲学のみならず、それが科学についても同様にあてはまることと存じます。 ただし(アリストテレスに倣つて「ただし」を使ひます)、人間活動である以上は、「平和のためだとか、人助けのためだとか、人の幸福のためだとか」さういふ哲学があつてもよいと私は思つてゐます。むしろ、さういふ人も必要ではないでせうか。 御回答ありがたうございました。今後とも御指導よろしくお願ひいたします。

noname#214841
質問者

補足

質問の引用文が『政治学』でしたので、「閑暇」(スコレー)と「観想」(テオーリアー)を出していただいたのでせうか。第8巻の1341aに、音楽についての文章のなかで使用されてゐます。スコレーは名詞ではなく、形容詞の比較級としてですけれど。他にも『形而上学』『ニコマコス倫理学』『アテナイ人の国制』『詩学』などに「観想」はたくさん登場しますが、「閑暇」のほうはさほど使用されてゐないやうです。特に名詞の形では、『エウデモス倫理学』1217b『弁論術』1397bのふたつだけではないでせうか。いくつか読んでみたのですが、平日は仕事で忙しいので、日曜日に改めて見てみます。ちなみに私は解説本にはでたらめが多くて嫌ひなので、アリストテレスの著作以外には目を通すつもりはありません。 今後も御指導くださいませ。

回答No.1

 哲学は 迂回生産です。  生産であるかぎり 実益に通じます。  迂回の部分では ただちには実益につながりません。  魚を捕るのに網をつくるという発想が 哲学です。  網をつくっているあいだは 魚の実益にはありつけません。  あとは いまの事例は 思想のことでもあって 要するにいろんな可能性や事態を考えてよりよい方法を模索しえらぶことです。  (基礎的な事実認識つまり 世界を知るという作業は さらにその前に前提としてあります)。  哲学は 思想よりももっとおっとりと構えていて 網をつくるという方法を考えるといった一面だけを見るのではなく 世界の隅々にまで目を光らし その世界について言わば地図を作成し 人びとにとって交通整理をおこなう。といった役割りをになっています。  《手付け金》だけなら 《貧乏》であって《わづかな金を工面する》こともあり得るけれど 《格安の》といっても《すべてのオリーヴ搾油機の賃貸料》をも工面しなければならないはずだ。  もっとも 《シーズンがくると、搾油機の需要が一挙にあっという間に増えた》と言っているので それはけっきょく支払った《手付け金》が 初期の《賃貸料》に充当されただけで済んだということか? と問わなければならない。――そうだという答えが返って来たなら 別のツッコミを入れなくてはならない。  すなわち 手付け金が充てられる賃貸料の期間を過ぎたときには 《又貸し》して得られた受け取り賃貸料の中から 搾油機の業者に自分の債務としてのあらたな賃貸料を支払うことが出来た。ということか?  では ここまでの話は 実話だとしておかしくはないと捉えても なおまだ疑問がのこる。  そういった利益というのは それほど《富裕》だと言えるほど《多くの財貨をかき集め》ることが出来たであろうか?  つまり 《又貸し料 - 最初の賃貸料》としての差益が そんなに大きかったと言えるだろうか?  《自分ののぞむ条件で搾油機を又貸しした》のだから 相当の利益であったはずだ。となりましょうか どうでしょう?  つまり 利益が出るというのは あくまでブドウの収穫としての売り上げ高の中からである。《豊作》なら 値段は或る程度下がるのではないだろうか。  文脈やそのあとのさらなる説明を知りませんが こういったコメントをアリストテレスにはぶつけることが出来る。というのが 交通整理の役目をする哲学です。  《迂回過程》にあっても だから実益はのぞめなくても こういう交通整理をおこなうことによって役に立てます。  《思想》は 行動的・実践的であって どちらかと言うとすでに《すべての搾油機を貸した場合 いったいナンボもうかるか》の話に首を突っ込んでいます。あまり利益が出ないと見れば 撤退します。

noname#214841
質問者

お礼

御回答ありがたうございます。 >一面だけを見るのではなく 世界の隅々にまで目を光らし >その世界について言わば地図を作成し 人びとにとって交通整理をおこなう。 まさしくこれが哲学の役割であると私も考へます。 アリストテレスの挙げたタレスの例は、現代の商売にもあてはまります。天候を読むことができれば、利益を上げることができます。ただし、ぶらげろさんの突つ込みのとほりで、「運」もあつたのではないかと推測します。 >実益はのぞめなくても こういう交通整理をおこなうことによって役に立てます。 おつしやるとほりと存じます。哲学における「役に立つ」とは、主としてさういふ意義に思へます。 >すべての搾油機を貸した場合 いったいナンボもうかるか アリストテレスも「哲学者の関心はそこにはない」と書いてゐます。「哲学」と「思想」についての興味深い見解をありがたうございました。

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