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寝たら?
知ったかですが、死んだら、自分の観測する世界は滅びますよね?(多分) じゃ、寝ているときって、意識がないから、その間、自分の観測している世界はいったん無くなってる? 他者から私を見たら、私が寝ている世界が見えても、私は何も見えないし、意識も出来ないから、世界はないに等しいですか? 寝ているときって、いったい世界はどうなってるのでしょうね? 気が付いたら朝だし…
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.16&21&22です。 ★ では、ぜひご教授願いたいのですが、私の質問が、想像を超えて、哲学的な質問になるには、何が必要ですか? ★ このテーマに関する哲学的な応答は、望めないと、断定されますか? ☆ 肩すかしのようになりますが 方向を別にして捉えてみた結果 次のような答えになりました。 ○ わたしなら もしわたくしの《わたしの世界(一人称の世界)》がたしかにあると思うのなら その中身を何とかして是が非でもとことん まづひとりの人に分かってもらうように どれだけでも言葉を費やし表現の限りを尽くして説得する。最後まであきらめない。 ☆ ということをするでしょう。 * 眠りは 休みだと思えばよいのでは? * 死は わたしが自分の人生の務めとしてしたいことを思う存分おこなったあと そろそろじゅうぶんだと思うこと。くらいに考えておけばよいのでは? 務めが次から次へとあたらしいこととして湧き出て来るというのであれば 百五十歳や二百歳までも活躍してください。 * わたしの述べた答えにもとづくなら ほかの人びとの考え(世界観)についてきちんと認識しそれらを交通整理し 批判すべきところは批判するという行動に出ると思います。《わたしの世界》がわたしにとっては とうといものだからです。 たぶん批判の仕方 あるいは その切り口がどこかズレてしまったのではないでしょうか? どうズレたかは 自分の田に水を引こうとしすぎたのでしょうか?
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
>私たちが生きているうちに証明する方法ってありますかね…? あなたの感覚が狭いという風に回答しておられる方にはあなたがほとんど理解できないのですよ。 前に回答した通り、どこを土台にして話をしているのかがずれているとアホ扱いされます。 あなたと同様の感覚がある人は単に観測者であるなんてことは百も承知で、 さらにそれもこれも全部含めたその宇宙全体の観測者のことを言っているのに、 その感覚のない人には、なんのことなのか想像してもらうことが困難なんです。 極端に言うと、あなたは人間存在の外側を標榜しているわけです。 公理の外側なので証明してもあまり意味はなくて、そうでない人に気づいてもらったほうがいい事柄では あるんです。とはいえ、お互い人間である以上、その外側については無理に気づいてもらう必要もないし、 逆に、気づかない方が、愛、自由、平等なんて概念は世界に存在させ易いでしょう。 付け加えると、宇宙は、人間存在が観測しているようには決して存在などしていないということです。 青い地球は、人間が見るから青いという風に人間が感じ取っているのであって、「青」なんてことも 純粋に覚醒しているあなたの中で起こっています。 そして、厳密にあなたがどんな青で見ているのか私は知り得ません。 だからこそ、世界は覚醒しているあなたの中にしか存在しません。←厳密には私は知り得ませんけど・・ しかし、この感覚は間違えてはいけないところがあって、我々人間という共通の「世界」を認め合わないと 人間として豊かに生きてゆけない宿命にあるんですね。なんせお互い人間なんですから。 間違いなく地球はあなたも私も青く見えている はず ということです。それもこれも世界の中ですが・・ まったく驚異としか言いようがありませんな世界は。
お礼
