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寝たら?
知ったかですが、死んだら、自分の観測する世界は滅びますよね?(多分) じゃ、寝ているときって、意識がないから、その間、自分の観測している世界はいったん無くなってる? 他者から私を見たら、私が寝ている世界が見えても、私は何も見えないし、意識も出来ないから、世界はないに等しいですか? 寝ているときって、いったい世界はどうなってるのでしょうね? 気が付いたら朝だし…
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- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74です。 >この問題は、日常生活を営む上では・・・を孕んでいますね… 全く仰る通りです。 それ故に、いつもお話する前段階ではその人の覚悟を問います。真に本当の事を知りたいのであれば、本当の事を理解したいのであれば、自分自身の判断基準を一旦は横に置いておくくらいの心の決断が必要なところです。 脳の認識のクセや判断基準の話を十分に交流できる状態を確認しなければ、その先の話は一切しない様にしていた時期があったくらいです。脳の認識のクセや判断基準の問題性を受け入れ、認める事がない状態とは、現実が絶対であると思い込んでいる事の証ですし、ひいては自分が絶対正しいと思い込んでいる事の証でもあるからです。 自分が絶対に正しいのでしたら、その正しさによって生きれば良いと想います。 真実がどうであるのかを知ったり理解したいのであれば、覚悟が必要です。 先にFairyland_0201さんに問うた覚悟や心の決断はその事でした。 僕自身の経験でもありましたが、自分自身の認識や判断を変化させる事に不安・恐怖がある場合は、とても受け入れられない話です。そんな事から、確かに一蹴されたり一笑される話です。 でも観術が登場しているから近い内に理解し合えます。その出会いを楽しみにしています。 「常識」とはまた、とても燃え上ってくる話題提供ですね。この事については僕も色々と意見交換を図りたいところではあります。ここでは、話題を前に進めますが、後に「常識」について触れる時が来るかとも思いますので楽しみにしています。 常識に行く前に、まずは言語の用途・機能・目的の整理が先ですし、その前段階で、言語の無意味化や無価値化を済ませている事が重要だと想う僕がいる為に、先に進めますね。 人間は、 ・認識をして ・判断をして ・表現をします もっと細かくすると、比較や選択、など多くの項目が入るのですが、大雑把に済ませます。人間が共通にしてやっている事は、認識をして、判断をして、表現をしますが、重要な事は、 ・認識をして(脳の認識のクセ) ・判断をして(判断基準の問題性) が土台にあった上で、 表情・言葉・行動などの表現をしますが、認識と判断のどちらにも誤りが起きているという事に気付いている人はほとんどいません。また、千年単位でごく僅かの人だけが気付きますが、気付いただけでその先にどうすれば良いのか?までを明確に示した存在は一人もおりません。 脳の認識のクセと判断基準の問題性がある状態をそのままにしておいたままで、単語を覚えて、因果関係を覚えて、論理体系や理論を覚えて、学問体系を覚えて、そこに深みが入り、思想(価値判断)・哲学(秩序認識)をして、理念・イデオロギーとなり、宗教・信仰を経て、悟り・瞑想・霊性を得て、どんなに自信を身に付けて、どんなに社会変革に踊りだしても、人類の問題は何ほども解決していません。歴史が証明していますのでとても分かりやすいです。 脳の認識のクセと判断基準の問題性を解消・解決する事。 それが21世紀悟りですし、サムライの悟りですし、論理とイメージで伝達可能な悟りです。また、科学を悟らせ、悟りを科学化させているのが21世紀悟りです。 21世紀悟りによって、認識と存在は完全融合されています。 そこに迫る問題意識がFairyland_0201 さんのご質問です。 それ故に、今までの交流の中で、とても素晴らしい質問であり、全てを明明白白に語れる様になる為の、スルーパスの様な質問であるとお伝え致しました。 今日は、学術的理解方式(物理学・科学が代表)のウィークポイントについて共有します。 1.認識主体 2.認識対象 3.認識背景 この1~3において、全て人間の思い込みが入っている手痛い事実が学術的理解方式にはあります。それ故に、物理学・科学のアプローチからは絶対に最終理論、万物の理論には到達しません。即ち、悟る事もできませんし、21世紀悟りを得る事は更に不可能です。 1.認識主体に対する思い込み 現実は、認識主体によって変化しないものと思い込んでいます。 では、Aさんから見えている現実、Bさんから見えている現実は、本当にピッタリ一致するのでしょうか?犬が見る現実、ヘビが見る現実、カエルが見る現実、は本当にピッタリ一致するのでしょうか? そして更に致命的な誤解が、見る事は物理作用が働かないという思い込みです。 2.認識対象は永続的に存在するという思い込み 観察している対象が、永続的に存在する事が前提なんです。では、鉄は200億年前も鉄で、200億年後も鉄なのでしょうか? 3.認識背景によって現実は変化しない 光の周波数を変えれば、水は下から上に上がります。 認識に誤解あり。字数制限が・・・。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 続きの投稿が、大変に遅くなってしまいすみませんでした。 前回、前々回の投稿では、主題に対して応えるには、明確な悟りをもっていなければ答が分からないという点と、そこに対してFairyland_0201さんが難しそう・・・と仰ったのを受けて、悟りは難しいですが、明確な悟りは難しくありません、という様な事をお応え致しました。 