まったくもって同感です… 確かにアホな質問者です… と、今私が、昔の私をこうも簡単に批判できるのも不思議。 同じ私だったのに。 >どこを土台にして話をしているのかがずれている 本当、私自身、質問の仕方、言葉の使い方が悪かったと凄く思っています。 質問内容を書きなおしたかったのですが、出来なかったので、お礼で詳しく私の思っていることを伝えようとしましたが、後の祭りですね… ukiyotonboさんは、回答を読む限り、私の感覚に最も近い感覚を持っている、もしくは私の、言葉足らずで難解な質問をぴたり、と理解してくださっているので、ありがたいです。 >我々人間という共通の「世界」を認め合わないと人間として豊かに生きてゆけない宿命にある ぐっときました。ベストアンサーにしかけました。 私は、自分本位の質問および回答、お礼をずっとしていたので、このような考えは、言われるまで、本当に全く思いませんでした。 一瞬衝撃を受けたくらいです。おおげさではありません。といっても、ukiyotonboさんには分からないですけど… >まったく驚異としか言いようがありませんな世界は 同感です。 だからこそ、私は早く死んでみたい!と思うのです。 決して自殺なんかしませんよ!もちろん。 いつか死ぬことが、楽しみなんですよ… こんなこと口が裂けても、現実では言えませんがね… 残念ですが、現実では不審者扱いになってしまいます… 回答有難うございました。
- ga111
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よくわからないけど、死んだら自分の観測する世界は滅ぶのに、寝たらそうじゃない。何で??と言うことでしょうか? 寝ているときには、「可逆的に(しかも部分的に)意識が停止しているだけです。」寝た後、リスタートしないこともありますが(死)、ほとんどの場合、リスタートできる(目覚める)のが、ほとんどの人間におきることです。 意識が停止していた間に、ペットが死んだり、会社がつぶれたり、それはその個人にとってとんでもない不幸だったりしますが、、、。 ではその「可逆的に(しかも部分的に)意識が停止しているだけです。」の間にどうなっているのかというと、これも簡単です。無意識の部分がメジャーになっているので(100%ではない)、生命維持上、不都合や危険があれば、無意識のまま何かするか(おねしょ?)、意識がリスタートします。 寝たときにおきる無意識状態、リスタートできる意識、はよくよく考えてみれば日常に起きていることですので、哲学的に悩まないで、生物学的にあるがままを受け入れたらいいのではないでしょうか? 我々は、動物の一種に過ぎず、他の動物の無意識状態や意識状態に毛の生えた程度で高次な意識状態があるにすぎません。
お礼
世界はあるがままに、あるだけ。 結局、これが一番の回答ですかね? bragelonneさんは、これは哲学的でもなく、疑問ですらないとおっしゃっているので、ここで質問したことを恥じています。 くだらない質問に皆様を巻き込んでしまい、反省しています。 そろそろ回答を締め切ろうかと思いますが… 私に逆質問してくださった方からの意見がまだないので、もうしばらく締め切らずにしておきます。 回答有難うございました。
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
>私が睡眠時、または死んでいるとき、 >起きているときには認識できた「一人称の世界」が、 >どのような様相を示してくるのか? 意識には思考と感覚があります。 思考は物事の一部の性向を選び関連付けたり、検証するもの。 感覚はありのままの現実を表現するもの。 睡眠時の意識は念願であったり、現実逃避なこともあります。 これは脳が意識を下げているせいです。 しかし感覚は現実から逃れてはいません。 意識は脳が眠ることで能動的活動を中止し価値観が変更されます(捏造や執着をなくしていく) 感覚は皮膚で情報処理しているので受動的であるからですね。 脳の意識は客体で皮膚の感覚は主体という表裏一体で「私」しております。 私が死ぬと主客対立が崩壊するので 歴史上の全ての映画が同時に一瞬で観れるはずです。 つまり私の命は自然の要素になるので「知る」必要がなくなるのです。 種にとって若さは貴重であり、 感受性が高いことから現実をありのまま吸収することができます。 長寿であることも種に有効なアピールにはなりますが、 肥大化した思考力が現実を遠ざけていきます。 思考力の発達は現実逃避することなので、 哲学は思考よりも感覚を大事にしています。 その点で派生した学問と一線を引いています。 「私」とは認識する以前の意識です。 つまり、受精卵時の私かもしれないし、原初生命体の自己複製子が私であり、 私の入れ物(人体や精神)は現実の「私」にとっても主役ではないのです。 ざっくりですが。 文章下手なので分かりにくければ質問してください。
お礼
私は思考、感覚の2つの世界にいるってことですかね。 他の回答者の意見にもありまして、無意識と、意識の優先順位が、睡眠時と覚醒時では変わってくる。 この要因が意識の構成要素の思考、感覚である、のですね。 >つまり私の命は自然の要素になるので「知る」必要がなくなる 他のお礼にも述べたように、「世界」の一部に私がなるってことですね!そこは一緒ですね。 >肥大化した思考力が現実を遠ざけていきます。 私が、若いころに比べ、歳をとってみると、時間の流れが速く感じるのは、こういう理由で説明できるかもしれませんね… 若い時は、知らないことばかりなので、思考より感覚が優先し、歳をとると、今までの、感覚による経験から、思考が優先する。 結果、歳をとると思慮深くなるが、現実に対する反応が鈍くなっていく… 最終的に、寿命で死んだら、もしかしたら思考(魂)?が出てくるかもしれませんね…? また話が飛躍してしまいました。 分かっていたことですが、他の回答者の意見を読んでも、やはり 「死ねばわかる」 ようですね。 私が死んだら、ここで親身になって回答してくださった、皆様に、世界はどうなっていたか報告したいですが… 死人に口なし 回答有難うございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.16&21です。 ★(No.21お礼欄) 何せ私の観測する世界とあなたの観測する世界は重なりませんからね!(多分?) ☆ それも分からないというのが 答えです。 重なるかも知れないし 重ならないかも知れないし 重なる部分と重ならない部分とがあるのかも知れない。というのが 答えでしょう。 そういう言わば対話の初めの決まりが 定まっていませんよと回答しています。 ですから 文学の断片にはなるかも知れないけれど 哲学――つまりたとえば対話です――にはならない。まだ成るとも成らないとも限らないところで 話を起こし質問としていますよと。 あらためてですが 別の説明をしてみます。 ★ 死んだら、自分の観測する世界は滅びますよね?(多分) ☆ 観測するという行為がなくなるけれども それまで観測して来た世界が どう成るかは 決まっていません。と知るべきです。 その世界も滅びると思いたいのであれば 思うのは自由ですとお答えしています。決まっていません。 ★ じゃ、寝ているときって、意識がないから、その間、自分の観測している世界はいったん無くなってる? ☆ ですからこの《じゃ》が 意味を成さないと知るべきです。 《意識がないから》 《観測している》ということはなくなります。その眠りに落ち入るまで《観測して来ていた世界》は 《観測していない》というのが 答えです。そのほかは――どう思っても自由ですが――余分です。哲学の主題には まだそれだけでは ならないという意味です。 ★ 他者から私を見たら、私が寝ている世界が見えても、私は何も見えないし、意識も出来ないから、世界はないに等しいですか? ☆ もし《世界》という言葉をあなたが思うかたちで用いるとすれば それぞれの《わたしにとっての世界》は観測しているときもしていないときも一般に 異なるということなのですから 他者から《私が寝ている世界が見え》るということは無理でしょう。そうではなく ただ《寝ている姿が見える》だけなのです。 《私は何も見えないし、意識も出来ない》とき 《世界》は 一人ひとりそれぞれの思う姿になっている。というのみです。観測していないときにも その人にとって世界がどうにか成っていると言うのであれば その人それぞれだというのが 答えです。 