今日は、悟りと明確な悟りとの違い、そして悟りを得ている事と悟りを得ていない事の違いについて、少し踏み入りたいと思います。宜しくお願い致します。 悟りに入る前に、人間とは一体どんな存在なのかについて共有したいです。 人間は、五感覚脳の認識を常に使っています。そして、脳の認識にはクセが3つある事を前々回に共有しました。それが、 1.部分だけを取る 2.違いだけを取る 3.過去のイメージと繋げて取る という事でした。 これは、考え方だとかそういう事ではなく、人間だったら誰もが皆に起きている仕組み・メカニズムでございます。この仕組みが正常に機能しているからこそ、脳の認識では、 1.全体を取れない。 2.共通を取れない。 3.今ここリアルを取れない。 という限界が生まれてしまいます。この事を確認しておく事は重要です。 次に、今日は判断基準の5つの問題性についても共有したいと思います。 1.誰もが皆、判断基準を持っている。 2.判断基準は、皆バラバラで異質。だから人と人は分かり合えない。 3.だからといって、一つにしたらもっと問題。 4.人間の判断基準は、不完全。 5.不完全なのに、無意識では自分の判断基準が完全だと思っている。 この判断基準も、人類が誕生してから500万年間の間ずっと変わりなく起きている事でございます。この判断基準にそって、人間は感情・考え・表情・言葉・行動を行います。そして、この判断基準にそって、情報を出したり入れたりします。 この判断基準を持っている事の意味は、カオスから出発しているという事です。 人間の出発は、カオスですね。 判断基準が不完全ですから、何と出会ってもスッキリした答とは出会えない様になっています。判断基準が不完全ですから、正しい質問を持つ事も出来ず、正しい答に出会う事も出来ません。 なのに、無意識では判断基準が正しいと思い、人と自分の判断基準は少しもかみ合う事はありませんのに、同じものを見ているだとか、共有しているだとか、思ってしまいます。 実は、それが思い込みであるなんて事は、微塵ほども疑う事がございません。 例えばですが、存在を見ている自分がいます。そして、その存在と全く同じものをAさんもBさんも見ているという事を確信しています。そこに名前を付けて、車、ダイヤ、お家・・・としながら、まるで車を共有しているかの様に錯覚してしまいます。 それが、判断基準から出ている情報処理の結果である事に気付かないまま、まるでそこにAさんが見ている車、Bさんが見ている車、があると確信しています。 そして重要な事は、判断基準が機能している事を見れないという事ですね。 勿論それは、脳の認識のクセも同様です。認識のクセを見れません。 脳の認識が働いている事、判断基準を持っている事。 これは、宇宙自然を正しく見ていないという事です。 そして、自分自身を正しく見ていないという事です。 そうして、人間が共通してやっている事をもう一度確認してみます。人間がやっている事は、 存在が有る事を確認する。 存在に名前を付ける。 覚える。 名前を付けた存在に因果関係を付ける。 覚える。 因果関係から多様な体系化を行う。 覚える。 でございましたが、宇宙自然も自分自身も正しく見れていない事を前提として、その上で存在がある事を確認します。ですが、それは正しい認識ではありませんし、名前を付けるのは人間がつけたものです。また、名前を付けた存在に因果関係をつけますが、正しい判断ではありませんし、判断するのは人間が判断したものです。そこから多様な体系化を行いますが、認識も判断も正しくはありませんし、人間によって認識・判断された体系化です。 如何でございましょうか? 如何に、知っている事は不完全であり正しいとは限らないのであり、疑うべき知識や情報が多いのかに気付くところではないかと思います。 そこに存在している存在は、本当にそこにその形、その模様、その大きさ、その色で、そこに存在しているのかと言いますと、そうではありません。それは、人間の認識が働いた結果、そこにそうしておりますし、人間の意識が働いた結果、そこにそうしております。 まずは、この事に気付く事が大事ですし、論理とイメージによって理解出来る事が大事かと思います。 如何でございましょうか?
お礼
おっしゃる通り、ほとんど共感できる部分ばかりで私としても驚きを隠せません。 この問題は、日常生活を営む上では一切必要がなく、人によっては「バカバカしく取るに足らない」と一蹴され、侮蔑される危険を孕んでいますね… 確かに名前を付けなかったらうまくコミュニケーションもできません… zakky74さんの回答を読んで、思えば私は名前を知らない物体でも、それを人に説明できることや、絵にかいたりして私自身その物体「だけ」を、世界から切り取って認識出来るこの能力にまた唖然としました。 話がそれますが、 よく疑問に思っていたのですが、「常識」って一体なんのこと?と。 常識がなぜ必要なのかは、人と人とが快適に、暮らしやすく、安全に、などと人々が円滑に社会生活を営むため必要なことだと思っていました。 実は「常識」とは人によって異なる価値観、判断基準を一元化して、ならしてしまう恐ろしい言葉(概念)だと今更ながら気づいてしまいました。 「常識」を知らない人はたいていバカにされますものね。 あっているのかどうかはさておき… 回答有難うございました。 次回も楽しみに待っております。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 >zakky74さんが提言する悟りは、もし世界の創造主がいたとして、その創造主が分かるような内容ですよね…?私のような凡人には、到底達することのできない悟りですが… 仰る通りです。 加えますならば、創造主が一体どの様にして宇宙森羅万象を作り上げていったのかが明々白々に分かる内容であり、またその創造主は僕たち一人ひとりと離れた存在ではなくて、とてもとても密着している事の自覚が明々白々に出来ている意味です。語弊を恐れずに言えば、僕たち一人ひとりが創造主である事を明確に分かっている状態です。 そして、そんな悟りは難しいものではありません。現代では、誰もが皆、得る事が出来る悟りです。悟りとは、差を取る事ですから。 すみません。今日は、限りある時間だけでのアッサリとした投稿となってしまいますが、近々、更に踏み込んだ内容を投稿いたしますので、暫くお待ちくださいませ。