決まっていないのです。同じ人でも その《思い》は時とともに変わるからです。 ★ 寝ているときって、いったい世界はどうなってるのでしょうね? ☆ ですから《どうなってるの》? と問うほどのことには成っていません。ほかの起きている人びとが動いているように成っています。 ただし 想像力を駆使して これこれのように成っていると思うことは 自由です。ただしそれだけでは 哲学の主題にはなりません。茶飲み話にもならないと思いますが そうなると考える人はいるのかも知れません。つまり おれのアイドルは 誰だれだ おいらのは だれそれだと言い合っているのみだという意味です。
お礼
三度も、繰り返し似た説明をさせる自分が嫌になってます… 本当に、理解力がなくて申し訳ございませんでした。 では、ぜひご教授願いたいのですが、私の質問が、想像を超えて、哲学的な質問になるには、何が必要ですか? このテーマに関する哲学的な応答は、望めないと、断定されますか? 回答有難うございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.16です。 ★(No.16お礼欄) 観測していないなら、私の観測する世界、はないのは当たり前。 / おっしゃる通りです。 ☆ ここでマチガイが起きています。 ○ 《観測していないなら 私の観測するという行為はない》のであって 《私の観測していた世界》がその観測していないときにどうなっているかは また別のことです。 ○ いろんなふうになっているということでしょう。それはあなたが観測していないというだけのことです。 ★ しかし、私は、覚醒時に私の意識でとらえていた世界「一人称の世界」が、睡眠時または死の状態時に消失している気がしてならないと、疑問を抱いたのです。 ☆ 疑問を抱くことは まったく自由です。 ★ 言葉のあやじゃん!おまえの言っていることは、ただの言い逃れじゃん!と思われたら、もう哲学出来ませんので、そこはご容赦ください。 ☆ 自由だからそれが哲学だというのは まだ何も定まっていません。定まってから 哲学であるかないかが決まります。 ★ bragelonneさんの回答は、まさに言語学的?であるように見受けられます。私の質問の本質に対する回答ではなく、私の質問の言葉の使い方、もしくはそのとらえ方に対する回答に見えました。 ☆ わたしの見方は《何的》でもありません。《本質》だとも言いません。つまりは言いかえると この質問に《本質》などどこにもないと言っています。 《言葉の使い方 もしくは捉え方》だけであるのは あなたの質問じたいであるとお伝えしています。 何の疑問にもならないことを 《一人称の世界》としてあれこれ見よう言おうとしているに過ぎないということでしょう。 重ねて述べます。《観測しなくなったら それまで観測していた世界がどうなるか? それは どうもならない。疑問にならない。ただ観測しなくなったそれだけのことだ》とお伝えしています。《どうかなったのではないか? と疑問に思い推測をたくましくすることは 自由だ》とつけ加えておきましょう。
お礼
なにか釈然としませんが…私の読解力のなさが原因ですかね? >いろんなふうになっている これが、私の疑問に対するあなたの回答と捉えてよろしいですか? しっかりとした言葉で説明しなった私が悪いのですが、他の回答者様から意見を頂きたかったのは、 私が睡眠時、または死んでいるとき、起きているときには認識できた「一人称の世界」が、どのような様相を示してくるのか?に対するものです。 恐らくbragelonneさんは、この質問には「解答」がないのに、それを私が他の人々に求めていると思われたのではないでしょうか? あくまで私は「回答」がほしかったのです。私の質問にどのような回答を頂けるか、すごく楽しみでした。 普通、こんな話しても誰も取り合ってくれませんからね… あっそ。勝手にすれば?なんで私に聞くの?といわれるのがオチです… そこまでいきませんが、bragelonneさんはそのようなニュアンスが文章から感じます…(私にとって) おっと、私自身が疑問の本質からそれていますね… >「疑問を抱くことは まったく自由」、この私の質問は「何の疑問にもならないこと」 一応言っておきますが、私は疑問だと思っています。 