お礼
次回も楽しみに待っています。 お礼が遅れて申し訳ありませんでした。 回答有難うございました。
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
>>肥大化した思考力が現実を遠ざけていきます。 >若い時は、知らないことばかりなので、思考より感覚が優先し、 >歳をとると、今までの、感覚による経験から、思考が優先する。 >結果、歳をとると思慮深くなるが、現実に対する反応が鈍くなっていく… 情報や経験は生存競争に必要なもの。 それが不十分であると些細なことでも過敏に察知し死ぬほど悩める。 悩めるのは種として物理的にも?必要があるから。 それが、加齢と共に 「必要なもの(意識の血肉となる栄養)」は僅かで足りるようになり、 食のイベントも減る訳です。 それでも生きていれば精神的成長を目指すべきものだし 「美味しいもの(快楽目的)」や 「美味しく感じるもの(飢餓や自己確認のため)」を優先して欲していきます。 必要なもの、美味しいものも消化吸収されない事態となっては 健康を害して無意味ですから必要量は考慮すべきですね。 今もここのパソコンや携帯の画面を見ているのですが、 時間の経過が早く感じるのは、寝ることに没頭していてるのも同じ。 実は起きていながら夢を見ているのと同じ現象といえます。 時間の経過を計るプログラムに回せるメモリー要領が減ってしまうからで そうすると、夢を見てるときの意識って 次元が物質世界より下降しているのか、 不自由な肉体を逃れているものともいえ、 時空の次元が上昇しているのか、どうなんでしょう?わかりません。 >最終的に、寿命で死んだら、もしかしたら思考(魂)?が出てくるかもしれませんね…? 原始時代だと人間長生きしても寿命は30歳ぐらいで 社会的拘束も欲望に振り回される時間も少なかったゆえ、 今より魂も自己主張(精神の保存欲求)振り回されることなく 速やかに全人格を自然に還していたものかもしれませんね。
お礼
なかなか興味深い考えですね。 人間は、精神が他の動物より高度である為か、世界を様々な観点から見つめることが出来るようですね。 基本的な生存本能を基盤として、そこから各々が得た知識、経験等を持って世界を自分の主観でとらえていると、思いました。 恐らく生まれたばかりの赤子は、動物と同じように世界をあるがままに見ていたのでしょうね… お礼が遅れました。 回答有難うございました。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
この質問まだ、開いていましたね。みなさんとあなたとの回答とお礼のやりとりは面白いです。 >だからこそ、私は早く死んでみたい!と思うのです。 あなたは、おそらく自分が死ぬなんてことはないことを確認したがっているのですね。 あなたの感覚は自分が死そのものを体験するなんてことは有り得ないことを直感するはずですし、あなたは、寝たこともないはずです。 朝起きて「あ~よく寝た」 も、「私は夢を見ていた」 も体験済みでしょうし、もちろん「私は寝ていた」とも言うでしょう。しかし、「私は寝ている」は体験しません。 この布団は寝心地が良いとは言いますが、「私は今、眠っているのだが、確かにこの布団は寝心地がいい。」のではないんです。 同じように、死も体験できません。 死後の世界とか、魂とか、霊とか、輪廻転生とか言いますけど、そういう意味でのいわゆる「本当の自分」なんて発想をするなら、それは既に別の人格です。 あなたが言っている 世界 の中で自分の死というのは、自分が生きている時にしか存在しないん不可思議な事象になるんです。 そして、世界は死が存在しないあなたこそが作っています。世界はいわゆる世界側から見ると存在していません。一切何もありません。時間も空間も物質もありとあらゆるものごとは無いのです。 だからこそ、この信じがたい世界は驚異なんです。
お礼
確かに、私は自分自身が死ぬ、ということに懐疑的です。 いずれ死ぬことは分かっているのですが… どんなに他の人の死の場面に遭遇しても、それはその人自身の死であって、私には決して体験できる死ではないから、想像することが難しいのです… ただ、寝ること自体は、生理活動として皆共通して行いますよね。 つまり、私の睡眠と、他の人々の睡眠は、全く同じ体験とはならないが、少しぐらいは接点があるのでは、と思いました。 「いやな夢を見たよ」と、他の人から言われた時、その言葉の意味を理解できるのは、私自身睡眠することで夢を見たことがあるからですよね。 死は一度きりで、二度体験することはかなわない… 睡眠と、死の違いはそこにあると思うのです。その差異はとてもとても大きなものだと思います。 ukiyotonboさんの言うように、確かに睡眠時に「今日は疲れた」、「明日はなにしよう」とか考えることができませんね。 やはり意識が消失し、無意識が先行しているようですね。 よく考えたら、睡眠すること自体が心地よい、と判断することはおかしなことなのですかね…? 寝た後に気持ち良かった…というのは体の疲れが取れたり、リフレッシュした気分になったりしたからという理由がありますが、あくまで睡眠後の理由ですよね…? 本を読んでいるときが楽しい、スポーツしているときが楽しい、と体験しているときに言うのと別に、睡眠の気持ち良さには別なニュアンスが隠れている気がしました… ukiyotonboさんは、死んだら、世界は消滅する、という意見に賛成のようですね。 やっぱり、私が見て触れたもののほうが、信用できますものね… 世界側からみると、ということは、人間以外の物質の視点を想定した時の世界からみて、ということですよね。 私も、世界側からは存在しない気がしました。 そもそも、人間は自分から離れて、別な視点を考えることが出来る、凄い生き物ですよね。 他人の目を気にしたり、他者の気持ちを考えたり、動物愛護の視点を持ったり、地球が環境汚染でかわいそうとか、宇宙から見たら人間なんてちっぽけで無意味な存在だ…etc 本来であれば、見えざる視点を、こうもたやすく想像できる私たちの能力には唖然とします… ただ、実際に見た(体験した)ことはないので、神の視点に遠く及びませんが… 本当に、この世界は驚異的です… 昔の人が、自然に畏怖を覚えたのも無理ない気がします… 回答有難うございました。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 >>存在と認識は、無関係であるという前提です。 >No.14さんの回答の…私の認識の影響下にある世界を「一人称の世界」、人の認識とは関係なく存在はしている世界「普遍的な世界」・・・。 主題となる、寝たら自分の観測している世界は滅するのかどうかについて、そして寝ている間の世界は無いに等しいのか、それともどうなっているのかについて、交流が盛んになる事を楽しみにしています。 さて、再度確認したい事ですが、Fairyland_0201さんのご質問に対して、明確な答を得る為には、明確な悟りを得ていなければなりません。悟りといいましても、今までありました悟りでは不十分でして、これでは答は来ません。 僕が言う明確な悟りとは、人間と人間の宇宙を全て説明する事が出来る明確さをもっているものです。即ち、物理学に言う最終理論・万物の理論を整理整頓している悟りですね。ですから、宇宙の生滅メカニズムは勿論、宇宙・銀河系・太陽系・地球・植物・動物・人間の誕生メカニズムを当然にして、人間の耳はどうして2個で、目はどうして2個で、鼻は1つで、口は1つで、どうして指は5本あって、6関節をもつのか、などを語る悟りです。 それだけでなく、ダークエネルギー・量子振動・力・光・素粒子・物質・物質・生命・精神の生滅メカニズムを語り、数学・物理学・生物学などの未解決問題を全て整理整頓できるのが、僕が言っている明確な悟りです。 もちろん、今までの悟りについても理解できるものでして、神・空・道・Oneness・エネルギー・1つ・SomethingGreat・・・など、そうした絶対世界・真実・究極の一つの世界から一体どうやって上記に挙げた様な現象が起きているのだろうという事を明々白々に語れる時に、Fairyland_0201さんのご質問に対して応える事ができるというものです。 また同時に、人間と人間の宇宙を全て説明する悟りですから、教育・経済・政治・文化芸術・文明・歴史などについても、そこから整理整頓する事ができるものです。今起きている日本の円高の問題やデフレ不況についての問題も、年々深刻化する雇用問題についても、一体何がどうなっているからそうなっているのかについて、明確にしますし、だからこそ、この様にすれば問題は解消解決するどころか、素晴らしいビジョン・ロードマップを描き、68億人誰もが皆幸せに生きられるWIN-WIN ALL-WINの新文明創造を果たす事ができる・・・そこまで明確な悟りです。 それは論理とイメージによる伝達や共有が可能な悟りですね。悟りが当たり前、悟るのが目的なのではなく、悟りから出発する世界。 それがFairyland_0201さんの質問の奥行きでございます。今まで、人類が未開の地であり突破不可能であった領域に踏み込めるのが、今の時代、今の日本です。 だから素晴らしい質問です。感動です。またワクワクしてきます。 文字数制限のため、恐らく今日も少しだけしか踏み入れられないかとは思いますが、進めるところまで進もうと思います。今日、お伝えする人間五感覚脳の認識のクセというのは、ここから観るだけでも相当数の事が整理できる優れものです。 認識活動には、意識活動と無意識活動があるのですが、まずは意識活動について明確に理解を深める事が大事ですので、意識に重心をおいた話を展開します。 人間は、認識する時には五感覚脳の認識に依存しております。 その人間五感覚脳の認識には3つのクセがありまして、やりたくなくても常に機能する3つの習慣がございます。今も、常に常に働いているのがこの3つのクセです。 1.部分だけを取る。 2.違いだけを取る。 3.過去のイメージと繋げて取る。 誰もが皆、これを繰り返し続けています。 ですから、人間五感覚脳の認識に依存している状態では、 1.全体を取れない。 2.共通を取れない。 3.今ここリアルを取れない。 という限界が生まれてしまいます。それが、人間誰もが皆、一人の漏れもなくやっている事です。それが人間の認識活動ですが、人間が共通にやっていることとは何でしょうか? 存在が有る事を確認する。 存在に名前を付ける。 覚える。 名前を付けた存在に因果関係を付ける。 覚える。 因果関係から多様な体系化を行う。 覚える。 そうして、体系化されたものが論理・理論・学問・思想・哲学、理念・イデオロギーであり、宗教・信仰・商品技術化・市場占有率であり、悟り・霊性・瞑想ですね。 ですから、答が来ません。 答が来ない理由が見えますでしょうか? 人間がやってきた共通の出来事と蓄積してきた事を見ています。一体、何が問題なのでしょうか?どこが間違っていたから答が来ないし問も間違えるのでしょうか?