そもそもあなたと私の価値観が違うのだから、疑問の基準も違うでしょう。そこを突っ込まれても、私は困ります… >私の質問自体が言葉の使い方 もしくは捉え方 やはり私の言葉の使い方が悪かったようですね… 言葉って難しいですね… 今こそテレパシーが欲しい。 えーと、疑問かどうかはさておき、 私が睡眠時(もしくは死の状態時)、「一人称の世界」は いろんなふうになっている ということを、私は理解しました! 申し訳ないですが、私は絶対、あなたの回答をあなたの思った通りに解釈はしていないと思います。 何せ私の観測する世界とあなたの観測する世界は重なりませんからね!(多分?) 建設的なご批判は大変ためになります。 回答有難うございました。
面白い質問だーって思ったらワンサと回答があって迷宮の様相を・・・ 出掛けで恐縮なのですが、私も一言添えても良いでしょうか? ご質問の通り「自分の観測する世界」についてですよね。 多分お察しの通り、それは観測者であるあなた自身の投影像ですよね。 生まれてこの方様々な知識を詰め込み経験を積み、世界をあなたの 見方で認識されている。 つまり、それはあなた自身の構造そのもの。 何かがこう見える、というのはあなたはこれをこのように見る、という あなたの形を現している。 寝ている時は、当然それも眠っている。 鏡の中の貴方が眠っている。 まぶたをつぶったから見えなくなっている。 精神のまぶたもつぶったから、世界は朝まで無くなっている。 合わせ鏡は無限、という観念だけで、実際には無限は 見えない。あなたの頭であなたの後ろが見えないから。 量的にも質的にも意味的にも貴方的にも そういうわけで周辺が知覚されているのみ。 しかも、何もかも良く見えているわけではなくて、 「あ、あれ知ってる」とか「あれは多分、こう」とか 頭の中であなた流の「記号」や「意味」で置き換えたり 意識のピントが合っていないぼやけた部分が、あなたの 「世界の果て」になってる。 眠ってる間は、あなたは 一旦停止され、あなたという「観測機器」は部分的に 分解されている。 点検され、新しい機能を組み込み。 だからあなたは「消えている」。でも、あなた自身は 毎晩バージョンアップするわけなので、あなたの意識とは 別な自律的(むしろ他律的?)な制御系があなたの中に存在する。 あなたを停止し、アレコレいじってる誰かがいる、ということ。 いわゆる無意識とか潜在意識は、恐らく「自分」という 固有の「個」を持っていないんじゃないかな。 その辺りから「個」が融解した自他の連続層があるのじゃないかな。 もひとつ大きく、人間が、或いは生命が見ている「世界」という 視点も成り立ちそうだね。 生物に限定しなければ、 遠い昔のように科学も哲学もまぜっこできそう。 さて、観測機器であるあなたが分解・再構築されるなら (大げさかな?メンテナンス、といった方がいい位のレベルかも。) 当然、あなたが見ている世界もまた、寝ている間は 分解・再構築されている。 だって、それはあなたという観測機器の 仕組みそのものだから。 だからね、自分の外側に出ようよ。 きっと面白いよ。
お礼
>精神のまぶたもつぶった うまいたとえですね!しっくりきました! 昨日の私と、明日の私は同じようで違う… 毎日のメンテナンスもうまくいくわけもなく、次第に私は錆びれていく… そしていつかは廃棄処分… >あなた自身は毎晩バージョンアップする ということは、もしかして、「今日」私が認識した「一人称の世界」と、「昨日」私が認識した「一人称の世界」は、実は全く異なる世界!? 私には一つの意識しかないようですが、実際は限りなく似た意識が私の中に存在する? そしてそれら意識は私が寝てしまうともう二度と戻ってこないのか…? 幼少のころと、歳をとった後では、性格も若干違うだろうし、趣味、嗜好等もも変わっていくのは、現実から刺激を受け、毎晩私の意識を少しずつ変化させているから…? どうやら私は妄想癖があるようです… この場で質問した後、改めて私の回答、質問内容を見直してみると、私は大変馬鹿で無知、ネットスラングでいう中二病の状態にありますね… お見苦しい姿をさらしてしまった後悔ばかりが残っています… 回答有難うございました。