お礼
存在と認識は、無関係であるという前提です、ということを失念していました。 失礼しました。回答数が思いのほか多かったので、私自身回答内容を全て把握できません。時折このようなミスを犯しますが、温かい目で見てやってください。 zakky74さんが提言する悟りは、もし世界の創造主がいたとして、その創造主が分かるような内容ですよね…? 私のような凡人には、到底達することのできない悟りですが… >答が来ない理由 なかなかの難題ですね… とりあえず、No.31のzakky74さんの回答を基に考えてみました。 1.人間は、五感と脳の認識に依存していて、かつ一人ひとりその認識の解釈が異なってくる。 認識の解釈が人によって異なると、答えも千差万別なので、本当の答えがあるかどうかわからないから? 2.人間の認識活動に基づき、存在に名前付け、因果関係を整理し、体系化を行う。 体系化を行ったら、様々なカテゴリーに分けられ、篩にかけられる。 そうすると、たとえば、数学と文学は全く違うカテゴリーで、共通点がほとんど見当たらない。枕草子の文学を数学で語ることが出来ないように… もうひとつ別な例を考えました。 もともと1つであるこの世界を、人間の認識活動を行った結果、多種多様に体系化される。 生物学的なたとえですが、まるで、元々1つの細胞だったのに、どんどん分化して枝分かれするように… 元をたどれば、アダムとイブのような、大元が存在するはずなのに、人間がここまで複雑に体系化を行ったため、根本にたどりつけない。 したがって、zakky74さんの言うように、全ての悟り(体系化された概念)を理解することが、答えを導き出せる唯一の方法である。 以上の2つのように、私は考えました。 どうでしょうかね… 難しい問題ですね… 回答有難うございました。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
こんばんは。NO9です。えらく遅くなりまして・・ >psytexさんの言う、生理活動 生理活動は客観的表現です。 この生理活動を主観的に受け取るなら、「みんな誰でも血は流れてるし心臓は動いてるし、鼻や口が付いてるのだって一緒」ともいえます。 御飯食べるのもトイレいくのも、生理的なものは人に共通なので、 生理活動とは、「自分と人は同じ、なんだみんな一緒だ」と、心情的には訳せると思います。(ムリヤリ) >akayoshiの考えるように、私は睡眠時に普遍的な「世界」から切り離され、起きた瞬間また普遍的な「世界」の一部となるのですかね… はい同じこと言われてます。 世界と精神は同じもんですから。心理学で投影という言葉ありますが、精神や意識が投影されたものが世界だ、と、ほぼ言えるんじゃないでしょうか? もしそうなら、精神と世界は同じものを指します。というか人間が、内外の区別で分離したのですが。 >この状態が、まさに私は「死」と同じ感覚だと思い そう思います。毎日毎日寝て起きるということが、擬似的な輪廻転生じゃないかなー。 寝る=死ぬこと。起きる=生まれること、ですし。 これを極論まで、その周期を短くすると、人は一瞬一瞬生きて死んでいるんだ、という主張になりますし、 一期一会、という言葉もこのニュアンスの延長にあると思います。 マトリックスってあの映画のですよねー。見てないんですが。 コンピュータが作った世界、という意味ですか? ーーーーーーーーーー >私は睡眠時に普遍的な「世界」から切り離され、起きた瞬間また普遍的な「世界」の一部となるのですかね >元々世界の一部だった私が、ある時何かのきっかけで世界を観測する者(私)になった 前回精神と意識の優先順位で表現したんですが、これは人間の内面の表現です。 まず用語の整理として 前回の、意識と精神という用語をその代わりに世界という言葉で表現するなら、 意識=意識世界 精神=精神世界 と無理やり定義します。いいでしょうか? 意識の能動性(把握)は、客観に対応してるし、精神の受動性(感受性)は主観に対応してる、と考えるからです。 質問者さんの言われる観測される世界は、それは多分物理で扱うような客観世界を差して言われてるんだと思います。 この物理世界のことを、普遍的意識世界、と言わせてもらいます。 同じく、普遍的精神世界があります。 上の用語を使っていうと 全体としての構図を2重底、と考えます。 つまり、 1.精神的個別世界(夢)⇔意識的個別世界(個性的生活的解釈) 2.精神的普遍世界(熟睡、生理的)⇔ 意識的普遍世界(物理的) という2重底が、大まかな構図かなーと考えました。 矢印⇔でつないだ部分は、睡眠覚醒によって優先順位が入れ替わる、という意味です。 合ってるでしょうか? 1でも2でも、矢印左右の2つは、ペアです。 概念として、1の世界の対を、2の世界の対がぐるっと囲んでるようなイメージです。 よく眠れない人は、1の、2つの個別世界だけが入れ替わり、 熟睡できる人は、2の普遍世界も、睡眠覚醒に従って入れ替わる、と思います。 上の話をもとに言うと、睡眠時には、個別的な世界から切り離されるというより、水面下に引っ込み優先順位が下がり、精神性ー個別的精神世界が前面に出てくると思います。 世界は、自分の内なる精神でもあるので、生理的精神になる、と言ってもいいと思います。 逆に起きた瞬間、この精神的世界の上に、意識的世界解釈が立ち上がります。 目がさめた時って、さっきまで自分が接していた見ていた夢が、意識の水面下に、すーっと沈んでいく感じありません? 明るい光のなかで意識がはっきりしてくると、精神性の強い普遍的&個別的世界は、消えるのでなく水面下に沈む、つまり優先順位が下がると思います。 大雑把に、みんな一緒、という精神的世界、みんな違うんだ、という起きてる時の個別的意識的世界、 この2つがうまく融合させたいですねー個人的に。 生きてる時と死んでる時では、この毎日の生活における意識ー精神、あるいは個別世界ー普遍世界というものより、もう一段深い本音の意味でのそれらの優先順位がひっくり返ると思います。 つまり、上でまとめた、1.2に加えて、3番目があるかなーと思います。 それは意識と精神の区別がない世界、かつ普遍性と多様性を両方含む世界、という意味合いです。 死後は体験もなく眼に見えないので、憶測です。
お礼
マトリックスを持ち出した理由ですが…ネタばれしちゃいますが… 主人公が、仮想世界にとらわれた準主人公を助けにいくかどうかで葛藤するシーンがあります。 頭にプラグを刺して、仮想世界に彼らは入り込みます。プラグを抜くとき、彼らはすでに人類が死に絶えている現実世界に戻ります。 仮想世界では、彼らは何でもできます。ヘリコプターを操縦したり、武器を無限に取り出したり、時間を止めたり… 最終的には空間を捻じ曲げたり、ピストルの弾を止めたり、仮想世界をプログラミング言語で見れるようになったり…します。 しかし彼らは現実ではただの人間です。無力です。 それで、私は、これって現実と夢の関係に似ていないか?と思いました。 夢では、現実ではありえないシチュエーションや、行動が出来ますが、現実ではそういきません。 夢=仮想世界 、 現実 = マトリックスの現実 だなぁ…と当時見たときぼんやり思いました。 しかし、今気付きましたが、主人公の仲間が死んだ場合、どこへ一体行くのか…の描写がないです。 映画では、仮想世界で死ぬと、彼らは現実でも死にます。 同様に、現実で死ぬと、仮想世界でも死にます。 彼らの頭に刺すプラグで、間接的に現実と仮想世界はつながっていまして、現実から受ける指令等を仮想世界で受け取ることが出来ます。 このことも、私たちの夢が、現実の作用を受ける点で、非常に似ているな… と思いました。 >1.精神的個別世界~合ってるでしょうか? 私の思っていた以上に、分かりやすく説明していただいたので、感謝しています! 正直私よりうまく説明されていて、私の国語力のなさが残念に思われてきました… そのように世界が構成されていると思って、psytexさんには科学の領域ではこの質問にはうまく答えられないのでは?と反論しました。 >目がさめた時~感じありません? 私は、目が覚めそうな時、いつも周りの音、閉じた目に入った来る光等がもやもやと感じられます。 休日とか特にそうなのですが、任せるままに寝ていると、夢を見ているが、意識的普遍世界の割り込みを受けます。そして、あ~目が覚めそう…等と私は思うところで、きっと意識的個別世界が立ちあがってきて、最終的に夢は覚めてしまいます。 不思議なのですが、夢はいつも中途半端に終わってしまいますね。上記の場合、大体夢が暗転していきます。 >大雑把に、~個人的に。 それが出来たら、グリッドコンピューティングが人間でも適用できるかも…? 人間は、大きな進化を遂げ、人間ですらなくなって、何か別の、すごく高次な生命体となるでしょうね… もし、死後の世界が、sheep67さんの定義するような3番目の世界としてあったとするならば、皆そこへ行くから、死んだ人に会える可能性もありますね。 死んだ人は、宇宙の新たな星になるっていう話を聞いたこともありますが、これはもしかして、死後は人はただのモノになる可能性もありますよね… かなり面白い解釈でした! 回答有難うございました。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
見ていたら、面白かったので仲間に入れてください。私見ですが、人間の定義を考えました、人間には意識が有りますが、意識は眠る事が無いと云う定義です。眠る場合には『意識は無くなっていて、無意識の自分と入れ替わっていて、その無意識の自分が心地良く眠っている。』と云う定義です。 此れは分離脳の研究成果の一つですが、この研究から導き出された事とは、脳梁を切断した場合、左脳に一つの人格が存在していて、右脳にも全く違う人格が存在している、と云う成果です。 この脳の機能分化の研究成果を、詳しく書くなら、左脳の人格は自我意識です。感情が湧き上がらせられている者という言い方が出来ます。感じたものを、或は認識したものを、言葉と云う分別に掛けて認識或は把握し直して、心に取り込んでいる『意識』という事です。 もう少し説明するなら、今までの体験から割り出して世の中を認識していると云う事になります。この事の意味するところは、自我意識の特徴とは、『割切れる事を計算する機能』と云う言い方です。割り切れる事は言葉にすると『有限』と云う事になります。自我意識には、割切れないものを計算する機能は無いと云う意味になります。 言い方を替えるなら、無限や、永遠というものは、自我意識には理解するソフトが入っていない、人間が言葉を持つ事によって、このソフトは、もう一つの意識に移し替えられた、と感じます。 他方人間には、他の動物と同じで、『命』があります。もっと強く言うなら、人間を人間たらしめている働きが在ると言う事ですが、蜘蛛や、ライオンや、猫や、犬などと同じで、『人間固有の脳を持っています』 脳は生きて働くところに、その機能が存在しています。右脳の機能は『命そのものを働かせている機能』を持っています。命の働きは、身体機能面は勿論の事、全ての臓器や神経系統までもその支配下にあります、又、感情を感じている意識にまでその働きは及んでいます。 優勝が掛かった、プレッシャーが掛かった一打にまでも、その働きは及んでいます。言い換えるなら、その働きが『上手く働かない場合には』身体の行動も、身体機能面も、心の働きでさえ、』不調になってしまうと云う事になります。 即ち、身体の行動面に強くでた場合が『神経症』、身体の機能面に強く出た場合が『自律神経失調症や心身症』心の働きに出た場合を『心を病む』と云う事になります。 『命そのものを働かせている意識』は『無意識界』の主人公でも有ります。生まれる時は既に働いています。命が芽生えた瞬間から働いています。無い心臓までも働かせようと準備をしていると云う意味です。 生まれてからは、他の動物達と同じで、学ぶ事無く全てを知っています。不安や、安心や、恐怖までも既に知っています。笑う事や、お腹がすいた事や、水が飲みたい事も全て知っています。 人間には、自覚出来なくとも、『意識は二つ在ります』脳梁を切断した場合には、既に証明されています。従って、人間の障害とは『二つの意識の矛盾乃至、対立乃至、分裂』と云う事になります。 心の矛盾を感じている事になります。その『違和感』を身体の行動面に感じた場合と、身体の機能面に感じた場合と、心理的に感じた場合に其々の心に湧き上がる事柄が、違って見えますが、その大元は一つです。 今言った事柄に共通して、使う薬もありますし、心に湧き上がる感情にも、共通点があります。それが『心の苦しさです』『心の圧迫感です』『心の違和感です』それは心の矛盾を『自我意識が受け取っている事』を意味しています。 使われている薬は、脳梁を通して送られてくる、情報が、伝わり難くする効果を持っています。