No.4 です。追加質問させて下さい。 Fairyland_0201 さんの「一人称の世界」は、一人称で考えている間はいいのですが、 ちょっと注意を払って一人称以外の人物、例えば、両親、兄弟、友人等の意識の存在をどう考えますか? 提出された独我論の「一人称の世界」の世界の成立のためには、自分以外の人間は、人間の形をしているが、意識のない動くもの「哲学的ゾンビ」としなけらばならず、かなり苦しい設定ではないか?という疑問を感じます。 この疑問にはどう答えますか? >哲学的ゾンビは独我論に関わる深刻な問題を提起する。 >独我論者によれば、「われわれはなぜ哲学的ゾンビでないのか?」という問いは、 >「他者もまた意識を持っている」という信念ないしは推定を前提とした問いであり、 >外部からは観測できない内面を有するのは自分だけであって、 >自分を除くあらゆる他人が内面そのものを有しない神経的ゾンビである可能性を >考慮していないと批判される。 哲学的ゾンビ wkiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E8.AB.96.E7.82.B9
お礼
独我論を持ちだして、睡眠時は「一人称の世界」が消失すると考えるとき、哲学的ゾンビが独我論の障害になるのですか…? 独我論と関係あるかも分かりませんが、私は、私以外の人間も、意識を持つと確信しております。 もし私だけが、「世界」を認識できると仮定すると、「一人称の世界」=「世界」になり、私が見えている世界が全て、と考えました。 ここで、「普遍的な世界」(「世界」)は、私(人間)の意識にかかわらず存在するではないか?と問われた時、私しか存在しない世界は、もはや世界が死にかけている(消失しかけている)、と考えます。 「世界」は、客観的に見て、科学が対象とするもので、存在する、と私たちは断定します。しかし、なぜ私たちが「世界」が「今」存在する、と断定できるのでしょう?科学が、過去に地球があった、宇宙はビックバンから始まった、云々説明しますが、「今」私たち人間の目に見えている世界の説明をしてくれていないと思うのです…(もしかしたらあると思いますが) また、「世界」が存在する、と断定できるのも、私たちが動物たちとは異なり、言語を有し、意識を持つからこそできる芸当です。こうやって、konobouさんとFairyland_0201が、パソコンの画面を通し、相互に各人の「一人称の世界」に影響を与えています。だけど、いつかはこの質問も締め切られ、もう二度とkunobou、という意識を持った人物が私の世界に現れないかもしれない… だけど、確かにkunobouさんが、いたであろうことは、私が意志を持って利用した証である、過去の質問を読めば、私は分かる。 そのように、互いに互いの存在を知らずのうちに認識出来ているうちは、いいのですが、地球上に私一人、となってしまうと、「私限定の一人称の世界」には私は確かに存在するが、「一人称の世界」に私が存在することは、意識を持つ他者が存在しないからわかりっこない… したがって、世界が多面的であると考え、そのひとつの「一人称の世界」が滅びたら、もう世界は私の想像の外にあり、生きている間は想定不可能だ、と思いました。 話が膨らみすぎていますので、ここでやめておきます。 とりあえず、私は、他者が意識を持っていないことには、「一人称の世界」が、以上の考えから成立しない気がします。 回答有難うございました。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