或は感情が湧き上がる事を押さえ込む効果を持っています。ですが、時間が来て効力が弱くなった時点で、その情報を送る者は『生きる為に必要な情報として』又送って来ます。 薬で『心に湧き上がる感情』を押さえ込もうとする事が、一時押さえ的な効果しかない場合が多い事を物語っています。今の医学のやり方は、失恋して『心が痛い事を、薬で緩和している』と云う感じがします。失恋した時の対処の仕方は、辛い耐え難い感情をしっかり受け止める試練を学んでいる事を意味しています。 人間の一生は『死を学ぶ事の中にある』と云う言い方は、少しオーバーとしても、『年とともに嫌な事や、辛い事も』しっかりと受け止めてゆく事を学ぶ中に、成長が有ると感じます。辛い現実の中で、そのまま受け止めて、逃げない生き方です。目の前の真実の世界で生きてゆく事です。 心の矛盾に苦しむ世界は、頭の中に、現実を受入れたくない心があって、天国を求める余り、『心に地獄を作っています』そうして二つの世界の中で『苦しんでいる世界です。』目の前の世界と、頭の中の世界が一致する時、妄想は止みます。それが悟りです。
お礼
>眠る場合には~と云う定義です。 他の回答者の方々と同じような意見ですね! 睡眠時は意識よりも無意識が優先する、という意見を他の方々もおっしゃられていました。 しかし、無意識とは、一体どのような状態を指すのですか…? 意識が、無い状態を無意識というのであれば、私の操作するパソコンも、地面も、道端の石ころも無意識ですよね? 私は、寝ているときはある意味で心のないモノ、になっているのでしょうか? 個人的には、100%無意識の状態であり続ける物体が、モノで、0%または100%無意識である状態、または意識である状態に、ならないのが人間であると思いました。 >感じたものを~という事です。 No.28のzakky74さんも、存在があることを確認したのち、その存在に言語を用いて名づけ、この世を体系づけて理解する作業を延々と人間は繰り返す… みたいなことをおっしゃっています。 共通点がありますね! >言い方を替えるなら~と感じます。 ということは、人間以外の動物は、無限、永遠等といった概念は理解するというより、そもそも彼らには無いに等しいものでしょうか? やはり、人間と、それ以外の動物の最も大きい差は言語でしょうね。 そして、言語によって、私たちは、現前する世界を記述し理解しようと試みることが出来るわけですか… どこかの本で、動物は機械と同じである、という記述を読みました。 彼らも、世界を構成する歯車の役割を果たしているに過ぎない…と… 人間もそうですが、しかしこの世界を唯一説明できる生命体である、といったところで違いますね。 >人間には二つの意識がある これは新たな意見ですね。 誰しも複数の人格がある、と聞きましたが、意識が複数あるとは全く知りませんでした。 ということは、意識を持つものが言語によって世界を語ることが出来るとするならば、私は少なくとも2つの「一人称の世界」(自分が見つめている世界)を持っているのですか…? 驚きました…。 回答有難うございました。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74です。 始めの投稿では、Fairyland_0201さんの質問はとても素晴らしいものであり、安易に答を出さずにこの先も疑問を持ち続けて下さいと僕は言いました。またその時には、全ての現象を明々白々に理解出来る状態として、出会って下さいとお伝え致しました。 今日はまず、それを言った理由や背景について触れる事にしまして、主題「寝たら?」については後ほど触れようと思っています。 結論から先に申しますと、この質問に明確に応える為には、悟りを得ていなければなりません。そして、今までの古い悟りでも応える事は出来ず、西洋の物理学に言う最終理論までを理解し、説明出来なければこの質問に明確に応える事は無理です。 思い込みや信じる世界を語る事は出来ます。 ですが、客観的な事実として、或いは宇宙自然を動かしている仕組み・メカニズムと繋げて語る事は無理です。即ち、東洋の知の叡智である心を悟る事と、西洋の知の叡智である力を理解せねばなりません。更には、今ここの認識画面と繋げて理解できる事と、それを人に明確に伝達できるものでなくてはなりません。 それだけの条件が整う時に、Fairyland_0201さんの質問には明確に応える事が出来ます。 因みに僕は今、とてもワクワクしています(少し横道に逸れましたが)。 実は、Fairyland_0201さんの様な疑問を持ち、知的欲求が生まれるという方は、とても稀と言いますか珍しいかと思います。とても本質的であり、全ての現象を完璧に説明する為の道において、大切な第一歩ともなるべき道とも言えます。 と言いますのは、Fairyland_0201さんの様な疑問自体が出ません。 多くの人は、この世界が、自分が見ているこのままの状態で存在すると思っているからです。自分は人間だ、自分以外の人間がいる、動物がいる、植物がいる、地球がある、太陽がある、銀河、宇宙、空間、時間・・・何もかもが有る、有る、有る、から出発します。 人間がやっている事は共通して次の作業です。 存在が有る事を確認する。 存在に名前を付ける。 覚える。 名前を付けた存在に因果関係を付ける。 覚える。 因果関係から多様な体系化を行う。 覚える。 そうして、体系化されたものが論理・学問・思想・哲学、理念・イデオロギー、宗教・信仰・霊性です。 即ち、それが論理・学問・思想・哲学・理念・イデオロギー・宗教・信仰・霊性の実態であり、要は存在に名前を付けて、いかに多くの存在を繋げながら語るのかの世界ですね。 そして、この世界が一体どの様にして成り立っているのかを知りたい・・・として多様な宇宙論や世界観が展開されています。地球が宇宙の中心だ、天は地球の周りを回っている、地球は自ら回っている、地球の外には太陽系・銀河系・宇宙がある、宇宙はどうやって出来ているのか、宇宙の誕生メカニズムとは? 宇宙論、世界観は、今まで間違ってきたものも多くありましたが、最近では科学・物理学・数学の活躍によって、ようやく宇宙を誕生させている材料について関心を持ったり、宇宙誕生のメカニズムについて関心を持つにまで至る様になりました。 ですが、今まで展開されたきた全ての宇宙論、世界観には前提があります。 存在は存在している。その存在があって、認識を行っている。存在を認識しても、その存在には何の影響も無い。