>寝ているときって、いったい世界はどうなってるのでしょうね? あなたが覚醒している、今、寝ている時に世界はどうなって い た か をあなたは知り得ません。 存在しないのです。既に。 単純にそれだけです。極端に言えば考古学と同じです。 寝ていた姿をビデオに撮っておくことはできるでしょう。 しかし、それは、あなたが過去に寝ていた姿のことを再生するという今の世界の事象です。 それに、もともと世界など一切存在などしないのです。世界はあなたがあなたに存在させています。 無論、客観的にはあなたが寝ている間も、あるいは、あなたが存在しなくても、「世界」は存在し続けてます。この客観性は、人間存在の万人がそうであるからこそ、間違いなくそうなっていることにしているにすぎません。世界が存在しないなんて言ったらアホ扱いです。 あなたが昨日寝ていた消失した世界の中で、私は同じくその消失した世界の中でバーボンを確かに飲んでましたよ。そういうことです。もともと。
お礼
私の考えに近い意見ですね! 近い意見だと、あまり感想が出ないですが… 間違いなく無理または無駄なこととはと思いますが、ukiyotonboさんの回答を、私たちが生きているうちに証明する方法ってありますかね…? 死ねばわかるのは分かっています。 でも、私だけが「今」の全人類で初めて死ぬことができ、すると私だけが証明可能であり、したがって客観的に証明することは不可能かも… 世の中には、絶対に分からないものがあるんですかね? 面白いですね! ときどき早く死んでみたいとか、物騒なことを思ってしまいます… 回答有難うございました。
- ga111
- ベストアンサー率26% (247/916)
寝ているときは無意識の世界が優勢になっています。優勢になっているだけで、やかましい目覚まし時計はふつうは聞こえるのですから、完全に無意識の世界ではありません。 また、ふつうはねぼけながらもトイレに行けますから、、、たとえば、9?%が無意識の世界が優勢になっています。 もし100%無意識の世界だったら、われわれはスリープから復帰できない状況が起きうるでしょう。そのときは、外部からのリセットが必要です。リセットが効かなければ、それはときに植物人間状態を意味し、近い将来の死を意味します。
お礼
No.9のsheep67さんの意見に、どちらかが優勢する、という点で似ていますね。 寝ているとき、「一人称の世界」は鳴りをひそめるが、それは完全に無になるわけではないと… 「世界」から何らかの作用(刺激)を受けた時、覚醒することで、「一人称の世界」が再び現前する? ga111さんの考えでは、私は毎回睡眠時は無意識になり、限りなく死に近い状態にある、ということですね。しかし死んではいない。 他の人の意見も大体は、私は意識で「一人称の世界」を確認している、で一致するみたいですね。 死ぬことで、完全な、100%無意識になり、私は「一人称の世界」を再び認識することはなくなる…ということですかね。 たとえが悪いですが、自立型のおもちゃのロボットが私だとして、スイッチをつけた時が私が起きている時で、消した時が、私が睡眠時であると例えると、動力の乾電池はいずれ無くなるのだから、その時が死ぬ時でしょう。 そして「世界」には残されたロボット(私)が横たわるだけ… 植物人間は、99.999…%無意識でも、ほんの少しでも「世界」を認識できることができれば、まだ「一人称の世界」は残っている。 以上のように私は理解しました。 回答有難うございました。
お礼
>最後まであきらめない どんなに長くても、このQ&Aサイトでは、質問の期間は1週間が目処だ、と調べたら出てきましたので、なるべく長くならないよう、初めの質問文は短めにし、他の回答者の意見の、言葉の細かいところには突っ込まないように心がけていました。 あまり長ったらしく自分の意見だけを、押し通すのでは、私にも、相手にも、得るものがないと思ったからです。 質問文には述べませんでしたが、私の質問に対する回答は、全て受け入れる気持ちでいましたが、やはり、自然と(無意識に?)私は自分の意見にズレがある回答者さんの意見に反対していたようです。 bragelonneさんの回答は、ある意味一番ユニークでした。 もっと自分の考えを、確立し、理解し、そのうえで他者から意見を頂かないと、先のように何が何だか分からなくなる…ということが、私にとって一番の収穫でした。 でも、これでは、質問に対する収穫ではないですね。 何か別の、質疑応答の仕方?について学んだ気がします。 回答有難うございました。