つまりは、存在と認識は、無関係であるという前提です。 実は、そこが間違っておりました。 それ故に、幾ら質問を投げても答が来ません。 そもそも正しい質問を投げていないから、的確な答が来よう筈もございません。 存在を確認する為には、どうしたって人間の認識が必要です。人間の認識が働く事をなくしたとして、一体どうして存在が存在出来ますでしょうか?存在と認識には、密接な関わりがある事が事実として起きている事ですのに、存在と認識には密接な関わりが無い!と思っているその想いが、既に思い込みでした。 その前提が覆らない限りは宇宙論や世界観に答を見出す事は出来ません。 この宇宙自然を生まれる様にさせている材料とは何でしょうか? この宇宙自然を誕生させている仕組み・メカニズムとは何でしょうか? この質問では答が来ません。 重要な問は、 この宇宙自然を生滅させている素材とは一体何でしょうか? 目を閉じたり開けたり、寝たり起きたり、死んだり生まれたりする事で、宇宙自然は生滅する激しい変化が起きるのはどうしてでしょうか? です。この問に対する答こそが、宇宙自然を生まれる様にさせる材料も誕生の仕組み・メカニズムもオートで解決します。より深い質問であり、知恵ある質問だという事ですね。 Fairyland_0201さんの質問に感動した理由です。次回はもう少し踏み入ります。
お礼
やはり、私の質問の記述が悪かったのは、明らかなようですね… >存在と認識は、無関係であるという前提です。 No.14さんの回答の補足を一度目を通していただければ分かると思うのですが、これを端折ってしまったがために誤解してしまった回答者もいました。申し訳ないです… 私の認識の影響下にある世界を「一人称の世界」 人の認識とは関係なく存在はしている世界「普遍的な世界」 とでも書き直しますね。 >この宇宙自然を~でしょうか? なるほど、このように質問すればよかったのですね… 中途半端に、難しく質問すれば、回答者は回答しづらい、と思いあえて軽いタッチ?で質問しました。 何せ私自身、回答者から、様々な回答を得たことで、私の曖昧であったイメージが、次第に明確になってきたものですから… 回答有難うございました。 次回も期待しています。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
No13のzakky74でございます。 逆質問の様な形となってしまいましたが、お応え頂きありがとうございました。 >1.自分とは、漠然としていますが、この生身の体の皮膚に沿った物体までが、・・・私は、それらは全て普遍的な「世界」の一部に取り込まれ、私ではなくなる、と考えています。 なるほどでございますね。すると、Fairyland_0201さんからみますと世界とは、この体の範囲である自分が観測している事になると理解して宜しいですね? >2.意識は、基本的にあらゆる感覚器官が受ける刺激で形作られると・・・「意識」もコロコロこわりそうです… ここに言う感覚器官とは五感覚の事と理解して宜しいでしょうか? >自分でもなぜ私が「意識(自我)」を持っているのか不思議でなりません… ホントそうですよね。全く持って不思議でございます。 ところで、Fairyland_0201さん。 もう一つ追加でお尋ねしたい事があるのですが、Fairyland_0201さんはこの質問に対する答を知る際に、もしFairyland_0201さん自身の固定観念が壊れる必要があったり、Fairyland_0201さんの観点が動かなければ答に到達しないのでしたら、Fairyland_0201さんはご自身の持っている固定観念、或いは固定観点を動かす覚悟は出来ていらっしゃいますでしょうか? それとも、ご自身が既に持っている観念や固定された観点を動かさないままで、ご質問に対する理解をしたいと思っていらっしゃるのでしょうか? 僕は、この質問に対しての回答を持ち合わせておりますが、Fairyland_0201さんのこの質問に対する姿勢や覚悟をお聞かせ下さいませ。 よろしくお願い致します。
お礼
回答有難うございます。 >1.そのような理解でお願いします。 そうですね。2の感覚器官の刺激で意識が作られると、私は考えているので、必然的に私の体全体で、この世界をとらえていると思います。 感覚器官の情報を基に、私の意識が、あれこれ判断し、考えると、私は考えています。 たとえば、盲目の人は、音で世界を主に捉えますよね。 以前、盲目の人は自分の舌や、指を鳴らし、その音の反響を耳で捉え、世界を構築している、というニュースを見ました。目には見えなくても、家の形とか、物のある場所や、段差等、大体のことが分かる、とインタビューされていた方はおっしゃっていました。 それだからといって、意識が感覚器官で作られるなら、置物や、ロボットに感覚神経なるものをつけたものや、動物が、人間のように意識を持つようになるとは、思っていません。 なにか別な要素が必要な気がします。少なくとも言語は必要だと思います。 私は、幼稚園生のとき、はっきり自分で物を言った記憶がありますが、それ以前は記憶がありません。 赤子であった私に、意識(自我)があったと思いません。 話がそれましたが、これも不思議です。 >追加でお尋ねしたい事 私が固定観念を変えないままである時に対する回答と、固定観念を変えた時に対する回答は、別々であるということですか? もし、上の2つの回答が、どちらも回答としては正解、とおっしゃるのであれば、2通り教えていただけますか。 仮に、私の固定観念を覆さなければ、正しい解を導くことが出来ないのであれば、私は、固定観念を捨てる勇気があります。 長文失礼しました。 有難うございました。
お礼
お礼が大変遅れて申し訳ありません。 確かに、万能と疑わない、人間がこれまで築き上げてきた学術もろもろが、果たして真に正しいか、などとは決まっていないようですね。 どんな学問も、一見正しいようでその実多くの誤謬や不確かさがあるものですからね。 しかし私たちはそれら学問を正しいものと、正しくないものを自らの基準でふるい分けることで、現在のように物的には豊かになったと思われます。 ただ、精神的には豊かになったか?というのは良く問われる内容です。 実生活ではそんなこと言いだしていたらきりがないので、 うまく臨機応変に活用し、曖昧に理解して毎日生きていますが、時折この何とも言えないむなしさを、感じていました。 重ねて回答有難うございました。